2016年

6月

01日

気になっていることを探すアンテナの感度って、スゴい!

薄っぺらいんです。

特に見るともなく、つけていたテレビから聞こえてきた言葉に、私は思わず、画面を見てしまいました。


「薄っぺらいんです」

それは、火星の大気のことでした。
なのに、妙にその言葉が引っかかり、
え?自分のこと…!?
なんてことを考えてしまいました。

あ〜
自分のアンテナって、スゴい!
気になっていることを察知する能力は、相当なものです。

私は、自分が薄っぺらい人間なのではないか、と不安で不安で、仕方ないようです。
どっしりした人間であろうと、いくらしていても、薄っぺらさへの恐怖は、言葉のアンテナの感度を相当高めるのですね。

クラスでも、同じようなことがたくさんあります。

「え?誰が、そんなこと言った?」

と、みんなが驚くトラブルが突然、始まることがあります。

聞いてみると、文脈などお構いなしに、誰かの言葉や態度で、「勝手に」怒ってしまったのです。

もちろん、本人にしてみれば、「勝手」ではありません。

とっても、とっても、気にしているから、アンテナの感度が高まっているのです。
だから、言葉や態度に敏感に気づいてしまいます。
そして、傷ついてしまいます。
自分を責めているんだ、ととらえがちです。

そして、恐ろしいのは、それを自覚しづらい、ということです。
私自身、自分が「薄っぺらさ」を気にしているなんて、思ってもいませんでした。

では、何が自分にとっての地雷か…
探すまでもありません。

テレビやラジオや誰かの会話や行動に、妙な引っかかりがあった時、そこには、隠していた不安のタネが隠れているように私には思えます。
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2016年

6月

02日

子どもの素直さを引き出すヒントとは…

「ホント、素直じゃないね〜」

 

何度、言ったでしょうか。

あるいは、何度、心の中で叫んだでしょうか。

まあ、私の場合、心の中で叫ぶ方が、圧倒的に多いとは思います…

 

さて、先日、ある高学年の女の子と話した時のことです。

低学年の子が、うまく遊びに入れず、スネてしまったのを見て、声をかけようかどうしようか、迷っているんだ、というような話でした。

 

私は、

 

「あなたなら、どうしてほしい?」

 

と聞いてみました。すると、彼女は、

 

「私なら、一緒にやろうって、声をかけてほしいな」

 

と言いました。そこで、

 

「なら、声をかけてみれば?」

 

と言うと、早速、声をかけに行っていました。

 

そんな低学年想いの彼女ですが、実は、つい先日、何となく、手持ち無沙汰にしている彼女を見かけ、遊ぼうと言ったことがありました。その時、彼女は、

 

「いや、やらない!」

 

と私に言ったのでした。

 

まあ、私とは遊びたくなかったなら、本音が言えるということで、いいのでしょうが、彼女の本音はどこにあるのでしょうか。

 

私は、その言葉を無視して、持っていたボールを転がし、結局、キャッチボールを一緒にやりました。

 

「私なら、一緒にやろうって、声をかけてほしいな」

「いや、やらない!」

 

この矛盾する言葉を、同じようなシチュエーションで、ほとんど同時期に、言ってしまうのです。

 

自分が声をかけてあげることなら素直にできるのに、かけてもらうのは嫌なのですね。

本当は、声をかけてほしいというのに…

 

素直になるって、言うは易く行うは難し、ですね。

素直になれないことを、素直に認めることも必要かな、と私は思います。 

 

「え?そうですか?私は、素直ですよ」

 

と、思われた方もいらっしゃるでしょう。

が、本当にそうでしょうか?

 

誰でも、どうしても素直になれないポイントの1つや2つ、あるのではないでしょうか?

 

そして、そういうポイントは、自分の自信のないポイントや、恥を感じているポイントだったりして、自分の地雷に気づけるヒントであるとも思います。

 

まあ、素直になれなくてもいいか、と丸ごと、気持ちを認めてしまうことの積み重ねが、素直になる勇気を生み出すのではないかと、私は思っています。

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2016年

6月

03日

私らしさを活かすためには、まず「私」を捨てなくちゃいけなかったんだ!

私のコンセプトは、
「私は、私で、いいんだ」
ということ。

これは、

・ありのままの〜
・等身大の〜
・裸の〜
・むき出しの〜
・そのままの〜
・本当の〜

などという言い方をしても、同じことです。言い方が違うだけです。

私自身、記憶のある限り、ずっとそれを意識して、生きてきたと思います。

幼稚園の時、公文の教室では、中学生だか小学校高学年だかのレベルのプリントを解くようになり、表彰されたことがあります。

これが、本当にイヤでした。
何かができる自分って、本当にイヤでした。

体も、わりと大きい方で、人数の少ないクラスだったとはいえ、クラスで一番、二番に大きかった私。

それもイヤでイヤで、仕方なかった。

なんだか、本当の自分ではないような気がして?

恥ずかしくて?

とにかく、目立つのはイヤでした。

最近、そんなことを口にする子と話す機会があり、よほど、その子の方ができるのですが、何だか、共感できました。

今、思えば、たいしたことないのに、自惚れるなよ、という話なのです。

でも、自惚れとは、少し違うような気がします。

私は、そんな目立つような人間ではない…
つまり、
「私は、ダメなんだ」
ということが、全ての基礎にあったように思います。

だから、
・いい点を取っても、ダメ
・背が高くても、ダメ
・褒められても、ダメ

そして、もちろん、
・友達とうまくいかなくて、当たり前
・勉強がわからなくなって、当たり前
・選ばれなくて、当たり前

何かがうまくできても、
・いやいや…あの時、あんなことしちゃったから、ダメ
・いやいや…気を遣って言ってくれてるだけだから、ダメ

なのに、本当の自分を押し殺しているから、いつもブレーキとアクセルを同時に踏んでいるような感覚でした。

・やればできるのに…やらない!
・多少、失敗したとしても、始めればできるようになるのに…やらない!
・できない自分を直視するぐらいなら…やらない!

絶対の自身がない限り、アクセルなんて踏みもしない、そんな自分を何とかしたい。

それが、私のエネルギー源かもしれません。

すると…

「私のような、自分を押し殺している人の心を解放したい!」

そう考えるようになるのは、当然の帰結です。

が、私の言動の前提が、ダメな私である以上、私の関心は、ダメな部分に向いてしまいます。

いつでも、どこでも、誰にでも(もちろん、自分にも)、ダメな証拠を探してしまう。

ということは、まず、

「私は、私を、捨てていいんだ」

ということがスタートなんですね。

〜ダメだという私を捨てていいんだ〜

実は、これが私のスタートラインだったようです。

私は、教師という、ステージに立つ仕事をしています。
(今年の私は、担任ではなく、放課後の預かりが中心なので、一般的に想像されるステージとは、かなり違いますが…)

さらに、ブログを毎日書いています。

本も書きました。

セミナーもしています。

これほど、表に立つことをしていながら、ダメな自分を確認していたのでは、苦しい訳です。

私には、ダメなところもあるけれど、いいところも、いっぱいあって、そんなこと、実はみんな同じで、結局、

「私は、私で、いいんだ」

ということのようです。

ダメなところを隠そうとするから、かえって目立つんですね。

私が子どもの頃、なぜか母に言われたことが、心に残っています。

「ストッキングが伝線しちゃってても、誰も気づいてないのに、本人が気にして、妙な動き方をするから、バレるんだ」

何で、小学生の私に、ストッキングの話なのか、全く文脈や状況を覚えていません。

が、この話は、私の心に、妙にこびりついています。変な小学生ですね…

自然と心の中から湧き上がってきた話…

もしかしたら、共感してくださる方もいらっしゃるかもしれません。

2016年

6月

04日

実態のない「過去」だからこそ、今に即して、意味を変えられる。

今、感じている課題や困りごとを解決したいなら、まず、過去を許すことがスタートになると、私は思います。

 

今、何かしらの困りごと、悩みがある方も多いと思います。
それを思い浮かべて見てください。
それって、過去に起きた出来事が原因になっている、と感じませんか?


・この子が、また友達をぶったのは、私が以前に、この子をぶったことがあるから。
・この子の算数が苦手なのは、私が文系人間で、数学アレルギーだから。

などなど、今の課題を過去からの延長上にとらえることが、自然の心理だと思うのです。

だとすると、自分が気になっている過去を癒すことが、今のトラブルを解決するスタートだということです。

私にも、思い出したくないような、イヤな思い出が幾つか(幾つも!?)あります。

仕事の面で、

「あ〜もっと、こうできたはず…」
「あんな対応しかできなかったなんて、最悪だ…」

など、自分として許せないことがあります。

ところが、先日、ひょんなことで、過去の業務日誌を見る機会がありました。

うわ〜
イヤだなぁ…
表紙も見たくない!

