2016年
5月
01日
日
"YouTuber"が、子どもの夢になった記事から思う、子育てで具体的に、取り組むべきこと
何はともあれ、ネットの歩き方を家族で考えてほしい。
oricon styleに、「"YouTuber"は何故子ども達の"将来の夢"になったのか?」と題した記事が掲載されています。(こちら)
それによると…
<以下引用>
〜大阪府内のある小学校が「4年生男子の将来の夢」を調査した結果、第1位には不動の“サッカー選手”、2位に定番の“医者”、そして3位に“YouTuber(ユーチューバー)”がランクインしたことで大きな話題になっている。〜
<以上>
のだそうです。
最近は、子どもの人気"YouTuber"もいるとか。
実際、私が担任していたクラスの子ども達も、
「この動画、探してみようか?」
とか、
「こんな動画をアップしたいよね」
というような会話をしていたことを思い出しました。
oriconの記事にも触れられていましたが、私としても、「好きなこと」を大事にして、「楽しいこと」に挑戦していくことは、いいことだと思います。
なのに、心の中に、
「う〜ん…」
と、すっきりしないものが残るのは、なぜなのでしょう…
何だか、怪しいから?
まあ、そうかな…
が、私のように、現役教師でありながら、自分のライフワークとして、情報発信を続けているのも、同じと言えば、同じです。
私自身はYouTubeでの動画配信をしたことはありませんが、音声メッセージを録音して、毎週、日曜日に配信しています。
影響力、という点では、動画であるyouTubeの方が、はるかにあるでしょう。
どうせやるなら動画だって。
でも、なぜ、私がしないのか。
それは、まず、やり方がよくわからないのと、何かしら根拠のない不安があるから、というのが正直なところです。
顔も出し、実名も出し、職業も出し、勤務先も出して、
本を出し、ブログ記事も出している私。
なのに、YouTubeはできない。
そこには、大した意味も、根拠も無さそうです。
そう考えると、子ども達が動画の配信だからといって、これと言った「意識」をしないことは、「良いこと」と捉えてもいいように思います。
ただ、私としては、うっかり映り込んだ、ちょっとした名前や場所などをきっかけに、トラブルが起きたり、誰かに迷惑をかけてしまったりすることについて、ご家庭でしっかり考え、対応をすることは必要だと思います。
ネットがらみのことは、YouTubeに限らず、
「もう、私にはわからないから、子ども任せよ」
というのは、大いに危険があります。
学校でネットリテラシーについて学ぶようになった頃は、よく、こういう表現がなされていました。
「インターネットは、新宿の歌舞伎町と同じ。大人が何のケアもなく、子どもを一人で、歌舞伎町に行かせよう、という方は、いませんよね?」
「はい…わかっています。でも、どこまでチェックしていいのか、管理していいのか…」
そうですよね。
私も同感です。
そういう時は、もう直感です。
お子さんの作った動画なり、書き込みなりを見て、読んで、
「私は嫌だ」
と感じたら、率直に、そう伝えてみましょう。
そして、例えば、
「高校を卒業して、自分でアルバイトをして、通信料を自分で払うようになってから、自由にしてね」
などという対応もありますね。
YouTuberだの、稼ぎがあるだのないだの、そういうことよりも、この記事をきっかけに、ネット上の言動について、考えてみてはいかがでしょうか?
