2016年
8月
01日
月
夏真っ盛り。
だからこそ、外に出るから、元気になれる。
先週の那覇日帰り強行軍で溜まった疲れは、結局、外で汗をかいたことで、解消できました。
「元気だから動くんじゃない。動くから元気になる」
先週の私は、那覇に日帰り出張がありました。
飛行機代をケチって、マイレージを使ったため、往復とも福岡経由ということになり、朝は5時に吉祥寺を出るバスに乗り、福岡へ。
福岡では1時間の乗り継ぎで那覇へ。那覇で用を済ませ、空港に戻ると、福岡行きのなんとファイナルコール…
帰りの福岡でも1時間の乗り継ぎで、やっと羽田に着いたのが10時半でした。
数分の差で、吉祥寺行きのリムジンが行ってしまったことで、新宿行きに乗ると、意外な速さでびっくり。その感動は思わず、吉祥寺に着くなり、フェイスブックに書いてしまったので、読んでくださった方もいらっしゃると思います。
この顛末は、知り合いの元CAさんに、
「青木さん、CAの1日みたい〜」
と言われてしまったのですが、疲れていないようで、疲れていたのでしょう。
先週は、なんとなくピリッとしない一週間でした。
そんなわけで、どうも昨日、一昨日と、動きたくないのですね。
一昨日は、小田原まで行ったので、また疲れが…
気づくと、体を横にしてしまう…
これじゃいかん、と一念発起(!?)し、少し汗をかきつつ、井の頭公園を一周してみました。
すると、あの気だるさはどこに行ったのでしょう!
やはり、体を動かすことって、大切だな、と痛感しました。
私の勤める学校は、それぞれの教室の前に靴箱があります。
よく幼稚園などであるような設計です。
それは、一つ一つの授業に集中するために、わずか10分でも、休み時間には体を動かして欲しいと考えているからです。
サッカーやドッジボール、かけっこだけが能ではありません。
外に出て、散歩したり、花を探したりしてもいいのです。
教室にこもっているのではなく、外の空気を吸うことが、気持ちを切り替えるコツなんですね。
元気だから動くんじゃない。
動くから元気になるんだ。
身をもって、体感しました。
まあ、この暑さですから、水分補給やら、日よけやら、それは冷静な対処も必要ですね。
その上で、外に出る。可能なら動く。
夏休みだからこそ、いつも以上に意識して欲しいことです。
2016年
8月
02日
火
子育ては、PDCAより、OODA!
お母さんの願いを叶えるために、まず、お子さんを見る。
それは、お母さんの願いを諦める「敗北」ではありません。
お子さんの今を踏まえて、次の手を練る「戦略」です。
OODAは、そんな「デキる作戦参謀ママ」に、ピッタリの理論です。
皆さんは、OODAという言葉を知っていますか?
私は、つい最近まで知りませんでした。
PDCAという言葉は、ご存知の方も多いでしょう。
書店に行けば、ビジネス書コーナーなど、PDCA関連の本が、たくさんあります。
P(計画する)→D(実行する)→C(確認する)→A(改善する)を繰り返すことで、よいスパイラルが起こる、というわけです。
教育の世界でも、このPDCAサイクルの大切さが強調されます。
もう10年以上前になりますが、つくばにある文部科学省の研究センターでカリキュラム開発の研修を受けた時、このサイクルについても検討したのを覚えています。
耳ざわりはいいのです。
でも、私の心の片隅には、ちょっとした違和感もありました。
それは、スタートは、Pであることです。
Pは、PlanのP。
計画するということです。
大人が、この子(たち)をこうしよう、と計画するというわけです。
「教育」という点で、確かにそれも大事なことではあるのですが、
それはともすると、子どもの実態ありきではなく、お題目としての個性重視で、
実際は、大人の計画した形での作られた個性重視っぽい姿になってしまいます。
そんなことを思っていた私に、ふと目に入ってきたのが、OODAでした。
※参照記事:「PDCAを捨てOODAを活用して戦いに勝ち抜く」(日経BizGATE)
OODAは、Observe(観察)→Orient(方向づけ)→Decide(決心)→Act(実行)というサイクルです。
これは、60年以上前、朝鮮戦争の際、アメリカ軍パイロットが性能では劣る戦闘機で、ソ連軍戦闘機に大勝したことを検討し、そのプロセスをまとめたものだそうです。
PDCAとOODAの決定的な違いは、スタートです。
こちらの計画からスタートするか、相手の動きから考えるか、ここに決定的な差があります。
私は現役教師として、子どもを大人の望む方向に導くことそのものを否定するつもりはありません。それは必ず必要なことです。
しかし、大人の都合ばかりで子どもを動かすことには慎重でありたいし、そもそも、そういうことに自覚的でありたいと思っています。
そんな私には、OODAがピッタリです。
私は、「言葉・コミュニケーション」をこだわってきましたから、これまで、
「黙ってお子さんと過ごす」ということの価値を繰り返し訴えてきました。
が、それをコンサルタント的目線、仕組みで考えると、「黙って過ごす」ということは、OODAサイクルの、Observeにあたります。
お母さんが、この子にはこうなってほしい!などと、願うのは当然です。
こうなってほしくない!の方が強いかもしれません。
いずれにせよ、大人の思いは子どもに伝わります。
まして、お母さんの願いに子どもは敏感です。
何とか応えたいと思います。
ところが、そう簡単に、お母さんの願い通りになんて、いきません。
すると、できない自分を責めることになります。
ですから、まず、お子さんの今を見ることから始め、お母さんの願いを2番目にしてみませんか?これは、お子さんの今を受け止めて、お母さんの願いをあきらめる「撤退」や「敗北」ではありません。お母さんの願いをあきらめたり、変えたりする必要はありません。
お子さんの今をよく見て、お母さんの願いに導くためにどうするかを考える、あくまで戦略的な、リアリズムに基づいた「作戦」なのです。
お母さんの子育ては、作戦参謀としての戦いなのかもしれません。
2016年
8月
03日
水
気を使いすぎる子には、ワガママを言わせる練習が必要。
妙に遠慮したり、気を使ったりすると、必要のないミスをしますね。
堂々と、ワガママを言う練習が、かえって必要です。
先日、夜のアトレ吉祥寺に行きました。
すると、ドーナツショップで、全品100円セールをやっていました。
吸い寄せられて、列に並んだのですが、私の前にいた女性が、幾つか注文し、さあ、お会計。ドーナツを渡される、という段階になって、追加したくなったようです。
「あ、すみません!これ、最後の1つも、お願いします」
ちなみに、私が頼みたかったドーナツは、まだ大量に並んでいるのが見えましたし、なくなれば、その時は、他を頼めばいいので、なんとも思わなかったのです。
が、その女性は、いろいろ、気にされたようです。
「こんな会計の段階まできて追加して、店員さんにも悪いし、次の人を待たせて悪い」
「欲張って、最後の1つまで買い占めちゃったけど、次の人が狙ってたら悪い」
そんなところでしょうか。
妙に焦った様子が伝わってきました。
すると、余計にミスをしてしまうものです。
会計が訂正され、お金を追加で出そうとしていた、その女性。
お財布から、小銭をこぼしてしまい、私も拾う始末。
最後は、せっかく渡されたドーナツを落としそうになって、走るように去って行きました。
私がプレッシャーになっていたのだったら申し訳ないことです。
が、私は、全く気にしていなかったのです。
そして、店員さんも、そんなに面倒そうな感じには見えませんでした。
あ〜はいはい、という程度の、よくあること、なんていう対応に私には見えました。
そのドーナツが欲しかったなら、買えばいいのですよね。
何も、他人に気を使う必要はありません。