と、思ったにもかかわらず、なぜかページをめくっていました。

すると、止まらず、どんどん読み進めてしまいました。

そして、思ったこと。

「あれ?意外と、悪くないな…」

もちろん、その時、具体的なトラブルなり、問題なりがあった、ということは事実なのです。

でも、それについての対応や私の考え、サポートしてくれた同僚や上司の言葉、保護者の方がしてくださった対応を読み返してみると、

「なるほど。もう、見たくもない!というほどでもないな…」

と感じました。

ついさっきまで、見たくもない、思い出したくもない、というのが本音だった、自分で許せない出来事が、数分後には、

なんだ、完全否定するほどでもなかったんだな…

と思えたのでした。

しかも、家に帰って、当時の写真を見てみると、私が楽しそうな表情で写っているのです!
本当にびっくりしました。

過去を癒す、許すというのは、簡単なことではないと思います。
私の場合、「文字」や「写真」という形で残っていたこともあり、捉え直すことができました。
が、そう、うまくはいかないこともあるでしょう。

とはいえ、今、何か気になること、困っていることの解決に、過去が重要な意味を持っていることは間違いなさそうです。

過去は、脳だか心だかの、どこかにしまわれた、実態のない記憶でしかないのです。
トラブルの原因やキッカケだと、「自分で」思っていることに、新しい意味をつける、ということが、「癒すこと・許すこと」になるのではないでしょうか。
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2016年

6月

05日

お子さんが何かを失って苦しんでいるなら、こう関わってほしい。

何かを失って、失うことと、得ること。


何かを失うということは、その通り、なくすことです。
喪失感が心に湧き上がります。

例えば、大げんかして、友達を失う。
バカなことをして、信頼を失う。
事故や病気などで、大切な人を失う。

他人から見ると、大したことのないこと、

「あるある、よくあることだよ〜」

ということでも、当の本人には、大きな喪失感を残すことも多いでしょう。

そして、

・ああしておけばよかった。
・こうすべきだった。

など、後悔や罪悪感もあるかもしれません。
ところが、ふとした時、「私」以外の世界は、何事もなく、回っていることに気づきます。

私が友達を失おうと、誰かの信頼を失おうと、大切な人を失おうと、ふと顔を上げた時に目に入る人々は、そんなこと、お構いなしに、それぞれの日常を過ごしているのです。

失った前と後とでは、景色が違う…
同じ街並みなのに、全く違う…

これって、一皮むけた、ということ、ちょっと気取って言うと、ステージが上がったということなんだと思います。

ステージの階段を「上る」のではありません。「登る」のでもありません。

上がる。
上がっている。

何かが欲しいなら、先に手放しなさい。
そこに、欲しい何かが入ってくるから。

よく聞く話です。

でも、それは、実際に失い、喪失感に苦しみ、ふとした時に、ステージが上がっていたことに気づいた時、やっと実感できることなのかな、と思います。

お子さんが、何かを失ったなら、お母さんは、そういう心持ちで、ステージが上がりつつあるお子さんを見ていてほしいと思います。

「次は、もう失っちゃダメよ」
「こうするのよ」
「ああするのよ」

と手を打つ時ではないのです。

きっと、あなたも何かを失い、一段、ステージが上がっていたと、感じたことがあるのではないでしょうか。

そんな、あなたのお子さんなんですから、必ず、大丈夫ですよね。
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2016年

6月

06日

梅雨時です。天気予報を見るたび、気持ちを楽にできるヒントがあります。

何気なくつけているテレビに映る、天気予報。
晴れの日もあれば、雨の日もある。
曇りの日もあるし、台風が来ることもある。

もし、お子さんのことで頭を悩ませているのなら…
あるいは、お子さんが何かで心に苦しみを抱えているのなら…

天気予報の画面を思い浮かべてみてはどうでしょうか。

東京が晴れでも、大阪は雨かもしれません。
雨が三日続いたとしても、四日目に、せめて曇りにはなるかもしれません。

うれしいことばかりでもないですが、嫌なことばかりでもありません。
自分にとってウキウキすることでも、誰かにとっては迷惑なことかもしれません。

「いつまで、こんなことが続くのだろうか…」

と不安になることもあると思います。
台風の暴風雨に恐怖を感じても、3日もすれば去ってしまうように、いつかは次のステージに進むのでしょう。

私は、いろいろな不安や悩みを抱えた子ども、お母さん方と時間を過ごしてきました。
そんな時、私なりに、あの手この手を考えて、取り組んでみました。

今、冷静に振り返ると、私の打った手なんかより、「時間」が解決してくれたことの方が、圧倒的に多いのではないか、と感じます。

まあ、トラブルや困難の渦中には、そんな風には思えませんね。

上がらない雨はないし、明けない夜もない。
だから、今のトラブルや困難も、必ず、次のステージに進む。

そして、今は、「雨」だと感じる、トラブルや困難も、後になってみると、実は、すばらしい「恵み」なのかもしれません。

壁にぶち当たった時には、ぜひ、天気予報を見てみてほしいと思います。

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2016年

6月

07日

私、変わりたいんです!のウソとホント

単調な毎日。

変化のない毎日なんて、つまらない。
だから、いろんなイベントや事件があると、ちょっと嬉しいなぁ〜
そこで、子どもたちは、巧妙に(?)、いろいろなことを引き起こすと思います。
ところが、本当の本当は、変化って、不安なものだと思います。
例えば、学年が上がって、先生が代わる、クラスメイトが変わる、教室が変わる…
ワクワク、ドキドキ!
でも、フッとした時に感じるのは、変化への強烈な不安なのではないかと思います。
この矛盾は、どう解決するか…
その方法は、安心できる人が、一緒にいることだと、私は思います。
前向きにとらえる、チャンスととらえるなど、心の持ち方のヒントは、数あると思います。
でも、そもそも、そんな風に前向きにとらえられないから、不安なのですよね。
だとすると、グチも涙も含めて、安心できる人と一緒にいることで、楽しみも共感し、痛みは分かち合うことだけが、変化への恐怖を克服する方法なのではないかと思います。
何も、特別なことをしなくていいのです。
ただ一緒にいる。
お母さんには、それだけの存在価値があると、私は思います。
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2016年

6月

08日

自意識過剰…心当たりは、ありますか?

人って、ホントに見ていない。


だから、勝手に、
「責められた!」
「バカにされた!」

と、決めつけない方がいい。

クラスでは、そういう思い込みのトラブルが、よく起こります。

そんなに、気にしなくていいのに…

大人なら、そう思えますが、子どもは、なかなか、できません。

いや…
大人も…?

先日、健康診断を受けるため、かかりつけの病院で、呼ばれるのを待っていました。
すると、受付を済ませた女の人が、日傘を置いたままのソファに座ってしまいました。

ぼんやり向かい側にいた私には、そこに誰が座っていて、今は先生に呼ばれて診察室に行っていて、あと少ししたら、戻ってくるよね、とわかっています。
でも、座ってしまった人は、何の悪気もなく、イタズラ心もなく、一番、座りやすかったところに座っただけです。

まぁ、私からすると、他にも空いているところがあって、あんなに大きな日傘があるのが、なんで気づかないのかなぁ、と思いました。

でも、まぁ、そんなものでしょう。
私だって、新しい場では、妙な緊張をして、おかしな行動をしてしまうことがあります。

だから、ハッキリ言って、単に気づかなかっただけなんです。

座ってしまった方も、座られた方も、責めてないし、責められてもない。

実際、診察を終えて戻ってきた人は、何事もなかったように、日傘を取って、別の場所に座っていました。

しかし、こんな平和なことばかりではありません。

教室だったら、そういうちょっとしたことをキッカケに、ケンカになることもあります。

女の子なら、ちょっとした目線のことだけで、トラブルが長引くなんてこともあります。

いろいろなことが気になるのも、理解できますが、大人としては、その気持ちを十分に受け止めた上で、

そこまで思わなくていいんじゃない?

