2016年
7月
01日
金
見て見ぬふりをする大切さ
2016年
7月
02日
土
意外と要注意な言葉
「やればできる」
子どもが一気に、やる気になる魔法の言葉を教えてください!
そう言われたことがあります。
もう何年も前のことですが、
う〜ん…
と悩んでしまったのを覚えています。
言葉だけで人を動かすのは難しいと、私は思っていますが、
とはいえ、言葉にも大きな力があります。
皆さんも、誰かからかけられた言葉で、励まされたり、やる気になれたり、
あるいは、一気にやる気を失ったり、腹が立ったりしたことがあるでしょう。
さて、そこで、今日、皆さんに気をつけてほしいな、という言葉を一つ、ご紹介します。
それは、
「やればできる」
です。
え?
少し前は、よくCMで耳にしましたけど?
ですよね。
実際、私も、時々、子ども達に言ってしまうことがあります。
が、これは、やはり要注意な言葉です。
ちょっと気をつけてみると、わかっていただけると思います。
やればできる、ということは、今はできていない、ということです。
つまり、励ましてはいるけれど、現状の否定がスタートということなのです。
敏感な子は、その前提を理解し、
「私って、ダメなんだ」
と、思ってしまいます。
一般的には、それほど気にすることではないのです。
たとえ、今がダメでも、何度かやっているうちに、成功を体験し、
「だいじょうぶ。できるようになった!」
と、自信をつけていくからです。
ですから、
「やればできるよ」
と、声をかけてはダメというわけではありません。
気をつけたいのは、敏感で、繊細な子です。
こういう子は、人一倍、わかってもらいたいし、認めてもらいたい。
でも、うまくやれなかったらどうしよう…
と、人一倍、失敗を想像して、動けずにいます。
そんな子に、
「やればできるんだから」
と声をかけると、
「だよね。やっぱり、今のボクはダメなんだよね。やっぱり、お母さんはそう思ってたんだ」
と、そこまで思ってないよ!というレベルまで、どんどん、自分を責めていきます。
そんな子たちの心のメカニズムに気づいてから、私は、
「だいじょうぶ。できなくても平気。いや、普通はできないよ」
と、声をかけることもしています。
この声かけのいいところは、
・できなくても平気、という前提を教師が示した。
・よ〜し!普通はできないことをやってやるぞ!という気になる子が出る。
などがありました。
まあ、あの手この手ですね。
絶対にうまくいく言葉もないし、絶対にダメな言葉もありません。
いろいろ、試していきたいですね。
2016年
7月
03日
日
2016年
7月
04日
月
急いで許さなくていい。
でも、煮えたぎった気持ちは、早く終わらせた方がいい。
つまり、
「水に流す」
ケンカをして、悔し泣きしている我が子…
悔しいのもわかるけど、聞いてみると、相手にも言い分があったみたい。
「もう、許してあげなよ」
そう言いたくなるなんてこと、ご経験はありませんか?
人を許せる広い心を育てることは重要だとは思うけど、一方で、すぐに許すクセがつくのも、ちょっと心にオリが残るような気がします。
それに、許すというのは、少し相手のためにしてあげる、というニュアンスも含む場合があります。
例えば、
「ほら、もう許してあげなよ」
という言葉。
許して「あげる」のです。
これは、相手のための心の働きですね。
トラブルになるたびに、譲ることを求められているのは、あまりいいことではないように私は思います。
でも、もちろん、ずっと腹の中を煮えたぎらせていていいわけがありません。
この怒りは、何らかの方法で、収めてあげる必要があります。
そんな時、
「水に流す」
という意識が、役立ちます。
トラブルの直後に、
「はい、もう水に流しなさい」
では、納得もできないでしょう。
が、十分に、いや、十二分に、煮えたぎった腹の中を聞き、時には、大人の方が、お子さんが引いてしまうほど腹を立ててやった上で、水に流そうか、と提案するのも、一つの方法です。
そして、許さなくていいんだよ、と認めてあげることがいいのです。
トラブルが起きる。
先生が呼ばれる。
言い分を聞く。
お互いに謝る。
お互いに許させる。
それがパターン化しすぎると、表面上は解決しても、腹の中では納得できていません。
本当の意味で、許せていません。
だから、急に許す必要なんてないのです。
でも、自分の中の、煮えたぎった気持ちは流してしまう。
すると、自分を振り返ったり、相手の立場を考える心のスペースができるのです。
許すことを求めない。
気持ちをたくさん聞いて、
水に流すことをアドバイスする。
まあ、そう簡単ではありませんが、試してみる価値はあります。
2016年
7月
05日
火
今日、道で、ばったり卒業生と会いました。
そんなに何年も会っていなかったわけでもないのに、懐かしく、少しの間、話し込み…ませんでした。
気恥ずかしさのようなものもあったのか、交わした言葉はわずかでした。
が、別れた後、とても温かい、穏やかなぬくもりを心に抱いている自分に気がついたのでした。
その子は、口下手なところがあり、担任していた時など、なかなか本音が見えず、不安になったこともありました。
が、一緒に過ごす時間が増えるうちに、自然と関わりも深まり、あえて言葉を介さなくても、何となく感じられるような気がしていたことを思い出しました。
私は、言葉の断捨離子育てを提案しています。
言葉で授業をすることが求められる、現役教師の私だからこそ、言葉に頼りすぎない子どもとの関係を大切にしたい、と思っています。
心の中に湧き上がった感情を伝えたい!