本当に欲しいもの、好きなもの、したいこと…
意外なことに、結構、言えずに我慢していることも多いと思います。
小さいうちに、我慢させることも大切だとは思いますが、我慢が癖になるのも困ります。時には、ワガママを言わせる練習が必要かもしれません。
2016年
8月
04日
木
2016年
8月
05日
金
目標、目標と、ハードルを上げることも大切。
でも、目の前にある選択肢を取るのも、魅力的。
それは敗北やお情けではなく、自分に必要だから、そこに現れたはず。
「低きに流れず、高みを目指す」
よく先輩が、卒業式後の謝恩会で、卒業生に向けて、おっしゃっていました。
全く、その通りです。
が、一方で、流れに抗わず、身を任せることも大切だな、とも感じています。
私の話で恐縮ですが、今年度の私は、担任をせず、放課後の預かりを中心に、広報や法人の仕事を担当しています。
人事ですから、抗うことはできません。
が、私はそういう捉え方でいるわけではありません。
これもご縁だな、と思います。
学校の先生にも、いろいろな仕事があります。
そういう経験は、必ず何かの役に立つでしょう。
それだけでなく、今年は、文章を書くことを依頼されることが、とても多くなりました。このブログ記事をキュレーションサイトに載せていただくだけでなく、執筆依頼をいただくことが多くなりました。
これは本当にありがたいことだと思います。
今日の記事が、これだけギリギリになっているのも、ご依頼いただいている原稿が幾つかあり、臨海学校までに仕上げたかったからです。
書いて欲しい、と言っていただけることが、こんなに嬉しいとは、思ってもいませんでした。
<ちなみに…>
私は、近々、勤務する学校の臨海学校に行くのですが、この間、約1週間のブログ記事は、前もって書いたものを、当日、アップだけする予定です。
したがって、この期間は、当日、書いたものでない記事がアップされることをお許しください。
また、宿泊行事引率中に記事を書いていませんので、そう言った意味でも、ご安心ください。
さて、本題に戻ります。
私が、そもそも、ブログに関わるようになったのは、学校の広報の一環として、挑戦したことでした。
それでブログを書くということを知り、Facebookでの発信も知りました。
その結果、テレビの取材を受けたり、私自身、出版する機会をいただいたり、と今に至るのですが、スタートは学校の業務です。
そして、このブログ毎日更新は、行きづまり感を持っていた時に、ブロガーのかさこさんが主宰する「かさこ塾」を知り、ブログについて、個人的に学んでから始めました。
今にして気づいたのは、私は、学校の業務であろうと、私自身の取り組みであろうと、私が見聞きしたこと、そしてそれをどう感じたかを、文章なり、言葉なりで、訴えていきたい、と考えていた、ということです。
初めは、そんな自分に全く気づいていませんでした。あくまで広報の一環でした。
最近は、大学生になり、就職について意識している卒業生ともよく話しますが、当時の私には、こんな気持ちは、全く思い浮かぶ余地もなかったと思います。
いや、本当は片隅にはあったのでしょう。
それを、
・どうせ私は無理
・できなかったら恥ずかしい
・こういう仕事をした方が得
などという理屈で、見ないフリをしてきたというのが、実際なのではないかと思います。
いずれにせよ、「機が熟す」という言葉があるように、何かが動くには、それなりの時間も必要なのだと思います。
だとすると、
「私は、これを目指すんだ!」
という、確固たる目標・高みを見ることも大切である一方で、
「ま、これもご縁か」
と、目の前に来た船に乗ることも大切だと思います。
この話は、受験や就職試験など、何かしら「合格・不合格」の結果が出る挑戦を目前にしている方には、共感できる、できないの二つに分かれると思います。
これは、タイプの問題なのかもしれません。
私の場合は、小学校受験、中学受験、大学受験、就職まで、目の前に来た船に乗らせていただくことで、次のステージに進んできました。
合格したことも、不合格で悔しい思いをしたこともありますが、目の前に来た船も、案外、悪いものでもないような気がします。目の前に来た船は、あなたに適した船だから来たのであって、希望が叶わなくて、お情けで来たわけではないのです。
お子さんの今は、どうでしょうか?
低きに流れていますか?
それとも、目の前に来た船に乗っているのでしょうか?
ハッパをかけるのか、黙って見守るのか、そのあたりをしっかり見極めたいものです。
2016年
8月
06日
土
2016年
8月
07日
日
2016年
8月
08日
月
2016年
8月
09日
火
2016年
8月
10日
水
言い訳してもいいわけ?
2016年
8月
11日
木
やっぱり、専門家に聞くのが一番。
誰かに相談することは、自分の足りなさを知ることではない。
ここ1ヶ月、どうもアレルギーが出て、鼻やら目やらがすっきりしない私なんですが、先日、臨海学校を前に、目薬を買いました。
アレルギーを持っている私は、アレルギー性の症状に慣れっこになっていることもあって、鼻炎薬は時々飲みますが、目の方は、放っておくことがほとんどです。
が、少しでも不安を解消しようと、薬局に行きました。
そこで見た、ズラッと並んだ目薬の数。
いろいろ、POPもついているけれど、結局、よくわからない。
そこで、薬剤師さんに相談し、選ぶことができました。
さすがはプロですね。
さすと、目のかゆみは治るし、気持ちがすっきりします。
こんなことは、何でもないことですが、かつての私は、素直に相談なんて、できずに自分で選んでしまっただろうな、と思いました。
例えば、相談して、高い薬を勧められたら困る…
もしそうなら、
「いや、ちょっと高いので、もうちょっと手頃なのはありませんか?」
と、聞けばいいのです。
それだけのことができない。
あれこれ、勝手に想像して、聞かない。
他人から見ると、
「バカなことしてないで、聞きなよ」
ということです。
要は自意識過剰ですよね。
では、どうすれば素直に専門家、他人に相談できるのでしょうか。
それは、自分に自信を持てれば、素直になれるのだと思います。
自分に自信がないから、相手の反応が恐ろしくて、聞けない。言えない。
怯えているのは、自分だけ。相手は、なんとも思っていないのに、滑稽でさえあります。
これは私の目薬相談ですが、子どもたちの日常は、意外と、このような心のメカニズムで動いているのです。
「わからないことは、自分で先生に聞けるようになってほしい!」
こういうお話をよく聞きます。
特に、低学年です。
本当に、自分から質問や相談ができるようになってほしいなら、まず、それが本当に素晴らしいことだと、お子さんに伝えることです。
そして、身近な大人、できればお母さんが、いろいろな人に素直に相談している姿を自然に見せることです。
その時、お子さんが素直にできなくても、そういうお母さんの姿は、必ずお子さんの心に焼き付いていて、ある時、自然と表に出てきます。
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」
と、よく祖母に言われたことを思い出しました。
この言葉、「恥」というのが、よくないですね。
「聞くは最高に素晴らしい」
それだけでいいと思います。
2016年
8月
12日
金
テレビをつけずにいられなかった私が、これほどテレビを見なくなったのです。
今、心配なことも、ある時、お子さんは壁を越えるのではないでしょうか。
夏休み真っ盛り。
いかがお過ごしですか?
夏休みは、家族の繋がりを強める大事な時間です。
そうは言っても、なかなか理想通りにはいきません。
子どもらしく、外で元気に遊んできてほしいのに、家でゴロゴロ、ダラダラ、テレビを見続ける我が子にイライラ…
そんなことはありませんか?
