2016年
9月
01日
木
過去、最大のホイップクリームに思う、起きてしまった出来事に感謝する大切さ。
2016年
9月
02日
金
お子さんがお母さんのホイップクリームでがんばれるなら、お母さんはおしゃべりでがんばれる。
昨日は、山盛りホイップクリームに励まされた話を記事にしました。(こちら)
ホイップクリームでもなんでも、ちょっとしたことをご褒美にして、前向きに受け止めることは、とても大事だと思います。
さて、お母さんがホイップクリームなり、何なりをちょっと盛ってくれるだけで、子どもががんばれるなら、お母さんは何を盛ってもらえると、がんばれるのでしょうか。
そのヒントは、昨日の山盛りホイップクリームの斜め前にあったようです。
私の斜め前にあった光景。
それは、テーブルを2つ寄せて、椅子を6つか7つかき集めて、お母さんたちがワイワイやっている光景でした。
いやあ、本当に楽しそうな光景でした。
まあ、無理に話を合わせていただけの人もいるのかもしれませんが、私には、本当に楽しんでいるように思えました。
「先生ってさ~」
などの単語が漏れ聞こえましたので、お子さんを学校に預け、さあ、やっと2学期が始まった!というパーティーのようなものかもしれません。
これって、大事なことだな、と私は思いました。
ママ友との付き合いが、悩みのタネという方も少なくないですが、気の置けない人と、いいろいろ話せる時間は、何物にも代えがたい、ストレス発散だという方が多いのではないでしょうか。
お子さんにホイップクリームを盛った次の日は、お母さんにもおしゃべりのホイップクリームを山盛りにしなくてはいけませんね。
2016年
9月
03日
土
子どもとの関係をスムーズにするコツ。
結局、言うしかない。
親子関係は、最も濃い人間関係だと思います。
特にお母さんとの関係はそうです。
ということで、濃いがために、ギクシャクすると、本当に大変だとも思います。
まあ、私自身、まだ母が健在ということもあり、大変さは感じるところです。
担任をしていても、お母さん方から、
「どうしたら、子どもとの会話がスムーズになるでしょう」
とか、あるいは、
「私の母と折り合いが悪くて、会うのが億劫なんです」
なんていう話を伺うことも、決して少なくはありません。
これは母子関係、親子関係に限ったことではないと思いますが、関係をスムーズにする一番のコツは、結局、思っていることを言うことだと感じます。
・教師として、子どもに伝えたいことがある時、さあ、どう伝えようかと迷う。
・放課後預かりの現場責任者として、スタッフに改善したいことがあるんだが、どうしようか迷う。
・同僚として、仕事で大切にしたほうがいいことをどう伝えれば、波風が立たないか迷う。
どういうケースでも、言いたいことを言ってしまった後、関係を悪くしたくない、という思いが自然な会話を妨げます。
いや、もっと深く考えれば、関係を悪くしたくない、ということは、はっきり言って、
「嫌われたくない」
ということなのです。
そう考えた時、私は、ある当たり前のことを再認識しました。
「あ、どうせ、もう嫌われてるんだ」
これは自分を卑下してそう思っているわけではないのです。
嫌われたって、別にいいじゃない、ということなのです。
人に嫌われたくないとは、もちろん思います。
が、言いたいことを言っても言わなくても、したいことをしてもしなくても、他人は私のことをその人の都合で判断します。
ある人の判断に合わせれば、また別の人の判断からは嫌われますし、その人に合わせれば、さらに別の人から…とキリがないのです。
冒頭に書いたように、親子関係は特別です。
だからこそ、職場では部下に言いたいことをはっきり言えても、子どもには言えない、ということがあるかもしれません。
それも当然のことではありますが、親子関係は特別である以上、子どもは親の、特にお母さんの本音には敏感ですから、どうせバレています。
何を言ったって、嫌われはしません。
関係を良くするために、思っていることを、はっきり言ってみることが、一番のヒントです。
言ってみた後、お子さんからの返答や反応は期待通りとは限りません。
が、まずは本音を言ってみる。
それが、大切です。
2016年
9月
04日
日
肩に力を入れて、ガミガミやっても、
肩の力を抜いて、ユルユルやっても、
同じ。
恐ろしいことですが、子ども相手に何かをさせよう、躾けようとする時、ガミガミやっても、ユルユルやっても、結果には差がないのです。
ガミガミやることで、子どもに気合が入り、集中することも大いにありますが、
「はあ、どうせボク(ワタシ)は、言われてもできないんだ」
と、自信を失ってしまうことも大いにあります。
ユルユルやることで、子どもが緩んでしまい、サボり癖をつけてしまうことも大いにありますが、
「そうか。できなくても大丈夫。気楽にやってみよう」
と、自分から始めることも大いにあります。
じゃあ、どっち!?
