2016年

5月

01日

"YouTuber"が、子どもの夢になった記事から思う、子育てで、具体的に、取り組むべきこと

"YouTuber"が、子どもの夢になった記事から思う、子育てで具体的に、取り組むべきこと

 

何はともあれ、ネットの歩き方を家族で考えてほしい。

 

 

 

oricon styleに、「"YouTuber"は何故子ども達の"将来の夢"になったのか?」と題した記事が掲載されています。(こちら

 

それによると…

 

<以下引用>

大阪府内のある小学校が「4年生男子の将来の夢」を調査した結果、第1位には不動の“サッカー選手”、2位に定番の“医者”、そして3位に“YouTuber(ユーチューバー)”がランクインしたことで大きな話題になっている。

<以上>

 

のだそうです。

 

最近は、子どもの人気"YouTuber"もいるとか。

 

実際、私が担任していたクラスの子ども達も、

 

「この動画、探してみようか?」

 

とか、

 

「こんな動画をアップしたいよね」

 

というような会話をしていたことを思い出しました。

 

oriconの記事にも触れられていましたが、私としても、「好きなこと」を大事にして、「楽しいこと」に挑戦していくことは、いいことだと思います。

 

なのに、心の中に、

 

「う〜ん…」

 

と、すっきりしないものが残るのは、なぜなのでしょう…

 

何だか、怪しいから?

 

まあ、そうかな…

 

が、私のように、現役教師でありながら、自分のライフワークとして、情報発信を続けているのも、同じと言えば、同じです。

 

私自身はYouTubeでの動画配信をしたことはありませんが、音声メッセージを録音して、毎週、日曜日に配信しています。

 

影響力、という点では、動画であるyouTubeの方が、はるかにあるでしょう。

どうせやるなら動画だって。

 

でも、なぜ、私がしないのか。

 

それは、まず、やり方がよくわからないのと、何かしら根拠のない不安があるから、というのが正直なところです。

 

顔も出し、実名も出し、職業も出し、勤務先も出して、

本を出し、ブログ記事も出している私。

 

なのに、YouTubeはできない。

 

そこには、大した意味も、根拠も無さそうです。

 

そう考えると、子ども達が動画の配信だからといって、これと言った「意識」をしないことは、「良いこと」と捉えてもいいように思います。

 

ただ、私としては、うっかり映り込んだ、ちょっとした名前や場所などをきっかけに、トラブルが起きたり、誰かに迷惑をかけてしまったりすることについて、ご家庭でしっかり考え、対応をすることは必要だと思います。

 

ネットがらみのことは、YouTubeに限らず、

「もう、私にはわからないから、子ども任せよ」

というのは、大いに危険があります。

 

学校でネットリテラシーについて学ぶようになった頃は、よく、こういう表現がなされていました。

 

「インターネットは、新宿の歌舞伎町と同じ。大人が何のケアもなく、子どもを一人で、歌舞伎町に行かせよう、という方は、いませんよね?」

 

「はい…わかっています。でも、どこまでチェックしていいのか、管理していいのか…」

 

そうですよね。

私も同感です。

 

そういう時は、もう直感です。

お子さんの作った動画なり、書き込みなりを見て、読んで、

 

「私は嫌だ」

 

と感じたら、率直に、そう伝えてみましょう。

そして、例えば、

 

「高校を卒業して、自分でアルバイトをして、通信料を自分で払うようになってから、自由にしてね」

 

などという対応もありますね。

 

YouTuberだの、稼ぎがあるだのないだの、そういうことよりも、この記事をきっかけに、ネット上の言動について、考えてみてはいかがでしょうか?

 

〜〜

<執筆・コメント・取材・講演>

 

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2016年

5月

02日

心穏やかな毎日のために…ココロは振り子。

心穏やかな毎日のために、ヒントにしてほしいこと。

"ココロは振り子"理論。


ずいぶん前のクラスの話です。
学年も終わりに近づいた、3月のことでした。
ある男の子が、突然、手を挙げて、こんなことを言い出しました。

「来年も、青木先生がいいな!」

突然のことで、ビックリしましたが、もちろん、そんなことを言ってもらえて、とても嬉しかったことは間違いありません。

が、次の瞬間、偏りすぎの危険性も、ちょっと感じました。

一つの方向に気持ちが大きく動いた時は、その逆にも動くはずなのです。

そうでないと、バランスが取れません。

先生、大好き!大好き!

があるなら、

先生、大嫌い!大嫌い!

とセットでないと、おかしいわけです。

私は彼の言葉を疑ったわけではありません。私のことを信頼してくれての言葉だと思います。

ですが、その唐突さや勢いに、ちょっと慎重になろう、と感じたのでした。

クラスには、他の子もいます。

いろいろな感じ方をする子がいるはずです。


ですから、私は、彼のその言葉に対しては、とても冷静に、

「ありがとう。嬉しいよ。」
とだけ言いました。
今であれば、クラス全体に対して、もっとプレッシャーをかけない言葉も添えるかもしれません。

嬉しい時は、嬉しいでいいし、悲しい時は、悲しいでいい。

あんなヤツ、大嫌いだ!という時は、とことん大嫌いでいい。


けれど、いずれ、その反対の気持ちも湧いてくるはずだ、と大人はおおらかに構えていることが大切ではないか、と思います。
特に、悲しい時、嫌なことがあった時、腹が立って仕方ない時、そんな、「ネガティブ」な気持ちに子どもがもまれている時こそ、最も頼りになる存在であるお母さんが、ココロは振り子だ、とどっしり構えていてくださると、子どもは救われるのではないでしょうか。

もちろん、お母さんだって人間です。
お子さんの話を聞いて、悲しくなったり、腹が立ったりもするでしょう。

いや、むしろ、一緒に悲しんだり、腹を立てたりしてくれないと、子どもは孤独です。

お子さんと一緒に、悲しんで、腹を立てて、場合によっては、お子さん以上に、悲しんで、腹を立てて、それから一足先に、ニュートラルの位置まで、戻ってくださると、ありがたいな、と私は思います。

〜〜

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2016年

5月

03日

困っていることこそ、素直に言ってほしい。だから、お母さんが困っていることも、素直に言う。

困っていることこそ、素直に言ってほしい。

だから、お母さんが困っていることも、素直に言う。

 

 

お子さんが学校で、どう過ごしているか、わかっておきたいですよね。

とはいえ、全部を把握するなんて、できるわけもありませんし、もし、全部を把握しようなんてしたら、とんでもなくお子さんにプレッシャーをかけることになるでしょう。

 

学校での楽しい話をたくさん聞きたい。

そして、もし、困ったことが起きたなら、一人で抱えずに話してほしい。

 

まず、そもそも、お子さんのことを知ろう、知ろうと力んでしまうと、お子さんは、あまり言いたくなくなりがちです。

 

ですから、

「ウチの子、大丈夫かしら…」

と、つい思ってしまう方は、お子さんに様子を聞く回数を、まず半分にすると、お子さんから言いやすくなると思います。

 

それにしても、楽しいことなら、お母さんに話すハードルも低いのです。

が、困ったことこそ言いづらい。

 

私自身、子どもの頃、そうでした。

あなたも、そういうご経験があるかもしれません。

 

そういうご経験があるからこそ、我が子には抱えずに言ってほしい、そうお感じかもしれません。

 

その気持ちはお子さんに伝わっていると思います。

が、それでも、困っていること、辛いことをお母さんに言うのはハードルが高い。

 

人に言う、ということは、もう一度、嫌なことを思い出さなくてはならないということです。

 

嫌なことを伝えることは、嫌な経験を再び味わうことになってしまうので、相手が誰であれ、ハードルが高い。

 

さらに、大切なお母さんに心配をかけるなんて、ハードルと言うより、もはや壁のようなものではないかと思います。

 

 

そんな壁を少しでも低くし、せめてハードルぐらいの高さまでにするために、私は、お母さんを始め、身近な大人が、自分の困っていることなり、弱みなりを当然のことと受け止めていることがヒントになるのではないかと思います。

 

大人も悩みがあり、やらなきゃいけないとわかっていることができないこともある。

 

そこは、大人も子どもも、共通の心の土台なのではないかと私は思います。

 

あ〜

趣旨はわかるんですが、子どもに、ナメられてしまいませんか?

 

私も、初めはそう思っていたんです。

が、子どもは、大人の心に敏感です。

 

まして、私の勤める学校のように、登校から下校まで、ずっと一緒にいて、夏には1週間の臨海学校で、24時間一緒にいるような生活をしていると、繕っていることもバレています。

 

なんだ。

もう、裸でいいんじゃないか。

かえって、正直になった方が、子どもは納得できるのではないか。

 

そう思うようになりました。

 

もちろん、それでも子ども達は、私に全ての話をしてくれたとは思いません。

勇気を持って、話してくれたこともあるし、どうしても言えなかったこともあるでしょう。担任として、把握できなかったり、対応が遅れたりしてしまったこともあります。

 

そういうことも含めて、私は子ども達の前で、正直、本音であろうと努めました。

その中で、

 

「ふーん。先生も、そんなことがあったんだね」

 

と、ある子と、私の失敗経験についてゆっくり話し合ったこともあります。

それからしばらくして、その子が困っていることを書いてくれたのは、今でもよく覚えています。

 

苦しいことほど、言えない。

ましてや、お母さんに心配なんてかけたくない。

 

この心の壁は、相当に高いのです。

 

ですから、後になってから、困っていることを知ることになったとしても、お子さんを責めるのは逆効果ですし、その時に気づけなかったご自身を責めることもないのではないか、と私は思います。

 

〜〜

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2016年

5月

04日

人に自慢できる我が子じゃなければイヤなのか…

自分のホンネに、心から自信を持つことが大事。

 

ハゲたとしても、お腹が出たとしても、今は自慢できるイケメンじゃなければイヤ!