かくいう私も、そんな子どもでした。
何かというと、すぐごろりとなって、テレビをつける。
それが当たり前でした。
が、今の私は、テレビをほとんど見ません。
テレビの電源は入れるのです。
でも、それは録りためた番組を見るためです。
かつての、特に見るでもなく、だらりとテレビをつけている、ということは、どういうわけか、すっかりなくなってしまいました。
今はネット時代です。
Youtubeなどもあり、テレビ局の都合で流される番組を見させられるのではなく、自分の好きなことを、好きなだけ動画なり、サイトなりを見られるようになっています。
ですから、今後はテレビ中毒よりも、よほどネット中毒、スマホ中毒の方が、気がかりです。
それでも、きっとお子さんはそれを乗り越えるのではないでしょうか。
子どもだって、ずっとやり続けているのは良くない、と思っているのです。
やめられない自分を責めています。
ですから、ダメダメ禁止するだけでなく、
「きっと、そのうち、飽きてやらなくなるんじゃない」
と、逆に少し励ますような、突き放すような言葉かけを時々、入れたいものです。
お母さんに、
「大丈夫、できるようになるよ」
という眼差しで見てもらえることは、子どもの心を大いに広げるでしょう。
すると、すべきことに向き合う、心の強さも育つのです。
2016年
8月
13日
土
可愛い子には旅をさせよ。
ありきたりだけど、やっぱり、親元を離れて集団生活を送ることは、子どもを一段、成長させる。
私の勤める学校には、臨海学校があります。
2年生から6年生までが、約1週間、海の生活をします。
最近は、事故を恐れて、海の行事を取りやめる学校も多いようですが、私の勤める学校では、何とか続けよう、としています。
さて、2年生は初めての臨海学校です。
初日、お見送りに来たお母さん方は、涙を流すことがいつもの光景になっています。
私が子どもの頃もそうでしたから、今も昔も、同じですね。
長かった1週間を終え、帰京した子ども達。
日に焼けて、黒くなったこともありますが、妙に大きくなったような気がする、と多くのお母さんがおっしゃいます。
1週間もの集団生活は、本当に大変です。
起きる時間、食事、自由時間、水泳、すべて集団生活ですから、勝手なことはできません。
みんながいるからできるし、みんながいるから面倒です。
そんな生活が、お子さんに自信をつけるのだと思います。
すると、1週間ぶりに現れた我が子が、大きくなったように見えるのでしょう。
臨海学校では、わがままを言わずに、集団生活に合わせていたというのに、家に戻ってきた瞬間から、ダラダラしたり、甘えたりするかもしれません。
それも必要なことです。
家でも集団生活の緊張感を要求されていては、心が休まりません。
メリハリが大事ですね。
短期間とはいえ、お子さんを手放すのは、心配なことも多いでしょう。
が、それなりに、得るものも大きいようです。
ただし、どうしても心配なら、無理をする必要もありません。
旅ばかりが能ではありません。
お子さんの世界を広げ、心を深める方法は、いろいろあります。
2016年
8月
14日
日
時には、サメを思って欲しい。
ニシオンデンザメは、400年生きる。
時事ドットコムに、こんな記事がありました。
「400年生きるサメ?地球で最も長生きの脊椎動物か 研究」
(こちら)
タイトル通り、400年以上も生きるというサメがいると、国際研究チームが発表したとのことです。
このタイトルを見た時、私は思わず、クリックして記事を全部読んでしまいました。
400年…
ちょっと、私達の感覚から離れてしまっています。
いや、ちょっとどころか、全く、ですね。
今から400年前というと、1616年。
元号では、元和2年。
徳川家康が没した年だそうです。
逆に言うと、今年生まれたニシオンデンザメは、順調に育てば、2400年頃の地球を生きていることになります。
これを読んで、時間の捉え方って、生き物によって、かなり違うな、という気になりました。
「ゾウの時間ネズミの時間」(中公新書)という本川達雄氏の名著もありますが、時々、違う生き物の時間の流れ、成長の過程を考えてみることで、目の前の子育てや自分の成長の悩みから、少し解放されると私は感じます。
「今」を生きることは、とても大切なことではありますが、「今」できないことにばかりフォーカスすると、「そのうち」できるようになることも、「もうずっと」できない。という気になりがちです。
お母さんという立場では、「今」、お子さんができずに困っていることがとても心配だったり、気がかりだったりすることもあると思います。
どうしたら、早くできるようになるか、一生できなかったらどうするか、など、不安が高じて、腹が立ってくることもあるかもしれません。
「あの子は、あんなに早く、できるようになったのに…」
確かに、人によってできるようになるのが早い人、遅い人がいます。
そして、人によっては、一生できるようにならないこともあります。
私は、どうトレーニングしても、100mを10秒で走れるようにはなりませんが、小学校中学年の頃、100m走でどうしても20秒を切れないと思っていましたが、6年生の時には、何とか切れるようになっていました。
100mを10秒で走れないからといって、嘆く人は、ごくごく少数でしょう。
・一生、できないことがあってもいい。
・できるようになるために、時間がかかることもある。
こんな当たり前のことを、時々思い返すために、ぜひ、ニシオンデンザメを思い浮かべて欲しいなと思います。
今、北極海を悠々と泳いでいるニシオンデンザメは、江戸時代の生まれです。
今、ヨチヨチの赤ちゃんニシオンデンザメは、数百年後の海を味わいます。
これから、人間の寿命はさらに伸びるかもしれません。
徳川家康が没した当時、平均寿命が80歳を超えるなど、きっと想像もされていなかったでしょう。
お子さんのできない何かが気になって仕方がない時は、時間の流れを長く、長く見ることをオススメします。
2016年
8月
15日
月
今、気になる人間関係も、後から思えば、必要性がわかる。
昨日、とあるクラスの同窓会があり、招待されて、吉祥寺の街に出かけました。
2か月ほど前に、招待状が往復はがきで届き、ずいぶん大人になったなあ、と感心しましたが、当日、大学生のノリとはいえ、次第や運営もしっかりしていて、びっくりしました。
最後はフラワーアレンジメントのプレゼント付きです。感激して帰宅したのでした。
限られた時間の中で、全員とじっくり話すことまではできませんでしたが、一人一人が、やる気に満ちて、生活していることがヒシヒシと伝わってきて、幸せな時間を過ごすことができました。
私の勤める学校には、基本的にクラス替えがありません。
彼らの時代は、1学年1学級でしたから、クラス替えなどできるわけがありませんが、1学年2学級になっている今でも、基本的にはそうです。
クラス替えがない、となると、特に女の子のお母さんの中には、人間関係がこじれたらどうしよう、と不安に思われる方もいらっしゃいます。
人間関係面のトラブルも、成長の上では必要とはいえ、やはり心配というのは、当然のことです。
もちろん、彼らのクラスでも、いろいろなトラブルがありました。
私が担任している時だけでも、いろいろなことがありました。
それでも、あの濃密な時間の中で、子ども達は大人の心配とは別に、それぞれのポジションを作り、関係を築いているのですね。
この関係は、ほとんど、第二の家族と言ってもいいでしょう。
そして、これは小学生時代だからこそ、自然とできる関係でもあります。
小学生時代は、子ども同士のトラブルに大人が介入しないといけないことも多くあります。お母さんとしたら、
「もう、なんでこんな子と付き合うのかしら!」
とか、
「あ〜こういう子じゃなくて、あんな子と仲良くして欲しいのに…」
などと思うこともあって当然です。
腹が立ったり、悲しかったり、どうにもできず苦しかったりするかもしれません。
が、ご縁があって集まった関係です。
「きっと、必要な人間関係なんだな」
「今は嫌だけど、きっと後から思うと、必要だったことがわかるんだな」
と、とらえる方が建設的で、お子さんの前向きさを引き出すことができるのではないでしょうか。
2016年
8月
16日
火
「大丈夫」は魔法の言葉。
でも、意味は2通り。
心の言い訳としての、言葉だけの「大丈夫」を、心の底から湧き出る、温かい「大丈夫」に変えるには…
先日、久しぶりに卒業生のお母さんと立ち話をする機会がありました。
つい、懐かしく、いろいろなお話をし、楽しい数分でした。
その会話の中で、印象的だったのが、この会話です。
「まあ、結局、どうなっても全部、大丈夫なんですけどね」
全く、名言だと思いました。
