2016年
6月
01日
水
薄っぺらいんです。
特に見るともなく、つけていたテレビから聞こえてきた言葉に、私は思わず、画面を見てしまいました。
2016年
6月
02日
木
「ホント、素直じゃないね〜」
何度、言ったでしょうか。
あるいは、何度、心の中で叫んだでしょうか。
まあ、私の場合、心の中で叫ぶ方が、圧倒的に多いとは思います…
さて、先日、ある高学年の女の子と話した時のことです。
低学年の子が、うまく遊びに入れず、スネてしまったのを見て、声をかけようかどうしようか、迷っているんだ、というような話でした。
私は、
「あなたなら、どうしてほしい?」
と聞いてみました。すると、彼女は、
「私なら、一緒にやろうって、声をかけてほしいな」
と言いました。そこで、
「なら、声をかけてみれば?」
と言うと、早速、声をかけに行っていました。
そんな低学年想いの彼女ですが、実は、つい先日、何となく、手持ち無沙汰にしている彼女を見かけ、遊ぼうと言ったことがありました。その時、彼女は、
「いや、やらない!」
と私に言ったのでした。
まあ、私とは遊びたくなかったなら、本音が言えるということで、いいのでしょうが、彼女の本音はどこにあるのでしょうか。
私は、その言葉を無視して、持っていたボールを転がし、結局、キャッチボールを一緒にやりました。
「私なら、一緒にやろうって、声をかけてほしいな」
「いや、やらない!」
この矛盾する言葉を、同じようなシチュエーションで、ほとんど同時期に、言ってしまうのです。
自分が声をかけてあげることなら素直にできるのに、かけてもらうのは嫌なのですね。
本当は、声をかけてほしいというのに…
素直になるって、言うは易く行うは難し、ですね。
素直になれないことを、素直に認めることも必要かな、と私は思います。
「え?そうですか?私は、素直ですよ」
と、思われた方もいらっしゃるでしょう。
が、本当にそうでしょうか?
誰でも、どうしても素直になれないポイントの1つや2つ、あるのではないでしょうか?
そして、そういうポイントは、自分の自信のないポイントや、恥を感じているポイントだったりして、自分の地雷に気づけるヒントであるとも思います。
まあ、素直になれなくてもいいか、と丸ごと、気持ちを認めてしまうことの積み重ねが、素直になる勇気を生み出すのではないかと、私は思っています。
2016年
6月
03日
金
2016年
6月
04日
土
今、感じている課題や困りごとを解決したいなら、まず、過去を許すことがスタートになると、私は思います。
2016年
6月
05日
日
2016年
6月
06日
月
何気なくつけているテレビに映る、天気予報。
晴れの日もあれば、雨の日もある。
曇りの日もあるし、台風が来ることもある。
もし、お子さんのことで頭を悩ませているのなら…
あるいは、お子さんが何かで心に苦しみを抱えているのなら…
天気予報の画面を思い浮かべてみてはどうでしょうか。
東京が晴れでも、大阪は雨かもしれません。
雨が三日続いたとしても、四日目に、
うれしいことばかりでもないですが、
自分にとってウキウキすることでも、
「いつまで、こんなことが続くのだろうか…」
と不安になることもあると思います。
台風の暴風雨に恐怖を感じても、
私は、いろいろな不安や悩みを抱えた子ども、
そんな時、私なりに、あの手この手を考えて、
今、冷静に振り返ると、私の打った手なんかより、「時間」
まあ、トラブルや困難の渦中には、そんな風には思えませんね。
上がらない雨はないし、明けない夜もない。
だから、今のトラブルや困難も、必ず、次のステージに進む。
そして、今は、「雨」だと感じる、トラブルや困難も、
壁にぶち当たった時には、ぜひ、
2016年
6月
07日
火
単調な毎日。
2016年
6月
08日
水
人って、ホントに見ていない。
2016年
6月
09日
木
2016年
6月
10日
金
やっぱり、自分の特徴は、前向きに活かすのがいい。
体操の寺本明日香選手について、今朝のテレビで取り上げられているのを見ました。
私はスポーツに詳しくないので、寺本選手の魅力や特徴を、体操競技の面から論じることはできないのですが、身長についての話に、とても惹かれたので、今日は記事にしました。
寺本選手の身長は、141cm。
確かに、小さい方だと思います。
ちなみに、140cm前後というのは、小学校5年生の平均身長です。
ところが、この小ささが、彼女の大きな魅力なのだそうです。
例えば、鉄棒競技では、2本並んだ鉄棒の間が狭いため、普通の身長では、体を振る時、股を開かなくてはならないのだそうです。
ところが、寺本選手の身長では、足をまっすぐ伸ばしたまま、体を振れるため、スピード感があるように見えるのだと、テレビでは言っていました。
その他、小さいことが、良い特徴につながっていることについて、特集されていました。
私の周りでは、背の低さを気にしている人が、結構います。
・大きくなりたい!