ならば、

人に自慢できる我が子じゃなければイヤなのか…

 

 

先日、中央線に乗っていた時のことです。

女性3人組が、恋愛や結婚の話で盛り上がっていました。

 

「◯◯ちゃんの彼は、イケメンでいいよね〜」

 

「え?イケメン?そうでもないよ。でも、愛らしい顔をしているよね」

 

ここまでは、いいと思うのです。

楽しい話だと私は思います。

 

しかし、次の言葉が私の耳に残りました。

 

「あ〜イケメンの彼じゃないと嫌だな…人に紹介できないもん」

 

 

人に紹介できるかできないかで、彼氏や彼女を選ぶ。
その是非は、読者の皆さんのご意見もいろいろだと思います。
現実的には、そういうことを気にする人もいるでしょう。
・人に紹介できるか、つまりは自慢できるか
ということは、
・「こんな彼(彼女)と付き合っている私ってすごい」と言えるか(思えるか)、
ということです。
すると、
・「こんな程度の彼(彼女)しかいない私はダメ」
ということですね。
「自分」の価値や評価を他人で決めるというのは、「自分らしさ」を活かすことの対極にありそうです。
もちろん、人と関わってこその人間関係であり、自分ですから、自分以外の人間関係も含めて、「自分らしさ」を活かすのだと思います。
でも、「彼(彼女)」という言葉が、「子ども」に変わったらどうでしょうか?
・「人に自慢できない子どもだからダメ」
・「こんな程度の子どもしか育てていない私はダメ」
これは、私たち教師も、気にかけておかないといけないことでもあります。
・「人に自慢できる成果を上げていない子どもだからダメ」
・「こんな程度の成果しか出ないクラス運営しかしていない私はダメ」
この考え方は、お預かりした子ども達に対して、全力で責任を果たす、というフリをして、子ども達の目に見える「成果」で、自分の価値を高めようとしていることなのではないかと私は思います。
さて、先ほどの中央線の会話の続きです。
「まあね〜でも、どうせ、男なんて、そのうち、ハゲたり、お腹も出たりするんじゃない?」
あ…
確かに、それも一つの真理かもしれません。
「いや!そうかもしれないけど、今は自慢したいの。イケメンの彼氏じゃなきゃ…」
ここまでハッキリ断言できるなら、これも「今」のホンネとして価値があると私は思います。
自分のホンネに自分で自信を持てるかどうか。
それを大切にしたいものです。

〜〜

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2016年

5月

05日

子どもの口ぐせに思う、言葉の奥にある自信の大切さ

子どもの口ぐせに思う、言葉の奥にある自信の大切さ

 

 

「クセ」が怖いのは、自覚もなく、習慣化していることです。

私はたくさんの子ども達と関わってきましたが、その中で、

 

「何?悪い?」

 

が口ぐせだった2人の子どもが印象的です。

 

まず、Aくん。

彼は、何かと言うと、

 

「何?悪い?」

 

と答えるのがクセでした。

 

ある日、Aくんは制服のワイシャツの襟が立っていました。

それをクラスメイトの一人が、立ってるよ、と声をかけてあげたことがありました。

 

その時も、Aくんは、

 

「何?悪い?」

 

と答えていました。

 

Aくんには、面白いところもあったので、一人ぼっちになってしまうことはありませんでしたが、何かと言うと、

 

「何?悪い?」

 

と返されるのも、ちょっと嫌ですよね。

本人としてみれば、相手を責めるというよりも自分を守りたい、という心理のくせなのではないか、と私は感じていました。

 

私の勤める学校では、クラス替えがなく、6年間、同じメンバーと過ごします。

ですから、まさに家族と同じ。

少々気になることを言われたとしても、他の良さもわかっていますし、対応の仕方も慣れたものなので、関係を築くこともできました。

 

が、いつもそれでは、無用なトラブルも生んでしまいそうです。

 

さて、もう一人の「何?悪い?」の子、Bちゃんです。

 

この子は、ハキハキ、サッパリ、という印象の子でした。

 

彼女も、何かと言うと、

 

「何?悪い?」

 

と言うのですが、彼女の場合、よく覚えているシーンは、こうでした。

 

Bちゃんには、仲良しのCくんがいました。

3年生ともなると、あまり男の子と仲良くしていると、からかわれることもあるものです。

 

Bちゃんも、ある日、またCと遊ぶのかよ〜と、言われたのでした。

そこで、Bちゃんが答えたのが、

 

「何?悪い?」

 

でした。

 

ここまでハッキリ、悪びれずに答えられては、もう返す言葉もありません。

それ以来、そんな指摘は、ありませんでした。(少なくとも、私が把握している限りでは…)

 

「何?悪い?」

 

という言葉は、まあ、いい言葉ではないかもしれません。

相手に攻撃的な印象を与えやすい言葉です。

 

だとしても、まだ心の柔らかい子ども達は、その奥にある気持ちをきちんと把握して、関係を築くことができます。

 

自分の気持ちを、落ち着いて、どっしりと伝えることは、相手の気持ちも鎮めることができるようです。

 

〜〜

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2016年

5月

06日

他人よりも自分だけど、自意識が高まり過ぎたら、周りを見ると、冷静になれる。

他人の目や声よりも、自分。

でも、ちょっと自意識が高まり過ぎて苦しいなら、周りを見ることで、冷静になれることもある。

 

 

 

私は、このブログを通じて、また、これまでの教員生活を通じて、「自分」を活かすにはどうすればいいか、他人の目や声を気にして過ごすのではなく、本当に自分を活かすために、自分をよく見つめることを大切にしてきました。

 

でも、自意識過剰になっている時は、フッと肩の力を抜いて、周りを見ることも大切なようです。

 

かつて担任していたクラスで、どうも素直に私の言うことを聞いてくれない女の子がいました。

 

別に乱暴であるとか、やるべきことをやらない、という訳ではないのです。

むしろ、クラスのルールは、きちんと守る方でした。

 

なのに、どうも、気持ちが通い合わない、というか、会話をしても平板な感じ。

 

どうしたら、ココロが通い合うか、私は大いに悩んでしまいました。

 

話しかけてみたり、一緒に遊ぼうと声をかけてみたり、日記の返事に私自身のことを書いてみたり…

 

これといった変化もないまま、1学期も終わり、さて、明後日からは1週間の臨海学校、という時になって、ふと気付いたのでした。

 

・別に、私以外に対しても、同じような感じで関わっているのではないか?

 

そこで、去年、担任していた先生に聞いてみました。

すると、やはり、

 

「あ〜あの子ね、そうそう。ちょっと距離を置いた感じだよね」

 

そうなのか…

 

目からウロコ、という瞬間でした。

 

実は、目前に迫った臨海学校が、少々、不安でもあったのです。

1週間もの長丁場です。

大丈夫かな…

という気持ちがありました。

 

ですが、

 

・そうなんだ。別にあんな感じでいいんだ。

 

と、少し視野を広くできたことで、あの不安がまったくなくなってしまったから、ココロの持ち方というのは、大事ですね。

 

そして、もちろん、その後の臨海学校、そして、2学期以降の生活は、不安もなく、平穏に過ごすことができました。

(もちろん、私は、ということです…)

 

彼女との関係が、傍目でわかるような、「仲良し」になった訳ではありません。

普通の関係だと思います。

 

「こうしなきゃ、私はダメなんだ!」

 

と、自意識が高まり過ぎて、自分で苦しくなっていると、自分が辛いのはもちろんですが、周りにいる人にもプレッシャーがかかります。

 

まして、かけがえのないお母さんです。

お母さんが苦しい時は、子どもも苦しいのです。

 

「まあ、うまくいかないこともある」

 

とか、

 

「私だけじゃない。みんな、そんなもんなんだ」

 

とか、困りごとを投げてしまうのも、大切なようです。

 

隣の芝生は青い。

けれど、実は、枯れてしまっているところだって、あるはずなんです。

大して変わりませんね。

 

〜〜

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2016年

5月

07日

子どものスマホ・ネット問題を解決するための、2つのポイント

子どものスマホ問題、ネット問題は、結局、どうすればいいのか。

 

「ご家庭でルールを決めましょう」なんて正論で、解決すれば苦労はしない。

 

安全について教えること、そして、子どもをコントロールできなくなる不安に目を向けることの2つ。

 

シンプルに、この2点を考えよう。

 

 

 

先日の「子どもが、『将来YouTuberになりたい』と言ったら、どうすべきか」の記事が、citrusに掲載され、2日でシェア700件を超えています。(こちら

 

Facebook naviについているコメントを見てみると、

 

「まあ、やらせてみたら、いいんじゃない」

「何が問題なの?」

 

というようなコメントが多いようです。

 

私自身も、YouTuberという職業?こと?については、そう思っています。

仕事って、時代とともに変わるでしょうし、いろいろなことに挑戦してほしい、と思います。

 

さて、今日、改めて記事を書きたいと思ったのは、YouTuberよりも前に、子どものスマホ問題、ネット問題の方が、子ども、特に小学校中学年以上のお子さんをお持ちのお母さんには切実な問題だと感じるからです。

 

スマホやネットを子どもの好き勝手にさせてはいけない、その危険性は、改めて確認するまでもないでしょう。

 

有害な(性的に、暴力的になど)情報に簡単に触れることができたり、

匿名性が非道な書き込みをしやすくさせたり、

個人情報等の流出、悪用が懸念されたり…

 

でも、子どもは、スマホや携帯、パソコンが大好きです。

大人が迷いながら覚えた操作方法なんて、数分でマスターします。

あれほど想像できない数字にしたはずのパスコードも、なぜかわかってしまいます。

 