その通り、どうなっても、できても、できなくても、成功しても、失敗しても、結局は全部、大丈夫。
お母さんが、そこまでドッシリしていてくれたら、子どもは本当に安心できると思います。
とはいえ、正直に私の感想を言うと、そう仰ったお母さんの言葉の中には、自嘲の色も見えました。
会話の流れから察すると、今のお子さんに不満という訳ではないが、本当はこうしたかったのに、そこまで引っ張れなかった、というような感じです。
このお母さんなら、多少の文句や嫌味を言ったとしても、きっとお子さんの今を受け止めてくれるとは思います。
でも、心の片隅に、後悔のようなものは残っているように、私には感じられました。
それは、白いワイシャツの裾口についた、ちょっとしたコーヒーのシミのようなものかもしれません。
気づかない人がほとんどなのに、自分では気になって仕方がない、そんな程度のシミです。
子どもは、そういうお母さんの本音に敏感ですから、他人から見ると仲良し親子でも、子ども本人には、
「ボク(ワタシ)は、お母さんを満足させられなかったんだ…」
という、やはり本人にしか気づかない、裾のシミがついています。
かくいう私自身、中学受験で、合格確実と言われていた学校に落ちた時、落ちたこともショックでしたが、母を傷つけたこと、期待に添えなかったことが、一番、ショックでした。
「大丈夫」は、魔法の言葉だと私は思います。
が、心の底から、それでいいよ、という大丈夫と、実は本音では納得がいっていないけど、仕方がないから、それでいいよ、という大丈夫の2種類がありそうです。
では、本音で思えていない、心の言い訳としての「大丈夫」を、心の底から湧き出る感情としての「大丈夫」に進化させるにはどうするか…
その重要なキーは、お子さんをそこまで引っ張れなかった、という考え方で、自分を責めないことです。
私自身の例でも書いたように、子どもはお母さんの期待に応えられなかった、という感情は、実態以上に強く持ちがちです。
お母さんが、ご自身を責めると、その傾向に拍車をかけます。
つまり、
「私は、十分以上に、やったんだ、やっているんだ、大丈夫だ」
という心の持ち方をすることが、一番、大事なのです。
そこまで、お母さんが思ってくれれば、お子さんは気遣いなく、自分の道を進んでいくことができると思います。
2016年
8月
17日
水
<お知らせ>
今週末、8月20日(土)・21日(日)の二日間、東京・有楽町の国際フォーラムにて「東京都私立学校展」が開催されます。
東京にある私立の小・中・高校が一堂に会する最大の私学イベントです。
私は、両日とも午前10時〜午後4時の開催時間中、会場におりますので、ぜひ足をお運びください!
小学校エリアの「むさしの学園小学校」ブースに声をおかけいただければ、すぐに出てまいります。
「私立小学校なんて、考えてもいないので…」と気後れされる必要はありません。二日間で5万人以上が来場する超大型イベントです。むしろ、毎年、特に初日は開会前に長蛇の列ができます。少しゆっくりお越しになることをオススメします。
````````````````````````
ダメな母親の特徴を考える。
「ダメな母親は、いない」
先日、久しぶりにブログのアクセス統計を見てみました。
ここ1か月で、一番アクセスが多かった記事は、
でした。
確か、Facebookの投稿にもコメントがいくつか付いたと思います。
おそらく、「デキる」というキーワードがお母さん方の心に引っかかったのでしょう。
言われてみると、お母さん方の話には、
「上手に子どもを導きたい」
というようなことが入っていることが多いな、と思いました。
では、その逆には、なりたくないはずです。
そこで、
「ダメな母親」
について、調べてみました。
「ダメな母親の特徴」と検索してみると、こんな記事が出てきました。
なるほど!
これが特徴か…
関心のある方は、ぜひ上のリンクからご覧になるといいのですが、私は読んでみて、
「これじゃ、ほとんどのお母さんはダメな母親になっちゃうよ」
と思いました。
そして、
「もし、挙げられているダメな特徴の全てを一切しないお母さんが、もしいたなら、子どもは相当に苦しいだろうな」
とも思いました。
少し具体的な話をしますと、私は子どもの言動を咎める時、「ダメ!」ということをオススメしています。子どもへの言葉は、短く、はっきり、分かりやすく、が大原則だからです。
ところが、私がこの話をすると、少なからず、お母さん方に驚かれます。
「先生、子どもにはダメって言っちゃいけないと思っていました!」
じゃあ、どうするんでしょうか?
否定せずに、あるべき状態を促そう、という趣旨はわかります。
が、子育ては毎日、24時間です。
コーチがクライアントにセッションしている限定された時間ではないのです。
怒鳴ったり、時には、手が出たり、まさに感情のるつぼで当然です。
ということで、私の思うダメな母親は、
「自分がダメだから、この子がダメ」
と決めつけてしまい、他の見方をしないお母さんです。
どんなに「デキる」お母さんだって、感情的になることがあります。
どんなに優等生に見える子だって、何かしら影の一面を持っています。
逆に言うと、どんなに「ダメな」お母さんだって、お子さんの心を励ます会心の一言を投げかけることだってあります。
どんなに劣等生に見える子だって、何かしら素晴らしい一面を持っています。
「常にデキる母親ではないし、常にダメな母親でもない」
つまり、
「ダメな母親は、いない」
と思っていいのだと私は思います。
結局、ブレないお母さんがいてくれると、子どもが安心していられるのです。
2016年
8月
18日
木
<お知らせ>
今週末、8月20日(土)・21日(日)の二日間、東京・有楽町の国際フォーラムにて「東京都私立学校展」が開催されます。
東京にある私立の小・中・高校が一堂に会する最大の私学イベントです。
私は、両日とも午前10時〜午後4時の開催時間中、会場におりますので、ぜひ足をお運びください!
小学校エリアの「むさしの学園小学校」ブースに声をおかけいただければ、すぐに出てまいります。
「私立小学校なんて、考えてもいないので…」と気後れされる必要はありません。二日間で5万人以上が来場する超大型イベントです。むしろ、毎年、特に初日は開会前に長蛇の列ができます。少しゆっくりお越しになることをオススメします。
````````````````````````
何が自分の強みか、わからない。
他人の言葉に、意外なヒントがある。
突然ですが、私はTOKYO FMで、平日の朝、「青木洋介のシロノス」というラジオ番組をやりたいのです。
なぜ、TOKYO FMなのか、平日の朝なのか、クロノスなのか、それは、単純に、朝の出勤時間帯に、聞くことが多かったからです。
局や、時間や、番組名はさておき、大事なことは、ラジオ番組をやりたい、ということです。
さて、急に夢を語りだしたのは、先日、とある方に、私の「声」をほめられたからです。実は、時々、ほめていただくのです。去年だったか、一昨年だったか、声をほめていただいた時、
「あなたは、絶対にラジオ番組をやった方がいい。ふわっと引き込まれる」
と言われ、本当に驚いたのをよく覚えています。
そして、それが夢(ちょっと、私の感覚とは違うけれど、最もわかりやすい表現では…)になりました。
私は、小学校教師ですから、話す仕事をしている、とも言えます。
ほめていただいたことも、叱られたことも、たくさんありますが、授業で「声」について、何かを言われたことはありませんでした。
ところが、話していると、時々、「声」をほめられるのです。
人の魅力、強みって、自分の思いとは全く違うところにあることもあります。
もしかしたら、お母さんから見て、お子さんの強み、あるいは弱みと思っていることも、他人からすると、全く違って見えるかもしれません。
そういう時、
「まったく、この子のこと、本当にわかっていないんだから!」
というのもいいですが、そういう見方もできるのか、と、いったん受け止めることは、お子さんの可能性を広げることにもなります。
さてさて、再び、私の話に戻って恐縮です。
そんなことで、ラジオ番組をやる、なんていう子どもの頃から、思ったこともないことを考えるようになり、私の視野も広がりました。
例えば、ブログでは、歌詞を載せることに制限や手続きがあり、今の私のやり方では、ちょっと面倒なのが本音です。
が、ラジオ番組なら、その辺は解決しています。
また、お母さんや子どもたちの生の声を紹介したいな、と思った時、文章にする方法もある一方で、まさに「声」を出せるのも魅力です。
ということで、どなたか、私がTOKYO FMで番組を始められるよう、計らってくださる方は、いらっしゃいませんか?