おそらく、どっちでもいいのでしょう。
どっちを選ぶかは、あなたの問題なのです。
私は、基本的にはユルユルやることを選びました。
もちろん、ガミガミやることもあるのですが、ガミガミ、怖さやプレッシャーをかけることで子どもを動かすことは、すっかりやめました。
初めは、ガミガミやることが先生という仕事だと思っていました。
これが、私には本当に苦しかった。
苦しい…
より正確に言うなら、自分らしくない、という感覚かもしれません。
私の勤める学校では、習うより慣れろ、の精神があり、問題量なども、数多く取り組ませます。
すると、途中で投げ出したくなったり、始めようとしなかったりすることもあります。
そんな時、
「ほら、ダメだ!やるんだ!」
というハッパもいいのですが、ある時、黙って横で座ってみたことがあります。
「ほら、早く」
と今にも言いそうになるのをこらえて、黙って座っていました。
すると、自然に始める、という経験を何度もしました。
隣で座るということも、ある意味ではプレッシャーではありますが、このような経験をしてからは、子どもたちの多くは、本当はやりたいけど、色々な理由や事情で、取り組めないだけなんだな、と思うようになりました。ならば、私の仕事は、励ますことです。
これは私の事例です。
全く逆の経験から、ガミガミ言うことが、実に自分に合っていた、というお母さんだって、少なからずいるはずです。
ガミガミやっても、ユルユルやっても、どちらでもいいので、迷ったり、悩んだりせず、落ち着いてお子さんの横に座ることが大事です。
2016年
9月
05日
月
自分が好きだと思っていることは、本当は好きとは限らない。
2016年
9月
06日
火
外に出るのは素晴らしい。
虫取りでも、ポケモンでも、散歩でも、買い物でもいいから。
外に出るから、気持ちが切り替わる。
雨が続くと、教室の子どもたちは大変です。
外に出ることができず、どうしても気持ちが発散できません。
体育館のようなところで、汗びっしょりになるまで走り回っても、外で過ごした後のように、気持ちをリフレッシュすることはできないのです。
私が小学生の頃、ファミリーコンピュータなるものが発売され、みんな夢中になりました。
が、30分か、せいぜい1時間もやると、誰から言うでもなく、外で遊ぼうか、という話になり、野球をしに行くのが常でした。
最近は、友達の家に集まって、それぞれにゲームをしているだけ、ということも珍しくないようです。
たとえ、お散歩だけでもいいから、外に出ることは、心も体もリフレッシュされ、集中力も上がるので、もったいないな、と思います。
先日、井の頭公園に行った時、幾分、減ったとはいえ、ポケモンGOに夢中になっている人たちがいました。
まあ、実のところ、私もミニリュウを見つけて、嬉しかったのですが、ふとiphoneから目を上げると、虫取り網を持ったグループが見えました。
これは子どもの遊びではなく、公園関係者の生態調査という感じではありましたが、方やスマホのポケモン獲りに夢中、片や網で虫取りに夢中という、バーチャルとリアルのはっきりした対比に、心が動かされました。
友達の家に行き、それぞれが、それぞれのゲームに夢中になっている状態が、一歩進んで、友達と、あるいは一人で、外に出てポケモンを探す状態になっただけでも、大いにヨシとしていいのかな、と思います。
ずっとスマホの画面を見ていたとしても、家の中にいるよりは、外の空気を吸った方がいいのです。
2016年
9月
07日
水
2016年
9月
08日
木
想定外の結果は、心の幅を広げる。
今更という感じが強いのですが、最近、すっかりポケモンにハマっている私です。
始めてはみたものの、どうも楽しめず、早速飽きてしまったのですが、卒業生や職場の同僚など、詳しい人に聞いていくうち、やり方がわかってきて、ここ2週間ほど、すっかりやる気になっています。
吉祥寺に近い方なら、井の頭公園は本当にオススメです。
ボートもいいですが、ポケモンもなかなかです。
半周するだけで、コイキングが20匹ぐらい獲れたりしますし、ミニリュウもかなり獲れます。昨日は野生のハクリューが獲れました。
さて、そんな私ですが、ある時、ふと足元を見ると、妙な黒い影…
アメリカザリガニです。
思わず、捕まえてしまいました。
ポケモンをバーチャルの世界に獲りに行き、リアルの世界でザリガニを捕まえてしまうという皮肉というか、ギャグというか、なんとも言えない気持ちになりました。
しかも、井の頭公園に詳しい方はご存知だと思いますが、井の頭公園は開園100周年に向けて、「かいぼり」として、池を干し、元来、いなかった生物を駆除する活動をしています。ですから、あれほど群れていた鯉は、今、一匹もいない(はず)なのです。(コイキングは相当います)