最近でこそ、定額制が一般化しているので、あまり聞かなくなりましたが、ネット代金が数万円?数十万円?になった、ということを実際に耳にしたこともあります。

 

では、どうするか。

 

「みんなで、家庭のルールを決めましょう」

 

という、「ザ・正論」があらわれます。

 

そんなことは、わかってる。

でも、うまくいかない。

だから、困ってる。

 

「我が家は、夜9時まで」

「携帯を使う時は、リビングルームで、みんなのいる時に」

「人を攻撃するような、面と向かって言えないような言葉はネットでも使わない」

 

決めれば、決めるほど、裏の抜け道も巧妙になり、バレた時のショックと言ったら…

 

あるいは、

 

「遅くたって、すぐに返事しないと、明日、あの子にいろいろ言われる!」

「お父さんの意地のせいで、私がイジメられてもいいのね!?」

「お母さんだって、ラインで先生の悪口書いてる癖に、なんで私にだけ言うの?」

 

など、イラッとする、あるいはグサッとくる反撃にあうかもしれません。

 

そういう事情を踏まえ、「スマホ問題・ネット問題」について考えてみると、この問題のポイントは次の2つなのではないかと思うようになりました。

 

 

まず、「安全」の問題です。

 

道を歩く時、あるいは電車やバスの中で気をつけなくてはいけないこと。

夜、遅くなってしまった時などに、どの道で帰らなくてはいけないか、あるいは迎えをどうして呼ばなくてはいけないかということ。

寒くなったら、一枚、着た方が風邪を引きにくいということ、などなど…

 

スマホだろうが、ネットだろうが、リアルな毎日だろうが、「安全」を子どもに教えることは必要です。

 

ご家庭で、お母さんやお父さんが教えてくださることがとても重要ですが、最近は学校でも教える機会があると思いますし、携帯電話会社もいろいろな情報を提供しています。それらの情報を活用し、「安全」について、身につけることは重要です。

 

 

そして、次に「コントロールできなくなる不安」の問題です。

おそらく、こちらの方が心理的に重要で、核心にあるのではないかと思います。

 

かつて、固定電話しかなかった時代。

今時の二十代から下の世代には想像もできないでしょうが、中高生となり、異姓の友達と仲良くなって、コミュニケーションを取ると言ったら、直接会うか、家の電話にかけるか、でした。(まあ手紙もあるでしょうが…)

 

家の電話にかければ、お父さんやお母さんという強烈な「フィルター」が第一関門として待ち構えていました。

うっかり、長電話になって、強制的に切られた、なんて経験がある方もいらっしゃるでしょう。

 

私の場合、高校時代に、ポケベルがあり、大学に入るとわずかな間、PHSがあり、あっという間に携帯が広まりました。

 

その結果、大人が目にみえて、子どもの人間関係や興味をフィルターできる機会が、大幅に減っています。

 

歌舞伎町なり、渋谷なり、そういう「街」に行かなければ、出会えなかった情報や人とのつながりが、ネットでは、無料で、今、ここで、手に入ります。

 

ドキドキ、コソコソ、いかがわしい情報を探す経験など全く不要になり、いい検索の仕方さえ見つけてしまえば、もうオーケーです。

 

大人は、圧倒的なコントロール権をスマホやネットに奪われたことになります。

 

ここに「スマホ問題・ネット問題」が、お母さんの心を不安にする本当の源があるのではないかと私は思いました。

 

とはいえ…

 

固定電話の時代も、今も、大人がコントロールしようとすればするほど、子どもは逃れようとするでしょう。

 

一方で、「信じているから大丈夫よね」という「理解ある親」の発言で、実は野放しにしているだけ、ということもあると思います。

 

難しい問題です。

 

これさえ教えれば安心。

これさえ決めておけば大丈夫。

 

そんな決まった公式はなさそうです。

スマホでも、ネットでも、リアルでも、いつでも、

子どもはトラブルを起こす可能性があるし、

思ったよりも、子どもは自分で正しい判断ができる。

 

その都度、その都度、話したり、気づかないフリをしたり、怒鳴ったり、褒めたり、あれこれやってみるしかない。

 

他のお母さんも、同じように悩んだり、困ったりしているのではないかと思います。

少なくとも、私は困っている声を耳にしています。 

 

さて、最後に、「スマホ問題・ネット問題」への、私からの具体的なヒントは、

 

「ルールをシンプルで、大人も実行可能なものにすること」

 

です。

 

これはクラスで、ルールを作ることと同じです。

 

・あれが問題、ではこういうルールにしよう。

・こんどはそっちが問題、じゃあこれもルールにしよう。

 

と、ルールばかりが増えて、結局、守れなくなります。

この方がよほど問題です。

 

シンプルで、みんなが無理なく、実行できること。

 

例えば、

 

「お父さんとお母さんは、あなたの携帯を抜き打ちチェックできる」

 

という一点にするのはどうでしょうか?

 

これなら、安全上も、コントロール問題も、ケアできているのではないでしょうか?

 

大人が子どもの成長に責任を持っていて、しかも、お父さんやお母さんがお子さんの携帯代を払っているのです。

 

親が子どものスマホやパソコンを抜き打ちチェックする権利は、当然あると私は思います。

 

そこに罪悪感をもつ必要は全くない!

 

もしかしたら、チェックした結果、見たくない子どもの現実を見てしまう不安がありますか?

 

だとすると、その不安のハードルを越える勇気は、必要なことなのではないかと思います。

 

〜〜

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2016年

5月

08日

腹を立てている子への関わり方 …ホントはアイツみたいなことがしたいのか?と考えてみる。

誰かに腹を立てているお子さんへの関わり方。

相手と同じことをガマンし過ぎていないかを考える。
ボク(ワタシ)は、こんなにガマンしているのに、なんでアイツはいいんだ!と思っていないか…

腹を立て始めると、腹の立つことで溢れていませんか?

カフェの店員さんの挨拶がいい加減だったことやら、電車の中でヘッドホンから音の漏れている若者の態度がふてぶてしいやら、自分の話を真剣に聞かない子どもへのイライラやら、まさに溢れている!

私も、もちろん、そんなイライラ癖があったし、今でも、たまにあります。

そんな自分の気持ちを深堀りしていくと…

もしかして!
なんと、恥ずかしいことに!
実は、自分も、そんなことがしたかったのではないかと、思うようになりました。

先日、卒業生が遊びに来ました。
彼の通う高校は、校則が厳しいそう。
学校の行き帰りにコンビニに寄るのも禁止で、ちょっと飲み物を買うのも、駅の自動販売機にしていたと言います。

とはいえ、私もそうでしたが、実際に先生が、四六時中、見張っている訳でもなく、タイミングを見て、コンビニに寄って、パンやら飲み物やらを買うものですよね。(そんなことさえできない、監視の厳しい学校もあると思います…)

でも、マジメな彼は、最近、付属の中学生が、コンビニに寄っている、と憤慨して、先生に言ったと言います。

校則がそうなっている以上、それでいいと思います。
が、中学生や高校生という年齢や段階を考えると、男の子でもありますし、先生の目を盗んでコンビニで、パンやら飲み物やらを買うぐらい、まぁ、いいかなと私は思ってしまいました。

もちろん、ちょっとした「いいか」が、大きな問題を生むというのも確かです。

ですから、ルールはルールとして、守ることの大切さもわかっているつもりです。

でも、私には彼の言葉の中に、

「自分はこんなに守っているのに、アイツらは中学生のくせに、何なんだ!」

という感情が感じられ、そのことが、気にかかりました。

こういう感情を内に溜め込むと、何かの時に爆発するのが気がかりです。

校則云々よりも、心に溜めごとをしていることの方が私には関心があります。

もちろん、誰だって、本当はしたいのに、ガマンしているということが多少は、あるでしょう。

溜めごとのない心なんてないと思います。

が、まず、自分がそれを気づいておくこと。

そして、まぁ、グレーもあるか、と少し心の幅を広げてもいいと認めること。

という2つの心の持ち方をしておくことで、怒りや不満、特に激しい感情の爆発は、減らすことができるのではないかと、思います。

マジメで、頑張る子

ということが大事であることは間違いないのに、そこにはセットで、ムリをするという課題も生じる…

難しいです。

ですから、私はクラスで、いわゆる普通の子、問題を起こさない子のことが、いつも気がかりでした。

頑張りすぎていないか、私がいい子を要求し過ぎていないか、気にかけていました。

さて、先ほどの卒業生の彼の話に戻ります。

私は彼に、

「実は私も、先生の目を盗んで、コンビニに行っていたよ」

と、話しました。
すると、彼は、

「へぇ〜先生でも、そうなんですね」

と言っていました。

私は、彼を幻滅させてしまったかもしれません。
もちろん、そんなことは、わかっていて、私は自分の話をしたのです。

私の言葉が、彼の心の幅を少し、数mm?広げることになったら、うれしいな、と思います。

〜〜

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2016年

5月

09日

心が揺れたなら、周りを見てみよう。揺れていないところがあるから。

心が揺れた時の対処法。

周りを見てみよう。揺れていない人や部分があるから。



ココロは振り子理論の続きです。


「共振」という現象があるそうです。
1本のヒモに吊るした同じ長さの振り子は、振れ幅、周波数が同じ。
自然と揺れ出してしまったり、止まったり、と反応する。

それをココロに置き換えてみると…

Aくんが怒り出すと、同じ振れ幅を持っているBくんも怒り出す。

もし、CくんやDくんも同じ振れ幅だとすると、そういうクラスは結構、大変。

でも、ここは冷静に。

たとえ、振れ幅の同じ子が多かったとしても、落ち着いて周りを見ると、実は、EくんやFくんやGくん、HちゃんやIちゃんやJちゃん…

他の大多数は揺れていない。
こういう揺れていない子の共振を増やすことが大事。

まず、揺れていない振り子に目を向ける。
そのことで、自分が落ち着いてくる。

すると、次第に振れていた振り子の動きも落ち着く。
その上で、Aくんなり、Bくんなりのケアをすればいい。

以前のクラスで、ある子にこんなことを言われたことがあります。

「アイツはいいなぁ〜いつも、先生に見てもらって〜」

アイツ、とは、勉強もできて、スポーツもできる。
私たち、教師からの信頼も厚く、みんなからも一目置かれるリーダーそのもの、のことではなかったんです。
はっきり言って、手のかかる子だったのです。