きっと、楽しいだろうな、と思います。
2016年
8月
19日
金
<お知らせ>
今週末、8月20日(土)・21日(日)の二日間、東京・有楽町の国際フォーラムにて「東京都私立学校展」が開催されます。
東京にある私立の小・中・高校が一堂に会する最大の私学イベントです。
私は、両日とも午前10時〜午後4時の開催時間中、会場におりますので、ぜひ足をお運びください!
小学校エリアの「むさしの学園小学校」ブースに声をおかけいただければ、すぐに出てまいります。
「私立小学校なんて、考えてもいないので…」と気後れされる必要はありません。二日間で5万人以上が来場する超大型イベントです。むしろ、毎年、特に初日は開会前に長蛇の列ができます。少しゆっくりお越しになることをオススメします。
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「あ~気持ちよかった…」
と、マッサージの後、思わず声が出てしまうことがあります。
私はパソコンに向かっていることも多いため、肩こりに悩まされることがあります。
そして、教師という仕事、特に私の勤める学校では、たくさんの問題を子どもたちに解かせることを大切にしているため、丸付けは、私たちが子ども達の机を回ります。
すると、当然、中腰でいる時間がふえるため、腰痛に参ってしまうこともあります。
さて、最近は腰痛は精神的なものだ、という説を耳にするようになってきました。
例えば、最近、目にしたのは、こんな記事です。
「本当の原因は"脳の錯覚"だった!?慢性腰痛の最新事情」(週刊朝日)
そうなってくると、マッサージなんて、一体、何の意味があったのか、湿布って、一体、何の役に立つのか、ということになりますが、「脳の錯覚」という考え方は、いろいろな場面で、役に立ちそうです。
特に、学校生活を考えると、「脳の錯覚」は、とても多いのではないかと私は思います。
もちろん、厳密な意味での、錯覚ということではなく、より正確に言うと、「解釈」ということになるのでしょうが、腰痛でさえ、「脳の錯覚」なら、日々のトラブルも、自信のなさも、悲しみも、怒りも、
「あ、錯覚でした」
で、済んでしまいそうです。
「人を呪わば、穴二つ」
と言います。呪われるのも、悪態をつかれるのも、本当に嫌ですが、誰かに腹を立てたり、悪態をついたりして、最も損をするのは、呪っている本人です。
早いうちに、自分で、自分の気持ちを整えて、いい気持ちになっておいた方が、圧倒的に得です。
腰痛でさえ、脳の錯覚。
なら、この怒りも、不安も、悲しみも錯覚。
気持ちの切り替え上手は、勉強の成果も上がります。
2016年
8月
20日
土
<お知らせ>
今日・明日、8月20日(土)・21日(日)の二日間、東京・有楽町の国際フォーラムにて「東京都私立学校展」が開催されます。
東京にある私立の小・中・高校が一堂に会する最大の私学イベントです。
私は、両日とも午前10時〜午後4時の開催時間中、会場におりますので、ぜひ足をお運びください!
小学校エリアの「むさしの学園小学校」ブースに声をおかけいただければ、すぐに出てまいります。
「私立小学校なんて、考えてもいないので…」と気後れされる必要はありません。二日間で5万人以上が来場する超大型イベントです。むしろ、毎年、特に初日は開会前に長蛇の列ができます。少しゆっくりお越しになることをオススメします。
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「お肉を食べるなら、お野菜もイッパイ食べなきゃダメ!」
と、お子さんにおっしゃたことのあるお母さんも多いでしょう。
お子さんの何に困っているか、お子さんが小さいうちは特に、「偏食」だという方は多いようです。
そんなお母さんにとって、朗報なのか、迷惑な情報なのか、こんな記事がありました。
「気力がない人は例外なく『体力』が足りない クヨクヨする暇があるなら肉を食え」(東洋経済オンライン)
この記事によると、欧米人との比較を考えれば、日本人は、もっと安心して肉を食べていいはず、とのことでした。
まして、長寿の秘訣は肉食だ、というのも耳にします。
何かのテレビ番組でも、週に一度のステーキが楽しみでたまらない、というおばあちゃんを見たことがあります。
にもかかわらず、肉をたくさん食べさせることへの罪悪感は、なぜなのでしょう…
「肉」はぜいたく品だ、という日本人の精神文化なのでしょうか?
「肉」より魚がいいに決まっている、という固定観念なのでしょうか?
このような健康にまつわる話は、何が本当で、何が嘘で、どういう人には当てはまって、どういう人には当てはまらないか、内容がデリケートなものにもつながりやすく、難しいです。
私が今日の記事で提案したいことは、
「一般的に、ダメと思われていることも、案外、平気なこともあるのでは?」
と、肩の力を抜いてみることです。
毎日、朝から晩まで、牛肉しか食べない、ということもないでしょう。
もし、そこまで偏食がひどいなら、それを特性として受け入れて次の手を考えないと、先に進まないですね。
この記事を読んだ、おととい、私は、去年(!)、いただいた「上質な牛肉」をすぐさま解凍しました。
いつか、すき焼きでもしようか、と貯めこんでいた「上質な牛肉」
いくら冷凍とはいえ、去年というのも、貯めすぎですし、思い切り食べてやろうと思い、準備を始めました。
こうなったら、タレも作ろうと、ネットを検索し、足りないものを買いに行き、自然と野菜もたくさん買っていました。
「コレステロール…脂肪…」
そんな小声が聞こえないほど、たっぷりお肉を食べ、野菜もたくさん食べ、意外とごはんは少しだけで、心が豊かな食事が終わりました。満足、ということです。
この満足という感覚は、とても大切です。
子ども達が心から満足して遊んだあとは、勉強への集中度も高いです。
面倒なことでも、素直によく聞きます。
遊びでも、食べ物でも、心から満足させることを大切にすることが、重要です。
2016年
8月
21日
日
ポケモンGOの問題点は、歩きスマホなのか?