この思いをわかってほしい!
けれど、心の中で、玉虫のように色々な色に光る感情を、100パーセント思いのままに、言葉で表現することはできません。
たとえ、自分が満足出来る表現ができたとしても、相手が自分の訴えたいように受け取る保証はどこにもありません。というよりも、相手は相手の解釈で受け取るのですから、自分が望む100パーセントの理解をしてくれることもありません。
だからこそ、行間ににじむこと、とでも言いますか、あえて言葉にしない空気を大切にしたいな、と私は思います。
そんな私ですが、言葉が増える時があるんです。
それは、私が不安になっている時です。
授業でも、誰かとの会話でも同じなんです。
口数が多い時は、不安を埋めようと、頭をフル回転させ、思いついた言葉をどんどん出している時です。
この気づきは、何年か前、突然、授業中に閃きました。
「あ…自分が不安になってる…グッとこらえて、口を閉じよう」
これは、私にとっては、転機となる気づきだったと言えます。
口から生まれてきたというほど、たくさんしゃべれる、早口な私。
流暢に話せる私。
それを全部、捨てて、子どもと関係を作ることを選んだ瞬間でした。
もちろん、これは私の例です。
全く逆のことが、人生を変えるヒントになる人もいます。
あなたはどうですか?
2016年
7月
06日
水
レディネスという言葉があります。
2016年
7月
07日
木
七夕の夜に送る、お子さんの願いを叶えるヒント
今夜は七夕です。
年に一度、出会うことを許された織姫と彦星に思いを馳せてもいいですし、
馳せなくてもいいのですが、お子さんと願い事を短冊などに書いた、
という方もいらっしゃると思います。
お子さんの書いた願い事を見て、どう思われましたか?
私の勤める学校でも、毎年、笹を用意して、願い事を書いています。
低学年では、子ども達の書いた短冊は、取り外して、画用紙に貼り、
ご家庭にお返ししています。すると、いろいろな感想をいただきます。
・いやぁ、叶わない夢書いて、幸せですよね〜
・こういう現実的な願い(コンビニ店長になりたい)って、悲しいですよね…
・もぅ〜いつでも、カネカネ…嫌だわ〜
まあ、言いたい気持ちもわかりますが、そう言わずに、お子さんが書いた願いは、
どうであれ、尊重したいものです。そして、その奥にあるホンネを想像して、
子ども達が、実は願っていることを叶えるお手伝いをしたいですよね?
どういうパターンの願いであれ、
「なって、どうしたいの?」
と聞いてみましょう。
そこに、ちょっと恥ずかしい、と本人が思っているかもしれない、
ホンネが隠れています。
ある時、
「大金持ちになりたい!」
と書いている子がいました。
そこで、私は、
「なって、どうするの?」
と聞いてみました。すると、答えは、
「…」
考えていなかったそうです。
つまり、その子にとって、お金は、何かしらのやりたいこと、
欲しいものなどを手に入れる、可能性の具体物だったんですね。
こういう子の場合、
「お金なんて、いやらしいわよ」
という捉え方ではなく、その大金をどう活かすか、ということを一緒に考えると、
お子さんの可能性は広がります。
あるいは、お母さんから見て、まあ、無理だ…と思う夢だった場合です。
明らかに運動神経が鈍いのに、プロスポーツ選手になりたがっていたり、
現実ではないキャラクターやヒーローになりがっていたりする場合です。
それにしたって、
「なって、どうするの?」
と聞いてみると、単純に誰かの夢やテレビなどの影響で言っているだけなのか、
何かしらの目的があるのか、がわかってきます。
実は、お母さんのことを助けたい、と思っていることがホンネにあることに、
気づくことになるかもしれません。
つまり、どういう願いであれ、お母さんが真剣に一緒に考えてくれた時間、
それ自体に価値があり、お子さんは、自分の願いを真剣に考えていいんだ、
と自信を持てるようになるのです。
ぜひ、
「まあ、なんでこの子は、こんな夢を…」
と、思わずに、
「へえ〜で、なって(手に入れて)、どうするの?」
と、軽い気持ちで聞いてみてください。
きっと、素晴らしい時間を過ごせると思います。