この言葉に、私は本当に驚きました。
そして、よくできる優等生やら、手のかかる子やら、要は目立つ子ばかりに目を向けてはいけない、ということを大切にするきっかけになりました。

お子さんのことで、気持ちが揺れた時、揺らす原因があったはずです。
しかも、それを気にすれば、するほど、余計に揺れてしまいがちです。
だからこそ、他のポイントを冷静に見ることが大切です。
そのことで、気持ちが落ち着きます。
すると、次第に、安心材料が目に入ってきます。

ぜひ振り子の共振を思い出し、揺れていない部分を意識するようにしてみてほしいな、と思います。

〜〜

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2016年

5月

10日

正しいことを子どもに身につけたければ、20%できなくてもいいと捨てる。

正しいことは大切なんだけど、分かっちゃいるんだけど、そうしなくちゃいけないと思ってるんだけど、でも…

 

 

間違っていることは、いけない。

正しいことは、いい。

 

でも、正論って、やっぱり素直に聞けないところがあります。

正しいことを教えることを求められている「学校の先生」である私は、先生だからこそ、そう思います。

 

この気持ちは、どうも高校生の頃からあるようで、何かの時に、友人に正論を言われ、

 

「スリランカは嫌いなんだ」

 

と、インテリぶって、つぶやいてみたのを覚えています。

(後日、本を読んでいて、正論ばかりぶつける人に、紅茶野郎!と書いてあるのを見て、とても嬉しかったのも覚えています…)

 

さて、小学生にとって、最もよくあるのではないか、という正論対決は、

 

「宿題、早くやりなさい!」

 

「もう、わかってるよ。今、やろうと思ってた!」

 

という会話かもしれません。

 

宿題でも、歯磨きでも、片付けでも、やらなきゃいけない、やった方がいい、やればお母さんは喜ぶ、など、「正しさ」は、子どももよくわかっているのです。

 

でも、でも、でも…

 

「わかっちゃいるけど、やめられない〜」

 

大人は、子どもに正論を求めていいと、私は思います。

誰かが、正論を語っていないと、何が正論かわからなくなってしまいます。

 

正論を子どもに求めつつ、無理な時もあるよね、と柔軟に思っておく必要があるように思います。

 

「わかっちゃいるけど、やめられない」

 

あなたにも、何かありますか?

私には、もちろんあります。

 

まあ、仕方ないか…

という心の余裕を20パーセント残して、正論を求めたいものです。

 

それにしても、言われないでも、自然とやるようになれば、こういう会話は無くなるんですよね。

 

私は、子どもの頃、歯磨きが本当に嫌でした。

母は、私の歯をとても大切にしようとしてくれたようです。

あれこれ要求が多く、それが必要以上に私にプレッシャーをかけていたのかもしれません。ずいぶん、歯医者に連れて行かれました。

 

ところが、高校生の時には、言われないでも、歯磨きをキチンとしないと気持ち悪くなっていました。

 

もちろん、この頃には、うるさく言われることも、ほとんどありませんでした。

 

しかも、その後、歯医者さんで、歯をとても褒められて以来、気持ちが良くなり、歯のケアは、嫌な気がしません。

 

私の場合、歯磨きは自分でやる気になりましたが、勉強は、まあまあでした…

 

お母さんが、求めたいと思えば思うほど、そのプレッシャーが子どもの動きを止めてしまうかもしれません。

 

求めることは間違っていない、と私は思います。

20パーセントはできなくてもいい、と子どもの心にスペースを作ってあげてみては、いかがでしょうか?

 

〜〜

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2016年

5月

11日

「わたしは、わたしで、いいんだ」と、「いいんだろうか」の間には、大きな差がある。

「ろうか」の恐怖
 
私が、一番、大切にしていること。
それは、
 
「わたしは、わたしで、いいんだ。」
 
ということ。
 
とはいえ、これは、なかなか、心のハードルが高いと思いませんか?

こんなのが好きな自分って、恥ずかしい…
こんなことができない自分って、嫌だ。
あの子は、あんなに友達がいるのに、自分って情けない…
 
程度の違いはあるにせよ、大なり小なり、そうやって、自分に自信を持てない時、部分があるものです。
 
それをゼロにはできないと思います。
ですが、
 
わたしは、わたしで、いいんだろうか」

が、増えてくると、気持ちが塞ぎます。
そして、結局、人を遠ざけることにもなるでしょう。

いいんだろうか…
 
「ろうか」が増えることは、不安を増やします。
 
老化も怖いし、廊下を走ることも怖いですが、
「わたしは、わたしで、いいんだろうか」が増えることは、もっと怖いように私は思います。
 
不安に根ざした言動は、不安を呼ぶ。
 
安心を前提にした言動は、安心を育む。
 
この当たり前のことが、できれば苦労はしないのです。
私自身、「いいんだ」と言い切る練習をしている、というのが実際のところかもしれません。
〜〜

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2016年

5月

12日

わらってあげることの大切さ、わらってもらえることのありがたみ

わらってあげることの大切さ
わらってもらえることのありがたみ

低学年を担任していた時の話です。
描き途中の絵が落ちているのを見つけ、

「誰の?」

と聞くと、近くにいた子どもたちは、

オレじゃない〜
ワタシじゃない〜

と言いました。
と思うと、誰かが絵を見て、笑いだし、つられて何人かが笑いました。

描き途中の絵を笑われて、自分だ、と言い出しづらくなるかな、とも思ったのですが、その時は、離れたところにいた、ある男の子が、

「あ、ぼくのだ!」

と言って、また、みんなで笑っていました。

落とした子は、笑ってもらって、嬉かったのですね。
おふざけの絵を描いていたようです。

が、もし、これが、マジメに描いている絵だったら、どうだったでしょうか…

絵を笑われたら、それは嫌だと思います。
でも、笑ってくれた方が、ありがたい、という子もいます。

何か落とし物をするぐらい、どうということはありません。
絵だって、下手くそなぐらいが、愛嬌があって、いいかもしれません。

クラスで起こる笑いを一緒に笑える子と、バカにされた!と怒る子がいます。
もちろん、日頃は笑いにできる子も、内容によっては、腹を立てたり、悲しんだりすることもあると思います。

笑いにできるか否かは、本人の自信の有無次第、ということのようです。

まぁ、落とし物ぐらいしたって、大したことはない。
まぁ、クラスでオナラぐらいしたって、笑える。
まぁ、算数のテストが悪くても、オレは大丈夫。
まぁ、修学旅行で風呂場にパンツを落としてきたって、思い出のネタになって嬉しいぐらいだ。
などなど…

笑いにできる幅が広がれば、広がるほど、自信の幅が広がります。

笑われて嫌だった時は、そう伝えることは大切。

その上で、
まぁ、いいか。
それぐらい、大したことない。

というように、心が広がるといいな、と思います。
結局、笑顔の多い人には、人も集まるのではないでしょうか。
 
〜〜

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2016年

5月

13日

できない!のウソとホント

できない!のウソとホント


先日、お気に入りのスターバックスで、ブログを書いていた時のことです。

隣にいた、大学生と思われる3人組が、英語ができるかどうかで、盛り上がっていました。

一人の子が、カナダに数ヶ月行っていた、ということで、その間は、英語で日記つけてたんだよ、と言っていました。
それを聞いて、二人は、

「すごいね〜」

と言っていました。

それに、

「そんなことない、できない!ダメダメ!」

と必死で答えていました。

それを聞いて、私は、

「できるのに、できない」

と答える心の習慣って、自分の可能性を狭めるかもしれないな、と思いました。

私は、一時期、ヨーロッパを一人旅するのが好きで、行っていたのですが、たまに、

「あなた、英語わかるんですか?」

と聞かれました。
その時、私は決まって、

「a little bit」

と言って、右手の親指と人差し指で、ホントにちょっとだよ〜と伝えていました。

この会話で、笑わなかった人は、今だかつて、1人もいません。

みんな、笑って、ゆっくり話してくれたり、繰り返してくれたりしました。

感じが悪いと評判のパリの人達も、いろいろ教えてくれました。

だいたい、外国の人たちは、自分は日本語がしゃべれるんだ、と言って、

トーキョー
だの、

ありがとござます…

だの、一言二言をつぶやくだけということも多いですよね。

それで、「できる」なんて、日本人には、なかなか言えない気がします。

それにしても、カナダに数ヶ月いて、生活もし、勉強もし、英語で日記を書いていて、英語ができないって、何でしょう…

まぁ、友人関係を円滑にするために、

「あ〜できるよ。余裕、余裕〜」

と真顔で答えられると、ちょっと困ることはありそうですが、今回の3人組には、そういうムードはありませんでした。(と、私は感じました)

いや、もしかしたら、真顔どころか、ドヤ顔をする練習が必要なのかもしれません。

できない、できない! それって、ホントですか?

〜〜

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2016年

5月

14日

堂々としていることの大切さ

堂々としているって、大切。

そういう存在感って、相手に伝わるようです。

表面的な言葉や行動も、もちろん大切ですが、「盛って」いたらバレちゃうものですね。
しかも、バレた時のダメージは、数倍?数十倍でしょうか?

