2017年

2月

01日

あいさつ…簡単なようで、ハードルが高い子もいる。

あいさつは大事。
でも、できなくてもいい。
ブスッとしていて、何が悪い!?


あいさつは人間関係の基本です。
気持ちよくあいさつしてくれる人と出会うと、とてもいい気分になれます。

一方で、にこやかで、ハキハキしているのに、妙に心に引っかかっるあいさつをする人もいます。特にそれは、子どもや若い人です。

なんと言うか、芝居がかっているというか、不自然な印象を受けるのです。

それでも、自分から声をかけるべきだ!
むしろ、それで、いいんだ!

というのも、理解できます。
わかっています。
でも、私は、そこに居心地の悪さを感じます。
率直に言うと、私のクラスの子どもたちには、そうなってほしくないな、と思います。

「そんな!先生の好みを押し付けないでください!あいさつは基本です。演技でも何でも、明るく、にこやかに、は大事じゃありませんか?」

おっしゃる通り!
全く、何の反論もできません。
その通り!

ある時、校門の近くで、下校しようとしている6年生の群れに遭遇しました。

私が、
「さよなら」
と声をかけると、もちろん、ほとんどの子が、さよなら、と返してきます。

が、ある男の子は、私のことを伏し目がちに見て、あえて目線を外しました。

これは、普通に考えれば、失礼なことですよね。
先生に対して、とか、目上・目下の問題でなく、されたらイヤな気持ちになります。

でも、彼は、私に目線を送ったのです。
心の中では、さよならと確かに言ったのです。

世の中の99パーセントの人が、彼のあいさつのできなさをネガティヴにとらえたとしても、私は彼の心の中で、湧き上がったあいさつの気持ちを認めたいと思います。

そういう先生もいて、表面上でも、あいさつを求める先生もいて、バランスが取れているんでしょうね。
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2017年

2月

02日

小学校の低学年までは、これが一番、大事!

小学校低学年までの教育で、最大の目的…
それは、「そんな自分でも大丈夫」と子どもが感じること。


先日、ある子どもが先生に叱られていました。
「また、やっちゃった〜」
としょげていました。

先生に叱られて、しょげるぐらいですから、これから、まだまだ直せるチャンスは、いくらでもあるでしょう。

そんな彼と話していて、私自身も、叱られていたことを思い出しました。

叱られたり、否定されたりすることは、嫌なものです。
が、生活の中で、そういうことも大切な経験です。

私自身、何かに尻込みしている時、やる気が起きない時は、結局、できない自分に直面したくない時だと感じます。

新しいことに不安感を強く持つのも、よくわからないから。わからないことは、人に聞かなきゃならないし、当然、うまくできない…できないことを人に見られたくない。人にバカにされている自分がイヤ…そんな心のメカニズムでしょう。

何かを失敗しても、次に向かう心を育てるのに必要なのは、失敗しても、叱られても、否定されても、自分は大丈夫なんだ、という安心感です。

このことは、叱った後、失敗した後の子どもへのフォローの大切さにもつながります。

何しろ、先生をやっている私自身が、叱られて、叱られて育ったのです。

もしかしたら、お母さんは、あまり叱られた記憶がないかもしれませんね。

でも、何かしら、失敗の一つぐらい、したことがあるのではないかと思います。

それを思い返して、お子さんを励ましていただきたいな、と思います。
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2017年

2月

03日

嬉しそうな様子が人を勇気づける。わかっちゃいるけど、できない。それでもいい。

朝から愛をもらって、素晴らしい一日。
それは、ラテもそうだけど、作っている人の嬉しそうな様子。

だから、お母さんが嬉しそうにしていること、それ自体が、お子さんの一日を明るくする。


今朝、入ったエクセルシオールカフェで、ラテマキアートを頼んだところ、こんなにステキにしてくれました。

まぁ、こう言ってはなんですが、フェィスブックやブログの記事としては、新鮮味もありませんね…

もちろん、わかっているけれど、私はどうしても書きたかったのです。

ラテの見た目、味はもちろんですが、作っている人の笑顔が本当にステキで、温かい気持ちになれたからです。

私はグルメを気取って、いろいろなお店に行くのは好きですが、本当の意味で、味わいを理解しているとは思いません…

お店のたたずまいから、シェフや店員さんの様子、盛り付け、食器類、それらの雰囲気で、

美味しかった!
うーん…イマイチ…

などと、感じている部分が、とても多いと思います。

それは、本当の意味で、味のわかる人ではないかもしれないけれど、満足してお店を出られるかどうかは、スタッフの皆さんの様子次第、ということが本当に多いのではないでしょうか。

だとすると、お母さんは、ニコニコしてさえいれば、もうオーケーということです。

もちろん、料理が上手に越したことはないでしょうし、楽器が得意に越したことはないでしょう。

でも、それは、枝葉の部分です。
根っこは、お母さんが心から嬉しそうにしていることなのです。

とはいえ…
そんなことは、もうわかっていますよね。
わかっちゃいるけど、そんなにニコニコしていられない。
ニコニコしていたいけど、できない。
気づくと、イライラしている。
当たっている…

それはそうですよね。
予想外のことを繰り返す子ども…
想定外のトラブルを受けて帰ってくる子ども…
思い通りにいかず、イライラするのが当たり前。

私の経験上、面談の場で、不安材料が皆無の子なんて、誰もいません。

でも、お母さん方は、よく、こうおっしゃいます。

「他のご家庭は、こんなことないんでしょうけど、ウチは…」

そんなことはありません。
隣の芝生は青く見えるだけのことです。
もしくは、人工芝で、ムリに青くしているだけです。

どんなにハゲても、抜け抜けでも、天然芝がいい。
このムラにこそ、味がある!
そう、笑い飛ばしてしまっていいのではないでしょうか。

そんなお母さんだと、私自身は、とても助かります。
あなたは、どうですか?
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2017年

2月

04日

お子さんがモジモジしていて、イライラしてしまうお母さんへのメッセージ

モジモジくん、モジモジちゃんにイライラしているお母さん!