・どうすれば背が伸びる?
という話を何度となく聞いてきました。
私の身長は176cmで、平均よりちょっと高いぐらい。
小学校6年生の時に159cmあり、多分、一番、高かったと思います。
というわけで、私は、「大きくなりたい!」という心境は、あまりわからないのが本音です。
でも背が高かったのは、ちょっと嫌でした。
ひどく嫌ではなかったけれど、
「大きいね〜」
などと言われるのは、結構嫌でした。
まあ、自意識過剰ですね。
つまり、小さかろうが、大きかろうが、何かができようが、できまいが、自分の特徴を悪くとらえるのではなく、良い方向でとらえて、活かす方が、絶対に毎日が楽しくなります。
このブログでも、何度か書いたような気がしますが、私は色白なのが、本当に嫌でした。
色黒で、健康的な友達が本当にうらやましかった。
大学1年生になった時、母校の臨海学校で補助を頼まれ、行ったことがありました。
炎天下、これはいいチャンス、と日焼けをガンガンやりました。
すると、案の定、因幡の白ウサギになってしまい、右腕など、ヤケド状態だったのでしょうね。相当、長い間、ジュクジュクしていました。今でも、何か異変はないか、気になっています。
他人がよく思えるのは、仕方ないと思いますが、結局、早く自分を受け入れ、活かす方向で生きて行くのが良さそうです。
これをきっかけに、寺本選手の情報を見るのが楽しみになりました。
応援していきたいな、と思います。
あなたには、どんな特徴がありますか?
それをどう活かしますか?
2016年
6月
11日
土
抱っこを「宿題」にしていいの?
「親に抱っこしてもらう」宿題が話題
「愛情表現」の強制なのか?
と題した記事があります。(こちら)
一部の小学校で出されている、「親に抱っこしてもらう」宿題が、本当に美談なのか、それとも、親のいない子や虐待児などへの配慮のない悪い策なのか、ネット上で議論になっているというのです。
さて、この問題。
私なら、抱っこを宿題に出すことはないと思います。
理由は、「宿題」にするのにふさわしくないなぁ、と思うからです。
もちろん、抱っこを含む、親子のコミュニケーションには、大いに意味があります。
が、私は、それを「宿題」にすることに抵抗があります。
なぜなら、宿題は、しなくてはならないものです。
面倒だったり、嫌だなと思っても、常識的な範囲で、取り組むことを子ども達に強いるものです。
いや、したくない子はしなくてもいいんだよ、というのなら、それは「宿題」なのかどうか、よくわかりませんし、漢字練習はしなくてはならなくて、抱っこはしなくてもいい、というのでは、トータルとしてのクラス運営が不安定になります。
というわけで、私は、
「たくさん抱っこしてもらえば?」
とか、
「抱っこしてもらえばいいのに〜」
というような話はするかもしれませんが、強制力の伴う「宿題」ということに抵抗があリます。
この記事をネットで見かけた時、私は、すぐにこの絵本が思い浮かびました。
「しゅくだい」(作・絵 いもとようこ 岩崎書店)
これは…
ヤギの先生が、動物の子ども達に、「抱っこ」の宿題を出す、というお話で、モグラのもぐくんは、みんなの前では「嫌だよ」と言いつつも、家に飛んで帰ります。ところが、お母さんは何かと大忙し〜
というわけです。
私は、この本を子ども達に読み聞かせしたことがあります。
その時、子ども達は、モグラのもぐくんのような反応をしていました。
「ヤダよ〜」
などと言いつつも、ニヤニヤしたり、
「やってくれるかな〜」
とつぶやいたり…
とても微笑ましい時間でした。
私は、それで十分だと思うのです。
それを「宿題」としてしまうことに、ある種の傲慢さを感じます。
絵本を読み、みんなで楽しいような、嬉しいような、恥ずかしいような時間を共有する。