 

よく行くスタバのテラスで、パソコンを打っている外国人がいました。

ふいに、何かのキャップを落としたようです。
通りがかりの人がスッと拾ってくれたのですが、まさに、堂々とした様子で、コミュニケーションをとっていました。

会話としては、おそらく、ありがとう、という程度の一言二言なんだろうと思います。
そこに、卑屈さがなく、妙な丁寧さもないのです。
一言でいうと、どっしりしていました。

私だったら、

「あ!スミマセン!」

と、何度も頭を下げてしまったのではないだろうかと思います。

キャップを落として、拾ってもらった。

それだけのことです。
よくあること。

私が落とすこともあるだろうし、逆に拾うこともあるだろうと思います。

 

でも、落としてしまったこと、そして、人に拾わせたことに、勝手に罪悪感を持ってしまうのかもしれません。

 

罪悪感というと聞こえがいいかもしれません。

むしろ、傲慢さ、とも言えるように思います。

 

さて、こういう日常的な、ありふれた出来事の中にこそ、インプットされた、いや、インストールされた罪悪感や傲慢さがあるなぁ、と感じました。

私が今度、何かを落とした時、堂々と、

「ありがとう」

と、ニコッと笑えるでしょうか…

そういえば、この日は、カウンターで注文した時、

「爽やかなストールですね!」

と言われ、後ろの方で、コーヒーを淹れていた店員さんも、

「あ〜ステキ〜」

と言ってくれました。

私は、

「嬉しいです。ありがとうございます!」

と言ったのを思い出し、よかったな、と思いました。

「いえいえ、これはですね、えっとですね…」

と、焦って否定したり、言い訳したりしない。
これも、練習ですね。

〜〜

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2016年

5月

15日

ホントに好きなの? ウソかホントかを見抜く秘訣

ホントに好きなの?

ウソかホントかを見抜く秘訣



先日、例によってカフェでボーッとしていた時のことです。
ふと、目に入ってきたのが、個性的な品揃えの雑貨店です。
窓から、いろいろなものがディスプレイされているのが見えました。

そして、階段から下りてきた店員さんが、また個性的。
階段にもディスプレイしてあった商品を直しに降りてきたようです。

ぼんやり、そんな様子を見るともなく、見ていたのですが、商品を置いては、道路から眺めて、また直しに行って、という繰り返しをしているのを見て、その店員さんがとても楽しそうだな、と感じました。

オーナーなのか、雇われ店長なのか、アルバイト店員さんなのか、そんなことはわかりませんが、楽しそうに過ごしているところを見て、
これって、幸せなことだなぁ

と思いました。

楽しさがにじみ出ていた。

この「にじみ出る」というところに、真実味があります。

言葉や行動で、表現されている楽しさは、自分を納得させるための楽しさであるようにも思います。

子ども達にも同じことが言えるのではないでしょうか。

やめろと言われても、やってしまうこと。
黙々と絵を描いたり、本を読んだり、工作したり…
サッカーしたり、野球をしたり…

本当に楽しんでいる時は、あえて何も言わなくても、伝わってくるものです。
それ、ホントに好きなの?

ウソかホントかを見抜くヒントは、にじみ出てくるものがあるかないか、だと私は思います。

〜〜

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2016年

5月

16日

迷った時に、一番、効果のある質問とは?

迷った時に、一番、効果のある質問とは?

「いつ、どんな時に、一番、幸せを感じるか」


私は、教師として、どんな時に幸せを感じるか、と自問してみました。

すぐに答えが出ました。
それは、子どもたちが課題に集中して取り組んでいる姿を見る時です。
特に、私があれこれ言わなくても、自分で自分のすべきことを見つけて、始めてくれると最高です。

これって、ハッキリ言って、テレビ番組の取材が来るような、ハデな話ではありません。

でも、あの凜とした空気と、熱中している子どもたちの集中力に、私は笑顔になるのをこらえられません。

そして、課題を終えた時の

「できた〜」

という小さな声と、満足げな顔。

これが最高なんです。(私には)

私が大切にしていること。

それは、私の授業によって、子ども達を理解や、達成感に導くのではなく、
子ども達が、自分たちの力で、ごく当たり前の、シンプルな、飾り気のない課題に集中して、
ごく当たり前の、シンプルな、飾り気のない達成感を得てほしい

そういうことなんですね。

例えて言うなら、

素材よりも、ソースで料理の味を勝負する古典的フレンチ

ではなく、

素材の良さをどう活かすかを第一に考える和食

が好き、ということになるでしょうか。
(料理そのものの好みとしては、古典的フレンチは好きですが…)

以前、あるお母さんからお話をうかがっていて、どんな瞬間に幸せを感じるか、という話になったことがあります。

その方は、

「夕食のテーブルに、家族がそろって、食事をしている時」

とおっしゃっていました。

これも、やはり、テレビが取材に来るような話ではありません。
(たぶん…)

子育てはもちろん、身の回りの毎日は、嬉しくなったり、ウキウキしたりすることもある反面、悲しくなったり、イライラしたりすることがたくさんあると思います。

どうしたものか、と迷うこともあるかもしれません。

そんな時、

「いつ、どんな時に、一番、幸せを感じるか?」

という質問を自分にすることで、方向性が絞られてくるのではないかと思います。

あなたは、いつ、どんな時に、一番、幸せを感じますか?

〜〜

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2016年

5月

17日

子どもをケアすべき時とは?

「まったく、素直じゃないなぁ〜」

 

 

 

私は、そう言わずにはいられませんでした。

 

 

 

ケンカが起きたと言われて、駆けつけた校庭の片隅で、険悪なムードで女の子が2人…

 

 

 

要は、遊ぶ約束をしていたのに、あの子、黙って行っちゃった!ということなのでした。

 

 

 

皆さんも、経験がありませんか?

 

ご自身のことでも、お子さんのことでも、こういうことは、よくあることです。

 

 

 

このケース、

 

「約束したのに、ヒドいよ!」

 

とは言えたようです。

 

 

 

それで、ゴメンね、となり、じゃあ、遊ぼうということになったのですが、結局、気持ちが収まらず、

 

 

 

・謝り方に心がこもってない

 

・本当に悪いとは思ってない

 

・これで何回めだ

 

・いつもこうなる

 

 

 

などなど、消えてはずの火がさらに燃え上がってしまったということなのでした。

 

 

 

私自身、人付き合いが上手な方ではないので、みんなにいい顔をしてしまうところが、大いにあります。

 

 

 

また、せっかくしていた約束を反故にされ、素直に謝罪を受け入れて、気持ちを切り替えるのも、なかなかできないかもしれません。

 

 

 

そういう弱さが私にもあるなあ、と思います。

 

その上で、私には、ちょっと、しつこ過ぎないか?と感じました。

 

 

 

こういう時に、私が、怒っている彼女の肩を持ち過ぎれば、子どもの世界では、私に見えないように、もっと彼女を遠ざけることになる可能性が高いです。

 

 

 

怒っている彼女のケアは、絶対に必要です。

 

 

 

でも、それは、その時、その場ではありません。

 

 

 

その時は、むしろ、

 

 

 

「ちょっと怒りすぎではない?」

 

 

 

と、言ってあげることが必要だと私は感じたのです。

 

 

 

怒っている彼女は、

 

 

 

・私は軽く扱われているから、真剣に謝ってもらえない

 

・私はダメな子だから、傷つけても構わないと思われている

 

・私はずっとうまくやれなかったから、今までも、これからも、またされるに決まっている

 

 

 

そういう気持ちが心の中で、渦を巻いている…

 

 

 

だからこそ、私は、このケンカの場ではなく、日常の教室や、会話の中で、彼女の価値を、徹底的に認めていく必要があると思いました。

 

 

 

実際、彼女には、びっくりするほどの集中力があります。

 

 

 

お〜と言ってしまうような絵を描きます。

 

 

 

話し合いで、素直に自分の非を認める心の強さもあります。

 

 

 

ケンカのケア、怒った後のケアは、その場でするものだけとは限りません。

 

 

 

むしろ、何もない日常にこそ、必要なのではないでしょうか。

 

〜〜

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2016年

5月

18日

人が集まると気になること…ワタシの居場所は、ここにあるのか…

人が集まると、一番の関心事になること、それは…


自分はこのグループに居場所があるかどうか


ではないでしょうか。


先日、道を歩いていた時、向こうから来る小学校低学年かと思う男の子二人組とすれ違いました。


彼らの話題は、アイツのことは好きか、アイツは誰に好かれているか、というようなことでした。


まぁ、女の子じゃあるまいし、などというのは、ジェンダーフリーの今、不適切かもしれません。


というより、子どもと接していて、この手の好きか嫌いか話は、男女の区別なく、多いものです。


あなたも経験があるかもしれません。

誰かと二人になった時、


「ねぇ、○○のこと好き?」


などという質問をされて、困ったことはありませんか?


嫌いだよ、などと答えたくはないけど、話も合わせておきたいし…


困りますよね。


私の勤める学校は、職員室がなく、朝から晩まで、子どもと一緒にいます。


ですから、この手の話題が私たちの前で始まることもあります。


もちろん、その場で声をかけるのですが、根っこにある不安、


・私は、このグループにいて、いいのか、大丈夫なのか


ということに安心しないと、似たようなトラブルが続くことになります。


こういう話題を好む子は、自分に自信が持てないことが多いと私は感じます。


そんなタイプの子に自信を持ちなさい、といくら言っても、なかなか自信を持てないかもしません。


ならば、不安になっていいよ、と認めてしまってはどうでしょうか?