って、もう七夕の夜10時…
お子さんといい時間を過ごすには、遅すぎましたか…
でしたら、大人同士で、夢を語り合ってみても、いいかもしれませんね。
2016年
7月
08日
金
2016年
7月
09日
土
理由なんていらない。
ただ、やるだけ。
「なんで?」
この質問は、子どもの知的好奇心を高める、素晴らしいものです。
が、お母さんなら、多くの方が経験されたでしょうが、あまりにしつこい「なんで?」攻撃(?)にうんざり…
お子さんが小さいうちは、本当に知らない、わからないので、好奇心から「なんで?」と言っているかもしれません。
しかし、少し大きくなると、嫌です。という意味で、「なんで?」ということも出てきます。
そんな時は、理由なんて言わない方がいいのです。
ああ言えば、こう言う、の口喧嘩になってしまうと、本来、やるべきことがどこかへ行ってしまいます。勝ち負けの世界、意地の張り合いになります。
なんのかんの言っても、やって、体で覚えていくのが一番、ということが多くあります。
習ったばかりのひらがなやカタカナ、漢字…
あるいは、計算方法など、何はともあれ、書いてみること、やってみることです。
そして、音読。
声に出して読むことの力を軽視してはいけません。
読解力のある子は、言葉(単語)、つながり(文節)、意味(文章)を正しく把握しているので、音読も上手です。問題集をたくさんやらせれば、読解力がつく、というものでもありません。
言葉で説得しようとすると、言葉で拒否したくなります。
理由や目的をキチンと説明しなくちゃ、と理論武装することよりも、本当にさせるかどうか、ハラを決めることの方が、子どもを動かすキーになっていると思います。
ぜひ、自信を持ってください。
2016年
7月
10日
日
スーツに限らず、服はジャストサイズが一番です。
2016年
7月
11日
月
2016年
7月
12日
火
2016年
7月
13日
水
2016年
7月
14日
木
責めるだけが能じゃない。
「責め」って、悪循環になりやすい。
子どもは、いろいろなトラブルを起こすものです。
電車の中で、大騒ぎしている子どもがいれば、
「親は、ついてないのかしら?注意しないのかな…」
という声、いや実際には、目線が飛んでくることも多いと思います。
確かに、その都度、子どもには、いけないこと、こうした方がいいことなど、教えていくことが大切です。
けれど、責めることが、いい注意とは限りません。
このところ、繰り返し、書いているように、子育ては感情の中でするものですから、感情的になったって、いいと私は思います。
それにしたって、感情的になるということ、イコール、責めることとは限りません。
責める、ということは、これぐらいの年齢なんだから、これぐらいのことは、できていて当然だということが、心の前提になっている、ということです。
つまり、期待に応えてくれなかった我が子を責める、行いや言葉ではなく、人間を責めるということです。
繊細な子は、そんな、期待に応えられない自分を責めるようになります。
「責め」の悪循環です。
ダメなことを止めることは大切。
どうしたらいいかを伝えることも大切。
その時、人間ではなく、行いを意識することが大切です。
2016年
7月
15日
金
2016年
7月
16日
土
オススメの絵本。
「どろぼうがっこう」
今日は、珍しく絵本の紹介です。
私は低学年から高学年まで、担任をしてきましたが、読み聞かせをすることが、結構ありました。
その中で、私が一番、気に入っているのが、
「どろぼうがっこう」
です。
かこさとし氏のとても有名な絵本ですから、お宅にある、という方も多いでしょう。
子ども達も、すでに幼稚園で読んでいたり、家で読んでもらったりしていて、全く初めて、ということは少ないのですが、それでも、子ども達は喜んで聞きます。
大人の感覚では、
「もう、知っている本なんだから、繰り返したら申し訳ない」
ということもあると思います。
が、お気に入りの本は、繰り返し読んであげることが大切です。
低学年の子はもちろん、中学年でも、
「あ〜知っているよ〜」
と言いながらも、結局、本の世界に引き込まれてしまうのです。