あとは、私自身がなるべく暖かい眼差しを子ども達に向けていることが大事なのではないか…
あえて、言葉や明確なものとして要求しない、そんな心のゆとり、心の幅が、子どもの心の豊かさを育むように思います。
2016年
6月
12日
日
2016年
6月
13日
月
2016年
6月
14日
火
「学校で恥ずかしいから、全部個室化」…「大」問題ですね。
神奈川県の大和市では、市立小中学校の一部で、男子トイレの完全個室化をするという記事が神奈川新聞ニュースにありました。(こちら)
学校で、「大」をしにくい、という子どもの事情に配慮しての決定とのこと。
私は、びっくりしてしまいました。
確かに、学校での「大」問題は、大きい問題ではあるのですが、このような物理的な方法だけで解決するものではないでしょう。
トイレに、ある程度、長時間入っていれば、それだけでからかう人はいそうです。
実際、この記事によると、茅ヶ崎市でも取り組んだ事例があり、結局うまくいかなかったとの話も紹介されていました。
それはそうだろうな、と思います。
では、どうするか。
一つに、堂々と、「大」をする、ということがあります。
堂々としている人には、結構、からかいをしづらいものです。
とはいえ、それができないから、悩みになっているわけで、そんなことで悩みもしない、という人には、その切実さは、わかってもらえないでしょう。
さて、私の勤める学校には、1週間近くの臨海学校があります。
すると、「大」無しの生活など、ありえません。
しかも、低学年の時には、担任は、繰り返し、繰り返し、「大」の大切さを部屋で話します。
私も、毎日、毎日、寝る前に子ども達に、話したことがあります。
それでも、気にする子は、いるでしょう。
だとしても、担任が、全員の前で、宣言することには、意味があるものです。
「大」は、堂々と、「しなくてはいけない」んだ。
という枠組みを宣言します。
大和市でも、茅ヶ崎市でも、どこでも、ほとんどの学校で、そういう話はしていると思います。
が、それだけでは、なかなか伝わらない。
もう、「大」無しではいられない状況を設定してしまうのも、大きな解決方法です。
2016年
6月
15日
水
子どもの集中力を高めるためのヒント
昼寝。
当たり前のことかもしれないけれど、頭の片隅に置いておくといいと思います。
今日、何気なくネットを見ていたら、こんな記事がありました。
「午後の集中力向上へ 加古川中で『シエスタ』試行」(神戸新聞NEXT)
この取り組み、私は本当に共感します。
オススメです。
実際、私は教室でやっていました。
私の場合、目的は2つありました。
まず、臨海学校が近づくと、クラスでは臨海学校の生活に向けて、整列の練習や号令をかけることをキビキビやることなど、練習ごとが始まります。
その中で、昼食後の長い昼寝を静かにするということも、とても大事なことです。
それに向けて、暑い昼下がり、15分でもいいので、静かに横になる練習をしていました。
かつての校舎では、冷房もなく、7月に入って暑さも厳しくなると、まさに昼寝でもしないともたないようなこともあり、丁度良かったのも思い出です。
そして、もう1つは、心を鎮めるためです。
なんだか気持ちがワサワサしているな…
そんな時は、突然、
「寝ましょう」
と声をかけます。
この場合は、15分どころか、1分で十分です。
むしろ、私の声かけで、皆がちゃんと寝るかどうか、それは私の指示が子どもたちに通っているかどうかの試金石なのです。
あるクラスで初めてこれに挑戦した時、私は、子どもが本当に寝るかどうか、正直、不安でした。
でも、これは私たち大人にとっても、自分が率先して静かにする課題でもあるのです。
そう考えて、私は、
「寝ましょう」
とだけ、子どもたちに言いました。