私、勤続17年目に入った、今の職場でさえ、自分の存在価値が不安になるというのに、生まれて数年の子どものことです。不安になっても当然だと思います。


本当の自信は、不安も心の一部に抱えたままにすることで、できるような気がします。


腹八分目と言いますが、ポジティブも八分目がいいかもしれません。


20パーセントの不安を認めた時、好かれているかいないか、アイツより好かれているかどうかを気にしなくても済むのではないかと思います。


自分に言い聞かせる、今日の記事です。


〜〜

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2016年

5月

19日

パターン化することは大切だと思う。

パターン化することは、とても大事だと思う。

子育てを考えるとき、型にはめることの問題がクローズアップされることがあります。
が、まずは「型」という入れ物に合わせる方が、多くの場合、子どもには安心なのではないでしょうか。

自分で考え、自分で行動する子に育てたい。

確かに素晴らしいことだと思います。

だからこそ、まずはパターン化する。

それは、まるで、塩釜焼きの塩のようなものかもしれません。
カッチリ、型にはめて、はめて、安定させて…

そして、壊す。
というよりも、壊れてしまう。
壊れてしまうことは、当然のこととして、パターン化する。

もちろん、簡単なことではありません。
しかし、継続していれば、ある程度はパターン化させることができます。

行動のパターン。
生活のパターン。
感情のパターン。

ないない、と言っていても、実は、もうパターン化されていることもあると思います。

歯磨きのパターンはできていないかもしれませんが、
何か言われたら、すぐ、
「わかってる!」
と答えることはパターン化しているかもしれません。

特に低学年のうちは、「パターン化」が重要なキーワードではないでしょうか。
中学年以降、おそらく大人になっても、重要なのは、もしかしたら、心の解釈パターンを明るくすることなのかな、と私は思います。
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2016年

5月

20日

あなた、セーラームーンになれますか?

「これぐらいは、できていないと恥ずかしいよね」

そう言ったことのある方も多いかもしれません。
もし、あるなら、逆に、そう言われたこともあるのではないでしょうか。

せめて、これぐらいはできていないと、○○名人なんて、名乗れない。

成果も出していないのに、好きだなんて、恥ずかしくて言えない。

謙虚に見えて、もしかしたら、人より抜きん出ていたい、という欲求の表れかもしれません。

そして、何より、その思いが、行動を遠ざけます。
すると、永遠に「これぐらい」にならない、というわけです。

かつて、四年生の女の子が、

「セーラームーンになりたい」

と言ったことがあります。

これは、もちろん冗談です。

正確には、一年生ぐらいの頃に、そう言っていたのをからかわれて、また言ってみた、ということなんですね。

セーラームーンに憧れた彼女は、セーラームーンの何かに、自分のありたい姿を見出していたのでしょう。

友達はからかったとしても、お母さんだけは、深く関心を寄せてくださったら、子どもは幸せだなぁ、と思います。

実際、その時の様子を思い出してみると、からかっている子は、セーラームーンなんて幼いよ、というよりも、お前がセーラームーンみたいなことできるのかよ、という趣旨の方が強かったのです。

え?
あなた、どの口で、そんなこと言えるの?

子どもが、それぐらいでいてくれると、私はとても救われた気持ちになります。

子どもから学ぶことって、本当に多いです。

2016年

5月

21日

音とニオイの問題は、思っているよりも重要

音とニオイの問題は、思っているより、重要。

本能むき出し(?)の子どもたちと過ごしてきて、思うことがあります。

それは、音とニオイの問題は、思っているより、人にダメージを与えているかもしれない、ということです。

先日、音のトラブルをきっかけに痛ましい事件が二つも連続して起こりました。

私は、この話を聞き、やっぱり、音とニオイは重要だと再認識しました。

まず程度問題です。

「これぐらい、構わないよね」

この認識が、大きな心の溝を作ります。
むしろ、自分では問題と感じないから、溝ができるのです。

音とニオイは、気になる人には、本当にヒドく気になるものだと思っていた方がいいと思います。

「これぐらいで?」
という言葉は、トラブルを必要以上に大きくしてしまうようです。

次に、注意という問題。
つまり、注意されると、自分が責められたと感じる問題です。

まさにテレビでも、専門家のコメントとして、注意するのではなく、お願いすることが大事と言っていましたが、クラスでも、まさにそうです。

うるさい!

という言葉は、単なる攻撃に聞こえるようです。

・どの言動、ふるまい、音が、
・誰にとって、
苦しいことなので、
・どうしてほしいか、
を具体的に伝えることがクラスでは、トラブルを減らします。

そして、音以上にケアが難しいのが、ニオイ問題です。
とてもデリケートなことですね。

いずれにせよ、お子さんが、それらのことで怒っていたら、

「お友達のこと、クサイだなんて、ひどいわよ」

という正論の前に、いったん、話を聞いてみてください。

具体的な対応がすぐにできないとしても、お母さんが聞いてくれた、と子どもが感じれば、気にならなくなる、ということも多くあります。

かつて、ある教室にサポートに入っていた時のことです。ある女の子が、あの子のニオイが嫌だ、と言い出し、トラブルになったことがあります。

初めは、そんなこと言うもんじゃない、と言おうと思いましたが、ふみとどまり、じっくり話を聞いてみました。

その結果、これは、本当に気になっているんだな、と納得しました。

私の納得は、子どもに必ず伝わります。

次の時間、図書室に移動したのですが、また間の悪いことに、彼女とあの子は、向かい合わせになりました。

あ〜クサイだの何だの、ケンカになるかな…

とヒヤッとした次の瞬間、彼女は私のところに寄ってきて、耳元で、こう囁きました。

「どうしてもニオイが気になるから、席を移りたい」

ついさっきまで、騒いで、ケンカした彼女の変化に、私は驚き、とても嬉しかったのを、よく覚えています。

音だのニオイだの、そういう生理的なものは、気になる人には気になるのですね。

もう、仕方ないと思います。

解決は簡単ではないけれど、少なくとも、重大だ問題として受け止めてあげたいな、と思います。

2016年

5月

22日

子どもの嫌な習慣に、くさびを打ち込む、勝負の言葉とは…

わかっているけど、できない。

うん。気持ちはわかる。

けれど、それは、わかっていないということ。

 

 

子どもにとって、都合の悪いこと、つまらないことをさせようと思うと、どうしても嫌なムードになりがちです。

 

結局、口げんかのようになることも多いでしょう。

 

そんな時は、魂を込めて、この言葉だけを投げかけてみませんか?

 