ポケモンとハワイの共通点とは。
今さらな感じもある、ポケモンGOの話題。
かくいう私は、初めから、やる気まんまんで、楽しみに日本での解禁を待っていたのですが、初日、どれが正しいポケモンGOなのか、不安になり、ちょっと様子を見てしまいました。
その後、結局、やっていますが、あれだけの人だかりだった夜の井の頭公園も、2日たち、3日たち、人は減っていきました。
そこで、あらためて感じたのは、あのお祭り騒ぎの中で、感じたポケモンGOの問題点です。
問題の代表は、やはり、歩きスマホの危険性でしょう。
ところが、それは、私にとっての問題ではないのです。
なぜなら、私は歩きスマホで、一度、木におでこをぶつけてしまったことがあるのですが、それは、ラインをしていたからなのです。
ポケモンGOが、歩きスマホを助長する面は確実にあるにしても、私にとっては決定的な問題点ではありません。
そして、地域格差についても、よく記事を見ました。
都心にばかり、スポットが多く、地方を盛り上げるなんてムリ、という話です。
確かにそうだと思います。
とはいえ、私の場合、ポケモンGOのために、どこかに、あえて出かけようとは思っていません。都内だとしてもです。
吉祥寺界隈で見かけるポケモンGOユーザーは、年齢層は、そこそこ高めかと感じます。そういう大人ユーザーなら、ポケモンのために旅行をしたり、そこでお金を使ったり、という地域の盛り上げ効果は、そもそも限定的なのかな、と思います。
ということで、結論です。
私が感じている問題点は、「あまのじゃく」です。
なぜ、解禁初日に、ダウンロードしなかったか。
本気でしたければ、詳しい同僚に聞いてもよかったのです。
少なくとも、数日後には、その人がやっていると、聞いたのです。
でも、しばらくやらなかった。
そこには、
「みんなと同じになんて、なるものか」
という、あまのじゃくな心理があったと思います。
しかも、しばらくしてから、始めたのです。
そんなことなら、初めからやればいいわけで、
「素直になる」
「とりあえず、やってみる」
ことって、大切だな、と感じました。
ここまでの話をひっくり返してしまうようですが、結局、私はやったのです。
いつまでも、意地を張らず、ポケモンの文句も言わず、始めました。
そして、多少、人の減った井の頭公園界隈で、楽しみました。
人の声にばかり左右されるのも問題ですが、素直にやってみることも大切です。
同じように、意地を張らずに、素直に多くの人の声に従って、本当によかった、と思ったのが、ハワイです。
いや、こんなにいいなら、もっと早くに来たかった…
マイルも、以前はあったのに…
もう、ポケモンには飽き始めた私ですが、素直にやってみて、よかったと思っています。
あなたも、何か意地になっていることはありませんか?
2016年
8月
22日
月
「生きているだけで、素晴らしい」
人と比べると、自分の方がダメなところ、劣っているところは、たくさん出てくる。
あるいは、人よりもいい、優れていると、勝手に思えるところも、たくさん出てくる。
もう、比べても仕方がない。
「生きているだけで、素晴らしい」
先日、すでに退職された先輩を訪ねました。
そして、ある卒業生の話になりました。
その卒業生は、クラスメートの多くが某国立大学や、某私立大学に合格できたというのに、自分はできなかったと、とても恥じていたのだそうです。
浪人して、再チャレンジすることもできました。
が、偏差値的に、ワンランク下の学校に行った。
それをどうしても、言いたくない、と言っていたそうです。
どちらの選択も、正しいと言えるし、もったいないとも言える。
私は、本人が決めたことを応援したいと思います。
私も、受験では失敗したことがありますから、わかるような気がします。
偏差値というのは、「便利」ですね。
数字で、いいか悪いか、序列が明確です。
私は偏差値には、意味がないと、吠えようとも思っていません。
ただ、偏差値以外にも、人の魅力がたくさんあって、そういう要素をたくさん感じられる人でありたいな、とは思います。
私の勤める学校では、中学受験をする子が多いので、子ども達の会話で、偏差値や中学の「名前」ばかりが独り歩きしそうだな、と感じたことがあります。
それは無理もないですね。
わかりやすいんですから。
あるクラスで、私は偏差値以外の要素について、話をしました。
すると、子ども達は、それはわかっている、と言いました。
なら、もうそれでいいな、と私は感じました。
当然、その後も、偏差値の話や学校の名前の話は、子ども達の間で出たに決まっています。
が、「ダメだダメだ」と、押し付けないことにしました。
いざ、という時には、また、何か言おうと思いましたが、それよりも、私自身が、偏差値やら勉強面やら以外の要素も、認める姿勢であることが、一番大事だと思いました。
さて、冒頭に書いた先輩の話に戻ります。
その先輩は、しょげた卒業生に、
「あなた、生きてるだけで素晴らしいんだから、クヨクヨしないの」
と、豪快に言い放ったそうです。
こういうことをいう時は、しんみり言わずに、豪快に、ゲラゲラ笑いながら言うぐらいが、ちょうどよさそうです。
2016年
8月
23日
火
お母さん、お子さんの好きなもの、いくつご存知ですか?
先日、低学年で、「予想ゲーム」という遊びをやったそうです。
「四角いもの」などのお題を教師が出し、誰か一人が前に出て、教師の前で、自分のイメージした「四角いもの」をメモします。そのメモしたものをグループで話し合って、当てるというゲームです。
すると、子ども達は、
「あの子は、電車好きだから、電車関係じゃないか」
とか、
「いや、前にケーキが好きだって言ってたよ」
などと、その子のことをよく知っていて、受け入れているんだな、ということが自然と伝わってきたそうです。
お母さんという立場からすると、迷惑な子、できれば関わってほしくないような子もいると思います。
が、子ども同士の感じる力というのは、大人とは、また違った強さを持っています。
子ども同士の会話から、感じられることも、また、たくさんあります。
とはいえ、そう思って、聞き出そう、知ろうと身構えると、これがまた、子どもにはすぐにバレます。
以前、私にこんなことをおっしゃったお母さんがいます。
「私は、我が家に友達をたくさん呼ぶのが好きなんです。どんな子がいて、どんなことを考えているか、すぐにわかりますからね」
言葉にすると、違和感がないのですが、実際にお話を伺っていると、
「うん?尋問的?スパイ的?」
という印象を受けました。
すると、そのうち、この子の家には友達が行くのを避けるようになってしまいます。
意識をしていない時に、ふと耳に入ってきたこと、目に入ったことにこそ、意味がありそうです。
2016年
8月
24日
水
欲しいものは、欲しいと言う。
やりたいことは、やりたいと言う。
ハッキリ伝えることで応援してもらえるけれど、一方で、
欲しいと言われると、あげたくなくなる。
やりたいと言われると、させたくなくなる。
というのも、よくある話。
その違いは、どこにあるんだ?
先日、ブログで、TOKYO FMでラジオ番組をやりたい、という話を書きました。
すると、ありがたいことに、ある方に、
「私も、声がいいな、と思っていたんです」
という言葉をいただきました。
本当にありがたいことです。
やはり、ハッキリと、自分のしたいこと、欲しいものを伝えることが大事だと思いました。
ところが、あんまり、アレしたい、コレ欲しいと言っていると、反感を持たれることもあります。その違いは二つの側面があるのではないかと思います。
まず、しつこさです。
私のラジオの話、あれ以来、毎日、毎日、時にはフェイスブックでも、ツイッターでも、となってくると、辟易してきます。
言い過ぎはよくないようです。
そして、モジモジしていないかです。
言うなら、ハッキリ、スパッと言わないと、伝わりません。
自分の中にある、恥ずかしさ、モヤモヤを超えずに、モジモジしていると、相手がイラッとします。
「私、ちょっと恥ずかしいんですけど、今まで誰にも言わなかったんですよ。まあ、でもこの機会だから言いますね。あ、黙っててもらえますか?できなかった時、恥ずかしいですし…でね、私は、ラジオ番組をやってみたいんです。しかもTOKYO FMですよ。あり得ないですよね…」
もう、書いてるだけで疲れます。
でも、つい自分に自信がないと、言い訳がましくなり、こんな会話にもなってしまうのではないでしょうか。
ということで、お子さんの希望を聞く時には、
・短く
・ハッキリ
話すよう、練習したいものです。
2016年
8月
25日
木
お子さんが動きやすい言葉かけのヒント3つ
「ウチの子、声をかけたら、わりとすぐにやりますよ」
と、私におっしゃったお母さんは、今、思いつくだけで、二人います。
一人は女の子のお母さん、もう一人は男の子のお母さんです。
男の子のお母さんが…!