すると、子どもたちは面食らってはいましたが、きちんと寝たので、ホッとしたのをよく覚えています。
「寝る」
「昼寝」
と聞くと、サボりの象徴のような、怠けた印象も強いと思います。
が、気持ちの切り替えには、一旦、意識をシャットアウトすることは大事です。
ぜひ、ご家庭でも、無理のない範囲で、一瞬でも目を閉じる時間を区切りに使ってみることをお勧めします。
2016年
6月
16日
木
ありきたりではありますが、やはり、「役目」を作ることは、大切です。
今日、私は、子ども達とちょっとした活動をしていました。
現在の教科書では、47都道府県を学習する内容がないため、課外で、都道府県について、楽しく絵でも書きながら、勉強してみよう、というものです。
さて、そんなことをしていると、急に会議をすることになり、予定より、少し早く、切り上げることになりました。
いつもなら、私も一緒に机の上を整理して、子ども達が所定の場所に片付けるのですが、今日は、急に呼ばれてしまったため、私が整理する余裕がありませんでした。
そこで、私は全てを任せることにしました。
すると、気持ち良く、
「うん!」
という返事が返ってきて、とても頼もしく感じました。
ありきたりのことではあるのですが、やはり、子ども達に「役目」があることは大切です。
それは学校だけではないでしょう。
一番リラックスできる(はずの…)ご家庭でも、自分の存在価値が実感できる、「役目」があることは、とても大切です。
子どもは敏感です。
大人が楽チンをするためだけの役目なら、気づいてしまいます。
が、みんなにとって、価値のある、必要のある「役目」なら、やりがいを感じられます。
特に、これは4年生以下の子どもたちには、大いに効果があります。
お子さんが、自分の存在価値を感じられることが目的です。
こんな当たり前のことも、時には思い返して、「役目」を作ってみてください。
たくましさも育つことと思います。
2016年
6月
17日
金
足元に、何かが落ちていませんか?
「人のことより、足元の豆を拾え」
人は、人の間で生きてこそ、人間。
でも、人のことばかり、気にしているのは、片手落ちです。
そんな時、この言葉を思ってみてください。
「人のことより、足元の豆を拾え」
誰かの足元や、頭の上や、肩の上に、何が落ちていようと、載っていようと、それは他人の話です。
この話は、私が例を挙げるまでもなく、皆さんなら、あるある、と思ってくださるのではないでしょうか。
「だって、あの子だって、宿題やる前に遊んでるよ」
「だって、アイツが先に、バカって言ったんだ」
当然、教室でも、同じようなことはたくさんあります。
〜先生!確かにそうかもしれません。でも、自分のことばかりに目を向けるような子には、なって欲しくないんです〜
そうですね。
では、お子さんの言葉の冒頭に、これがついていなかったかどうか、で判断してみてください。
「だって〜」
「だって」で始まる言葉は要注意です。
言い訳として、他人を引き合いに出しているだけ、ということがとても多いと私は感じます。
言い訳も含めて、お子さんの本音や状況に共感することと、それに流されることは別です。
まず、自分の足元に、何が落ちているかを考えるようにしたいものです。
私も、気をつけます。
2016年
6月
18日
土
言われて嬉しい言葉…
いろいろ、あるとは思うけれど、受け手によっては、責めになる。
子ども達と話していて、友達やお父さん、お母さん、先生などに言われて嬉しかった言葉は?という話題になったことがあります。
その時、結構、多かったのが、
「大丈夫?」
という言葉をかけてもらって、嬉しかった、という声です。
漢字にしてみると、わずか3文字の、当たり前の言葉。
でも、確かに、いい言葉です。