一言でも、気持ちを相手に伝えられたら、お赤飯を炊きましょう。


お母さん方から話を伺っていて、結構多いのが、自分の気持ちを相手に伝えられない、モジモジくん、モジモジちゃんのお子さんについての悩みです。

「私、何かあったら、黙ってられないんです!いけないとはわかっているけど、怒鳴り込むなんて、楽なことなんです。そんな私の子なのに、なんで、イヤの一言さえ言えないんでしょう…全くわからないし、イライラしますね!」

こういうお母さんの場合、逆に子どもは引っ込み思案で、相手にモノが言えないことが、よくあると感じます。

ちなみに、そういう子は、中学なのか、高校なのか、はたまた結婚後か、いずれかのタイミングで、お母さんばりに、ガンガン言える子になっている可能性が高いのですが、まぁ、先の話は置いておいて、今のことを考えましょう。

私自身は、相手にモノが言えないタチでした。今でも、まだあります。大事な時こそ、気を遣って言えないのです。

ここで、私はあえて、気を遣ってと書きました。
何に気を遣ったのか…
それは、自分が嫌われない、否定されないことに気を遣ったのです。

こんなこと、言われたら傷つくだろうから、言わなかったんだ〜

それって、ウソですよね。

こんなこと、言っちゃって、相手やみんなから嫌われたくないこら、言えなかったんだ〜

というのが、本当のところですよね。

少なくとも、私はそうです。
それぐらい、嫌われる、否定されることへの恐怖感は強いのですね。

そんなモジモジくん、モジモジちゃんなら、たとえどんな一言でも、何か言えただけで、お赤飯を炊いてお祝いするぐらいでいいのです。

子ども本人が、
「え?そこまでのこと?」
と、キョトンとするぐらい、オーバーでいいのです。

一言を何とか伝える。
そして、相手からの反応…否定されたり、笑われたりすることも多いはず…を受け止めた。

素晴らしい快挙です!
相手からは、期待通りの回答や反応がなくて当然です。
まず、自分が、自分の意思で、伝えられたことが、自分の心の安定につながるのです。

相手に否定されたり、笑われたりして、傷ついて帰ってきたなら、お子さんの気持ちが鎮まったところを見計らって

「伝えたこと、そのものが素晴らしい。相手にも相手の都合があるんだから、自分の思い通りにならなくて当たり前。聞いてくれて、ありがとうということだね」

と伝えたいものです。
自分の気持ちを存分に出せることは、結局、人の気持ちを受け容れるスペースを作ることです。

ホンネを自分の中にしまいこんでいると、他人を自分の懐に入れるスペースがありません。

一言でも伝えられたら、お赤飯。
今週のキーワードにしてみてください。
あ、あと、今週は、今日でおしまいですが…
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2017年

2月

05日

困った時は、「どうしたらいいの?」ではなく、「どうしたいの?」


正しさが、一番の敵。

どうすれば正しいのか…
もちろん、私も気になる。
けれど、それを求めるから、悩む。



「どうすれば、いいの?」

子ども達から、よく聞かれる質問です。

例えば、ちょっとケタ数の多いたし算をしているとします。

「あ〜それはね、繰り上がりの数字をここに書くといいよ。」

そんな明確なヒントを出せることばかりではありません。

友人関係の悩みや、わかっちゃいるけど直せないことなど、言われて直せるぐらいなら、悩みもしません。

そこで、
「どうすれば、いいの?」
の質問を少し深掘りしてみました。

アレコレ考えて気がついたこと、それは、正しさを求めるからうまくいかないのではないか、ということです。

「どうすれば、いいの?」
ということは、

・どうすれば、うまくいくの?
ということです。
そして、それは、

・どうすれば、正しいの?
ということでもあると思うのです。

1+1=2です。
これは、確かに正しい。

けど、先ほどの繰り上がりの数字を書く位置だって、書くべきかどうかだって、絶対の正しさはないのです。

まして、人間関係のこととなると、私がオススメした通りにやったら、余計にトラブルが増えるということさえ、珍しくはありません。

そんな時は、
「どうしたらいいの?」
という質問ではなく、

「どうしたいの?」
という質問の方が、納得ができる答えを考えることができるし、行動に移すこともしやすくなります。

正しさと正しさは、いずれ衝突します。
国同士、なんて大きなことではありません。
クラスの中、家庭の中、目の前の日常が、自分の正しさのぶつけ合いです。

何か行き詰まっているな、と感じたら、お子さんに、
「どうしたいの?」
と聞いてみてください。

いずれ、納得ができる区切りにつながります。
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2017年

2月

06日

言いたいことは、存分に言おう!ただし、場所には気をつけて!


壁に耳あり、障子に目あり。
言いたいことを思う存分、言うことは大事だけど、場を考えないと大変なことに!?

以前、あるお母さんが、ママ友宛に送ったはずのメールが、先生に届いたことがありました。

その先生は、大笑いしていましたが、お母さんからは、平謝りされたそうです。

グチも含めて、言いたいことを存分に言えた方がいいと私は思います。

が、場をよく考えて、くれぐれも慎重にしたいものです。


先日、ある駅近くでカフェに入りました。
座ったところで、少しフォーマルな雰囲気の女性が7、8人、ワナワナと現れました。

そして、私の周辺にバタバタと座り、座りきれなかった2人は、別のカフェに急いでいきました。

どうやら、とある私立小学校にお子さんを通わせているお母さん方が、学校から求められたプリントに記入をしたかったようです。

「大変!何分の電車に乗らなきゃならないんだっけ?」

「あと10分よ!」

それは大変です…
嵐のように去っていきました。

なんで8人も?
私は、よく状況をつかめませんでしたが、小学校の先生が隣にいたなんて、想像さえしていなかった様子です。まぁ、当たり前ですよね。普通、9時過ぎのカフェに学校の先生がいるはずないのです。

まして、私立小学校の先生が、横にいる可能性なんて、ありえないほど低いでしょう。

ただプリントにみんなで記入していただけで、誰かへの批判やグチもなかったので、たとえ私がその学校の先生に言っても、大したことはない話です。

が、こういうことは、気をつけないといけないなぁと思いました。

私達も、学期の終わりなどに宴会をすることがありますが、場を考えないと、誰が聞いているかわからない、といつも思います。

子ども同士だって、
「あの子、こんなこと言ってたよ」
とトラブルになることが、ありますよね。

壁に耳あり、障子に目あり、とはよく言ったものです。
今、障子があまりないですから、

壁に耳あり、ドアに目あり、でもいいですが、誰が聞いているか、わからないことを考えてから、存分に言いたいことを言うようにしたいですね。
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2017年

2月

07日

人より上を行こうとするから、苦しい。

人よりもよく見せたい。
人より上でありたい。

それが苦しみのもと。

結局、私は、私で、いいみたい。


人との比較が、自分を苦しめると言います。
まったくもって、同感です。

が、誰かと比較しないと、自分をわからない、というのも、また事実だと私は思うのです。比べずにはいられない…

私も、人よりよくありたい、上でありたいという気持ちが、確かにあります。

どうすれば、他人軸から自分軸に移れるか。
それは、徹底的に自分を認めることです。

他人の目、誰かの評価、人との比較にまみれて、自分が見えなくなっている自分も素晴らしい!

こんな失敗をして、恥をかいたことも素晴らしい!

また、洋服を買ってしまった…なんでこんなに…
と、後悔するのも素晴らしい!

一度、ダメな自分を認めることができるから、他人の目線から外れることができるのです。

私は、子どもたちと関わる時、失敗した時こそ、認めるチャンスと思い、励ましてきました。

子ども自身が、そんな自分も素晴らしいと心から思えるために時間が必要なことも多いです。

どんな言葉掛けよりも、大人自身が、自分を認めていることが一番、効果的です。
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2017年

2月

08日

困りごとを解決する、あり得ない心の持ち方とは…

課題を解決するために、
「もう、解決なんて、しなくていいんだ」
と、覚悟を決めるといい。


今、あなたは、何かしらのトラブルや悩みを抱えていますか?