その中で、アメリカザリガニは、特定外来生物ではないのですが、せっかく生えてきた水草を切ってしまうなど、池の生態系にとっては迷惑な存在。しかも冬におこなう「かいぼり」では、土に潜ってしまうため、非常に駆除が難しいのだそうです。
そんなアメリカザリガニを、何事もなかったように池に戻すのも気がひけますし、家に持ち帰ったところで飼うわけにもいかず、結局、草むらにおいてしまいました。
だったら、池に投げたって結果は同じでしょうが、かといって、バリッと踏み潰してしまうのも気が進みませんでした。
このことは、生き物を飼うことが大好きな子どもたちと、ぜひ考えてみたいな、と思いました。
今年はクラスを持っていない私ですから、どんな機会に、どんな方法がいいかはわからないのですが、生き物を飼うこと、本来の生態系を大切にするとはどういうことかなど、子ども達にも考えて欲しいな、と思います。
お母さんとしては、お子さんが生き物を飼いたいとせがまれて、困ったことがあるかもしれません。
そんな時、人間の都合で生き物を飼うとはどういうことか、幅広く、考えてみて欲しいな、と思います。
「生き物を殺したらかわいそう」
確かにそうですが、特定外来生物の中には、戦前、戦中に食料確保のために、国策として移入したものも多いのです。
豊かになった今の価値観と、本当に食べ物に困っていた当時の価値観とを考えてみる機会にもなるでしょう。
ポケモンを捕まえにいって、思わぬ獲物に出会い、考えが深まった夜でした。
2016年
9月
09日
金
2016年
9月
10日
土
2016年
9月
11日
日
「恥ずかしい…」
何かができなくて、恥ずかしい。
何かを持っていなくて、恥ずかしい。
何かをしてしまって、恥ずかしい。
恥ずかしさを乗り越える秘訣とは、それを「素晴らしい」と認めること。
私は最近、すっかりポケモンにハマっています。
そんなわけで、毎日の記事の中でも、ポケモンの話が多くなっているのですが、今日、井の頭公園に出かけ、気づいたのが、
「恥ずかしい」
という気持ちでした。
何が恥ずかしいか。
今日の場合、午前10時半ぐらいに井の頭公園に着いたのですが、当たり前ですが、明るいわけです。
この明るさで、職場にも近い吉祥寺という土地柄、誰かに見られる可能性も十分にあります。
実際、夏休みの終わりには、ポケモンを1匹捕まえて、さ、次に向かおう、というところで、とある子に会ってしまい、ちょっと恥ずかしい思いをしました。
そうです。
やはり、
「恥ずかしい」
と思ったのです。
では、夜ならどうでしょう。
どうも井の頭公園の場合、仕事帰りの人が集まりやすいからか、夜の方が人出が多いのです。
夜なら、子どもに会う可能性は低いですし、そもそも、よく見えません。
それなら恥ずかしくないか。
いや、やはり恥ずかしいのです。
「薄暗い井の頭公園の特定の場所で、老若男女が、皆一様にうつむいてスマホやらタブレットやらに夢中になっている、この異様なことに自分も夢中になっているなんて…」
一言で言えば、自意識過剰です。
ポケモンなら自意識過剰で終わりますが、この「恥ずかしい」という気持ちは、子ども達の心理を考える上で、重要です。
クラスで友達とのトラブルが起きたり、ちょっと難しいこと、新しいことに挑戦したりする時、「恥ずかしい」という気持ちがハードルを高くします。
・どうせあの子は、私のことを嫌ってる。
→「嫌われてしまう私なんて、恥ずかしい」
・アイツみたいに、明るく、ワイワイ人気者になんて、私はなれない。
→「あんな風にできない私なんて、恥ずかしい」
・この新しい単元は、難しい。
→「できない私を見られたら、恥ずかしい」
などなど、ダメな自分をさらけ出してしまうことが頭に浮かぶと、
「恥ずかしい」
気持ちになるわけです。
いや、より正確には、人にさらけ出すよりも、
「自分でダメな自分に直面したくない」
から、恥ずかしい気持ちになります。
ですから、お子さんが、
「恥ずかしい」
という気持ちになっているなら、
「そんな、あなたが素晴らしい」
という方向性で、励ますことが必要です。
・知り合いに見られたとしても、ポケモンに夢中になっている私って、なんだかいい感じ。
・あの子に嫌われていたとしても、そんなのよくあることで、大丈夫。
などなど、まず、現状を認めることが、恥ずかしさを乗り越える秘訣です。
2016年
9月
12日
月
2016年
9月
13日
火
迷った時に、つい考えてしまうこと。
それは…
「なんで?」
これは責任追及になってしまう。
2016年
9月
14日
水
2016年
9月
15日
木
2016年
9月
16日
金
配偶者特別控除の廃止問題がプレッシャー!?