私の勤める学校では、毎年夏に、臨海学校に行っています。
6年生のサポートをしていた時のことですが、消灯したところで、
「昔話してあげようか?」
と言ったところ、とても喜んで、その晩以来、毎日、せがまれたのをよく覚えています。
桃太郎でも、さるかに合戦でも、かぐや姫でも、ベタな有名どころでいいのです。
大人が直接、肉声で物語ることには、思っている以上に、力があります。
ぜひ、何か短いものでいいので、読み聞かせをされるといいと思います。
さて、こんな事件があったそうです。
「酔って刑務所に『帰宅』 神戸市職員、加古川で逮捕」(毎日新聞)
今朝、ネットでこの記事を見かけ、今日は「どろぼうがっこう」の記事を書きたいな、と思いました。
私、お気に入りの「どろぼうがっこう」ですが、どうか、「リアルどろぼうがっこう」にだけは、ならないで欲しいものです。
2016年
7月
17日
日
素直じゃないって、損だとは思うけど、結構鋭いところもある。
このブログで、何度か書いてきましたが、素直であることは、子どもも大人も、周囲との関係をスムーズなものにします。
が、私も素直になれない時が、たくさんあります。
自分自身、素直になれないことが気になっているから、かえって素直さの大切さを痛感しているとも思います。
クラスで子ども達と接していても、
「ホントは、そんなこと、思ってないんじゃないかな…」
というようなことを言う子は、いるものです。
大人としては、
「そんな言い方しなければいいのに〜」
と、思ってしまいますが、当の本人は必死なのです。
おそらく、自分の本音に気づいていないか、気づいていても認めたくないか、どちらかです。
とまあ、ここまでは、よくある話です。
が、素直になりたくてもなれない、あるいは自分で自分が素直じゃないとは思っていないのですから、そのことをそのまま受け止めたら、どういうことがわかるでしょうか。
まず、素直じゃない人の言動は、何か行き詰まっている時に、ピカリと光るのではないでしょうか。
何もない時は、素直じゃない人の、素直じゃない言葉や態度には、イライラさせられるだけです。
が、当たり前ではいかない時、非常時には、素直じゃない人の変化球が、意外と突破口を開けることがあるように私は思います。
私も、クラスで話し合いをしている時、どうも発言が綺麗事ばかりになり、それじゃうまくいかないから、こうなっているんだよ、という状況になることがありました。
そんな時、いつもだったら、話し合いを明後日の方向に持って行きそうな、素直じゃない発言が妙な鋭さを持っていたという経験を何度かしてきました。
なるほど。
素直じゃない人は、ダテに素直じゃないわけではないようです。
彼(彼女)なりに、よく見ていて、みんなとは違う考え方をする練習をしているのです。
身近な誰かの素直じゃない反応にイラっときたら、
「さ、いつ、この人の、この反応が役に立つのやら〜」
と気持ちを変えてしまうのが良さそうです。
2016年
7月
18日
月
神は細部に宿ると言いますが、お子さんを勇気づけるのは、たった1文字です。
私の勤める学校には、3年生まで、「個別」という授業があります。
この授業について説明するのは、少々難しいのですが、具体的にやっていることだけを言うと、音読と写し書きです。
その中で、写し書きは、教科書や岩波子どもの本などの良書を子ども達の自由意志で、個別進度で進めるわけですが、まあ、自由と言っても、ある程度の最低基準はあります。
そういうわけで、子ども達は、最低基準だけをやって、次のことに進もうとする子もいれば、もっともっと、と進めていく子がいて、そこに差が出ることは、当然だと私たちは考えています。
たくさん書かせれば、それだけ伸びる、というものでもないのが、難しいところなのですが、私たちは、子ども達が書いた分量に、一喜一憂してはいけません。まして、
「あ〜3ページしかやっていないんだね」
というような言葉かけをすると、その子にプレッシャーをかけるだけです。妙な追い込みは、いずれ、どこかで別の出方をします。
一方、
「ほ〜さすが、5ページもやったんだね」
という言い方はどうでしょう?