と、肩の力を抜くようにアドバイスすることが必要なのではないでしょうか。
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2016年

6月

09日

この景色をホノルルの青い海と空に見ることができるかどうか、それだけが問題だ。

ぼんやりとスタバのカウンターに座っていて、

「あ〜ここが、ホノルルのビーチが見えるカフェだったらなぁ〜」

と、ふと思ってしまいました。

私は、ハワイに行ったことが一度だけあります。

かつては、みんながオススメするハワイに、妙なライバル心(?)を燃やして、行くもんか!と、まったく勝手な自意識過剰でしたが、そんなにいいなら、行ってみたい、と素直に思うようになり、行ってみました。

仕事の都合もあり、3泊5日という最短のスケジュールではありましたが、皆さんがオススメする理由が、少なくとも一部はわかったような気がします。
さて、そんなハワイに焦がれているのは、いいとして、スタバのカウンターから見えるのは、いつもの道路と交差点です。

この景色をホノルルの海と空と見る心の力があるかどうかは、毎日の心の平穏に、大いに関係があるような気がします。

子どもたちは、
・ボクも、あの子みたいに、早く走りたい
・ワタシも、あの子みたいに、背が伸びたい
・アイツなんかより、いい点取ってやる
など、自分なりの理想を持ち、その裏で、自分ってダメだ〜と思っていることも多いと思います。
私からすると、それぞれの子に、それぞれの良さがあるのですが、いくら言葉で言っても、慰めにもならないことがあります。子どもは鋭いですからね。
自分の見える景色、毎日の生活の中に、自分の理想を見ることができるようになったら、まず、気持ちがワクワクするだろうな、と思います。
こんな話は、意外と子どもも、興味を持って聞いてくれるのではないかと思います。
明日、さっそく試してみようかと思います。
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2016年

6月

10日

体操の寺本明日香選手に学ぶ、自分の良さの活かし方。

やっぱり、自分の特徴は、前向きに活かすのがいい。

 

体操の寺本明日香選手について、今朝のテレビで取り上げられているのを見ました。

 

私はスポーツに詳しくないので、寺本選手の魅力や特徴を、体操競技の面から論じることはできないのですが、身長についての話に、とても惹かれたので、今日は記事にしました。

 

寺本選手の身長は、141cm。

 

確かに、小さい方だと思います。

ちなみに、140cm前後というのは、小学校5年生の平均身長です。

 

ところが、この小ささが、彼女の大きな魅力なのだそうです。

 

例えば、鉄棒競技では、2本並んだ鉄棒の間が狭いため、普通の身長では、体を振る時、股を開かなくてはならないのだそうです。

 

ところが、寺本選手の身長では、足をまっすぐ伸ばしたまま、体を振れるため、スピード感があるように見えるのだと、テレビでは言っていました。

 

その他、小さいことが、良い特徴につながっていることについて、特集されていました。

 

私の周りでは、背の低さを気にしている人が、結構います。

 

・大きくなりたい!

・どうすれば背が伸びる?

 

という話を何度となく聞いてきました。

 

私の身長は176cmで、平均よりちょっと高いぐらい。

小学校6年生の時に159cmあり、多分、一番、高かったと思います。

 

というわけで、私は、「大きくなりたい!」という心境は、あまりわからないのが本音です。

でも背が高かったのは、ちょっと嫌でした。

ひどく嫌ではなかったけれど、

 

「大きいね〜」

 

などと言われるのは、結構嫌でした。

まあ、自意識過剰ですね。

 

つまり、小さかろうが、大きかろうが、何かができようが、できまいが、自分の特徴を悪くとらえるのではなく、良い方向でとらえて、活かす方が、絶対に毎日が楽しくなります。

 

このブログでも、何度か書いたような気がしますが、私は色白なのが、本当に嫌でした。

色黒で、健康的な友達が本当にうらやましかった。

 

大学1年生になった時、母校の臨海学校で補助を頼まれ、行ったことがありました。

炎天下、これはいいチャンス、と日焼けをガンガンやりました。

 

すると、案の定、因幡の白ウサギになってしまい、右腕など、ヤケド状態だったのでしょうね。相当、長い間、ジュクジュクしていました。今でも、何か異変はないか、気になっています。

 

他人がよく思えるのは、仕方ないと思いますが、結局、早く自分を受け入れ、活かす方向で生きて行くのが良さそうです。

 

これをきっかけに、寺本選手の情報を見るのが楽しみになりました。

応援していきたいな、と思います。

 

あなたには、どんな特徴がありますか?

それをどう活かしますか?

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2016年

6月

11日

抱っこを「宿題」にしていいの?あえて、しない方が子どもの心を広げるのでは?

抱っこを「宿題」にしていいの?

 

 

「親に抱っこしてもらう」宿題が話題

「愛情表現」の強制なのか?

 

と題した記事があります。(こちら

 

一部の小学校で出されている、「親に抱っこしてもらう」宿題が、本当に美談なのか、それとも、親のいない子や虐待児などへの配慮のない悪い策なのか、ネット上で議論になっているというのです。

 

さて、この問題。

私なら、抱っこを宿題に出すことはないと思います。

 

理由は、「宿題」にするのにふさわしくないなぁ、と思うからです。

もちろん、抱っこを含む、親子のコミュニケーションには、大いに意味があります。

 

が、私は、それを「宿題」にすることに抵抗があります。

 

なぜなら、宿題は、しなくてはならないものです。

面倒だったり、嫌だなと思っても、常識的な範囲で、取り組むことを子ども達に強いるものです。

 

いや、したくない子はしなくてもいいんだよ、というのなら、それは「宿題」なのかどうか、よくわかりませんし、漢字練習はしなくてはならなくて、抱っこはしなくてもいい、というのでは、トータルとしてのクラス運営が不安定になります。

 

というわけで、私は、

「たくさん抱っこしてもらえば?」

とか、

「抱っこしてもらえばいいのに〜」

というような話はするかもしれませんが、強制力の伴う「宿題」ということに抵抗があリます。

 

この記事をネットで見かけた時、私は、すぐにこの絵本が思い浮かびました。

 

「しゅくだい」(作・絵 いもとようこ 岩崎書店)

 

これは…

 

ヤギの先生が、動物の子ども達に、「抱っこ」の宿題を出す、というお話で、モグラのもぐくんは、みんなの前では「嫌だよ」と言いつつも、家に飛んで帰ります。ところが、お母さんは何かと大忙し〜

 

というわけです。

 

私は、この本を子ども達に読み聞かせしたことがあります。

その時、子ども達は、モグラのもぐくんのような反応をしていました。

「ヤダよ〜」

などと言いつつも、ニヤニヤしたり、

「やってくれるかな〜」

とつぶやいたり…

 

とても微笑ましい時間でした。

 

私は、それで十分だと思うのです。

それを「宿題」としてしまうことに、ある種の傲慢さを感じます。

 

絵本を読み、みんなで楽しいような、嬉しいような、恥ずかしいような時間を共有する。

あとは、私自身がなるべく暖かい眼差しを子ども達に向けていることが大事なのではないか…

 

あえて、言葉や明確なものとして要求しない、そんな心のゆとり、心の幅が、子どもの心の豊かさを育むように思います。

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2016年

6月

12日

マジメな子、お母さんだけのためのヒント 心の幅を広げるには…

いつもと同じを壊す勇気。

非日常ばかり求めている方には、今日の記事は当てはまらないのですが、毎日をキチンと、正しく過ごそう、というマジメな方には、ちょっと肩の力を抜けるヒントになると思います。

いつもと同じことを淡々と積み重ねることは、本当に大切だと思います。

そういう日常の積み重ねを、飽きずに、懲りずに、続けられる平常心は、本当に価値があります。

だからこそ、「いつもと同じ」を壊す勇気が必要です。

表と裏は、セットです。

当たり前の日常が大切だからこそ、非日常も大切で、セットで大切ということです。

かつて、子ども達と新聞作りをしようという話になったことがあります。

そこで、取材として、学校の周りを歩いてみました。

もちろん、校長の許可も取り、職員会議にも通して、何の問題もないことです。

にもかかわらず、ある男の子が、

「ホントに学校を出ていいの?大丈夫なの?」

と、やけにビビってしまったのです。
他の子達は、ワイワイ、喜んでいたのです。
一人だけ、大丈夫?いいの?と、いつもと違うことをするのに、怯えてしまったのでした。

そこで、私は、
「大丈夫だよ〜校長先生も知ってるし、みんな、わかってるんだよ」
と、彼に話し、それで安心してくれて、無事に学校の周りを歩いて、「取材」をできました。