控除は、あればあるほどいいと、なんとなく思っていましたが、配偶者特別控除の存在が、女性の社会進出、要は働きに出ることを止めているという論調があると、テレビで見ました。
2016年
9月
17日
土
9月病問題は、お母さんの失敗に使えますよ。
去年の記事ではありますが、9月病について、興味深い記事がありました。
4割を超える人が、9月に心の重さや不調を感じるのですね。
これほど多くの人の調子が悪いとなると、9月は多くの会社で、課題が生じているのかもしれません。
〜月病といえば、5月病が有名ではありますが、9月は季節の変わり目で、秋に向かって涼しくなりやすく、体調という面からも元気を失ってしまうようです。
小学校教師としての、私個人の経験としては、子どもは1ヶ月後、つまり、6月や10月に元気を失うことがあるので要注意、と思っています。
5月や9月を乗り越えた〜
と思って気をぬくと、翌月に学校に行き渋るようになった、などということがあるのです。
10月病については、all about news digに掲載されたコラム(「小学校の先生が指摘する『9月病も重要ですが、10月病も意識してほしい」)をご覧いただくとして、今日は少し違った観点で、〜月病について考えてみます。
冒頭にご紹介した記事(「働く男女の40.9%が『9月病』を実感」)では、9月、10月、11月のそれぞれについて、ストレスを感じる人の割合を掲載しており、9月が10月・11月よりも10ポイントほど、高かったと紹介しています。
ところが、記事の前半には、驚きの内容が載っていました。
以下引用
10代以上の男女に、ストレスを感じるシーズンを聞いたところ「夏(6~8月)」(53.8%)が最も多く、次いで「春(3~5月)」(46.1%)、「冬(12~2月)」(45.7%)と続き、「秋(9~11月)」(35.2%)は最も低い季節となった。
引用終わり
え?
ということは、秋が一番、ストレスがない?
にもかかわらず、9月病をクローズアップするのは、大して意味がないと思ってしまいました。
子どもの頃、8月31日に、翌日から始まる学校を思うと、ワクワクするような、ガッカリするような不思議な感覚になっていたものですが、やはり、開放的な夏・長い休みが終わるというのは、とても寂しいもの。
そして、秋は何となく、物寂しく、暗くなるのが早くなると、気分も重くなったような気がします。
でも、四季の中で、秋のストレスが一番低い、というのなら、すべては思い込み、あるいは言い方なのではないかと思ったのです。
それに、毎月、毎月、暑いだ、寒いだ、移動があっただ、取引先から無理を言われただ、ストレスのタネは尽きません。
毎月、〜月病と言うことができそうです。
お子さんに、
「お母さん、しっかりしてよ!」
などと言われた時には、
「〜月病だから、仕方ないのよ」
と答えるといいかもしれません。
が、使いすぎると、同じ言葉がお子さんから返ってくるでしょう。
まあ、そうなったら、
「毎月、毎月、理由はあるんだから、いいのよ」
とでも、言って、笑い飛ばすぐらいがいいと感じます。
そんな笑いが、親子の心のスペースを作るのではないでしょうか。
2016年
9月
18日
日
2016年
9月
19日
月
妻といることで学んだ、子育てのヒント
「足す」だけじゃなく、「引く」ことは本当に大切。
今日、妻と百貨店に行きました。
夜、つまり、ついさっきのことなので、すでに人出も減り、1階の化粧品売り場は、ずいぶん歩きやすくなっていました。
妻が友人に贈りたいものがある、ということで一緒にいたのですが、空いていたこともあり、私も化粧品売り場の椅子に座って、説明をなんとなしに聞いていました。
そこで、「実習生」のネームをつけた店員さんが言った言葉が、私の心に刺さりました。
「メイクは、足すだけじゃなくて、引くことも大事なんです〜」
うん?