ダメ出しではない、ということは言えますが、周りの子にとっては、プレッシャーや自分を責められている気になるかもしれません。
ということで、少なくとも、この個別の授業の場合、書いた分量を評価対象にしないよう、言葉には神経を使います。
私なら、
「はい、できたね」
とだけ言って、丸をつけます。
(ちなみに、丸にも褒賞的効果を与えないため、花マルやメッセージも入れず、単なる確認の丸にします)
私たちは、教師の評価を得るために、書いたり読んだりさせないよう、気を遣っているのです。
子ども達は、本当に大人の顔色に敏感です。
大人に、特にお母さんに喜んでもらいたいのです。
ですから、言葉の端々も聞いていて、表情もよく見ていて、どうすればいいか観察していますし、あるいは、「どうせ私にはムリ」とスネます。
例えば、
「はい、今日もできたね」
「はい、今日はできたね」
この1文字の違いが、どんな影響を与えるでしょうか。
時と場合、お子さんのタイプ、お母さんの性格によっても違います。
何が正解か、ということではなく、「今」は何がベターか、ということを意識したいものです。
2016年
7月
19日
火
2016年
7月
20日
水
休むことって、意外に大切。
そろそろ、お子さんの多くが夏休みに入ったのではないでしょうか。
私の勤める学校でも、今日が終業式でした。
待ちに待った夏休み。
お出かけを楽しみにしている子、おじいちゃんやおばあちゃんに会えるのを楽しみにしている子…
うれしそうに話す子どもたちの様子を見ていると、こちらまで、うれしくなってきます。
さて、大人の方に目を向けてみましょう。
学期末は何かと大変なことも多いですから、はぁ~やっと夏休みに入った、と肩の荷が下りたような気持ちになっているお母さんもいらっしゃると思います。
一方で、さぁ、これからの長い夏休みをどうしよう…と、少々、気が重くなっているお母さんも多いのではないかと思います。
以前、とあるお母さんとお話をしていて、
「先生、この学校は良心的ですよね!」
と言われたことがあります。
「何がですか?」
と、私が聞くと、
「私の知り合いが、○○小学校(超有名私立小学校)にお子さんを通わせているんですけど、休みが長いんですって。その方、『こんな高い授業料を取っておいて、ボッタクリよね』って言っているんです」
と、話してくださいました。
「ボッタクリ」という表現が、いいのか悪いのか…
私立の学校に通わせることの本当の意味は、授業が長いとか短いではないと思いますが、お母さんの立場に立って、休みに早く入られると大変だ、というのは理解できます。
もうちょっと、授業してくれればいいのに、というホンネもわかる気がします。
とはいえ、お子さんにとって、休むことは絶対に必要なことです。
2日や3日ではなく、ドーンと長い時間、学校と切り離されて過ごすことは、とても大切です。
寝る子は育つ、と言いますが、睡眠の大切さは、皆さんも共感してくださる方が多いと思います。
寝ている間に、その日にあった出来事、感じたこと、うれしかったこと、嫌だったことなどを頭の中が整理しているんだ、という説明を聞いたことがあります。
なるほど。
そうかもしれません。
私は、長期休みも睡眠とそういう意味で、同じなのではないかと思います。
長かった1学期、いろいろなことがあったはずです。
「な~んにもないよ~毎日、楽しくて仕方ない~」
と言っているお子さんも、実は無理をしていたかもしれません。
自分が無理をしていた、と自覚していれば、まだいいのですが、自覚もなく、人に遠慮して、我を出せないのが当たり前になっていることも珍しくはないのです。
大人からみると、ただのイライラ要素でしかない、ぐーたらなお子さん。
規則正しい生活がいいに決まっていますが、ぐーたらになるには、なるなりの理由があります。
見て見ぬふりをするところと、ここは求めるぞ、と覚悟を決めるところと、差をつけないと、夏休みまで緊張を強いられることになってしまいます。
この夏休み、お子さんはどんな心の整理をすると思いますか?
心の整理は、ぐーたらではありません。
ぐーたらを怒鳴りそうになった、まさにその瞬間、この記事を思い出して下さったら、光栄です。
その踏みとどまったことが、2学期の活躍につながるかもしれませんよ。
2016年
7月
21日
木
2016年
7月
22日
金
雨降って、地固まる。
けど、繊細な子は、そう簡単でもない。
子どもにトラブルはつきもの。
いろいろな経験をしてこそ、一歩、成長できると私も思います。
とはいえ…
いつでも、だれでもそうか、というと、そうでもないとも思います。
時には、思い切り、ケアしてあげないといけない時もあるようです。
「あ~これって、過保護?」
と、思い、ついつい、厳しく当たってしまう、というお母さんもいらっしゃるかもしれません。
一方で、いつもいつも、守ってばかりでは、必要な経験もできません。
じゃあ、どっち!?