私の勤める学校では、当たり前のことを当たり前に積み重ねることを、とても重視しています。

ですから、いわゆるイベントごとは、とても少ないです。見栄えのいい(?)、ハデな(?)、わかりやすい(?)イベントはありません。

そういう意味では、彼のような子は、学校の大切にしていることを、よくわかっている子だと言えます。

が、いつもと違うことを避けすぎるのも、また課題になります。

そういう子には、時には、突然の変化を経験することで、心の幅が広がります。

ただし、本当に変化を恐れている時は、無理をさせてはいけません。余計に変化を避けるようになります。

何事も、ちょっとずつ、ですね。

かくいう私も、今日は一人の夕食だったので、「いつも」を変えて、ビールとおつまみを頼んでみました。

それだけのことです。
でも、新しい自分が育ちました。
ちょっと嬉しい夜です。

2016年

6月

13日

正しさを教えたい。身につけさせたい。だから…

正しさ…
本当に大切。
だからこそ、正しいか正しくないかで子どもを追い詰めず、好きか嫌いかを大切にした方がいい。

ホンネの好き嫌いを大切にすることは、ホントの自分を大切にすることだから。


人のものを盗ってはいけない。
暴力や暴言はいけない。
人に優しくしなくてはいけない。

確かに、明らかに、「正しい」こともあるとは思いますが、それを踏まえた上で、正しさばかりを子どもに求めると、子どもは、かえって、「正しく」振る舞えなくなります。

なぜなら、完全、完璧な正しさって、実は、なかなかないのです。

極端な例は、置いておいて、日常的なことで考えてみます。

勉強は、しなくてはいけない。

まぁ、正しいとは思います。
が、しなくてもいい状況は、いくらでもあり得ます。

・風邪をひいて、熱がある…
・大切な友達とケンカして、今はそういい気分になれない…

どうであれ、少なくとも、本人にとっては、仕方ないこともあると思います。

私は、「正しさ」を教え、時には、体現することを求められるような仕事をしています。

もちろん、先生も人間なんだから〜と、常識的な範囲で、ハメを外したって、ふざけたっていいのですが、それでも、「正しさ」を求められることは多いです。

それって、結構なプレッシャーです。
私は大人ですし、仕事ですから、まだいいのです。
子どもなら、「正しさ」を求められすぎると、うまくできない、「仕方ない」状況を自分で許せなくなります。

すると、

・どうせ、自分にはできない。

と、どうせ星人が誕生します。

だから、「正しさ」は必要だけど、求めすぎると、かえってできない、ということを心の前提にしておく必要があります。

そういう心持ちでいると、子どもの困った言動の奥にある気持ちや状況を許せるようになります。

本当は、人を傷つけたくなんてないのです。(ほとんどの人は…)

本当は、好きなんです。
でも、嫌われたくないから、わざわざ、イヤなことをせざるを得ないのです。

そういう考え方に基づけば、子どもに「正しさ」を教えるために、

「ホントに好きなの?」
「ホントに嫌いなの?」

と、好き嫌いを確認してあげることが大切です。

好き嫌いとは、その子らしさの体現なのですから。

2016年

6月

14日

恥ずかしいからって、全部個室化…「大」問題ですね。

「学校で恥ずかしいから、全部個室化」…「大」問題ですね。

 

 

神奈川県の大和市では、市立小中学校の一部で、男子トイレの完全個室化をするという記事が神奈川新聞ニュースにありました。(こちら

 

学校で、「大」をしにくい、という子どもの事情に配慮しての決定とのこと。

私は、びっくりしてしまいました。

 

確かに、学校での「大」問題は、大きい問題ではあるのですが、このような物理的な方法だけで解決するものではないでしょう。

 

トイレに、ある程度、長時間入っていれば、それだけでからかう人はいそうです。

 

実際、この記事によると、茅ヶ崎市でも取り組んだ事例があり、結局うまくいかなかったとの話も紹介されていました。

 

それはそうだろうな、と思います。

 

では、どうするか。

 

一つに、堂々と、「大」をする、ということがあります。

堂々としている人には、結構、からかいをしづらいものです。

 

とはいえ、それができないから、悩みになっているわけで、そんなことで悩みもしない、という人には、その切実さは、わかってもらえないでしょう。

 

さて、私の勤める学校には、1週間近くの臨海学校があります。

すると、「大」無しの生活など、ありえません。

 

しかも、低学年の時には、担任は、繰り返し、繰り返し、「大」の大切さを部屋で話します。

 

私も、毎日、毎日、寝る前に子ども達に、話したことがあります。

 

それでも、気にする子は、いるでしょう。

だとしても、担任が、全員の前で、宣言することには、意味があるものです。

 

「大」は、堂々と、「しなくてはいけない」んだ。

 

という枠組みを宣言します。

 

大和市でも、茅ヶ崎市でも、どこでも、ほとんどの学校で、そういう話はしていると思います。

 

が、それだけでは、なかなか伝わらない。

 

もう、「大」無しではいられない状況を設定してしまうのも、大きな解決方法です。

 

2016年

6月

15日

お子さんの集中力を高めたいお母さんへのメッセージを書きました。

子どもの集中力を高めるためのヒント

昼寝。

 

 

当たり前のことかもしれないけれど、頭の片隅に置いておくといいと思います。

 

今日、何気なくネットを見ていたら、こんな記事がありました。

 

「午後の集中力向上へ 加古川中で『シエスタ』試行」(神戸新聞NEXT)

 

この取り組み、私は本当に共感します。

オススメです。

実際、私は教室でやっていました。

 

私の場合、目的は2つありました。

 

まず、臨海学校が近づくと、クラスでは臨海学校の生活に向けて、整列の練習や号令をかけることをキビキビやることなど、練習ごとが始まります。

 

その中で、昼食後の長い昼寝を静かにするということも、とても大事なことです。

それに向けて、暑い昼下がり、15分でもいいので、静かに横になる練習をしていました。

 

かつての校舎では、冷房もなく、7月に入って暑さも厳しくなると、まさに昼寝でもしないともたないようなこともあり、丁度良かったのも思い出です。

 

そして、もう1つは、心を鎮めるためです。

 

なんだか気持ちがワサワサしているな…

 

そんな時は、突然、

 

「寝ましょう」

 

と声をかけます。

 

この場合は、15分どころか、1分で十分です。

むしろ、私の声かけで、皆がちゃんと寝るかどうか、それは私の指示が子どもたちに通っているかどうかの試金石なのです。

 

あるクラスで初めてこれに挑戦した時、私は、子どもが本当に寝るかどうか、正直、不安でした。

 

でも、これは私たち大人にとっても、自分が率先して静かにする課題でもあるのです。

 

そう考えて、私は、

 

「寝ましょう」

 

とだけ、子どもたちに言いました。

すると、子どもたちは面食らってはいましたが、きちんと寝たので、ホッとしたのをよく覚えています。

 

「寝る」

「昼寝」

 

と聞くと、サボりの象徴のような、怠けた印象も強いと思います。

 

が、気持ちの切り替えには、一旦、意識をシャットアウトすることは大事です。

 

ぜひ、ご家庭でも、無理のない範囲で、一瞬でも目を閉じる時間を区切りに使ってみることをお勧めします。

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2016年

6月

16日

お母さん、なんのかんの言っても、やっぱり、子どもに役目を作ることは大切ですよね。

ありきたりではありますが、やはり、「役目」を作ることは、大切です。

 

今日、私は、子ども達とちょっとした活動をしていました。

現在の教科書では、47都道府県を学習する内容がないため、課外で、都道府県について、楽しく絵でも書きながら、勉強してみよう、というものです。

 

さて、そんなことをしていると、急に会議をすることになり、予定より、少し早く、切り上げることになりました。

 

いつもなら、私も一緒に机の上を整理して、子ども達が所定の場所に片付けるのですが、今日は、急に呼ばれてしまったため、私が整理する余裕がありませんでした。

 

そこで、私は全てを任せることにしました。

すると、気持ち良く、

 

「うん!」

 

という返事が返ってきて、とても頼もしく感じました。

 

ありきたりのことではあるのですが、やはり、子ども達に「役目」があることは大切です。

 

それは学校だけではないでしょう。

一番リラックスできる(はずの…)ご家庭でも、自分の存在価値が実感できる、「役目」があることは、とても大切です。

 

子どもは敏感です。

大人が楽チンをするためだけの役目なら、気づいてしまいます。

が、みんなにとって、価値のある、必要のある「役目」なら、やりがいを感じられます。

 

特に、これは4年生以下の子どもたちには、大いに効果があります。

 

お子さんが、自分の存在価値を感じられることが目的です。

こんな当たり前のことも、時には思い返して、「役目」を作ってみてください。

 

たくましさも育つことと思います。

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2016年

6月

17日

他人のことに逃げ出す前に、自分の足元に落ちている豆を見つけたいものです。

足元に、何かが落ちていませんか?