ない、という方は、本当はこの記事を読む必要はありません。でも、せっかくなので、最後まで読んでくださると嬉しいです。

さてさて、実際のところ、何の悩みもない、という方は少ないのかなとは思います。

私も煩悩のかたまりではありますが、話を子どもとの関係に絞りますと、やはり、悩みの連続でした。

人間関係のトラブルや勉強の力…
思うようにならないことばかりでした。

例えば、
「なんで、こんなに騒がしいのか…」
授業の冒頭のおしゃべりが気になって仕方がない時がありました。

注意をすれば、静かになる。
けれど、何か違和感がある…
あれこれ考えているうち、とんでもないことに気づいたのでした。

私は、クラスがシーンとしてしまうと、妙な居心地の悪さを感じていたのです。

静かにしなさい、チャイムが鳴ったら勉強の姿勢になりなさい、と言いつつ、そうクラスが整ってしまうことに恐怖を感じていたのです。

より正確には、私の好みの通り、子どもに演技させているのではないか、彼らの中にあるイキイキした活力を潰していないか、という気持ちがあったのです。

それに気づいてから、私は、
「あ〜クラスがシーンとしてもいいし、騒がしくてもいいや」
と思うようになりました。

クラスがシーンとしていることは、ある意味で、当たり前のことです。それが子どもたちの活力を潰すことではありません。

また、私が心の奥底で、子どもたちの活力を生かそうと、子どもたちが声を出しているなら、それは思い通りなんだから、うまくいっているわけです。

つまり、
「もう、どっちでもいいや」
ということです。
肩の力が、フワッと、いや、ドサッと、抜けました。

その後、私のクラスが常にシーンとなった訳ではありません。

時には騒がしかったですし、逆にシーンとなる時は、感動するぐらい集中して勉強しました。

少なくとも、私はいちいち悩まなくなりました。
先生の気持ちが安定しているだけで、子どもたちは落ち着きやすくなります。

お母さん。
今、何かしらの悩みや困りごとがあるかもしれません。

もしそうなら、その困りごとは、本当は困りごとではない、ということはありませんか?

まず、
「もういいや」
と、解決なんて捨ててしまうことで、今まで気づかなかった面が見えてくることがありますよ。
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2017年

2月

09日

お子さんがすぐスネて困る、というお母さんのためのヒント

ドラえもんの登場人物(?)で、一番、現実世界に多いのは…

スネ夫!

スネ夫くんとの付き合い方は、スネざるをえなかった過去を察してあげること。


だらしないのび太くん…
ワガママなジャイアン…

個性的な登場人物が多く、今も子どもたちから大人気のドラえもん。

現実世界に一番、多いのは、どうもスネ夫ではないかと、私は思うのです。

私もそうなのですが、子どもたちの声を聞いていると、
あ〜この子、スネてるんだな〜と思うことが、よくあります。

怒っている、というよりも、スネているという方がシックリくるのです。

イジケテいる、という表現でもいいかもしれません。

つまり、甘えが入っているのです。

「もっとこうして欲しかったのになぁ〜」
「こんな風に言って欲しかったのになぁ〜」

こんな甘えやスネは、「めんどくさい」話です。
が、甘えてるんじゃない!とハッパをかける前に、スネざるをえなかったことに思いを致したいなと思うのです。

スネとは、こうして欲しかった、という抑え込んでなかったことにしたホンネが成仏できずに現れた怨念!

そう考えると、ホンネが実現しなくても、スネの気持ちを察してもらえるだけで、成仏させられると感じます。

私は、スネ夫くんとの付き合い方は、ガマンしたことを察してあげることがヒントになりそうです。
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2017年

2月

10日

バイト罰金問題に思う、ペナルティーの効果と対策

ペナルティーに効果はあるのか…

ペナルティーは、支払えばいいんでしょ、と言われた時に返す言葉がない。


先日、ある大手コンビニチェーンで、欠勤したアルバイトに罰金を課していたことが問題になりました。

私は、今年、放課後の預かりを担当しているので、アルバイトさんと接する機会も多いですし、お給料の管理もしています。

「そうなんだ…バイトが欠勤する時は、代わりを探させるなんて、できるんだ〜」
と、まずビックリしてしまいました。

放課後の預かりは、午後〜夕方がメインです。
そして、私の勤める学校は、便の悪いところにありますから、大学生を安定して確保することは、けっこう大変です。

あちこち電話やラインをして、何とか人数を確保していたのは何だったのかなと思いました。

さて、話はペナルティーです。
今回のコンビニ店での罰金が、法的にどうかというと、おそらくダメなのでしょうね。

それはそれとして、そのペナルティーがバイトのやる気を引き出すかどうか、という点で考えてみます。

これって、お母さんが帰るまでに宿題をできていなかったら、罰としてオヤツを抜くよ、ということと、考え方としては同じです。

・○○ができなかったら、△△を取り上げる

罰則の提示です。
嫌なことを提示すれば、避けるだろう…
一見、筋が通っています。

が、これは、私が思うところでは、うまくいきません。
なぜなら、

「はいはい。△△を渡せばいいんでしょ」
ということになってしまうからです。

私が担当しているお預かりシステムでは、お迎えが遅れることは、ほとんどないのですが、もちろん、多少はあります。

そんな時に、
「はい、1分ごと100円です」
と、ペナルティーを課していたら、逆に、
「今日は30分遅れるので、3000円払います」
と言われた時、返す言葉がありません。

現実問題として、ある種のペナルティーは必要でしょうが、何かを改善するための方策としては、効果はない、むしろ悪化させるというのが、私の考えです。

では、やめさせたいことをやめさせるには、どうするか…

まずは、何に困っているのか、何のために良くないことをしているのか、を考えることです。

たとえば、宿題をしない。
何度言っても、やらない。

何に困っているのでしょうか。
実は、やり方がわからないけど、言えないでいる、ということはありませんか?

あるいは、何のために宿題をしないのでしょうか。
実は、そうやってお母さんに叱られることぐらいしか、お母さんに関わってもらえない、とその子が感じている可能性はありませんか?

その困り事にも、何かしらの目的があります。
それをとらえることが、解決の重要な糸口になるのです。
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2017年

2月

11日

お母さん!他にも方法があるんじゃありませんか?