と、なるのが当たり前です。
その時のヒントは、いつもの逆、ということです。
いつも、つい厳しくしてしまうという方は、時には、ありえないほど、優しくしてみる。
逆に、つい守ってしまうという方は、時には、「お母さんは知らないよ」と突き放してみる。
ずっと、同じ味付けでは飽きてしまいます。
びっくりするような、あり得ない味は、心に残ります。
時には、あえて逆をする。
それが、お子さんの成長を促すきっかけになるかもしれません。
賢いお母さんだからこそ、できる変化球です。
2016年
7月
23日
土
今、話題沸騰の「ポケモンGO」
実は私もやってみたいけど、どれが正しい「ポケモンGO」なのか、わからず、すっかりやる気を失ってしまいました。
ポケモノミクス、などという言葉もできたほど、経済効果があったようですね。
今朝のテレビで見た話では、ポケモン関連の売り上げは、実はキティちゃん関連の2倍近いとか。
私がフィンランドに視察に行った時、3年生ぐらいの女の子が、キティちゃんのTシャツを着ていて、
「キティちゃんだね」
と言うと、大笑いしていたのをふと思い出したのですが、それ以上の浸透度ということかもしれません。
そんな日本が誇る(?)ポケモンですから、私としては、いろいろな課題はあるにせよ、「ポケモンGO」には、どんどん世界を席巻して欲しいと思います。
ところが、目を世界から、すぐ横にいる我が子に向けると、話はそう単純ではありませんね。
歩きスマホも心配ですし、おそらく、それよりも、勉強などすべきことをせずに、ポケモンGOにばかり、気が向いてしまうことが何より心配だというお母さんも多いのではないでしょうか。
そんな時、お子さんに、やめなさい、ルールを決めなさい、といくら言っても、逆効果になることがとても多いようです。
やめろ、と言われると、やりたくなる。
ルールを決めろ、と言われると、破りたくなる。
その心理は大人も子どもも同じですね。
では、どうするか。
ここは、単純、直球勝負で、こうしてみませんか?
「聞いてみる」
え…
そんな単純な…
甘いですよ。ウチの子、何回決めても、約束破るんですから。
そんなことが、頭をよぎった方も多かったと思います。
確かにそうですね。
それは私も、想像できます。
それでも、一度は、お子さんの話を聞いてみることは大切です。
しかも、聞くときに、こういう覚悟が必要です。
「お子さんの答え、考えは、お母さんの気持ちと違っていても、尊重する」
大切なことは、お子さんの考えを受け入れる、ではありません。
尊重することです。
お母さんの導きたい答えではないことに、がっかりしても、お子さんがそう考えたことを受け止めていくと、お子さんにはそれが伝わります。
すると、結局、ポケモンGOに限らず、ゲームなどに中毒的にハマらずに済むのです。
なぜなら、自分の考えを、とりあえず受け止めてくれるということで、お子さんの心は安定するからです。
心の波風が減ってくると、何かにハマりすぎる必要がなくなります。
お母さんの忠告を受け入れる心のスペースができます。
今、ポケモンGOの話題で持ちきりです。
もう、これ以上、話題にならないでくれ〜と焦っているお母さんも多いでしょう。
たとえポケモンGOが下火になっても、必ず、次に何か、お子さんの心を奪うものは出てきます。
右往左往せず、とりあえず、お子さんに意見を聞いてみてください。
お子さんの意外な側面に気づけるチャンスです。
2016年
7月
24日
日
お子さんの気持ちを整える、キラークエスチョン
2016年
7月
25日
月
2016年
7月
26日
火
2016年
7月
27日
水
最近、ファスティング(断食)ダイエットが話題になっています。
私の身近でも、挑戦してみた、という人もいるのですが、うまくいった、いかないかった、など感想もいろいろ、人生観が変わった、なんていうこともネット上では見かけました。
さて、子育てに、このファスティングを当てはめてみてはどうでしょうか?
ファスティングでは、水分やある種のドリンクは飲みますから、完全な絶食ではありません。
心のファスティング子育ても、同じ考えだと思います。
会話をしない!という「完全絶食」ではなく、困ったことがあれば一緒に考えますし、うれしいことがあれば一緒に喜びます。
が、常に、
「これは、最低限の水とドリンクか」
ということは、意識します。
お子さんの調子がいい時は、多少、要求しても、できてしまいますが、ちょっと調子が下降に向かうと、それまでできていたことができません。
すると、お母さんからは、
「この子、サボってる!」
というように見えるかもしれません。
そんな時こそ、心のファスティング子育てです。
大人だって、調子の良しあしがあるのですから、子どもなら、なおさらですよね。
サボらせまい、調子に乗らせまいと、あれもさせよう、これもさせようと焦る必要はありません。
もちろん、普通の親子の会話は大切です。
それは、命の維持に必要な「水」と同じです。
そして、お子さんの気持ちを受け止める会話も重要です。
それは、「酵素(栄養)ドリンク」と同じです。
ファスティングをすると、感覚が鋭くなる、とネット上で見たことがあります。
なんとなく、そうかなあ、という気もします。
私は、実際のファスティングをしたことはありません。
が、心のファスティングで、子どもたちと関わったことはあります。
私の言葉をグッと、グッと減らして、子どもたちの動きを見たり、声を聞いたりしていると、今まで、気づかなかったことに気づいたり、こちらが言わなくても、できたんだな、ということに気づいたりしました。
つい先日も、印刷をしていた時、子どもたちのいる部屋から、ボールをつく音が聞こえました。
1回なら、落としただけと言えるでしょう。
しかし、2回目、3回目とありました。
室内で、ボールをついて、遊びだしたんですね…
4回目!