 

「人のことより、足元の豆を拾え」

 

 

人は、人の間で生きてこそ、人間。

でも、人のことばかり、気にしているのは、片手落ちです。

 

そんな時、この言葉を思ってみてください。

 

「人のことより、足元の豆を拾え」

 

誰かの足元や、頭の上や、肩の上に、何が落ちていようと、載っていようと、それは他人の話です。

 

この話は、私が例を挙げるまでもなく、皆さんなら、あるある、と思ってくださるのではないでしょうか。

 

「だって、あの子だって、宿題やる前に遊んでるよ」

 

「だって、アイツが先に、バカって言ったんだ」

 

当然、教室でも、同じようなことはたくさんあります。

 

〜先生!確かにそうかもしれません。でも、自分のことばかりに目を向けるような子には、なって欲しくないんです〜

 

そうですね。

では、お子さんの言葉の冒頭に、これがついていなかったかどうか、で判断してみてください。

 

「だって〜」

 

「だって」で始まる言葉は要注意です。

言い訳として、他人を引き合いに出しているだけ、ということがとても多いと私は感じます。

 

言い訳も含めて、お子さんの本音や状況に共感することと、それに流されることは別です。

 

まず、自分の足元に、何が落ちているかを考えるようにしたいものです。

私も、気をつけます。

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2016年

6月

18日

せっかく優しくしたのに、アイツが怒るんだ…そんな時のヒント

言われて嬉しい言葉…

いろいろ、あるとは思うけれど、受け手によっては、責めになる。

 

 

子ども達と話していて、友達やお父さん、お母さん、先生などに言われて嬉しかった言葉は?という話題になったことがあります。

 

その時、結構、多かったのが、

 

「大丈夫?」

 

という言葉をかけてもらって、嬉しかった、という声です。

 

漢字にしてみると、わずか3文字の、当たり前の言葉。

でも、確かに、いい言葉です。

何か失敗したり、心配したりしている時、気にかけてもらえている、とわかるだけでも、嬉しいものです。

 

が、一方で、

 

「大丈夫?」

 

と聞いただけで、

 

「バカにされた!」

「放っておいてくれない!」

 

とケンカになってしまった、ということも、時々あります。

多くの場合、「大丈夫?」の言葉は、温かくて、関係を良くするいい潤滑油なのです。

が、時には、全くバカにしようなどと思ってもいないのに、バカにされた、などと、「責め」「恥の上塗り」というような捉え方をされて、トラブルになることもあるわけです。

 

以前、とある先生が、

 

「頑張れ!ということがプレッシャーになるなんて、思ってもいなかった」

 

とおっしゃっていたのをよく覚えています。

いつの時代も、若者の考えていることは、わからない、と大人は言うとは思いますが、言葉を発する人の気持ちと、受ける方の気持ちにズレがあると、トラブルになります。

 

特に、自分のことを責める癖のある人には、いわゆる温かい言葉は、逆に責めているように聞こえるようです。

 

なぜなら、終始、自分で自分を責めているからです。

自分で自分を責めるのが当たり前になっているので、他人の言葉も自分を責めているという前提なんですね。

 

ということで、一般的な温かい言葉でも、相手によっては、責めとみなすなんてことがあるんだな、と知っておく必要があります。

 

そういう予備知識を持っていれば、相手の拒絶反応や過剰反応の意味を理解できます。

 

お子さんが、このようなトラブルを抱えて帰宅した日は、相手の心持ちを一緒に想像してみることが大切です。

 

そんな時のヒントになれば、嬉しいです。

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2016年

6月

19日

「正しい」子育ての選択をするための、2つの秘訣

「正しい」子育ての選択をするための秘訣は、たった2つ。

 

「正しい」と決める。

「正しいよ」と言ってくれる味方を持つ。

 

 

〜先生!どうすればいいんですか!?〜

 

いろいろな場面で、聞かれることがあります。

 

・宿題をどうすれば、やるようになるか。

・あまりに言うことを聞かないので、怒鳴ってしまったが、大丈夫か。

・塾には何年生から行かせるのがいいのか。

・あの子といつも喧嘩になるのは、どうすればいいのか。

 

何が正しい方法か、選択か、実は私には、わからないのです。

 

私ならどうするか、どう思うか、ということなら、あります。

今までの経験上、こうすると、こうなる可能性が高いな、ということもあります。

 

が、それが「正しい」保証はありません。

また、Aさんにとって、嬉しい結末になり、「先生!正しいヒントをありがとうございました!」と言ってもらえたとしても、

Bさんにとっては、残念な結末になり、「先生!信頼して伺ったのに、ヒドい!」と言われることになるかもしれません。

 

つまり、「正しさ」を求めることで、かえって選択肢が無数になってしまうのです。

迷う要素が無限に広がります。

 

ということは、私にとって、「正しい」とは、こういうこと、と自分で決める必要があります。

 

それがハッキリしていれば、うまくいった、いかない、という検証もしやすくなります。

たとえ、うまくいかなかったとしても、次にどうするか、という建設的な考えもできます。

 

今、お子さんについて、何か迷っていること、悩まれていることがあるなら、「正しさ」を求めていないか、ちょっと考えてみてください。

 

自分にとって、何が「正しい」のか、考えた結果、思うことは、もう、「正しい」のです。

 

そう決めることが大切です。

 

が、なかなかそうは思えないものだと思います。

 

ならば、あなたの、その決断を、

 

「そうそう。それが正しいよ」

 

と言ってくれる味方を持っておく必要があります。

 

そうすれば、もう、鬼に金棒ですね。

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2016年

6月

20日

お子さんらしさは、すでにプログラムされているのか、それとも、何かをさせたから花開くのか…

タネから芽が出て、成長する。

それは、発芽できる条件を誰かが与えたから?

それとも、そもそもタネにその力があるから?

 

 

これは、結論から言って仕舞えば、どちらも正解で、どちらも必要なのです。

 

そもそも、芽を出し、成長し、花を咲かせて、実を付けるということは、そのタネにプログラムされています。

 

でも、芽を出したり、すくすく成長したりするための「お世話」もないと、なかなか、大きくはならないものです。

 

実際、あれほど大量に落ちるドングリの中から、1本の木にまで成長できる割合は、相当低いでしょう。というよりも、雑木林の中で落ちたドングリなら、木にまで成長できる割合は、限りなくゼロに近いと思います。

 

そういう実態を踏まえた上で、今日、申し上げたいことは、

 

「それでも、どちらの立場に立って、子育てや教育を考えるか、ということは、大きな違いを生む」

 

ということです。

 

そもそも、その子には、その子らしく活躍することがプログラムされています。

でも、そのまま、放置したのでは、成長、少なくとも心豊かに成長することは難しい。

 

一方で、この子を伸ばすのは、どんな環境を与え、どんなことをさせ、どんな言葉かけをしたかだ、とばかり、「与える」ことにフォーカスしすぎるのも、また問題です。

肥料のやり過ぎは、植物を痛めてしまいます。

 

私は、全く迷うことなく、その子には、その子らしく活躍することがプログラムされているということを、前提としています。

 

その上で、トラブルや困りごと、迷うことも含めて、なるべく手を加えずに、成長に刺激を与えていきたいな、励ましたいな、と思っています。

 

あなたは、どうですか?

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2016年

6月

21日

子どもの言葉から学んだ、伝わるメッセージの極意

伝わるメッセージの極意…

それは、今日、とある子どもからもらった名言。

「誕生日おめでとう!ところで、先生って何歳?」

もう、細かいことはいい!
大事なことを伝えることが一番、大切。


私事ですが、今日は誕生日です。
40歳になりました。
ネットに乗せて、全世界に、高らかに宣言するようなことでもありませんが、プロフィールに生年月日は載っているので、まぁ、大したことでもないですね。

今年、クラスをもっていない私ですが、昨年度担任していたクラスの子達が、メッセージやら、プレゼントやら、いろいろと送ってくれて、本当に嬉しい1日でした。

どのメッセージも、本当に嬉しくて、
あ〜あの子らしいな〜
と思えて、温かい気持ちになったのですが、この一言には、学ばされました。

「誕生日おめでとう!ところで、先生って何歳?」

細かいこと、データ、ディテールなんてどうでもいい。
とにかく、

「誕生日おめでとう!」

それを伝えたい。

これって、大事なことだな〜と思いました。

私など、細かいことが気になって、大事なことを伝えるのが、後になったり、あるいは伝えられなかったり、要は、カッコつけてしまうところがあります。

でも、小さいことは、どうでもいいんですよね。

「誕生日おめでとう!」

でも、なんでも構いませんが、本当に伝えたいことを、ハッキリ、キッパリ伝えることって、大切だと学ぶ機会を与えてもらい、最高の1日です。
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2016年

6月

22日

レジで学んだ、心を穏やかに保つ極意

「好きな店員さんの列に並ぶ」


買い物を終えて、どのレジに並ぶか…
少しでも、早く用を済ませて、次のことをする重要なポイントです。
が、店員さんの胸に、研修中やら若葉マークやらの札がないことを、いくら確認しても、
並んでいる人のカゴの中身が、いかに少ないかを見ても、
お金を出すのに手間取りそうなお年寄りのいない列を選んでも、
結局、となりや近くのレジの進みを見て、イライラ、ヒヤヒヤし、よしっ!やった!
と、となりの列より早く会計を済ませてみても、
あ!
アイスクリーム用のドライアイスをもらい忘れた〜
と、レジの周りで挙動不審になってしまい、余計な時間を食ったりします。
これって、少しでも、人に勝ちたい、要は損をしたくない、ということなんですね。
どんな対策を練ったところで、勝つ時は勝つし、負ける時は負けるのです。
だから、私は好きな店員さんの列に並ぶことにしました。
それなら、遅かろうが、早かろうが、となりの人に笑われようが、ドライアイスのコインをもらい忘れようが、腹は立ちません。
だって、好きな店員さんの列に並ぶこと、そのものが嬉しいポイントだからです。
「勝ち負けじゃないよ〜」
何度、子どもたちに言ったかわかりません。
でも、レジでのイライラでわかったように、大人の方が、子ども以上に、勝ち負けにとらわれていることも多いかもしれません。
イライラしたなら、好きな方を選ぶ、探す。
これが、大きなヒントになりそうです。
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2016年