足すだけじゃなくて、引くことも大事…
いい表現だなぁ、と思わず、スマホでメモをしたくなりました。
化粧のノウハウや工夫は、さておき、足すだけじゃなくて、引くことも大事というのは、子育てにも当てはまると私は感じました。
足すことは、もちろん大事なんです。
あれをさせて、これを練習させて、次はそっちを何回もやって…
私の勤める学校では、体で覚えろ、というところもあるので、数をこなさせる、という点では、たくさんさせているのです。
が、私は子どもに何かをさせる、要求する、つまり「足す」ことにばかり、目を向けるのではなく、させない、求めない、つまり「引く」ことにも大いにスポットライトを当てたいと考えています。
具体例でいうと、私の勤める学校では、「野川の時間」というものがあります。
歩いてすぐのところにある野川公園に出かけ、ただ遊ぶ時間です。
週に1回、約1時間半、子ども同士、子どもと教師たちが、とにかく遊びます。
この時、
・集団性を育てよう
とか、
・野川の生態をまとめさせよう
などのような、指導案・目標を立てません。
貴重な、正課の時間内に、「引く」時間を持つことをとても重要視しています。
私たちだって、要求ばかりされていたら、嫌になります。
努力は大切ですが、どんな好きなことでも、適当な休息や休みは絶対に必要です。
一言で言えば、「メリハリ」ということになるのでしょう。
どこは足して、どこは引くか。
それは、とてもパーソナルな問題です。
お子さんの言葉、反応、表情など、そのヒントはいろいろなところに表れます。
ぜひ、キャッチして、活かして欲しいなと思います。
最後に、私からヒントをご紹介します。
お子さんが、すでにやり方を分かっていて、やりさえすればいい、ある意味、単純作業のようなもの(計算練習、漢字練習、写し書きなど)は、「足す」のに向いています。
一方、作文や意見をまとめること、あるいは新しい単元、やり方が実はわかっていないことなどは、一方的に「足して」しまうと、お子さんが不安感や劣等感を強く感じる可能性があります。
これは、あくまで一般論です。
お子さんによって、得手不得手が違うのが当たり前。
いろいろと忙しいお母さんですから、大変ではありますが、お母さんだからこそ気づく、お子さんに合った「メリハリ」を見つけて、うまく導いてあげたいものです。
2016年
9月
20日
火
つい、言い返してしまうのは、意固地で、意地っ張りだから!
でも、それ以上に、繊細で、打たれ弱いという見方をすることが大切。
クラスでは、こんなことがよくあります。
本棚の本は、1回に1冊だけ取って、読んだら戻して、また新しい本を1冊取りましょう、というようなルールがあるとします。
でも、
「あ、これもいいし、うーん…あれもいい…」
と、2冊、3冊、手に取ってしまう子がいる。
それを見た子が、
「ダメなんだよ!」
と声をかける。
すると、言われた子が、
「うるさいなぁ、いいんだよ」
と、言い返す。
どうでしょう?
ありそうだと思いませんか?