「それはね、わかっていないということだよ」

 

~~~~~

 

母「宿題は、家に帰ってきたら、すぐにやるんだよね?約束したよね?」

 

子「わかってる。やろうと思ってた」

 

母「…」

 

子「このゲームを5分やったら、やるから」

 

こういう会話、宿題に限らず、毎日の生活の中では、よくあるのではないでしょうか。

 

勉強や、生活上のことをサクサクできる子でも、対人関係となると、見ていて歯がゆくなるようなことを繰り返しているということもあると思います。

 

・宿題は、家に帰ってきたら、すぐにやる。

・失敗することは、うまくなるために必要なことだから、まず、やってみる。

・他人に対して、言い方を優しくする。

 

などなど、お説教には、わかっているけど、できない、ということが多いのは理解できます。

 

私だって、子どもの頃、親や先生に叱られたものですし、今もできないことがいっぱいあります。

 

そう簡単にはできないよね、という気持ちは、察した上で、

 

「それは、わかっていない、ということだよ」

 

とだけ、冷静に、落ち着いて、ピシャリと伝えることが大切です。

 

そうそう。

簡単には、できないよね。

 

けれど…

 

「それは、わかっているけど、できないんじゃなくて、わかっていない、ということなんだよ」

 

それだけ伝え、黙っていることが大切です。

あれこれ、言葉をかぶせません。

短い言葉に魂を込めて、伝えます。

 

多分、わかっていないということだよ、とおっしゃることは難しくないと思います。

でも、その後、黙っていることが難しいかもしれません。

 

黙るのは、なぜか。

それは、子どもが自分なりに考えることができるからです。

 

ぜひ、お子さんとご自身を信じて、やってみてください。

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2016年

5月

23日

気になるアイツの腹立ちポイントは、自分の腹立ちポイントだ。

気になるアイツって、実は自分。

私は、そう考えると、気がラクになりました。

相手は、自分を映す鏡。

そうとらえることが、なんとなく流行っているように思います。

私は、その考えには、大いに共感できるのですが、今日は、私自身の経験、感覚として、

気になるアイツって、実は自分

と考えることで、気がラクになったので、記事にしました。

悩みは全て人間関係である、と言います。
お金の悩みだって、確かに、よく考えてみるとそうです。

・アイツみたいには、なりたくない。
・なんで、アイツは、あんなことを言うんだ(するんだ)!
・アイツ、あんなにイジワルなのに、なんでみんなは、アイツのことが好きなんだ!(自分より…)

こんな怒りに、ハラワタが煮えくり返る経験をされた方も多いと思います。
もちろん、私もそうです。

クラスでも、アイツが気になって、気になって、仕方がない、というトラブルがよく起こります。

子どもですから、言いたいことを言える場合もあり、あ〜言えただけでスッキリ、ということも多くあります。

しかし、特に中学年以上の女子のトラブルとなると、話はそう簡単ではありません。
まず、オープンに言いたいことを言うということが、なかなか難しい。
そして、言えたとしても、相手の言い分を聞く気など、全くない、ということもあります。

これは、大人の方が当てはまるでしょう。

さて、アイツが気になって仕方がない時、

「アイツに言いたいこと、求めていることって、もしや、自分で、自分に言いたいことでは?」

と考えてみたところ、私の場合、あら不思議。なんでか、腹が立たなくなったのです。

例えば、

・アイツみたいになりたくない

ならば、アイツのどんなところが、そんなに気になるのでしょう?

偉そうな態度?
愛想よくしているけど、本音では何考えているかわからない?
異性の前だけ、愛想がいい?

などなど、少し詳しく腹立ちポイントを考えてみて、実は自分にそういうところはないか?と考えてみると、あるのです。

つまり、腹が立っている相手は自分だった、というわけです。

その気持ちを自覚できると、

「ほうほう。今度は、自分、どうしたいんだい?」

と、自分の感情に距離を置くような感覚になることができました。

腹が立ったなら、まずその気持ちを相手に伝えることが大切です。

が、それでスッキリしない、あるいは同じようなトラブルが続くのなら、実は、アイツは、本当に単なる鏡にすぎないのではないでしょうか。少なくとも、私にはそうです。

だとすると、いくら、相手に気持ちを伝えたところで、何の解決にもなりません。

私が、私に、かけたい言葉をかけたり、やりたいことをやったりして、やっと気持ちがスッキリするのだと思います。

そう考えると、イヤなヤツって、ありがたい存在ですね。
もちろん、今は、機嫌がいいから、そんなことを素直に書けるのですが…
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2016年

5月

24日

言葉と態度を強くしても、ダメみたい

言葉と態度を強めてインパクトを与えてもダメみたいなんです。


「それって、人として、どうなの!」

言ったこと、言われたことのある方もいらっしゃるでしょう。

文字にすると、けっこうな強さですが、日常生活の中では、わりと登場する言葉でもあると思います。

例えば、
・何か提出物の期限を守らなかった(特に、続いた)
・上の空の返事をした
・お礼を言わなかった
などなど、本当は大したことでもないのに、何とか相手に伝えようと、言葉が強くなります。

まぁ、提出物の期限は守った方がいいですし、返事は相手の目を見てした方がいいですし、お礼も気持ちよく、すぐにした方がいいです。

が、少々、しなかったとしても、人としてどうだこうだというほどのことはないでしょう。

先生!
それが甘いんです!
小さいうちから、しっかり身につけさせたいから、強い言葉と態度で、子どもにしみつけたいんです!

そうですよね。
お察しします。

だからこそ、一つ、気をつけておいて欲しいのは、お子さんによっては、

「自分に自信のない子にとっては、やっぱり自分はダメなんだ、と自信のなさを助長する」

ということです。

強い言葉、あるいは態度で、事の重大さを伝えたい。

正論に聞こえますが、本当に伝えたいのは、何でしょう…

・こんなに続けて、提出物の期限を守らないなんて、私のことを軽く見てるでしょ。
・他の人や他のことを考えて、ぼんやり返事するなんて、私のことをバカにしてるでしょ。
・こんなにしてあげたのに、キチンとお礼も言わないなんて、私のことを流してるでしょ。

実は、自分を軽く扱われたことの怒りの表出ではないかと思うんです。

だとしたら、人としてどうのこうの言う前に、

・私の言うことややっていることに、キチンと関心を持ってもらえませんか?
・あなたの言葉や態度で、私は軽く扱われた気がして、悲しいんです。

と言う必要があるように思います。

では、私は子どもたちにそう言ったことがあるか、ですが、私の場合、

提出物については、あまりガミガミ言わないことにしていて、期限の前日に確認で名前を呼ぶ程度にしています。

とはいえ、どうしても期限が重要な時は、その理由も伝え、家にも電話して、期限に整うように、私が一肌脱ぐようにします。

そして、返事や挨拶は、上の空でされるとさみしいと伝えることもあります。

その結果、すぐに改善するかどうかは、わかりませんが、こちらのアプローチを続けていれば、自然と良くなると思います。

ネットやメディアでの一時的なキャンペーンとしては、強い言葉、態度、目を引く何かは、大いに価値があると思いますが、子育てという点では、一時的なキャンペーンは、やはり一時的に終わると私は思っています。
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2016年

5月

25日

気持ちを全て受け止めると、新しい発見があるのでオススメ!大変だけどね…

気持ちを全て、受け止めるのは、いろいろ大変だけど、新しい発見がある!

 

 

お母さんとしては、いくら我が子がかわいいと言っても、

 

「え?なんでそんな気持ちになるの…理解できない…」

 

と、どうしても共感できないこともあるも思います。

 

それも当然で、もちろん、それでいいと思います。

が、そうだとしても、お子さんがそう思ったのも、また事実なのです。

ですから、お子さんの心の事実は、心の事実として、全て受け止めてくださったら、いいなと思います。

 

お子さんの語る、荒唐無稽(?)なストーリー、あまりに自己中心的な考えでも、価値があるのです。

 

話をいくら聞いても、聞いただけで、解決できるとは限りませんが、その子の中で、何がシコリになっているのかを理解する、素晴らしいチャンスなのです。

 

まあ、そんなことを訴えている私でも、現実的には、授業を進めたい時や、どこかに出かけなくてはならない時などなど、今はムリ、という時もあります。

 

そんな時は、後回しで構わないのです。

落ち着いてからで構いません。

今、すぐでなければならない!という縛りを捨てると、少しハードルも下がるのではないかと思います。

 

さて、聞き方のコツは、横か斜めに座ることです。立ったままでは、不安定なんです。お母さんが座ってくれるということは、そこで場が安定するということです。

 

そして、聞くことは、簡単。

 

「それで?」

 

と聞くだけです。

 

さらに、言葉できなさそうなら、どんどん代弁してあげましょう。

 

気持ちが昂っている時に、自分の言葉で言わせる練習なんて、逆効果です。

 

・こういうこと?

・ああいうこと?

・こういう意味?

 

と、助け船を出すことは、とても大事です。

 

さて、男の子同士のトラブルがありました。AくんとBくんとしましょう。

 

Aくんは、Bくんが大好きなんですね。

何かと言うと、遊びに誘ったり、カワイイちょっかいを出したり…

 

一方、Bくんは素直じゃないところがありました。

 

遊ぼう!

うん、行こう!

 

とは、ならないことも目につきました。

 

遊ぼう!

うーん…

でもね〜

 

と、いったん面倒くさそうにします。

トイレだなんだ、理由をつけて、ごにょごにょするのです。

 

そんなBくんですから、遊びの輪に入らないことも多かったのですが、Aくんは、懲りずに、声をかけていました。

 

Bくんも、本当は嬉しかったんだと思います。

声をかけられた後の口元は、少し笑ったような感じが見えました。

 

でも、素直にできない子は、本当にできないんですよね。

私も、そういうところがあるので、わかるような気がします。

 

そんな彼らでしたが、とうとう、Aくんが怒ってしまいました。

話を聞くと、サッカーに誘ったのに、断られたというのです。

 

それだけなら、いつものことなのですが、その日は、朝、駅で会って、おはようと声をかけたのに、無視された、という伏線があったこともわかりました。

 

 

Aくんの怒り、思いをずいぶん、長く聞きました。

そして、Bくんからも、話を聞きました。

 

その中で、興味深ったのは、Aくんには、自分が一人になってしまう不安があったことが、感じられたことでした。

 

Aくんは、Bくんを救うつもりで、実は自分の不安をBくんの中に見ていたのではないか、と私は感じました。

 

だからこそ、Bくんも、素直になりきれなかったのかな、とも感じました。

 

もしかしたら、AくんとBくんは、似た者同士。表と裏のようなものなのかもしれません。


ケンカになれば、もちろん、間に入るとしても、温かく見ていれば、きっと、次のステージに進むのだろうな、と思いました。


話を聞くのは、なかなか大変ですが、それだけの発見や、成果はあるように、私は思います。

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2016年

5月

26日

子どもを明るくし、励まし、勇気づける、単純なヒントとは…

子どもを明るくする方法。

大人が明るく過ごす。


どうやら、私たち大人が、特に身近なお母さんが、イキイキ、楽しくすることしか、人を勢いづける方法はなさそうです。


クラスで子ども達と遊ぶ時、楽しかったね!と、満足して遊びを終えられる、一番の方法は、私が心から楽しんでいることでした。