さあ、言いに行こうか~
と、思ったところで、
「ボール、つくな!」
と、Aくんの声が聞こえました。
これも、ちょっとした心のファスティング子育てです。
ほんのり温かい気持ちになれるチャンスを子ども達は用意してくれています。
2016年
7月
28日
木
「みんなやってるから」は、何パーセント許される?
この写真は、昨日の夜、10時ごろの井の頭公園です。
この人だかりは、そう。ポケモンGOに興じる人たちの群れです。ポケモンGOの配信日以来、この調子です。
井の頭公園は、桜の名所としても有名ですから、その時期であれば、この時間でも、もっと人だかりになっていても不思議はありません。
が、その時期が過ぎれば、この3分の1もいるかどうか、という人しかいないものです。写真の奥にある七井橋を渡って、三鷹市内の方へ家路を急ぐ人もいますから、いつでも人気はそれなりにあるのですが、本当にびっくりしました。
夏休みに入ったお子さん達、お母さんやお父さんの携帯をいじりたがり、
「早く、ポケモンGOをやらせてよ」
と言っているかもしれません。
ポケモンGOに限らず、子ども達の交渉手段は、お得意の、
「みんなやってるから」
「みんなやってるのに、ボクだけやってないと、遊べないよ」
「みんなやってるのに、ワタシだけやってないから、仲間はずれにされる」
などなど、本当か嘘か、見分けのつかないことで、なおかつ、友人間で浮きたくない、という親心をくすぐる表現を使います。
先日、遊びに来た卒業生の女子は、お母さんが絶対ダメというから、ラインができなくて、困ってる、と言っていました。何でも、部活の中で、同じように禁止されている人は、自分を含めて、あと一人だけだとか。
確かに、一斉連絡などで、ちょっと不便さはあるでしょうが、彼女の話を聞いていると、まさに女子校生活を満喫している、といった感じで、とても楽しそうでしたので、実は、みんなやってるのに、自分だけやっていないと仲間に入れない、というのは、都合の良い言い訳と言えるのかもしれません。
このご時世に、ウチはダメ!と、ラインを禁止し続けている彼女のお母さんを、私は心から応援しますが、とはいえ、何から何まで、我が家ルールで通すというのも、問題です。
じゃあ、何パーセントは、「みんなやってるから」に合わせてよくて、何パーセントは、「我が家ルール」を通して良いのでしょうか?
これは、なかなか難しい問題です。
が、その問題に向き合う、重要なポイントが、お子さんは本当にグループの中で浮いているのかどうか、ということです。
上に挙げた卒業生の例では、彼女は実際の友人関係で、全く困っていません。
口では、「面倒」とか、「みんなに文句を言われる」と、言っていますが、彼女の話の大部分は、友達との楽しい生活なのです。夏休みなんて、みんなと会えないからつまらない、ともう、言っているような子です。
こんな子は、「みんなやってるから」と言っても、信用なりませんし、リアルの人間関係がいいのですから、禁止しようが、許そうが、どちらでも大丈夫と言えるでしょう。
一方、本当に「みんなに合わせないと、グループにいられない」のだとしたら、そのリアルの関係には、そもそも問題があります。
ラインをやろうが、ポケモンGOをやろうが、条件付きの関係は、長続きしないのです。
ですから、お子さんが、「みんなやってるから、これをやらせて」という交渉術を使ってきた時に、応じるか否かの重要なポイントは、お子さんの人間関係が、条件付きのものかどうかを見極めるということです。
お母さんの本音として、まあ、やらせてあげてもいいな、と思うなら、やらせてあげればいいですし、絶対に嫌だと思うなら、禁止すればいいと思います。
重要なのは、やりたがっていることの良し悪しではなく、お子さんのリアルの関係が健全かどうかです。
2016年
7月
29日
金
夏休み。
お出かけの時は、乗り物の中をどう過ごしますか?