失敗を指摘されるのは、確かに、ちょっと嫌なものですが、そういう返答ばかりしていては、友人関係には大いに影響が出てくると思います。
言い返したくもなりますが、
「わかった~」
と、軽く受け止めるように励ましたいものです。
とはいえ、これは、なかなか心のハードルが高いことです。
お子さんが、つい言い返してしまうタイプだな、と感じるなら、
「もう、わがままな子なんだから…」
ではなく、
「一つ一つの言葉を重く受け止めてしまう、繊細な子だな…」
と、考えてみることが、小さいけれど、とても意味のあるスタートです。
言い返さずにはいられない、というのは、意固地、意地っ張りではあるのでしょう。
その奥にある気持ちも考えてみます。
そこには、自信のなさ、感受性の強さがあると私には感じられます。
言い返してしまう自分のことを、自分で責めていることも多いのです。
「あのね、いくらあなたに言い分があっても、言い返してばかりでは、友達に嫌われちゃうわよ!」
確かにそうです。
でも、どうしても、言い返してしまうというのなら、
「そんなに言われたくないよね。あなたにはどんな言い分があるの?」
と、一回、受け止めてみることをお勧めします。
それだけでも、子どもは安心することができます。
ぜひ、試してみてください。
2016年
9月
21日
水
2016年
9月
22日
木
子どもの自立を促す、一番の質問は、「どうするか」
私たちは、自分のアタマ(ココロ)の中で自問自答を繰り返しています。
(さてさて、そろそろ起きるか…いや、まだ5分いけるか?いや、これで昨日、電車に乗り遅れたんだよな…っていうか、乗り遅れても間に合ったし…)
こんなココロの独り言を毎朝のようにしている方もいらっしゃるでしょう。
こんな自分との会話は、ふと気づくと、
(あ〜なんで、こんなことをしちゃったんだろう…)
(あ〜どうして、あんなことを言っちゃったんだろう…)
と、
(なんで)
(どうして)
という理由探しを始めてしまいます。
これは理由・原因を見つけて、次に活かす、という耳に聞こえのいい表現で、犯人探しをしていることにつながっています。
(なんで、あの人は、あんな言い方しかできないんだろう…)
というココロの独り言なら、「あの人」を責めています。
(どうして、私って、いつも素直になれないんだろう…)
この場合は、「ワタシ」を責めています。
小学校教師として、子ども達と過ごしてきて、そして、お母さん方の話を伺ってきて、いつも他人を責めているあの子やあの人も、自分自身を責めていると、私には感じられます。
まあ、そう感じる私も、自分を責めている、ということにもなるのでしょうが…
だからこそ、私は、
「どうするか」(これから)
を考えるように、努めています。
そして、子ども達にも、こんなことを聞きます。
「じゃ、どうする?」
これは、単刀直入にして、単純明快な質問です。
ところが、意外と、大人はこの質問を子どもにしません。
・こうさせたい
・あんな風にしたい
・こうに決まっている
・あんな風になってほしくない
などなど、希望や憶測が入ってしまうので、質問が誘導的になってしまいます。
あるいは、怒りや不安をぶつけるための質問を投げつけることもあるでしょう。
感情的になるのは当然のことなので、そのことを責めたり、後悔したりする必要は、まっったくないのですが、大事なことは責任追及、責めることではありません。
「じゃ、どうする?」
という短い質問を積み重ねることが、一番、お子さんの自立心を育てることなのです。
2016年
9月
23日
金
2016年
9月
24日
土
物事の善悪を冷静に、正しく判断してほしい。
それなら、お子さんの苦しみや迷いを、とことん聞いてあげよう。
かつては、
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」
なんてことを耳にしたことがありますが、「みんな」という状態は、日頃ならやらないようなことをやってしまう危険があります。
先週の3連休は、お台場でレアポケモンを求めて、群衆が車道をふさいでしまうというトラブルがあったそうです。
ネットやテレビニュースでも、盛んに取り上げられていたので、ご存知の方も多いでしょう。
最近、とみにポケモンGOにハマってしまっている私ですが、まさか車道をふさぐなんて、と呆れてしまいますが、一方で、その瞬間、お台場にいたら自分がその群れの中に混じっていなかった保証はありません。
何かに夢中になると、周りが見えなくなります。
普通ならやらないようなことをやってしまう可能性、危険性も高まります。
それに集団性が加わると、その度合いは相当なものでしょう。
ポケモンレベルなら、
「あ、これは危ない…やめておこう」
と、気づける人も多いと思いますが、小・中学生のような段階での集団圧力は、本当に強いものです。
まずは、
「こんなの、おかしいよな…」