選択肢はいくつもある。

こうでなきゃダメ!
ではなく、
こういう方法もあるし、ああいう方法もある。


お母さん方から勉強法についての相談を受けることがあります。

私の場合、よく伺ったのが、どうすれば読解力がつくのか、というものです。

読解力…
確かに大事ですよね。

とはいえ、その改善は、言うは易く…です。

私個人としては、主語と述語の把握が最も大事だと思います。日本語は主語を省略することが多いこともあり、私は、誰がどうしたのか、何がなんなのか、ということを正確に把握することが第一で、たくさん練習する必要があると思っています。

一方で、多読こそ大事、という人もいますし、語彙力をつけることが大事、という人もいます。

また、この問題集がいい!いや、こっちだ!など、いろいろな意見があるものです。

それは、読解力以外でも言えることでしょう。

この時、どうすれば一番いいか、を探そうとすると、とても難しいと感じます。

まずは、これをやってみよう。
そして、次はこっちにしよう。

という程度に考えておかないと、妙なプレッシャーがかかります。

問題集程度なら、まだいいのです。
発達に何か心配があった時など、カウンセラーに相談するか否か、児童精神科に行ってみるか否か、投薬はどうするかなど、デリケートな課題がたくさんあります。そして、選択肢がたくさんあります。

何が一番正しいか、なんて、全くわかりません。
探るのみです。
決めつけず、肩の力を抜いて、試してみたいものです。
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2017年

2月

12日

嫌われる勇気はわかるけど、どうしたら本当に嫌われてもいいと思えるのか。

嫌われてもいい、そのメカニズムはわかる。
では、どうしたら、そう思えるのか。

こんなに嫌われているのに、まだ嫌われまい、評価されたい、とあがいている私って、カワイイとナデナデする。


ベストセラーになっている「嫌われる勇気」。
私も手に取ったことがあります。
本当にそうだなぁと思いました。

私自身、繰り返し書いてきたように、本当に嫌われたくないと思って、クネクネ生きてきました。

いかに好かれるか。
どれだけ評価されるか。

それが大事で、でも、そんなに簡単に好かれもしないし、評価もされないんだから、せめて嫌われない、悪く言われないということを第一にしてきたのです。

そんな自分が情けなかった私ですが、「嫌われる勇気」を読み、

「なんだ…その心のメカニズムは、みんな一緒だったのか…」

と、安心できたような、励まされたような気分になったのを覚えています。

ですから、嫌われる勇気、嫌われる覚悟が備わることで、毎日がイキイキしてくることは、理解できるのです。そうであろうと、思うのです。

が、40年という時間を嫌われまいと生きてきた私、人より抜きん出ないことをヨシとする日本の文化、社会的な圧力は、なかなか簡単には変わらないようです。

もちろん、日本の文化やら社会的な雰囲気なんて、私が変えようとは思っていません。

が、そうやって、周囲のことや、社会について考えている時点で、嫌われる勇気を持つ覚悟はないのです。まだ、どこかで、嫌われることなく、認められようとしているのです。

嫌われる勇気って、素晴らしい。
嫌われる覚悟をしたことで、私はこんなに変わりました。

と、キレイな私を見せたいのです。
これは、本当の意味で、嫌われる勇気を持っていません。

どうすれば、真の心の平穏と、真の活力を見出すことができるでしょうか。

本当の意味で、嫌われる勇気を持つためには、どうすればいいのでしょうか。

それは、私ってカワイイと、自分で自分の頭をナデナデすることなのだと思います。

何のかんの言っても、まだ自分がカワイイ。
もう十分、嫌われているのに、まだ嫌われまい、スゴイと思われたい、と外から見たら、無様にもがいている自分をカワイイと決めること。

つまり、100パーセント嫌われてもいいと覚悟を決められなくていいのです。

もう仕方ない!

一度、何もかも含めて、今を認める。
自分で、自分の頭をナデナデすることが、全ての出発点です。

以前、友達関係に悩んでいたある子と話していて、私はこう言いました。

「嫌いな子がいるのは、当たり前なんじゃない?」

そうしたら、その後の面談で、その子のお母さんにヒドく抗議…ではなく、とても感謝されました。

「先生が、そう言ってくださって、ウチの子、気持ちがラクになったみたいです。私、そんなにいい子を求めてきたつもりはありませんでしたが、トラブルなく、なるべく平和にという考えていたのが、プレッシャーになっていたんですね」

友達100人できるかな〜♪
という、誰でも歌ったことのあるであろう歌がありますが、友達100人なんて、できなくていいのです。(もちろん、できたっていい)

少なくとも、私は、そう生きていこうと思います。

2017年

2月

13日

インフルエンザシーズンだけに…お母さん!休むことに罪悪感を持つ必要はありません。

休むことは、サボりではない。
次の活動に向けた、必要なこと。

休むこと、特に休ませることに、罪悪感を持つ必要はありません。

休んだって、いい。


インフルエンザが流行しているようです。
私の勤める学校でも、チラホラと罹っている子がいますが、まだ大流行という雰囲気ではありません。

さて、そうなると、お母さん方が心配されるのが、休んだことで、勉強が遅れるのではないか、ということです。

が、インフルエンザや体調不良など、明らかな休みなら、せいぜい一週間程度のことですから、いずれ追いつくことはできます。

ところが、実際にお子さんが休んで、3日目ともなると、

あ〜大変!
追いつくのに、倍以上の日数がかかる…
この単元で置いていかれたら、後に影響が…

と、実は根拠のない不安が広がります。

これって、もしかすると、ブラック部活の問題にも繋がっているかもしれません。

休むことへの罪悪感が、当事者となると、第三者の意識では考えられないほどに強いのです。

ブラック部活の問題は、熱心な運動部のあり方に問題があるように言われますが、私達の間に無意識のうちに、休むことへの罪悪感が根っこにはあるように感じます。

もちろん、私は担任をしていましたから、休むことへの罪悪感は、人一倍強かったのは、事実です。

実は、3日や4日…いや、半月ぐらい休んだところで、どうということはないのです。

もちろん、勉強などのケアは必要でしょうが、それが原因で、それ以降の勉強がわからなくなる、というのなら、既に何かつまづいている単元があるはずです。

そうやって、休むことへの罪悪感が強まると、繊細な子は、数日休んだだけで、

あ〜もうダメだ…
もう行きづらい…

と、必要以上に、プレッシャーを感じてしまいます。

休んだっていい!

現に、私は学校の用事で、クラスを他の先生に預けることもありました。

その時の彼らの嬉しそうなことと言ったら…

それも、またいいですよね。
だから、私に教師としての魅力がないんだ、とスネることはないのです。

私は、職務上、必要なことをした、それだけです。

休むことは、大したことではない。
体調が悪いなら、よくなるまで休む。
用事があるなら、必要な期間休む。

ただ、それだけです。

大人自身が、休むべきときにはしっかり休むことも大切です。

確かに、お母さん業は休めません。
でも、一時的に、休暇は取れるのではないでしょうか?
添加物たっぷりのファーストフードなんて、アリエナイ!
けど、子どものうちは、それがなぜか嬉しい…

それも、またヨシだと感じます。
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2017年

2月

14日

「いい子」の求め過ぎにはご用心。

期待に応えたいという気持ちは、諸刃の剣。

やはり、期待には応えたい。
そして、評価されたい。

それは、自然な気持ちだけれど、応えようとし過ぎると、苦しくなる。

いい子のお母さん!
お子さんは、何か心に溜めてはいませんか?