三上という言葉があります。
良い考えが浮かぶ三つの良い場所のことです。
みかみ、ではありません。
「さんじょう」です。
馬の上、枕の上、厠の上。
今の言い方なら、
「乗り物に乗っている時・ベッドに横になった時・トイレで座っている時」
ということになりますね。
今日、私は神奈川県は、箱根にほど近い、入生田(いりうだ)というところにある、神奈川県立生命の星・地球博物館に行ってきました。
今日のルートは、JRの「休日おでかけパス」を使ったので、東京経由の東海道線でしたが、ちょうど、踊り子号の出る時間だったので、自由席に座って、スカッと晴れた梅雨明けの空を眺めつつ、小田原に向かっていました。
ふと顔を上げると、右斜め前のファミリーは、楽しそうにふざけたり、おしゃべりしたり、まさに夏休み。微笑ましい光景です。
トイレに行こうと、立ち上がった時、その先にも同じようなファミリーが乗っているのが見えました。こちらのファミリーは、なんと、みんな本を読んでいるのです。すごいなあ、と思いました。
その時、この三上(さんじょう)を思い出したのでした。
今思えば、中高生の頃、見掛け倒しで、電車内で勉強しているフリをしていましたが、それでも、妙に集中してしまうことがありました。
あんな見知らぬ他人に囲まれた、アウェーな環境、騒がしい環境なのに、いや、だからこそ、かえって自分の世界に集中できるのですね。
せっかくの夏休みなんです。乗り物の中でふざけずに、本を読んだり、勉強しなさい、なんて無粋なことを言いたいわけではありません。
が、ちょっと長く乗るのなら、日頃読まない本を一冊カバンに入れたり、宿題を一冊カバンに入れておくのも、いいですね。
ところで、JRの「休日おでかけパス」は、なかなか便利ですね。
東海道線は小田原まで、総武線は君津や成田空港までなど、かなりの範囲が2670
円で乗り放題でした。
だとすると、私のブログを書く場所も、これからは、どこかの電車内ということにもなるかもしれません。
逆に行ける範囲は限られていますから、お子さんとケンカしてのプチ家出の時も、使えるかもしれませんね。休日と長い休みの時限定ですが…
2016年
7月
30日
土
子どもに何かをさせたいなら、楽しさだけを求める。
「評価」が子どもをやる気にさせるのではない。
先日、とあるお母さんとお話ししていました。
低学年の女の子のお母さんなのですが、念願の弟が生まれ、もうすぐ2歳になるのだとか。
弟くんは、今、お掃除が大好きなのだそうです。
そんなお掃除大好きが、ずっと続いてくれればいいですよね。
しかし、よくよく話を聞いてみると、彼が楽しいのは、コロコロのローラーを回すのが楽しいのでした。結果的に、ローラーの粘着テープにゴミがついて、お掃除になっているだけ、ということですね。
しかも、お母さんは喜ぶし、じいじとばあばも喜ぶし、おそらくお父さんもお休みの日は喜ぶのでしょう。
彼にとっては、身近な大人が喜んでくれることは、嬉しいことでしょうが、そもそも、ローラーを回すのが楽しいのですね。それが楽しいから、放っておいてもやってしまう。
これと同じことは、小学生でも言えますよね。
1年生に入学したばかりの子ども達は、基本的に何でも楽しいので、えんぴつを持つこと、ノートや教科書を開くこと、字を書くこと、並ぶこと、掃除…なんでも、モチベーションは高いものです。
お母さんやお父さんが喜んでくれたり、先生がほめてくれたりすることは、そのモチベーションをより高めることはあるでしょうが、そんな評価がなくても、学校生活そのものが楽しいのです。
ところが、いつまでもそうとは限りません。
友達とケンカすることもあるし、悪口を言われることもあるし、みんなはできるのに、自分にはできない、ということも出てくるし、できたらできたで、やっかまれるし…
こんなふうに、やる気が出なくなっている時は、掃除なり、勉強なり、スポーツなり、それそのものに困っているというよりも、「比較」や、「他人からの目」、「評価」が原因になっていることも多いです。
そんな時は、
「楽しい?」
と聞いてみましょう。
もちろん、初めは感情的な答えが返ってくることも多いでしょうが、お子さんが何に困っているのかが、ハッキリしてくれば、対処法もわかります。
そして、何かができるなんて、「スゴい!」という方向でなく、それそのものが「楽しい」という方向に導きたいものです。
私も、もちろん、人から「スゴい」と言われれば、嬉しいです。
が、そういうことは、意外と長続きしないのです。
それそのものが「楽しい」ことは、他人に陰口を叩かれても、コッソリやり続けてしまいます。
私は、以前、本を出した時、
「スゴいですね!」
と言われ、確かに嬉しかったのを覚えています。
ところが、本を出すために、企画書を書いたり、考えたりするのは、どうもダメみたいです。
でも、自分の考えを書くということは「楽しい」のです。
きっかけや理屈は、いろいろありましたが、結局、「楽しい」からこそ、ブログの毎日更新は続いています。
「楽しい」ことを求めるのは、サボりでも、甘えでもなんでもなく、むしろ、人って、「楽しい」ことしかしないのかな、と感じます。
2016年
7月
31日
日