という話を、集団とは関係のない場でできることがスタートです。
急に正義のヒーローにはなれないかもしれませんが、お母さんがお子さんの気持ちをしっかり受け止めてくれることは、お子さんの行動を変える勇気を育みます。
この時、くれぐれもお説教しないことです。
「あなた、こういう時は、こうするものよ!」
と、言われてしまうと、、
「わかっちゃいるけどねぇ!」
という口喧嘩になってしまいがちです。
「わかっているけど、できない」
というのは、本当はわかっていないということです。
が、苦しんでいる、悩んでいるお子さんの気持ちや状況を認めてあげる必要はあります。
自分の気持ちをわかってもらえた満足感は、他人の気持ちもわかってあげようと思える心の力につながっているのです。
2016年
9月
25日
日
身近なもの、当たり前のことに感謝する大切さ。
まさに、当たり前のことだけど、つい忘れてしまう。
今朝、少し早く学校についてしまったので、何を思ったか、野川公園というところを散歩してみました。
ご存知の方は、想像できたと思いますが、もともと、ICUのゴルフ場だったところで、芝生の広場がある一方で、林と言えるほど大きくはないにせよ、木々も多い公園です。
わたしの勤める学校では、週に1回、野川の時間というのがあり、遊びに出かけています。
その授業(?)のことは、また機会を改めるとして、つまり、私にとって野川公園は、いつもの、当たり前の素敵な公園です。
が、朝の6時頃にウロウロしたことは、全くなく、とても新鮮でした。
昨日までの雨が土にしみこんでいたことで、少し靄がかかったようなところに、朝日が木々をぬって差し込んでいる景色。
わたしの文章力では、わたしの感じた素晴らしさを表現できず、もどかしいのですが、すばらしいものでした。
そして、それを職場について、同僚に話した時です。
「あ、これって本当に幸せなことだな」
と感じました。
出勤途中、ちょっと早く着いたから、遠回りしてみた。
そこで見た景色が素晴らしかった。
それを同僚に話せた。
何のことはないことです。
でも、それを何の気負いも、緊張感もなく、自然と言える関係がある、ということは、当たり前のようで、当たり前でないな、と感じたのでした。
子ども達が、学校や幼稚園、習い事などで経験したこと、楽しいこと、うれしいこと、もちろん、悲しいこと、嫌なこと…
お母さんと話せる。
お父さんに言える。
兄弟姉妹とバカにしあえる。
それって、当たり前と簡単に言って軽視してはならない、とても価値のあることです。
「もう、ウチの子のワンパターン話には飽き飽きです~」
だとしても、ワンパターン話をして、ワンパターンの反応があるのだとしても、水戸黄門をみて、最後の印籠で安心できるように、お母さんのワンパターンの反応がお子さんを安心させてくれるのです。
今日は、あらためて、当たり前の会話の価値を感じました。
2016年
9月
26日
月
友達に嫌われたくないな…
そんなことを気にしているお子さんには、こんなアドバイスをしてほしい。
「ホンネを言って、嫌われてしまった方がいい」
最近は、ずいぶん減ったと思いますが、ひと昔前の先生達は、よく怒鳴っていました。
私が小学校1年生の時です。突然、怒鳴られて、何が何だかわからなかったことがあり、今でもよく覚えているのですが、実は叱られたのではなく、褒められていた、ということがありました。
もちろん、叱られたこともたくさんあります。
いずれにせよ、ホンネむき出しのコミュニケーションだったような気がします。
大事なことは、ホンネということです。
怒鳴るかどうかは、問題の本質ではありません。
小さな声でも、丁寧な言葉遣いでも、あるいは黙っていても、ホンネが伝えあえれば、コミュニケーションとしては、質が高いものです。
私は、つい人目や評判を気にしてしまうので、ホンネを伝えるということが、あまり得意ではありません。はっきり言ってしまえば、嫌われたくない、いい人でいたい、ということです。
しかし、そんなことは、相手に伝わってしまいます。バレています。
ですから、相手に嫌われたくなければ、むしろホンネを伝えないといけないのです。
・友達に嫌われたくない。
・嫌われまいと、いい人ぶるとバレる。
・だから、ホンネを言った方がいい。
・すると、嫌われることもある。
・だが、結局、そのホンネに共感した人とは、本当にいい関係ができる。
ということです。
ものの言い方と、言うタイミングは、いろいろな工夫もできます。
が、いずれにせよ、嘘はバレてしまいます。
誰かに嫌われてしまうのは、もちろん、ショックなことではあるけれど、その分、本当に仲良くできる人が見つかるチャンスでもあります。
「あなたが、そんな言い方するから、嫌われるんでしょ!」
ではなく、
「どういう気持ちだったの?」
と、お子さんのホンネを引き出してあげて欲しいと思います。
2016年
9月
27日
火
嫌いなもの、嫌なこと、気にいらない人…