先日、とあるテレビ番組から、取材の話があり、局まで出かけて、インタビューを受けてきました。

結局、その番組の中で、私が答えた部分そのものがカットになり、収録にも呼ばれましたが、やはり、まとめてカットでした。

どうも、そうなることは、収録の日に言われましたが、放送前にネタバレになるのも良くないと思い、ブログにも書きませんでした。

さて、そこで見つけたのは、私の答えが悪かったからカットになったのかなぁ〜と、何の根拠もなく、しょげてしまった自分でした。

もしかしたらそうかもしれないし、全然、違うかもしれない。

その番組のテーマが、中高生中心であったことから、おそらくは、私のインタビュー内容云々よりも、テーマそのものが不要になったからだろうとは思いますが、ここでも、期待に応えたい自分を感じて、やっぱりなぁ〜と再認識しました。

私は、学校の現状やアクティブラーニングなどについて、私の感じたことを話しました。

もう、それでいいのです。
局の人のイメージに合わせる必要はないのです。
必要以上に誇張したり、あるいは、言わない方がいいことを言ってしまったりして、その場で重宝がられたところで、意味はない。

期待に応えたい心理は自然なものですが、自分の軸を固めることは、おそらくそれ以上に大切です。

お母さん、お子さんは期待に応えようとし過ぎていませんか?

そういう子は、聞き分けのいい子として、よく評価されると思いますが、ドロドロの汚いホンネにも目を向けてあげることは、とても大切です。

どんなことも、「過ぎ」は、よくないようです。
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2017年

2月

15日

お母さん!お子さんの耳にフタをする、いけない、この言葉を言わせてはいけません。大事なことは…

人って、聞いているようで聞いていない。

「わかっているとは思うけど、これ大丈夫?」

確認の一言は重要。

「もう、わかってるよ!」
と言わせた途端に、耳にはフタがされ、アタマの回転は止まる。


先日、用があり、日本橋に行きました。
その帰り道、西荻窪駅に着いた時のことです。

「ドアが閉まります〜」
の放送とともに、ドタン!と大きな音を立てて、慌てて立ち上がり、何とか電車から降りた男性…

顔は、ドアの上にある表示板を見ていたように、私には見えました。

が、「西荻窪」という文字が目には映っていたかもしれないけれど、アタマの中には入っていなかったのでしょう。

ハッと、気づいたのが、ドアが閉まる前で、本当に良かったと思います。

子どもに言わせてはいけない言葉が、
「わかってる〜」
です。

「わかってる〜」
と、言いたくなるのも理解できますが、
「わかってる〜」
と、言った途端に、耳にはフタがされ、アタマの回転は止まります。

どんなに当たり前のことでも、つまらなく思えても、またやってみることが大切です。

西荻窪で慌てて降りた男性も、
「西荻窪で降りるなんて、わかってた」
と思います。

目には、「西荻窪」の文字が映っていたのに、間一髪になってしまったのです。

見ているようで、見ていない。
聞いているようで、聞いていない。
わかっているようで、わかっていない。
できるようで、できない。

それも当たり前のことです。

「あのね、わかっているだろうけど〜」

と、確認することは、大切です。
(あまり、くどくない程度に、です)
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2017年

2月

16日

オルタナティブ・ファクト?何だかよくわからないけど、意外と重要なことだ。

大統領就任式に見るオルタナティブ・ファクト?代替的事実?から学ぶこと

大統領就任式に集まった人数が多いか少ないか、私にはよくわかりませんが、事実が複数あるという考え方は、心を落ち着かせることに有効だと感じます。


例えば、2017年2月16日の午前9時から午前10時までの間に、吉祥寺通りのこの信号を北行きに通過した自動車は何台だった、というようなことは、かなり「事実」と言えるでしょう。

ですから、大統領就任式に来た人の数は、ある枠組みを決めれば、多少を比較することも可能なのではないかと思います。

が、日常生活、特に学校や子育てという観点では、自動車の通過台数のように、明確な数値や事実で表せないことの方が圧倒的に多いのです。

そして、ある出来事を当事者がどうとらえたか、ということが、その当事者の数だけあるのです。

「ねぇ、今、やったって言ったよね?」
「いや」

たった数秒前に、その子が語ったことを、当人が、いや、知らないと言い出すこともあります。

ウソをついているなら、まだいいのです。
当の本人は、真剣に答えているのです。
まさに、オルタナティブ・ファクトです。

ならば、どうするか…

確かに、あの子に、バカと言われた。
睨まれた。

それは、確かな事実です。

が、「あの子」は、違う心の事実を持っている。

まったく、腹の立つ話ですが、それを前提にして、どうすれば、自分の心を落ち着かせることができるか、という方向性で、サポートしていきたいと思います。

何よりも、腹が立ったこと、悲しかったこと、悔しいことを認めることがスタートです。

そして、その気持ちをどうすれば、スッキリさせられるだろうか、と考えます。

本当は、自分で、相手に自分の気持ちを伝えるのがいいですが、自信がないなら、代わりに大人が伝えてあげてもいいのです。

お母さんが介入すると、揉め事に色が付くので、できれば先生が落ち着いて、それぞれの気持ちを代弁してあげるのが一番です。(ここで、その先生の子どもたちへの思いが入っていると、うまくいきませんが…)

揉め事になっている時は、そんなに簡単ではないと思いますが、事実は、少なくとも、心の事実は、人の数だけある、というメカニズムを前提にしておくことは、心を落ち着かせるために有意義だと感じます。
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2017年

2月

17日

お医者さんで名前を呼ばれて、走る子を育てるか、堂々と歩く子を育てるか…

お医者さんで名前を呼ばれて、走る子を育てるか、堂々と歩く子を育てるか。


先日、ある病院に行きました。
吉祥寺の駅に近い皮膚科なのですが、ぼんやり待っていると、気づいたことがありました。

名前を呼ばれると、慌てて荷物をまとめ、落とさんばかりに焦って雑誌を片付け、転んでしまうんじゃないかと心配になるほど、慌てて診察室に向かう人…

逆に、まったく焦ることなく、優雅な身のこなしで、雑誌を棚に戻し、受付の人に笑顔を振りまきつつ、診察室に向かう人…

さあ、どっちがいいんだろう、と思ったのでした。

私が子どもの頃は、親や祖母などから、名前を呼ばれたら、ハッキリ返事をして、診察室に入ったらご挨拶とお辞儀をして…

と、マナー講座のごとく、お医者さんへのかかり方を言われたものです。

それはそれでいいと、もちろん思っているのですが、逆に、堂々と(横柄に、ではなく)診察室に向かう、動じない姿勢って、けっこう大事なのではないか、とも今は思います。

私自身、人に嫌われまい、できればよく思われたい、と生きてきましたし、今もそうです。

そこで、人の期待に応えすぎることの課題を、このブログでもたびたび、書いてきました。

そのテーマが常に頭にあるからでしょうか、皮膚科で、こんなことに思い至ったのでした。

日本人としての文化、ご家庭が大切にしたいマナーを躾けることは、とても大切です。よく思ってもらうことも大切です。

が、キチンとしすぎないのも、やはり大切だと思います。

キチンとしている子が、一目置かれる存在にもなりますが、煙たい存在にもなります。

自分に厳しすぎることは、他人にも厳しいことになりやすいと、私は感じます。

お医者さんに呼ばれて、走らずにはいられないお母さん!