もちろん、遊びのコツはいろいろあります。レベルやら、ルールやら、いろんなテクニックやノウハウもあるのですが、結局のところ、私が楽しんでいると、必ずそれを察知した子どもたちがほっておいても集まってきます。


結局、それが一番のヒントだし、それがないと、心の底から楽しめないような気がします。


特に、お母さんの顔色を子どもはよく見ています。


今、楽しんでいいのかな?


などと、気を遣っていることだって、珍しくはないように思います。


私は、私自身が楽しめる方法で、子ども達を勇気づけようとし、イキイキしてもらいたいと思っています。


例えば、文を書いたり、話をしたり、何かを教えたり、遊んたり…


そのベースにあるのは、私がホンネで楽しんでいるかどうかです。


だとすると、お母さんが先に明るくて、イキイキしているだけで、子どもは安心できることになります。


仕事をするもよし、家事にこだわるもよし、高級ランチもよし、昼間っから一人カラオケもよし…


罪悪感のかけらもなく、楽しんでいい、ということだと、私は思います。


むしろ、罪悪感を持ったまま、何かをすると、その罪悪感で子どもを結びつけてしまうことだって、あり得ると思います。


あの手この手はムダ。

敏感な子を警戒させるだけです。

心の底から、大人が楽しむ。

それだけのことなのに、言うは易く行うは難し…



私自身、まだまだ、そんな境地には達していませんが、不機嫌さや怒りで子どもを動かそうとするのではなく、ハダカの私がイキイキして、オープンにしていることで、誰かの心も軽くなったら、いいな、と思っています。


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2016年

5月

27日

子育ての意外なヒント…軽いことはいいことだと思う。

軽いことは、いいことだ。

毎日の子育てで、意外なヒントになるかもしれません。

 

 

「軽い」

 

そう聞いて、どう思われるでしょうか?

 

・軽薄

・軽い人

・軽い言葉

 

などなど、「軽い」という言葉は、あまりいい意味で使わないことも多いようです。

特に、人に対して使う時は、なおさらです。

 

確かに、言葉が軽いと、説得力がなく感じます。

ま、いい加減に聞いておけばいいか、と思われてしまうかもしれません。

 

では、重ければいいかというと、それがまた難しく思います。

 

「あなたは、重いのよ」

 

と言われると、結構なショックを受けます。

 

言葉や態度に重みがありすぎるのも、またプレッシャーになります。

 

じゃあ、どうすればいいのか…

 

私は、何もない、当たり前の毎日は、軽いに越したことはないと思います。

 

現に、私の書いているブログも、熱を込めて書くより、サラッと書いた記事の方が、多くの方に読んでいただける傾向があります。

 

お子さんに、これだけは伝えたい!

 

そういう時こそ、「軽さ」が重要だと思います。

子どもに限らないと思いますが、伝えたいことが大きい時こそ、軽く、肩の力を抜きたいなと思っています。

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2016年

5月

28日

先送りこそ、わが子の将来を明るくする!

人生は、何歳で決まるのだろうか。

人生は、◯代で決まる…
そういう本を書店で目にしました。
思わず手に取って立ち読みしてしまったのですが、本を元に戻すと、すぐ近くにまた別の年代で人生が決まるという本があった。

え?
20代?
30代?
40代?
一体、いつ決まるの?
そんなことを思ってしまいました。

いったい、いつ決まるのがホントなのでしょう?

年齢ごとに、経験すべきことを整理することは、わかりやすく、参考にできる部分も多いでしょう。
期限を切られることで、行動を促す効果もあると思います。
が、私は、すべきことを年齢で区切ることに、慎重でありたいな、と思います。

私はもうすぐ40になりますので、今日、書店で手に取った本は、40代で〜という本でした。読んでみると、私なりに、できているな!と嬉しくなったこともあれば、マズイ…と不安をかき立てられることもありました。

おそらく、それは30代でも、20代でも、できていることもあれば、できていないこともあるのではないかと思うのです。

それに、もし20代で人生が決まるなら、その20代は、10代で何をしたかで決まってしまうし、それなら、さらに一桁の時に何をしたかで決まる。

となると、お母さんのお腹の中にいる時から…
常に、過去を振り返って、できていないところはないか、今からでも間に合うか、追いかけっこをし続けることになってしまいます。

そのプレッシャーは、相当なものです。
私が接している子ども達は、一番、年上の6年生でも、まだ12歳です。
何かができるようになる時期は、数年単位の誤差があっても、全く不思議ではないと思います。

人生が決まるデッドエンドとなる年齢は、先送りするに、越したことはないように私は思います。

先送り…

何と、罪悪感をかき立てられる言葉でしょう。
が、先送りには、子どもの人生を大いに輝かせる価値がありそうです。
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2016年

5月

29日

見えない、心の鎖を解き放つ

私のしたいことは、「私は、私で、いいんだ、と自分で思えること」。
 
私は、このように、毎日ブログを書いています。
本も出す機会をいただきました。
もちろん、毎日、子どもたちと接しています。
ブログも、出版も、子どもたちとの生活も、全ての基盤にあるのが、「私は、私で、いいんだ」ということを伝えたい!そして、まず、私自身が、そう思いたいということです。
その過程では、
「私も、そうだ!」
という仲間と出会うこともあると思います。
というよりも、あります。
ここでいう「仲間」とは、大人の知り合いのことだけではありません。子ども達、保護者の方々、友達やら先輩やら、同僚やら、恩師やら、カフェの店員さんやら、誰でもいいのです。
条件は、ただ一つ、
「私は、私で、いいんだ」
と自分も思いたいということだけです。
さて、少し、話は変わりますが、ブログや原稿、著書に求められるのは、読者の目線に立ち、役に立つメリットやノウハウ、心の持ち方などを伝えることです。
まったく、何の反論もない、ごもっともな話です。
その上で、私は、まず、読者目線、読者メリットを手放そうと思います。
自己満足の記事なんて、誰も読まない。
本当にその通り。
でも、それって、私の場合、誰かの役に立とう、立たない記事はダメという、心の鎖になってしまうのです。
私は、ただ、淡々と、心に浮かんだことを書こうと思います。
初めに書きました。私の目的は、ただ一つ。
「私は、私で、いいんだ」
と、自分が思えること。
だから、ブログの毎日更新も手放していいのだと思います。
書きたい時に書く。
1日に数回、記事を書いたっていい。
1週間に1回だっていい。
私を縛っている、見えない心の鎖を解き放とうと思うのです。
私は、私で、いいんだと思える私の書く文章、話す言葉、やることは、必ずや、必要な人のところに届くと思います。
私は、私で、いいんだ、と私が思っているから、子どもも、自分は、自分で、いいんだ、と思える。
だから、大人が先に満たされないといけないな、と私は思っています。
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2016年

5月

30日

お母さん!どこのご家庭のキッチンにもある道具が、子育てのヒントになると、ご存知でしたか?

 

子どもを伸ばす大人は、フライパン返しにヒントを求める。

 

フライパン返し…

あれほど、便利なものはありません。

料理には必須です。

 

一瞬で、表と裏をひっくり返します。

当たり前ですよね。

 

ハンバーグや目玉焼きやホットケーキを一瞬でヒックリ返せるのですから、私たちの心も、一瞬でヒックリ返せると思うのです。

 

 

 

私のテーマは、

 

「私は、私で、いいんだ」と、思えるようになること

 

です。

これは、昨日の記事でも書きました。(こちら

 

ところが、これは言うは易く行うは難し。

なかなか難しい…

 

なぜ、そう思えないか。

それは、

 

人に賞賛されるような、自分で自分を認められるような「成果」や「証拠」がないから。


そこで、結果ではなく、プロセスを認めることが大切だと言われます。

全く、その通りです。
返す言葉もありません。

でも、プロセスさえ、自信がなかったらどうする?
自信がないあまり、行動を起こさない、という選択をする子も、少なくないのです。
それは、多くのお母さんがお分かりだと思います。

「やっぱり、ワタシってダメじゃない…」
「どうせ、オレなんてダメだし…」

ということがベースにあるのですね。

「取り組んだこと」それ自体が、素晴らしいんだよ、という心持ちで接することは、多くの子どもの心を励ますと思います。

が、今、書いたように、本当に自信のない子、つまり、実は人一倍、認めてほしい子は、取り組みさえしようとしません。

だからこそ、私は、その子の、一番、気にしていることを認めます。
子どもの話を聞き、自分が一番、苦手にしていることを、

「それが、あなたの魅力なんだ」

と伝えます。
その、180度、ひっくり返す視点の移動こそ、大人の役目かな、特に、私の得意なところかな、と思います。

これが、一気に子どもを伸ばす、フライパン返しなのです。

日々の、当たり前のこと、例えば日常的な料理にも、子どもを伸ばすヒントがあると、私は思います。
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2016年

5月

31日

呼び捨てでも、ちゃん付けでもいい。確固とした信念があるなら…

子供が親を「呼び捨て」「ちゃん付け」 そんな親子は「気持ち悪い」か

と題した記事があります。(こちら

 

これは、少し前に、よく話題になった記憶のある、友達親子はいいか、悪いか、という話の延長上にあるテーマだと思います。

 

友達親子、呼び捨てあり、ちゃん付けあり、という考え方は、私の勤める学校では、あまり評価されない雰囲気がありますが、だからと言って、ダメ!とも言い切れないと思います。

     

・困ったことでも、相談しやすいように

・人間としての価値は、同じだから

・真の信頼関係を築きたいから

 

などなど、いろいろな理屈が出てくるでしょう。

それを聞いて、

 

「え?なんかヘン…」

 

そう思われる方も多いと思います。

だからこそ、「気持ち悪い」というタイトルの記事があるのです。

しかも、かなり、アクセス数は多いようです。

 

さて、そこで、私の考えですが、

私は、それが、ホンネなら、それでいいんじゃない?と思っています。

 

心の底から、

・困ったことでも相談してほしい

・人間としての価値は同じだから、呼び方もそうでありたい

・真の信頼関係は、対等な呼び方から

と、思っているなら、それでいいと思うのです。

 

ポイントは、「心の底から」です。

つまり、大げさではなく、それが信念によるものなのかどうか、ということです。


逆に言うと、「心の底」に別のものがある場合、話は180度、変わります。

 

具体的には、

 

「私は、自信がないので、対等っぽい関係だと、気が楽」

 

とか、

 

「子どもに嫌われたくない」

 

とか、理解のある風、脱封建価値観を持っている風を演じて、実は、不安やカッコつけがベースにあるなら、呼び捨てやらちゃん付けなんて、もってのほかだと思います。


なぜなら、それは、子どものご機嫌とりになってしまうからです。

 

ただし、同じ論理で、考えを深めてみると、

 

「私は、自信がないので、封建的親子関係を設定しておかないと、不安」

 

という考えが根底にあるなら、どんなに「昭和のお父さん、お母さん」をやってみても、やはり、それはホンネに基づいていない、表面的な言葉や態度ということです。


結局、子どもは納得しづらい、うまくいかない、ということになるでしょう。

 

私個人としては、呼び捨てやちゃん付けに、反対です。

が、それを大切にしたい、と真剣に考える方を応援することならできます。

 

重要なのは、呼び方以上に、子どもにおもねっていないか、自分に自信を持って語りかけているか、ということだと私は思いました。

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