6月

23日

お母さん!お子さんは、あなたのことばかり考えているんですよ。

人って、見てる。


バレなきゃいいんだ〜
とは、いかないかもしれませんよ
特に、お子さんは、あなたのことばかり考えていますから、バレてしまいます。
先日、例によって、スタバでボーっとしていました。
すると、ふと目に入ったのが、あるお店の開店準備です。
ある店員さんが、いそいそと、商品を出したり、しまったり、棚を拭いたり、と忙しそうでした。
ところが、次の瞬間、ポロっと転がった商品を、その店員さんは、チラッと一瞥して、無視したのです。
開店準備が慌ただしいのは、よくわかります。
私も、学生時代のアルバイトで、バタバタ準備をしていたものです。
が、あの一瞬の目線は、何か見てはいけないものを見てしまったような感覚になり、そして、ちょっと寂しくなりました。
「人って見てるなぁ〜」
と思わされました。
私の感覚では、食べ物や生物でもない限り、一時的に商品を床に置くぐらい、気にもなりません。
でも、あの視線は、転がり落ちた商品に気づいていたものです。
わかっていて、後回しにした。
そのことが、私には寂しさ、悲しさのようなものを残しました。
何かと忙しいお母さんです。
お子さんの話をしっかり聞かないと、と思ってはいても、聞けない時があると思います。当然のことです。
それを認めた上で、聞く時は、3分でいいので、他のことを考えずに、何かをしながらではなく、お子さんのことに集中してみてください。
子どもたちは、そんなお母さんに迷惑をかけまい、と思ってしまいがちです。
もっと聞いて!
と荒れてくれる子なら、お母さん、ラッキーです。
そういうホンネを言えない子の方が心配なんです。
開店準備中のちょっとしたことでも、見ている人は見ている…
お母さんのことばかり考えているお子さんなら、もっともっと、お母さんのことを見ていて、ちょっとした仕草にも敏感になっているでしょう。
話を聞けないことは問題ない。
ここぞという時は、3分でいいので、お子さんのことに集中する。
私はそれをオススメします。
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2016年

6月

24日

私って、軽く扱われるんだ、と思っている人へのメッセージ。ホントは…?

丁寧に扱われたい気持ちって、大人も、子どもも同じ。
雑な扱いを受けると、腹が立つ。

でも、大事なことは、雑な扱いではなく、ホントは訴えたい困りごとが他にあるんじゃない?



レストランやカフェ、お店など、至る所で、サービスを受ける毎日。

あ〜
こんなに感じのいい人がいるんだ〜
この人からなら、もっと買いたい!

と、思わずにいられない時がある一方で、おわかりとは思いますが、

こんなのってないんじゃない?
もぅ〜二度と来ない!

と、感じてしまうこともあるものです。

その気持ちの奥にあるものって…
と考えてみると、

「大切にされた」
「いい加減にされた」(バカにされた)

ということなんですね。

大切にされたい、丁寧に扱われたい気持ちって、大人も子どもも同じです。

ということで、私は、普通、子どもを呼び捨てにしません。先輩から教わったことも含めて、私なりに、「ある程度」、そうしています。

ところが、私のそういう取り組み、こだわりを、

「呼び捨てしてくれないなんて、冷たく扱われた」

と、とらえる人もいます。
私は、大切にしようとしています。
でも、相手は、冷たくされたと受け取っています。

だから、「ある程度」ということが大切です。
そう思っておかないと、私のこだわりを相手に押し付けることになります。

理想論としては、相手が大切にされた、と感じる言葉や態度で接することがいいのでしょう。

が、そんなことって、できるでしょうか…

先日、所用で出かけた際に、時間調整のために、例によってスタバに入りました。

そして、アイスコーヒー、氷少なめをお願いしたのですが、

「え?これだけ?」

と思うような分量しか入っておらず、ちょっとイラッとしました。軽く扱われた気がしたのですね。

でも、こういうチェーンカフェでは、規定の分量は決まっているものです。氷少なめなのですから、カサが少なく見えるのは当然なんです。

それはわかっているけれど、いつも行っている吉祥寺界隈のスタバでは、もうちょっと入っているので、軽く扱われた気が強くなったとも思います。

そして、さらに気づいたことは、私にとって、不慣れな場所である、その場で、私は不安感を持っていたということです。

いつものスタバなら、気にならないことが、新しい場所では気になった…

丁寧に扱われない自分と、他の不安感がリンクしてしまったことで、いつもは感じない、イラッとしたものが心に残ったんだなぁと思いました。

お子さんが、何かで不安や不満を感じている時…

そんな時は、お子さんが口にする困りごとに加えて、他に何かないかを意識してみてください。

多くの場合、そちらの方が本丸なんです。
本当に困っていること、伝えたいことは、言いづらいので、ダミーとして、わかりやすい困りごとを訴えている、という見方をすることで、事態を動かすことがあります。

ということで、まずは、大人が自分の感情に敏感で、正直でありたいな、と思います。
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2016年

6月

25日

お子さんから、知らないことを聞かれた時、親の沽券を保つ、簡単な方法。

お子さんに知らないことを聞かれた時の答え方。

「わからない」


え?
それだけ?

そうです。
シンプルイズベスト。

あれこれ、言葉を足しません。かぶせません。
そんなことをすると、かえって、泥沼にはまります。

「先生でも、知らないことってあるんだ〜」

子どもに言われたことがあります。
そういう時、慌てて繕うと、かえって自信のなさがバレてしまいます。

「そうなんだよ。知らないんだよ」

それだけのことです。

私が知らないことを恥ずかしがったり、隠したり、繕ったりすれば、それは、子どもたちをその方向に導くことになるのです。

誰でも、知らないことがあって当然。
できないことがあるのも当たり前。

子どもは、大人が何かを知らないこと、そのものよりも、大人の動揺や恥の感覚など、ホンネの部分に気づきます。

だから、何か知らないことを子どもに聞かれたなら、堂々と、

「知らない」

と答えればいいんです。

そして、

「あなたは、どう思う?」

と、落ち着いて聞くと、完璧です。

ぜひ、頭の片隅に置いておいてくださいね。
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2016年

6月

26日

本当に満足いく選択をするヒント

私は、こんなところですから、もういいんです。

え?
どんなところ?
それってホンネ?

「レベル」よりも、本当に好きかどうかだけを考えてほしい。


私は都内にある私立小学校に勤めています。
「私立」と聞いただけで、

「ウチはそんなレベルではありません」

などと、おっしゃる方もいらっしゃいます。

一方で、

「は?ウチは、そんなレベルではありませんのよ」

という感覚の方もいらっしゃるものです。

まぁ、どちらでもいいのですが、大事なことは、「レベル」ではないですよね。

小学校や中学校、高校、大学、あるいは会社など、選ぶという時に大切にしたいことって、レベルなのでしょうか…

実際、「レベル」も、確かに現実的な意味を持っているとは思います。
が、「レベル」第一というのは、本当にいいことなのでしょうか?

仮に、同じ「レベル」で考えてみても、例えば、中学受験の「御三家」ということで考えてみても、それぞれの校風は、男子、女子とも、全く違うのです。

人より上に立ちたい…

あるいは、

ウチにあったレベルにいたい…

私も理解できるのです。
でも、「レベル」なんて、変化することもありますし、何より、本当に気に入っているかどうかの方が、圧倒的に大事です。

皆さんも、聞いたり、見たりしたことがあるかもしれませんが、「レベル」の高い学校に行っているからと言って、有能とは限りません。もちろん、友達になりたいタイプかどうかもわかりません。

結局、その学校なり、環境なり、モノなり、ヒトなりが、好きかどうかに尽きます。
好きなら、結局、許せます。

人よりも高いことが好きなら、「レベル」だけを考えるのもいいでしょう。
これは嫌味ではありません。
どこでもいいから、学部は何でもいいから、早稲田に行きたい!と言って譲らなかった知り合いもいます。それって、分かりやすくて、いいと私は思います。

ホントは早稲田に憧れているのに、

「早稲田って、何かいやだよね」

とヤキモチを焼いている方が、よほど厄介です。
手に入れられるかどうか、入れるかどうかを考える前に、好きかどうかを、常に第一に考えたいな、と私は思います。
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2016年

6月

27日

大人に合わせてしまうクセのある子は、どうすれば本当の自分を出すことができるのか。

うわべだけ、大人や先生に合わせて、何が悪い?