よかったら、今度は、堂々とレッドカーペットを歩く気持ちで、診察室に向かってみてください。

きっと、何も変わらないと思います。
現に、私は、その後、名前を呼ばれて、普通に診察室に向かってみました。

すると、先生は、まだ診察室にいませんでした…

そんなものです。

でも、なんとなく新しい風が吹いた心地よさがありました。

2017年

2月

18日

必要なのは、苦手なことの強調ではなく、傷には砂糖を塗ること。

傷には砂糖を塗る。

実際には砂糖なんて塗らずに、消毒するなり、絆創膏を貼るなりすればいいのですが、苦手なことや不安なことを取り立てて強調しない方がいい、という意味で、砂糖を塗って欲しい。


私は、教員生活を続けてきて思うのですが、子どもは子どもなりに、自分の得手不得手は、わかっているように感じます。

もちろん、大人から見ると、過剰であったり、あるいは過小であったりもするのですが、なかなかどうして、自分なりに自分について、思うところはあるものだも思います。

一方、苦手なことを
「思い知らせないと!」
「いい気になられたら困るから、ちゃんと言っとかないと…」
というのは、傷に塩を塗り込むことです。

傷に塩を塗るのが好きな人も、中にはいるでしょうが、それはそれで困ったことです。

ダメな自分を再確認する生活って、お母さんがお子さんに望んでいることなのでしょうか?

低学年の子ども、特に男の子は、まだ周りが見えず、自分ができていないということにさえ、気づいていないこともあります。

が、それは幸せなことです。
これは馬鹿にしているのではありません。
ある時、自分はダメなのかもしれない…と不安になると、途端に積極性が薄れてしまうこともあります。もったいないことです。

周りが見えていない、自分に気づいていないのは、場合によってはいいことです。

が、早く気づかせないと、いい気にならないようにしないと、と言って、わざわざ、ダメ出ししなくてもいいのではないでしょうか。

え?
じゃあ、いつ直させるのですか?

はい。
今です。
お母さんが気づいた、今からできることはします!

わざわざ、あなたのココがダメなのよ、と強調なんてする必要はなく、ただ、淡々とすべきことをするのみ、なのです。

もちろん、何でも早ければいいなんて言うつもりはありません。その子に合った時期、というものがあります。

それは当然のベースとして、今、これは練習させよう、今、必要だ、とお母さんが思われたなら、何の心配もなく、やらせるまでです。

私自身もそうでしたが、この頃は、ダメ出しを続けて、叩いて伸ばす、という方法論では、やる気を削いでしまうように感じます。

本当の強さは、ダメ出しではなく、承認によって育まれると、私は感じます。

何しろ、自分が承認されている人は、人のことも承認しやすいですし、自分がダメ出しされ続けていれば、他人にもダメ出しするのが標準になります。

強い子を育てる!
たくましく育てる!

本当に素晴らしいと思います。
だからこそ、苦手なことをあえて強調なんてする必要はなく、傷には砂糖を塗るつもりで、ちょうどいいのではないでしょうか。
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2017年

2月

20日

スマホで子育てがアリかナシか気になるなら、コレをしてみてほしい。

スマホで子育ては、アリかナシか。

私自身は、アリだと思います。
が、ナシだっていい。

大事なことは、子ども同士の時間をどれだけ作れるか。
そして、お母さんがスマホの時間をどれだけ減らせるか。


先日、ネットで、スマホで子育てはアリかナシか、という話題を見かけました。

この手の質問、テーマは、いつの時代もあるものです。
私が子どもの頃なら、ゲームは子育てに害があるかないか、というものでした。

ゲームもスマホも、中毒性が感じられ、妙に心配になります。

ところが、私が子どもの頃は、ゲームも楽しかった反面、そんなことより、みんなで野球をする方が楽しかったのです。

一人で家にいると、ゲーム漬けになってしまったものですが、友達といれば、ゲームよりも、リアルな遊びの方が楽しかった…

今では、子ども同士が集まって、ゲームやスマホをそれぞれがする時代ですから、私の頃と同じにはいきません。

それでも、子ども同士が過ごす時間が増えれば、スマホの時間は自然と減るでしょう。

ただ、今回のスマホで子育て問題は、親子の問題です。
ですから、友達との時間に置き換えられない部分も多いと思います。

朝から晩まで大忙しのお母さんにとって、とりあえず、おとなしく過ごしてくれるスマホ子育ては、必要なものでもあると思います。

それにしても、スマホ時間が増えることに罪悪感があるなら、お母さん自身がスマホに向かっている時間が増えることにも罪悪感があるのではないでしょうか。

お母さんが一日中、スマホをいじっているのに、
「あなたは、一日30分ね」
では、説得力がありませんね…

そもそも、スマホをいくら使っても気にならないなら、スマホで子育てがいいか、悪いかなんて、気にもなりませんね。

それが気になるなら、お母さん自身がスマホの時間を減らすことで、きっと気持ちがラクになります。

今日一日だけでいいので、5分間、スマホの時間を減らしてみてはどうでしょうか?

減らしても意味がなかったなら、明日は、いつも通りでいいのですから。
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2017年

2月

21日

夜の11時近くなって思う、今日の感謝することとは…

夜の11時近くなって、牛丼を食べている感謝…

今日、あなたは、何に感謝しますか?

今日、私は夜の11時近くなって、やっと牛丼を食べていました。

このところ、特別に忙しく、今日は職場の同僚に相談を持ちかけられ、終わったのは10時をゆうに過ぎていました。

そして、今日は妻が出かける用のある日だったことまあり、やっと、帰り道に牛丼屋さんを見つけ、牛丼にありつきながら、ギリギリでブログを書いている今です。

そんな今、思うことは、長い時間、話をしていた高揚感もあってか、ありがたいなぁ、ということです。

話を聞いてもらいたい、と言ってもらえることが、そもそも、ありがたいのです。

聞いたことで、報酬なんてありません。
けれど、私の引き出しは増えます。
それに、話を聞いているのが楽しいのです。
私の話もところどころ、聞いてもらい、お互い様ですしね。

夜の11時近くなって、牛丼などというジャンキーな食事…

野菜もナシ…

これだって、ありがたいことです。
この時間に車も停められて、静かに食事ができるだけでありがたい。

私は、ここ半年ぐらい、毎晩、今日は何に感謝かな、と考えています。

すると、どんなに嫌なことだらけだった一日でも、何かしらは、ありがたいことがあるのです。

初めは、ムリをしていましたが、最近は自然と湧き出してきます。

あなたは、今日、どんなことに感謝しますか?