その中に、大きなヒントがある。
私は、
という本を書きました。
お母さんに向けて、お子さんのプレッシャーを取り除き、お子さんの毎日をイキイキしたものにするためのコミュニケーションのヒントを書いた本です。
現役の小学校教師で、お母さん向けの活動をしているというのがとても珍しい、ということで、お話をいただくことになったのですが、そもそも、
・コミュニケーション
・お母さん(保護者)
という2つの切り口とも、私にとって、苦手なものでした。
子ども達が学校で過ごしていれば、けがやケンカは、当然起こります。
早く電話したり、報告したり、手を打てば、大きなことにならないのに、言いづらいがために、連絡が遅れて、不信を招くことになったり…
子どもは子どもなりに、思いや事情があるのに、私の気持ちや状況を押し付けて、やる気をそいでしまったり…
と、私にとって、失敗ばかりの領域です。
だからこそ、なのでしょう。
あえて努力しようとした意識はないのですが、
・どうすればいいか
・こうやったらどうだろうか
などなど、試行錯誤を繰り返していたようです。
気づいたら、自分なりの工夫ができていました。
(もちろん、今でも、失敗もしています。スミマセン…)
嫌いなもの、嫌なこと、気に入らない人…
考えるのもウンザリですが、そこに向き合ってみると、思いもよらないヒントや宝物があるようです。
向き合うというのは、直接かかわる、ということとは限りません。
どうしても、嫌な人がいるなら、かかわらずに逃げているというのも一つです。
が、どういうところが嫌なのか、をアレコレ考えてみるのも、向き合うことになります。
さて、最後にもう1つ、私が嫌いなものをご紹介します。
それは、
「ハチ」
です。
刺されたこともないのですが、どうも、あれは苦手です。
教室にいると、時々、入ってくるのですが、できれば、締め切って逃げ出したいものです。
まあ、子ども達の安全を預かっている以上、刺激しないように、そっと外にお帰りいただいたり、最悪は、ハチ用殺虫剤を必要以上に噴霧したりするのですが、先日は、図書室に2匹もスズメバチが入ってしまい、とても困りました。
殺虫剤をふきつけて、処理した後、今日のテーマをふと、思い出し、
「ハチの研究をしてみよう」
と、ハチの図鑑を2冊注文してしまいました。
まだ1冊しか届いていないのですが、これが、なかなか面白い。
数年後、ハチの子育てと人間の子育てについて、本を出しているかもしれません。
嫌いなもの、嫌なこと、気にいらない人の中には、きっと、役に立つヒントが入っています。
2016年
9月
28日
水
2016年
9月
29日
木
困った時は、歩く。
時々、このブログに書いていますが、すっかりポケモンGOにハマっている私は、おかげで、相当、歩いています。
先日、同僚に、
「iPhoneのヘルスケアで、歩いた距離がわかりますよ」
と、教えてもらい、見てみたところ、びっくり。
ある日は、なんと21km歩いていました!
これは、何かの間違いかもしれません。
が、私たち教師は、特に小学校の教師は1日中、動いています。
デスクワークが増えた今年度の私でさえ、自分がいる部屋から事務室に行き、幾つかの教室に行き、としているだけで、ずいぶん歩いているものです。
そう考えると、21kmも間違いではないのかもしれません。
さて、これだけ歩くようになって、何が一番いいか、というと、ウエストのサイズではありません。
気持ちがスッキリしている時間が増えた、ということです。
これが私にとっては、一番の収穫です。
京都には、有名な哲学の道があります。
フランスの有名な観光地、モンサンミッシェルの修道院の中には、回廊があり、修道僧が歩いていたそうです。
このような観光地の話は、後世の脚色があるかもしれませんが、歩くことの価値は、いろいろとあると感じます。
さて、二人で歩くとどんな効果があるでしょうか。
二人で歩くということは、二人で同じ方向を向いて、横に並んで歩く、というのが普通です。
道が細くて、縦に並ぶことがあるにせよ、向かい合うことはありません。
ところが、部屋でお子さんの話を聞こうと椅子に座ると、向かい合わせになってしまうことがあると思います。
気をつけないと、無意識のうちに、真正面に座ってしまうこともあります。
正面で向かい合うのは、対立です。
何か大きなトラブルがある時ほど、対立するのではなく、一緒に考えることが大切です。
その点、一緒に歩くと、自然に二人が同じ方向を向きます。
さらに、外を歩くのですから、他の歩行者や車の有無、信号など、意識が多少、外に向かいます。
部屋の中では、お母さんの意識が、集約されて、対面しているお子さんに集中的に投射されてしまいますが、外なら程よく、意識の集中度が下がります。
困った時こそ、歩く。
部屋では出てこない名案が出てきたり、心がスッキリしたりすることもあると思います。
2016年
9月
30日
金