それを、当然のことだと、認めるから、ホンネや本当の自分を表現できる。



ニューズウィーク日本版サイトに、こんな記事がありました。

「日本の生徒は『儀礼的』に教師に従っているだけ」
こちら

この記事では、OECDの学力調査(PISAの名で、一時、よく話題になっていました)の中で、「日頃の授業の様子」についての質問への回答結果を踏まえ、日本の生徒たちの傾向を、「儀礼的」…

つまり、

<以下、引用>
「勉強に興味は持てないし、本当は(ウザい)教師の言うことなど、聞きたくないが、成績に響いたり退学になったりすると困るので仕方なく従順にしている」
<引用終わり>

というわけだ。

なるほど。
現役小学校教師である私としては、耳の痛い話です。

では、「儀礼的」であることは、どんなデメリットがあるのでしょうか。
それは、何といっても、
「自分で、自分の人生を決められない」
ということです。

何かを達成するために、何かのために、「儀礼的」な手、言葉、態度を使うことは、別に日本人だけの特技ではないでしょう。
日本以上に、ワイロやら付け届けの効果が大きい文化もあるといいます。
時には、「儀礼的」も必要なのです。

問題は、いつでも「儀礼的」、つまりは、人の目を気にして、人の評価のために、を第一に考える、心のクセがつくことなのです。

私自身は、人の目をとても気にするところがあります。
現役小学校教師でありながら、このような活動をし、意見を世に訴えていく、ということは、批判をいただくことともセットで、いつもビクビクしているのです。

その一方で、私は教師として、「儀礼」を子どもに強いている側面もあります。
私の勤める学校は、朝から晩まで子どもと過ごし、一週間もの臨海学校があり、「儀礼的」要素は、おそらく少ない、「ありのまま」の関係ができやすいとは思います。

でも、「儀礼」をゼロにはできません。
その意識を、私は常に持っていたいな、と思っています。

この矛盾をどうするか…

このような相談は、お母さん方からも受けることがあります。

「勉強さえできるようになればいいんです!」

という目標ではなく、

「我が子の個性を生かして、本当の自分を生きてほしい」

というような気持ちをお持ちの方も、結構多いのです。
だとしても、やはり、毎日の学校生活では、勉強や生活面などで、目に見える成果もあげてほしいものです。

やはり、矛盾があります。

この矛盾を解消し、気持ちをスッキリさせるための第一歩は、

「矛盾がある」

と、自分で気付き、

「そんなこと、当然だ」
と、それを許すことだと思います。
大人が、自分自身を許すからこそ、子どもは、気持ちを楽にすることができます。

子どもが、「儀礼的」であることを身につけるのは、いいことでもあるし、よくないことでもあるし、もう、その矛盾は当然なんです。

それを許せるから、「儀礼」を超えて、本当の自分を出すことができる心の強さを育めるのですね。
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2016年

6月

28日

「あんな風になりたい!」を叶える秘訣

あの人、感じいいなぁ〜
私にはムリ…
の、ウソ。


先日、雨の日に、久しぶりにバスに乗りました。
コミュニティバスというタイプですから、バスも小さく、いつもは、そんなに混んでいないのですが、雨ということもあり、混んでいました。

傘をたたんで、バスに乗り込み、スイカで運賃を払った私は、傘を縛ろうとしたのですが、うまく縛ることができず、斜め前にいた女性の服の裾に水が飛んでしまったようです。

あっ…

と思って顔を見ると、穏やかな表情で微笑んでくださり、本当に感謝の気持ちが湧き上がってきました。

そして、次に、湧いてきた気持ちは、

「私も、こんな感じよく、他人に振る舞えるかなぁ…」

と、ちょっとした自己嫌悪でした。

思うと、こういう話は、他にもあります。

クラスでは、

「あの子みたいになりたい」
「アイツみたいにできるようになりたい」

そんな言葉や気持ちに触れることがたくさんあります。

そこで思うのは、

「そう?だったら、あなたもできるよ」

ということです。

まぁ、何でもできるという訳ではありませんね。
足の遅い子が、速い子に憧れた場合、いくら努力しても、足の速さは追いつけないかもしれません。

でも、その子にしかない、足の速い子にはない魅力が必ずあります。

ましてや、あの人みたいに、感じよく微笑みたい、なんてことは、きっと私にもできるし、誰にでもできるのでしょう。

でも、

「あ〜私って、なんてダメなんだ…」

という気持ちが先に立つ。
それが、実際のところです。

そして、端から見ると、

「あなたにだって、できるんだよ…」

そうホンネで思える。

この差を埋めるのは、

・自分自身で、努力して、私にもできると暗示をかける。

・励ましてくれる味方を常にそばにおいておく。

という二つの秘訣です。

そして、もう一つは、あの感じよく見えた、上品な女性も、時には、口汚く誰かを罵っているかもしれない(しかも、ウラで…)、という「相対化」の視点を持つことですね。

隣の芝生は青い。
そして、ウチの芝生も青い。

そういうことだと思います。

そして、その後の私は、スタバでの注文は、こちらから挨拶し、微笑む努力をしています。

感じのいいお客さんと思われているのか、いつも来る変な人だと思われているのか知りませんが、私自身の気持ちは、ちょっといい感じです。
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2016年

6月

29日

お母さん!困り事から早く解放されたかったら、この質問をしてみてください。

「あ〜スッキリした!」

お子さんに何か困り事があって、早くスッキリしたい時は、まず、この問いかけを考えてみてください。

「困っているのは、誰?」



・お子さん自身が何かの課題を抱えて困っている?
あるいは、
・お母さんから見て、お子さんの何かが問題だと感じている?

この間には、相当に大きな差があります。
吉祥寺駅で、発車ベルが鳴り響いている井の頭線に飛び乗ったら、向かいのホームからゆっくり、電車が行ってしまったぐらいに違います。
(わかる方にはわかると思うのですが、なぜか、井の頭線では、間違えてしまうんです…なぜだろう…)

わかりにくいたとえは、さておき、困り事の主体は誰なのかを確認することは、大事な一歩です。

お子さんもお母さんも、困っているならいいのです。
連帯感さえ生まれるかもしれません。
ところが、

・お子さんが困っていても、お母さんには、大したことではなく感じる。
・お母さんが困っていても、お子さんは、感じてもいない。

こういう時は、困り事を共有しないと、話が進みません。
まぁ、多いのは、後者だと思うのですが、友人関係のことや、体育、美術、音楽のような実技にまつわる悩みは前者のことも、よくあります。

そして、後者は、勉強など、よくある話ですが、前者の場合、お子さんはけっこう傷つきます。

何か体調がすぐれない…
妙にケガをする…
寝起きが悪い…
何かいつもと違う気がする…

それは、困り事が出そうになっているヒント、あるいは誰かと困り事についての感じ方のズレが大きくなり始めたヒントでもあります。

そんな時は、

「何か、困ってない?」

と聞いてみましょう。
そして、お子さんの答えは、どんなに納得がいかなくても、

「なるほど」
「そっか〜」

と受け止めましょう。

「え?違うでしょ、そうじゃなくて、こういうことでしょ」

とかぶせていませんか?
それをすると、お子さんは、お母さんを諦めます。

でも、諦めきれずに、さらに、何かしらの困り事が起こります。

昨日の記事(「あんな風になりたい」を叶える秘訣)でも書きましたが、隣の芝生は青いし、ウチの芝生も青いのです。

どうせ、どこの家も同じようなものです。
見たくない、聞きたくない困り事は、早いうちに向き合うことが良さそうです。

きっと、後がラクになります。
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2016年

6月

30日

ココロの平穏を取り戻すヒント

好きなことを、ちょっと深く考える。

好きこそ、モノの上手なれ、などと言いますが、特に最近は、「好き」であるか否か、「好き」を大切にしよう、ということが重視されています。
私も、全く同感なのですが、ふと先日、じゃあ、何が好きなんだろう…と考えてみました。
例えば、仕事が好き。
確かにそうです。
そこで、もう一段、深めます。
「仕事の何が好き?」
うーん…
少し、考える時間が必要です。
「子どもが好き」
まぁ、そうですね。
そうじゃなければ、やっていられない仕事です。
さらに、深めます。
「というと?」
ええと…
ここらあたりから、あまり日常的には意識しない領域に入ります。
あ!
「子どもが真剣に取り組んでいる姿を見るとき」
「子どもと心を許し合って、一緒に過ごしているとき」
この二つが出たことで、私が教師という仕事の何に価値を置いているかが、腑に落ちました。
やはり、私は子どもに結果や成果を求めていないのですね。
これって、お母さんの立場に立つと、賛否両論だと思います。それは当然です。学校なんですから。
でも、私の喜びは、ここにある。
そう自覚することが大切です。
何も人に言う必要はありません。
私は、私の経験や考えを訴える活動をしていて、そのことで勇気づけられたり、参考になったり、反面教師になったりすることに、役立ててほしいので、オープンにしますが、皆さんは、あえて外に出す必要はありません。
出せた方が、ラクだとは思いますが、慌てる必要はありません。
まず、自分が自分のホンネを許すことが、すべてのスタートです。
 
今年の私は、担任をしていません。
放課後のお預かりを中心に、学校や法人の業務もしています。
 
これは、これで、もちろん楽しいし、やり甲斐もあるのですが、一方で、「担任」というハッキリした仕事から離れたことで、ちょっと道に迷ったような感覚があったのも事実です。
 
が、このように、少しだけでも自分の気持ちを掘ってみると、他ならない私の価値観を知ることができました。
 
急に現実は変わりませんが、ココロの平穏を取り戻すヒントにはなります。
あなたは、どんなことが好きですか?
その好きなことの、数段、深いところにある、好きなことはなんですか?
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2017年

6月

04日

弱みを気にするより、強みを見る。そうしないとヤケドする!?