私は、同僚と話したこと、数ヶ月ぶりに牛丼を食べたこと、職場の近くの駐車場で一台だけ空いていたこと、久しぶりに子ども達と鬼ごっこをしたこと…

いろいろ感謝して、牛丼屋さんを出ようとしています。
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2017年

2月

22日

良い子育てとは、目の前のことが大切か、何年か先の未来が大切か…

子育ては、目の前のことが大切か、何年か先の未来が大切か。

今、いろいろな子育ての悩みや困り事があるかもしれません。

長い目で見れば、その悩みや困り事も、必要なことの一つなのでしょうが、今は、そんな風に思えない。

私が初めのクラスを担任してから、10年あまり…
もはや、社会人となっていたり、大学生活を送ったりしている彼らを思うと、いろんな出来事も、乗り越えていけるし、悩む必要なんてなかったとさえ、感じます。

でも、当時はそんなことを思えませんでした。
子ども自身もそうですし、教室で一緒にいた私もそうですし、お母さん方もそうです。

先輩からは、大丈夫〜と言われていたけど、当の本人は思えない。

それは、「今」の経験しかないから当然です。
ただ、いつでも、「今」しかないと思うと、どっちでも大丈夫だな、と感じます。

5年後、10年後、老後(!?)に、はたして大丈夫なのか…と気にしているのは、「今」です。

5年前、10年前、前世(!?)に、大丈夫だったのか…と気にかけているのも、「今」です。

過去も、未来も、今も、「大丈夫」と決めたら大丈夫です。

一方、目の前の困り事を解決することをやめる必要はないのです。

具体的に、何をどうしたいのかを考えてみた時、すぐにできることもあれば、こうしたいけど、ちょっと時間がかかるかな、ということもあります。

できることを一つでもできれば、素晴らしい成果だと私は思います。

時間がかかることがあっても大丈夫ですし、前にやっておけばよかったと思って、今からやったとしても大丈夫です。

「今」、できること、やるといいと思うことをやっていけば、たとえ不十分に思えても、必ず改善します。

そうか…
大丈夫か…

そう思えたら、今も、未来も大丈夫になります。
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2017年

2月

23日

こんなお母さんの言葉に仰天!子どもが言うことを聞かなかった時の言葉とは…


「先生…子どもって、言うことを聞かないんですね…」

私を仰天させた言葉です。
お母さんの思うように、お子さんが動かない、言わないことは、特別なことではない。

ましてや、お母さんの子育てが下手な訳ではない。


私が低学年の担任をするようになり、初めの頃の話です。あるお母さんが面談の場で、

「先生…子どもって、言うことを聞かないんですね…」

と、おっしゃり、私はビックリ仰天してしまったことがあります。

私は子どもの頃から、大人の話なんて、素直に聞くもんだ、と思ったことがありません。

反抗的に暴れていたと言うわけではなく、むしろおとなしい方だったとは思いますが、心の中は、自由でした。(無意識のうちに、親のプレッシャーは、もちろん受けていますが…)

さて、話を戻します。
幼稚園の頃から仲良しだった、ある子との関係が疎遠になり、お母さん同士で遊ぶ機会を作ったのだそうです。

これまでなら、そういう場づくりと、お母さんの明るい声かけで、うまくいっていたのに、その日は、今まで見たこともない大げんかになって、別れる始末になってしまい、ショックを受けてしまった、ということでした。

大げんかになるかどうかは別としても、2年生〜3年生ぐらいの時期に人間関係がガラリと変わるのは、よくあることです。

それは、脱皮なのです。
一枚、皮を剥いて、大きくなるために必要なことなのです。

つまり、誰が悪いわけでもありません。

ところが、幼稚園の頃などは、大人のケアで事態が好転してしまうものですから、その変化にお母さんがショックを受けてしまったんですね。

お母さんのケアが上手かろうが、どんなに下手だろうが、どんな子と遊びたいかは、その子の問題なのです。そもそも、こういう時に、ケアの上手下手なんてないのです。

特に私たち教師はそうですが、子育ては、大人の思い描いた通りに子どもが進むと、「デキる先生、うまい子育て」などと、評価されやすいと感じます。

それも重要な一側面です。
子どものうちにしつけておくべきことは、いろいろあります。

が、あくまでも、それは、「一つの」側面です。

お母さんの思うように子どもが動かなくても、言わなくても、少なくとも、それはお母さんのケアが下手だったわけではありません。

お子さんが成長のステージを一つ上がったタイミングと、とらえることで、新しい見方もできますね。
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2017年

2月

24日

失敗を恐れる子は、実は、コレが怖かった。

失敗したくない気持ち、それは、期待に応えられない不安。

もちろん、私だって失敗したくはないけれど、逆に思い切りやってダメだった時の爽快感もわかる。

キーになっているのは、他人からの期待や評価を求めているか否か。


子どもと過ごしていると、本当に失敗したくないという気持ちが強いことを感じます。

以前も、漢字テストで、たった一問、間違えただけで泣いてしまう子についてブログを書きましたが、勉強にとどまらず、日々の生活も、人間関係も、ちょっとしたトラブルや戸惑いも、もう嫌だ!ということがよくあります。

うまくいっていない自分が嫌なのも共感しますが、そういう子は、
「お母さんに叱られる」
「お母さんに言わないで」
「お母さんを悲しませる」
など、他人(多くはお母さん)の目を気にしていることが、私には印象深いのです。

私の知る限りでは、そんなにお子さんを責めていないお母さんなのに、子どもは、責められた、叱られたなど、過剰に反応していることがあるものです。

それぐらい、お母さんの期待に応えたい、できる子、いい子と思われたいのですね。

失敗を過度に怖れる子の場合、お母さんは、ご自身が思っている以上に、お子さんの「今」を認めてあげる必要がありそうです。

もちろん、多くのお母さん方は、お子さんを認めることに、心を砕いています。

親の心、子知らずとは、よく言ったものです。
あんなに認めているのに、まだ足りない〜?

イライラもしますが、それぐらい、お子さんは、お母さんに認められたいのです。健気だな、と感じます。
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2017年

2月

25日

子どもに自尊心を持たせるために、アタマの中に入れておきたいこと。

蒔いたタネに水をあげて育てるのか、タネに水をあげて育つのを助けるのか。

タネに水をあげるという行為は同じでも、育てるのか、育つのを助けるのかで、ずいぶん違う。

その違いは、子どもの自尊心を大きく左右する。


子どもの成長上、大人が何かを教えたり、手伝ったりすることは、不可欠なことです。

同じことを教えたり、手伝ったりしても、

・私がこれをしないと、子どもは育たない
という考えでやるのか、

・いずれ、この子もできるようになるけれど、それまでの間は、これをしよう
という考えでやるのか、

という二つの間には、大きな違いがあります。

前者の場合、弱くて、何かできない存在としての子どもを必要とします。

大人の存在価値が、できない子どもの上に乗っかることになります。

これだと、子どもには目に見えないプレッシャーがかかるでしょう。

一方、後者の場合、すぐにはできるようにならないかもしれないけれど、信頼ある眼差しを受けていることは、子どもにとって自尊心を高めることにつながります。

大人の存在価値と子どもの存在は、横並びになります。

文化としての長幼の序、年上への態度という意味での上下関係は必要だと私は思います。

が、存在価値に上下の差はないと思うのです。

具体的に、教えたり、手伝ったりすることをためらう必要はありません。

前提として、この子は、いずれできるようになる、あるいは、たとえできなかったとしても、他に素晴らしいところがいくらでもある、ということを心の中に持っておくことが、子どもの自尊心を高めることにつながると、私は思います。
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2017年

2月

26日

お子さんに日記に書くネタを求められたら、こんな楽しみを提供したい。

本当に子どもの心を温める、楽しみを取り戻す!