何か失敗したり、心配したりしている時、気にかけてもらえている、とわかるだけでも、嬉しいものです。
が、一方で、
「大丈夫?」
と聞いただけで、
「バカにされた!」
「放っておいてくれない!」
とケンカになってしまった、ということも、時々あります。
多くの場合、「大丈夫?」の言葉は、温かくて、関係を良くするいい潤滑油なのです。
が、時には、全くバカにしようなどと思ってもいないのに、バカにされた、などと、「責め」「恥の上塗り」というような捉え方をされて、トラブルになることもあるわけです。
以前、とある先生が、
「頑張れ!ということがプレッシャーになるなんて、思ってもいなかった」
とおっしゃっていたのをよく覚えています。
いつの時代も、若者の考えていることは、わからない、と大人は言うとは思いますが、言葉を発する人の気持ちと、受ける方の気持ちにズレがあると、トラブルになります。
特に、自分のことを責める癖のある人には、いわゆる温かい言葉は、逆に責めているように聞こえるようです。
なぜなら、終始、自分で自分を責めているからです。
自分で自分を責めるのが当たり前になっているので、他人の言葉も自分を責めているという前提なんですね。
ということで、一般的な温かい言葉でも、相手によっては、責めとみなすなんてことがあるんだな、と知っておく必要があります。
そういう予備知識を持っていれば、相手の拒絶反応や過剰反応の意味を理解できます。
お子さんが、このようなトラブルを抱えて帰宅した日は、相手の心持ちを一緒に想像してみることが大切です。
そんな時のヒントになれば、嬉しいです。
2016年
6月
19日
日
「正しい」子育ての選択をするための秘訣は、たった2つ。
「正しい」と決める。
「正しいよ」と言ってくれる味方を持つ。
〜先生!どうすればいいんですか!?〜
いろいろな場面で、聞かれることがあります。
・宿題をどうすれば、やるようになるか。
・あまりに言うことを聞かないので、怒鳴ってしまったが、大丈夫か。
・塾には何年生から行かせるのがいいのか。
・あの子といつも喧嘩になるのは、どうすればいいのか。
何が正しい方法か、選択か、実は私には、わからないのです。
私ならどうするか、どう思うか、ということなら、あります。
今までの経験上、こうすると、こうなる可能性が高いな、ということもあります。
が、それが「正しい」保証はありません。
また、Aさんにとって、嬉しい結末になり、「先生!正しいヒントをありがとうございました!」と言ってもらえたとしても、
Bさんにとっては、残念な結末になり、「先生!信頼して伺ったのに、ヒドい!」と言われることになるかもしれません。
つまり、「正しさ」を求めることで、かえって選択肢が無数になってしまうのです。
迷う要素が無限に広がります。
ということは、私にとって、「正しい」とは、こういうこと、と自分で決める必要があります。
それがハッキリしていれば、うまくいった、いかない、という検証もしやすくなります。
たとえ、うまくいかなかったとしても、次にどうするか、という建設的な考えもできます。
今、お子さんについて、何か迷っていること、悩まれていることがあるなら、「正しさ」を求めていないか、ちょっと考えてみてください。
自分にとって、何が「正しい」のか、考えた結果、思うことは、もう、「正しい」のです。
そう決めることが大切です。
が、なかなかそうは思えないものだと思います。
ならば、あなたの、その決断を、
「そうそう。それが正しいよ」
と言ってくれる味方を持っておく必要があります。
そうすれば、もう、鬼に金棒ですね。
2016年
6月
20日
月
タネから芽が出て、成長する。
それは、発芽できる条件を誰かが与えたから?
それとも、そもそもタネにその力があるから?