そう衝撃を受けた方もいらっしゃるかもしれません。
大丈夫です。
そういうお母さんは、特に男の子の場合、ごくごく少数派です。
私にしてみても、声をかけて、すぐにサッサと動いてくれたら、とてもいいですよ。いろいろな意味で、ゆとりも出ます。
が、なかなかそうはいかない。
そこで、この二人のお母さんと二人の子どもを思い浮かべ、お子さんが動きやすい言葉かけに特徴がないかを考えてみることにしました。
思いついたのは、まず、
「内容が具体的」
ということです。
何をどれぐらい、やらせたいかが明確です。
これは、男の子の方のお母さんがおっしゃっていました。
もう、厳しい秘書っていうぐらいの細かさでした。
ただ、ご想像しやすいとは思いますが、お母さんの希望通りのことをさせようとすると、これは破たんします。
「そんなにできない」
「イヤ」
という話になります。
その点は、要注意です。
次に、
「時間が限定的」
です。
朝から晩まで、いつ終わりになるんだ!
と、子どもが思うと、やる気を失います。
時間のメリハリは、気持ちの整理と似ているかもしれません。
そして最後に、
「一緒にいる」
です。
これは厳密には言葉そのものではありません。
言葉のかけ方、あるいは、かけた後の関わり方です。
言いっぱなしは、どうもうまくいかないようです。
これは二人のお母さんとも、特にお子さんが小さいうちは、そうされていたそうです。
この3つ、文字にすると簡単ですが、実際に生活で取り組むのは、なかなか難しいです。しかも、続けるのは、大変です。
できるところから、できる時に、という程度の気楽さで、ヒントにしていただけたら、光栄です。
2016年
8月
26日
金
一度は、全く逆も考えてみた方がいい。
「なんで、こんなにバカ騒ぎするんだ?」
と、思わずにはいられない時は、それぐらい、不安なのかな、などと逆の方向に考えてみると、ヒントになることがあります。
この例は、たくさんありすぎて、どれを書こうか、というぐらいです。
直感力なんて、私にはないと思っていました。
が、素直に、心に湧いてきたことには、それなりの意味がありそうです。
授業中、何かの刺激で、すぐに口が開く人は、迷惑な人、ということではなく、それだけ神経質な人、何かに困っている人、というとらえ方をするようにしてから、まず、私が気にならなくなりました。
起こったり、小言を言う前に、
「どうしたの?」
と傍に言って、ささやけることも増えました。
※毎回ではありません…
あえて言葉にしなくとも、私の受け止め方が変わると、相手に伝わるものがあるのでしょうか…
気づくと、口数が減っているということが、ありました。
静かにしていたい。
うまくやりたい。
と、子ども達は思っています。
けれど、できない。
それは、多くの場合、できないことへの不安、できなかったことへの自戒なのではないかと感じます。
「大丈夫」
と、明確に声をかけてあげることも、いいでしょう。
言葉が思いつかないなら、黙ってみていることも、意味があります。
迷惑な人、ではなく、困っている人、と逆に考えてみることは、行き詰った壁を壁でなくするヒントです。
2016年
8月
27日
土
思い込みの恐ろしさ。
先日、ポルシェのディーラーに行きました。
営業マンから、話を聞き、試乗もしました。
もちろん、そんなことで決まるわけもなく、契約のけの字もないまま、帰宅しました。
ただ、そんなことは、車屋さんなら、ポルシェだろうが、ベンツだろうが、トヨタだろうが、中古車だろうが、当然でしょう。
そして、帰宅後、ネットで、いろいろな記事を見ていました。
そこで、目に飛び込んできたのが、
「徒歩で(車なしで)ポルシェを身に行ったら、受付で無視された」
「ベンツに乗っていったら、ロールスロイスに乗っていたお客を優先された」
などという記事でした。
なるほど。そうなのかもしれません。
お店に行く前に見ていなくて、よかったな、と思いました。
少なくとも、私自身は、駅から歩いてディーラーに行き、受付の人に目的を伝え、営業の人と話して、嫌な思い一つせず、帰ってきました。
「それは、気づかないおバカなんだよ」
とも言えます。
実は、裏では、
「歩いて来るなんて客は適当にしとけ」
と、言われていたかもしれません。
繰り返しますが、私自身は、そんな気配を感じなかったのです。
「実は、裏では…」
と、考える必要があるのでしょうか?
そう思われていたかもしれないし、私が感じたように、何とも思われなかったかもしれない。
わざわざ、「裏では…」と考えるということは、常々、
「自分は、軽く扱われる人間なんだ」
と自分で考えている、ということです。
「こんな自分はダメ」
と考えていると、全てがそういうように、とらえられます。
もしかしたら、歩きでポルシェに行った人は、緊張のあまり、トゲトゲしていて、声をかけるなよ!とオーラを発していたのかもしれません。
もしかしたら、ベンツでポルシェに行った人より、ちょっとだけ、ロールスロイスで来た人の方が早かったのかもしれません。
今回の記事は、車だ、ポルシェだ、ということで、お母さん方には実感を持ちづらかったかもしれませんが、話を学校や塾や、友人関係に置き換えても、同じことです。
学校では、
「いつも、この子は、私が来ると、避けて行っちゃう」
などということがあります。
本当にそういう時もあるし、傍で見ていて、それは考えすぎだな、という時もあるのです。
思い込みが偏ると、現実の生活を大きくゆがめることにつながりそうです。
どうせなら、自分は大丈夫、という思い込みを持ちたいものです。
※作家の林真理子さんは、いじめられていたことを、「この子たちは、こんなに私のことが好きなんだ」と思って、疑わなかったそうです。
私は、ディーラーに置いてあった、真っ赤なボクスター(二人乗りのオープンカー)を買うことはできませんでした。いろいろな意味で…
まだ、私には時期ではないのでしょう。
でも、それは私がダメということではない。
むしろ、ここで無理をして、買っていたらダメ、と今の私は感じます。
ただ、それも私の偏った思い込みなのかもしれません。
いつか、自然と真っ赤なポルシェを買える日が来るのだろうと思います。
あるいは、来なくても、別にいいのだと思います。
2016年
8月
28日
日
え?ウソ!?