 

それは、派手で、お金のかかることではない。

同じ時間を過ごすこと、そのものが楽しい時間。

 

 

私の勤めている学校では、多くの学年で、毎日の日記が宿題になっています。

すると、

「今日、書くことない〜」

と、お子さんがお母さんに言うこともよくあります。

 

そこで、よし、明日はこれをしてあげよう、土曜にはここに行ってあげよう、というわかりやすい出来事を用意してあげたくなることもあると思います。

 

あるいは、そういうことを用意してあげるのが親の責任、という感覚になるかもしれません。

 

しかし、日記というのは、そういうイベントの報告書ではありませんし、そもそも、楽しいことは、派手で、わかりやすく、お金がかかるものではないと思います。

 

私の場合、両親が働いていましたし、帰宅の遅い父が、朝食の時に起きていないこともよくありました。

 

すると、両親がいて、ダラダラとテレビを見たり、おしゃべりをしたり、という何ともない時間が、本当に楽しい、いい時間だったのを覚えています。確か、だいたい土曜日の夜がそうでした。

 

子どもの頃、こんなところに行った、こんなことをした、というイベントの思い出もありますが、今思い出しても、心がホッとするのは、そんな土曜の夜なのです。

 

おせち料理が毎日続いたのでは、ありがたみがありません。

クリスマスのご馳走が毎日続いたのでは、胃がやられます。

お誕生日のパーティーが毎日続いたのでは、毎日が単調になります。

 

湯気の上がる白いご飯と、出汁の効いたお味噌汁。

そして、卵焼きと焼き魚。

 

そんな当たり前の朝食を継続することは、むしろ、とても難しいことです。

もちろん、それはたとえです。

ご家庭によって、パンとバターであったり、おかゆであったりしてもいいのです。

当たり前の、ごくノーマルな朝食のテーブルを家族で囲むことは、素晴らしいことです。

 

しつこいようですが、朝食もたとえです。

お父さんやお母さんの仕事や家庭環境によっては、家族が揃って食卓を囲むことができない場合もあるでしょう。(実際、私の実家はそうでしたし…)

 

本当に子どもの心を温める楽しみを取り戻したいものです。

それは、当たり前の、何でもない時間、みんながいてくれさえすればいいのです。

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2017年

2月

27日

デキるお母さんは、これをしている。

お子さんに本当に必要な手助けをする、デキるお母さんであるために、たった一つ、心がけることは…

素直に聞く。


先日、とある会社の営業の方が、ご挨拶だけでも、と訪ねてきました。

30分ほど、お話をし、帰っていったのですが、次、何かあったら、声だけはかけたいなぁ、と私は感じました。

私は、他の営業の方も、可能な限り、お会いすることにしています。

いろいろな話を聞くことは、私の引き出しを増やすことだからです。

とはいえ、ほとんどの場合、こちらから、提案をお願いしよう、ということにはなりません。

むしろ、正直なところ、
「ふぅ、終わった〜」
と、ホッとしてしまうことが多い…

それは、提案やらその商品のよさやらを聞かされ続けて、疲れてしまうからです。

私が何に困っているか、どんな状況にあるかを聞いてくれる営業の方は、実はほとんどいないのです。あんなに本屋さんにはビジネス書が山積みになっている、というのに…

でも、今、話題にしている営業の方は、会社の宣伝もありましたが、私への質問を受けての宣伝や商品の紹介でした。

なので、終わった後に、疲労感がありませんでした。
双方向のコミュニケーションがあったからです。

これは、親子間でも、教師と子どもでも同じです。
子どもにとって、価値のある手助けは、その子に聞くのが一番です。

言われないでも、わかっているのが親。できる先生…

まぁ、そうかもしれませんが、そこまでハードルを上げると、子どもにプレッシャーがかかるのが気がかりです。

「あ…ホントは、今、これして欲しくないんだけどな…」

ということが言えなくなります。

お子さんにとって、本当に必要な手助けをする、デキるお母さんであるために、たった一つの秘訣は、単純です。

「どうしてほしい?」

ただ、聞くだけです。
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2017年

2月

28日

お母さん!知っていますか?お子さんの将来のために何が足りないか、欠けているかを見つけたら…


今、私たちは、お子さんは、何を持っているだろう…
子どもでも、もうすでに持っているものがある。

お子さんの将来のために、今、何ができるか。
親として、教師として、大人として、何ができるか。

考え過ぎると、今、ないものばかりを考えてしまう。
子どもでも、もうすでに持っているものがある。



「この子に読解力は、どうつければいいですか?」
「自分の気持ちをキチンと表現できるようにしたいのです」
「もう、算数がマズいことになってます…」

などなど、お母さん方から受ける相談は、学力上のことであれ、人間関係上のことであれ、今、困っていることのものです。

当たり前ですよね。
困っていなければ、相談なんてする必要がないのです。

お母さん方は、お子さんのことを真剣に考えて、今、できること、しておかなければならないことに一生懸命です。

素晴らしいと思います。
頭が下がるなぁ、と思うことがたくさんあります。

確かに、今、そのことはお母さんにとって、困っていることです。欠けていること、劣っている(と感じる)ことです。

そう思われるから、そうなのでしょう。

でも、話をじっくり聞いていくと、その解決の糸口は、すでにお子さんが持っていることも多いのです。

あるお母さんからは、読解力の相談を受けました。
よくよく話を聞いていくと、4年後の中学受験が漠然と心配だったのです。

彼は、2年生と考えれば、十分に文書を読み取る力があると私は感じていました。

何より、本が好きなのです。
なのに、お母さんから読解力の相談を受けた。
聞いていくと、中学受験の時に、求められる答えを書けるか、ということが心配だったのです。

確かに彼は、少し人とは違った角度で感じ取るところがありました。

が、それも魅力の一つです。
少なくとも、他人に攻撃的であったり、下品だったりしていた訳ではありません。

中学受験のテクニックは、少し先送りした方がいいでしょう。

もしくは、お母さんの安心のため、と割り切って、塾に行ってしまうか、です。

読書の時間に見た彼の様子は、「今」、すでに彼が持っている素晴らしいところです。

いずれ、それが生きて、受験対策にもつながるでしょう。

確かに、お母さんから見れば、欠けていることが気になると思います。

それは、当然のことで、それを出発点として、逆に今、すでに持っているところを探すと、思いもよらない解決策が見つかります。
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