これは、結論から言って仕舞えば、どちらも正解で、どちらも必要なのです。
そもそも、芽を出し、成長し、花を咲かせて、実を付けるということは、そのタネにプログラムされています。
でも、芽を出したり、すくすく成長したりするための「お世話」もないと、なかなか、大きくはならないものです。
実際、あれほど大量に落ちるドングリの中から、1本の木にまで成長できる割合は、相当低いでしょう。というよりも、雑木林の中で落ちたドングリなら、木にまで成長できる割合は、限りなくゼロに近いと思います。
そういう実態を踏まえた上で、今日、申し上げたいことは、
「それでも、どちらの立場に立って、子育てや教育を考えるか、ということは、大きな違いを生む」
ということです。
そもそも、その子には、その子らしく活躍することがプログラムされています。
でも、そのまま、放置したのでは、成長、少なくとも心豊かに成長することは難しい。
一方で、この子を伸ばすのは、どんな環境を与え、どんなことをさせ、どんな言葉かけをしたかだ、とばかり、「与える」ことにフォーカスしすぎるのも、また問題です。
肥料のやり過ぎは、植物を痛めてしまいます。
私は、全く迷うことなく、その子には、その子らしく活躍することがプログラムされているということを、前提としています。
その上で、トラブルや困りごと、迷うことも含めて、なるべく手を加えずに、成長に刺激を与えていきたいな、励ましたいな、と思っています。
あなたは、どうですか?
2016年
6月
21日
火
2016年
6月
22日
水
「好きな店員さんの列に並ぶ」
2016年
6月
23日
木
人って、見てる。
2016年
6月
24日
金
2016年
6月
25日
土
2016年
6月
26日
日
私は、こんなところですから、もういいんです。
2016年
6月
27日
月
うわべだけ、大人や先生に合わせて、何が悪い?
それを、当然のことだと、認めるから、ホンネや本当の自分を表現できる。
2016年
6月
28日
火
2016年
6月
29日
水
2016年
6月
30日
木
好きなことを、ちょっと深く考える。
2017年
6月
04日
日
2017年
6月
22日
木
2017年
6月
27日
火
2017年
6月
28日
水
友達が欲しいなら、自分のことをよく思ってくれる人を見る。
私自身、人付き合いが上手な方ではないので、友達が多い人は、すごいなあと、いつも思っていました。
どうすれば、友達がたくさんできて、人気者になれるのか…
足が速い子、スポーツ万能の子、勉強がすごい子、カッコいい(カワイイ)子、面白いことが言える子…
友達が多くなるように、人気が出るように、自分に何かを盛ることばかり頑張ろうとし、いやいや、どうせできない、と諦めていたものです。
実際、足の速さや運動神経、勉強、見た目、機転、それぞれの魅力で人は集まると思いますが、自分にないものを探して盛ろう、身につけようとする前に、そもそも、今の自分にも気の合う人がいたり、妙に声をかけてくれたりする人もいるはずなのです。
私の勤める学校には、本当に魅力的な先生がたくさんいます。
私より何もかも、優れていて、子ども達から大人気の先生ばかりです。
もう、私なんて、といじけたくもなりますが、そんな私のことでも、信頼してくれる子がいて、同僚がいます。
まずは、今の自分をよく思ってくれる人、大好き!と思われていないとしても、なんかいいな、という程度でも思ってくれる人がいることに気づくのが、スタートなのです。
自分にはあれがないから、あれを練習しよう。
それを身につければ、きっと人気が出る。
まあ、それもあるでしょうが、自分はダメ、ということが前提にある限り、いつまでたっても、ないものを身につける旅が終わりません。
まず、自分にあるものを探すことは、現状に満足して、もう何もしなくなる、ということではないのです。
そうか。
自分には、こんなにいいところがあったのか。
そう思えることで、次はあれをしよう、これもやってみよう、と肩の力が抜けた状態で、挑戦ができます。
カラオケが好きな人から聞いたことがありますが、カラオケに行って、一番、聞いていられないのは、下手な人ではないのだそうです。
上手に歌おう、と肩に力が入っている人なのだそうです。
確かにそうだろうな、と思います。
下手でも、自分が楽しんでいれば、聞いている方も楽しいでしょう。
すると、その下手さが、人気の素にもなるでしょう。
私もそうでしたし、そうですが、人間関係で悩む子は多いものです。
というより、そもそも、悩みとは、すべて人間関係だ、と言います。
まず、あるものを探すことが大切です。