ウチの子、ゲームやらなくなった…
ということが起こるヒント
死ぬほど、やらせてみる。
「あ〜そういうことですか…そんなことしたら、本当に死ぬまでやりますよ、ウチの子は。」
〜ですよね。そりゃ、そうですよね。あんなにやらせてあげたのに、全然、満足なんて、しなかったですもんね。もう、イライラしていることをひた隠しにして、言うまい、言うまいと、何度も自分に語りかけ、見るまい、見るまいと、あえて買い物に出かけ、帰ってみたらゲームをやめて、宿題やってたら最高なのに、とわずかな期待を持ちながら、ドアを開けてみれば、あのゲームの音…もう、こんな絶望はしたくない…
ご家庭に限らず、学校だって、子どもの気持ちを切り替えさせることは、とても大事なことです。
「学校」という社会的な場だからこそ、集団性のプレッシャーもあって、ご家庭よりは、切り替えをキチンとできるものですが、そうは言っても、おしゃべりに夢中になったり、すべきことに集中できなかったりすることもあるものです。
一方で、チャイムや笛など、「強制力」のきっかけなどなくても、子どもが自然に勉強に集中することもあります。
それは、子どもが楽しい課題だから、とも限らないのです。
淡々と、書いたり、問題集を解いたりという授業でも、集中することもたくさんあります。
では、その秘訣は何か。
課題の前に、しっかり遊んでおくことなのです。
しっかり体を動かしておくと、心が真に満たされるようです。
すると、「あ〜嫌だな」の気持ちが湧いてこないのです。
心の底から満足するということは、建物の基礎にコンクリートをしっかり打ち込むことと同じです。
自分は何をすべきか、という「建物」を作る上で、満足という「土台」がないと、グラグラしてしまいます。具体的には、気が散る、ということです。
先日、無性にポケモンGOをやってみたくなりました。
卒業生の大学生と話していて、どうすればいいか、教えてもらったからでしょう。
小雨も降りそうな、先週の土曜日の夜。
妻は予定があり、帰宅は遅くなる日。
ご飯も炊いておき、料理は野菜炒めでも作るか、と材料は買ってある。
誰にも迷惑はかからない状況です。
にもかかわらず、やりたいのに、妙な罪悪感が心の中にあることに気づきました。
吉祥寺界隈といえば、誰に見られるかもわからない。
先生が夜に出かけて、ポケモンに夢中なんて、いいのだろうか。
こんなオジサンが、スマホ片手に明らかにポケモンしてるなんて、恥ずかしい。
こんな時間から出かけると、夕食は9時近い…体に悪い…
結局、私は行きました。
動物園の周りも歩き、もちろん、池の周りも歩き、玉川上水沿いも歩きました。
いやあ、満足した〜
やはり、「心の底からの満足」が重要なのです。
イライラしながら、不安を持ちながら、ヒヤヒヤしながらでは、何十時間やっても満足なんてしません。死ぬまでやっても満足しないわけです。
ポケモンなり、ゲームなり、お子さんがハマってしまっていることをやめさせたいなら、お子さんは、どうすれば心の底から満足できるかを考えるチャンスです。
ゲームそのものが本当に楽しいなら、その楽しさを一緒に味わうことが、意外と効果的です。自分の好きなことをお母さんも一緒に楽しんでくれた、ということは、満足感を大いに高めますから。
実は、ゲームそのものには関心がないこともあります。
お母さんも一緒に楽しんでくれたら、それでいいんだ、という子も多いのです。
お母さん!
もしかしたら、お母さんご自身が、何か自分の好きなこと、楽しいことに没頭したり、欲しいものを後先考えずに買ったりすることに、何がしかの抵抗感がありませんか?
あるいは、
「子どもにそんなワガママさせて、ダメな親ね!」
と、誰かに言われることが嫌なだけではありませんか?
先日、私は、お肉を好きなだけ食べていい、という記事を書きました。
すると、とあるお母さんが、
「先生、あれを読んで、気が楽になりました」
と声をかけてくれました。
ご自身は、本当はお肉が好きだけど、お子さんの手前、我慢していたのだそうです。
お母さんが我慢していたら、お子さんも我慢しないわけにいきません。
上司が早く帰ってくれないから、部下が早く帰れないわけです。
どうやら、大人の方こそ、心の底から満足することは、子どものためになるようです。
2016年
8月
29日
月
ラインの言葉に思うのは、日本語の堕落…
ではなく、空気を読むことの重要さ。
今年の私は、放課後の預かりも担当しているので、指導員としてやってくる大学生と頻繁にラインのやりとりがあります。
初めはメールでシフトのことや連絡事項などを伝えていたのですが、ラインを使うと、とても楽チンになり、本当に感激しました。
私にとって、何が楽かというと、1回に送るメッセージが短いことです。
メールだと、実際の手紙ほどではないにせよ、ちょっとした挨拶をつい、入れてしまいます。
が、ラインでは要件をサラッと書けます。
それでも、大学生たちの返信は、さらにサラッとしていることもあります。
そういえばテレビで見かけた女子高生のライン用語は、ものすごいと思いました。
すごいなあ、と素直に思ってしまいました。
これを日本語の堕落だ、ということもできるでしょう。
が、あの一言で察し合える力というのは、ある意味で、日本人らしいな、とも思います。
以前、フランスから帰国された方とお話をしていて、当時はやっていた、「KY」という言葉について、話が盛り上がったことがありました。
フランスでは、そういう言葉は成り立たないのではないか。
フランス人なら、そんな回りくどいことは言わず、ズバッと、
「あなた、それやめて」
と言ってしまうから…
というお話でした。
「まったく、親は年寄りはウルサイ~」
と言いつつ、実のところ、親や年寄りより、空気を読んだり、周りの場を壊さないことを大切にしたり、しなくちゃならないって、複雑だな、と思ったのを覚えています。
次のクラスを担任することがあったら、ご家庭からの連絡帳に、
「り」
と書く勇気は、私にはなさそうです。
が、こういう若者言葉を見るにつけ、私は日本語の堕落よりも、むしろ、どんどん、周りを気にしなくてはいけない空気の強まりを感じます。
「わたしは、わたしで、いいんだ」
は、私の大事なキーコンセプトですが、これを心の底から納得して、そうあり続けることは、なかなか、心のハードルの高いことです。
まず、私がそうありたいと、日々、練習しています。
2016年
8月
30日
火
2016年
8月
31日
水
困っているお子さんをどう助けるか。
相手のお宅に怒鳴り込むだけが能じゃない。
そんなことより、お子さんの気持ちをできる限り引き出すことがいい。
それは、お母さんだからこそできる、お子さんの心をたくましくするヒント。
明日から2学期という方も多いでしょう。
長い2学期は行事も多く、まさに実りの秋。
素晴らしい時間になると思います。
とはいえ、都合のいい実りばかりではありません。
長い目で見れば、とても意味のあることだとしても、目の前では、辛いトラブルに巻き込まれることだってあると思います。
そんな時、お母さんとしては心配のあまり、どうしていいか、わからなくなってしまうこともあるでしょう。
身に覚えのないことで、悪口を言われたり、関係が悪くなったり、など、腹が立って、つい相手のお宅に怒鳴り込みたくなることだってあるかもしれません。
時には、そういうこともいいと思いますが、多くの場合、そのようなやり方は、トラブルを大きくしたり、余計に目に見えなくしたりすることになります。
ということで、私が一番、お勧めしたいのは、お子さんの気持ちをできる限り引き出すことです。
男の子のお母さんなど、お子さんがうまく言えなくて、歯がゆかったり、イライラしたりすることも多いと思いますが、それでも辛抱強く、気持ちを引き出すことはとても大切です。
そして、
「きっと、こうだ」
「こうに違いない」
といった、誘導尋問ではなく、
「ほう!こんな気持ちだったのか」
「へえ、こんな見方ができるようになっていたのか」
と、新しい発見をするつもりで、話を聞くといいでしょう。
私自身、教室で、何十回、何百回と、トラブルにまつわる話を聞いてきました。
初めのうちは、なんとか解決しようと肩に力が入っていました。ですから、子どもも本音をきっと言わなかったと思います。
が、次第に、今まで思いもしなかった気持ちや状況を発見できる楽しさにハマってしまい(?)、子どもの話を聞くことが楽しみになってしまいました。
トラブルに巻き込まれている子、本人の辛さや大変さは、言うまでもありません。
とはいえ、相手のあることですから、話し合いだけで解決するなんて、なかなかありません。
ところが、お子さんが自分の気持ちを受け止めてもらえた、と納得できれば、自然と気にならなくなることも多いのです。
この会話に費やした時間は、忙しいお母さんにとって、惜しいと思われるかもしれませんが、長い目で見れば、お子さんの心をたくましくする、素晴らしいものなのです。