気になること、嫌なことは、解決せずに受け入れたほうがいいこともある。


私は色白で、自分ではそれがイヤでイヤで仕方ありませんでした。

冷静に考えれば、色白だろうが、背が低かろうが、モテる人はモテるし、他にできることや、魅力的なことがあるのです。

が、つい最近まで、なかなか、そう幅広く見ることはできませんでした。

もう20年以上も前、母校の小学校(今の勤務先ですが…)で臨海学校のお手伝いをしました。

懐かしい先生方と過ごし、楽しい子どもたちと遊び、お給料までいただいて、そして、日焼けをするチャンスに、私は大喜びして、太陽に当たりまくっていました。

その結果が、背中や腕が火傷のようになり、特に、右腕の肩よりのところは、ひどいシミのようなものが二つ、三つで来てしまったのでした。

まだ若かったからでしょうか…
数年で跡はずいぶん消えましたが、私としては、これからも良く観察していないとな、と思うほどのことになりました。

色白なら色白のよさを追いかけた方が、よほど建設的です。

体のことに限らず、勉強や能力面でも、得手不得手というものはあります。

解決しようと頑張ることの価値もあるとは思いますが、よい面を意識することが、よほど大切なのです。
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2017年

6月

22日

認めるとは、見て、心にとめること。

認めることの大切さ。
褒める必要はない。
見て、心に留めるのが、みとめる。


子ども達の毎日は、企業戦士のお父さん、お母さんや家事で大忙しの主婦、主夫の皆さんと同じように大変です。

もちろん、本人達は、大変、と思わずに、イキイキとしていてくれれば問題ないのです。

が、周りの大人は、子ども達も毎日、大変な時間を過ごしているんだな、という眼差しも持っておきたいものです。

さて、その大変な毎日の中では、友達に嫌なことを言われたり、されたりすることがあります。

健全な成長のためには、それも必要な経験でもあります。

が、当の本人としては、そんなに達観はできませんし、するべきでもないと私は思います。

どんなに慰めても、どんなに本人の努力を褒めても、その時、傷ついたことに変わりはありません。

そんな時でも、少なくとも
「見ていたよ」
ということは、静かに伝えたいと思います。

その瞬間に、心を癒したり、元気にしたりはできないかもしれないけれど、その嫌な経験をたくましさの素にするのに、大人の眼差しが助けになります。

「見ていたよ」
「先生からその話を聞いたよ」

これは、実際に言葉にする必要がありそうです。
お説教も、慰めも、褒め言葉も、後から足せばいいのです。

まずは、私が気づいている、ということだけを伝えることです。

それが次のステップに進むベースになります。
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2017年

6月

27日

櫻子さんの足下には、子育てのヒントもあった。

自分で決められる子を育てるには…

もう、自分で決めていると気づく。



私の家にあるハードディスクレコーダーは、キーワード予約というものができるので、とても助かっています。

私の場合、「サスペンス」と入れて、あとは放っておきます。すると、私の大好きな2時間ドラマが大量に自動録画されていて、適当に見ていくことができるのです。

ある日から、なぜか、毎週日曜日の「櫻子さんの足下には死体が埋まっている」というドラマが録画されるようになり、見るようになりました。

一昨日が最終回だったのですが、その中で、主人公(?)のちょっと頼りないお兄さん(藤ヶ谷太輔)が、勤めている博物館の先輩(上川隆也)から、こう言われるシーンがありました。

「流されていると言ったって、本当はそれを自分で選んでいるんだよね」

細かいところは違うかもしれませんが、頼りないお兄さんが博物館に勤め始めた時の迷いを回想しているシーンで、このセリフが出てきたと記憶しています。

私はそうだなぁ、と思います。
私自身、いろいろな流れで、ここにいて、こういうことをしています。

他にも、いろいろな選択肢はあった。
けれど、こうするしかなかった。じぶんではどうにもできなかった…

とも思うし、上川さんのいう通り、そうは言っても、自分で選んだんだ、とも思います。

お母さん方から相談されることの中で、ちょっと長いスパンの目標として、自分で自分の決断をできる子にするには、どうすればいいか、ということがあります。

上川さんの話によると、
「大丈夫。もう、自分で選んでいるんです」
ということですね。

あ〜
確かにそうかもしれませんね。
でも、どう見ても、楽しそうじゃないし、グチや文句が多くて疲れるんです…

だとしたら、お子さんは、あえてその状況を求めていないか、あるいは、そうなってしまうのは仕方ないと諦めていないか、考えてみましょう。

こういう時は、お子さんが、
「どうせ、ボク(ワタシ)なんて…」
と、どうせ星人になっていることがあります。

だとしたら、別の状況を選ぶこともできるんだ、と、視点を変えることが大人の役目です。

あの子は足が速い。
スポーツ万能で、勉強もできる。
人気者で、先生からも信頼されている。
どうせ、ボク(ワタシ)は…

そんな時、足の速さや、スポーツ、勉強という具体に目を向けるよりも、人気者とか信頼されているとか、そういうところの方に、答えがあることが多いと、私は感じます。

人気者であったり、信頼されていたりする原因が、足の速さやスポーツの万能さ、勉強の出来だと考えているのなら、それだけではない、と視野を広げることで、ずいぶん、解決策の選択肢が増えます。

足の速さやスポーツは、特に、努力しても、その人や周りに追いつかない可能性もあります。

「ボク(ワタシ)は、人気者で、信頼されている」
という状況を、今、選ぶこともできるのです。
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2017年

6月

28日

友達が欲しいなら、これを見よう。

友達が欲しいなら、自分のことをよく思ってくれる人を見る。

 

 

私自身、人付き合いが上手な方ではないので、友達が多い人は、すごいなあと、いつも思っていました。

 

どうすれば、友達がたくさんできて、人気者になれるのか…

 

足が速い子、スポーツ万能の子、勉強がすごい子、カッコいい(カワイイ)子、面白いことが言える子…

 

友達が多くなるように、人気が出るように、自分に何かを盛ることばかり頑張ろうとし、いやいや、どうせできない、と諦めていたものです。

 

実際、足の速さや運動神経、勉強、見た目、機転、それぞれの魅力で人は集まると思いますが、自分にないものを探して盛ろう、身につけようとする前に、そもそも、今の自分にも気の合う人がいたり、妙に声をかけてくれたりする人もいるはずなのです。

 

私の勤める学校には、本当に魅力的な先生がたくさんいます。

私より何もかも、優れていて、子ども達から大人気の先生ばかりです。

もう、私なんて、といじけたくもなりますが、そんな私のことでも、信頼してくれる子がいて、同僚がいます。

 

まずは、今の自分をよく思ってくれる人、大好き!と思われていないとしても、なんかいいな、という程度でも思ってくれる人がいることに気づくのが、スタートなのです。

 

自分にはあれがないから、あれを練習しよう。

それを身につければ、きっと人気が出る。

 

まあ、それもあるでしょうが、自分はダメ、ということが前提にある限り、いつまでたっても、ないものを身につける旅が終わりません。

 

まず、自分にあるものを探すことは、現状に満足して、もう何もしなくなる、ということではないのです。

 

そうか。

自分には、こんなにいいところがあったのか。

 

そう思えることで、次はあれをしよう、これもやってみよう、と肩の力が抜けた状態で、挑戦ができます。

 

カラオケが好きな人から聞いたことがありますが、カラオケに行って、一番、聞いていられないのは、下手な人ではないのだそうです。

 

上手に歌おう、と肩に力が入っている人なのだそうです。

 

確かにそうだろうな、と思います。

下手でも、自分が楽しんでいれば、聞いている方も楽しいでしょう。

すると、その下手さが、人気の素にもなるでしょう。

 

私もそうでしたし、そうですが、人間関係で悩む子は多いものです。

というより、そもそも、悩みとは、すべて人間関係だ、と言います。

 

まず、あるものを探すことが大切です。

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