〜〜
<執筆・コメント・取材・講演>
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2016年
5月
02日
月
いろいろな感じ方をする子がいるはずです。
あんなヤツ、大嫌いだ!という時は、とことん大嫌いでいい。
2016年
5月
03日
火
困っていることこそ、素直に言ってほしい。
だから、お母さんが困っていることも、素直に言う。
お子さんが学校で、どう過ごしているか、わかっておきたいですよね。
とはいえ、全部を把握するなんて、できるわけもありませんし、もし、全部を把握しようなんてしたら、とんでもなくお子さんにプレッシャーをかけることになるでしょう。
学校での楽しい話をたくさん聞きたい。
そして、もし、困ったことが起きたなら、一人で抱えずに話してほしい。
まず、そもそも、お子さんのことを知ろう、知ろうと力んでしまうと、お子さんは、あまり言いたくなくなりがちです。
ですから、
「ウチの子、大丈夫かしら…」
と、つい思ってしまう方は、お子さんに様子を聞く回数を、まず半分にすると、お子さんから言いやすくなると思います。
それにしても、楽しいことなら、お母さんに話すハードルも低いのです。
が、困ったことこそ言いづらい。
私自身、子どもの頃、そうでした。
あなたも、そういうご経験があるかもしれません。
そういうご経験があるからこそ、我が子には抱えずに言ってほしい、そうお感じかもしれません。
その気持ちはお子さんに伝わっていると思います。
が、それでも、困っていること、辛いことをお母さんに言うのはハードルが高い。
人に言う、ということは、もう一度、嫌なことを思い出さなくてはならないということです。
嫌なことを伝えることは、嫌な経験を再び味わうことになってしまうので、相手が誰であれ、ハードルが高い。
さらに、大切なお母さんに心配をかけるなんて、ハードルと言うより、もはや壁のようなものではないかと思います。
そんな壁を少しでも低くし、せめてハードルぐらいの高さまでにするために、私は、お母さんを始め、身近な大人が、自分の困っていることなり、弱みなりを当然のことと受け止めていることがヒントになるのではないかと思います。
大人も悩みがあり、やらなきゃいけないとわかっていることができないこともある。
そこは、大人も子どもも、共通の心の土台なのではないかと私は思います。
あ〜
趣旨はわかるんですが、子どもに、ナメられてしまいませんか?
私も、初めはそう思っていたんです。
が、子どもは、大人の心に敏感です。
まして、私の勤める学校のように、登校から下校まで、ずっと一緒にいて、夏には1週間の臨海学校で、24時間一緒にいるような生活をしていると、繕っていることもバレています。
なんだ。
もう、裸でいいんじゃないか。
かえって、正直になった方が、子どもは納得できるのではないか。
そう思うようになりました。
もちろん、それでも子ども達は、私に全ての話をしてくれたとは思いません。
勇気を持って、話してくれたこともあるし、どうしても言えなかったこともあるでしょう。担任として、把握できなかったり、対応が遅れたりしてしまったこともあります。
そういうことも含めて、私は子ども達の前で、正直、本音であろうと努めました。
その中で、
「ふーん。先生も、そんなことがあったんだね」
と、ある子と、私の失敗経験についてゆっくり話し合ったこともあります。
それからしばらくして、その子が困っていることを書いてくれたのは、今でもよく覚えています。
苦しいことほど、言えない。
ましてや、お母さんに心配なんてかけたくない。
この心の壁は、相当に高いのです。
ですから、後になってから、困っていることを知ることになったとしても、お子さんを責めるのは逆効果ですし、その時に気づけなかったご自身を責めることもないのではないか、と私は思います。
〜〜
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2016年
5月
04日
水
自分のホンネに、心から自信を持つことが大事。
ハゲたとしても、お腹が出たとしても、今は自慢できるイケメンじゃなければイヤ!
ならば、
人に自慢できる我が子じゃなければイヤなのか…
先日、中央線に乗っていた時のことです。
女性3人組が、恋愛や結婚の話で盛り上がっていました。
「◯◯ちゃんの彼は、イケメンでいいよね〜」
「え?イケメン?そうでもないよ。でも、愛らしい顔をしているよね」
ここまでは、いいと思うのです。
楽しい話だと私は思います。
しかし、次の言葉が私の耳に残りました。
「あ〜イケメンの彼じゃないと嫌だな…人に紹介できないもん」
2016年
5月
05日
木
子どもの口ぐせに思う、言葉の奥にある自信の大切さ
「クセ」が怖いのは、自覚もなく、習慣化していることです。
私はたくさんの子ども達と関わってきましたが、その中で、
「何?悪い?」
が口ぐせだった2人の子どもが印象的です。
まず、Aくん。
彼は、何かと言うと、
「何?悪い?」
と答えるのがクセでした。
ある日、Aくんは制服のワイシャツの襟が立っていました。
それをクラスメイトの一人が、立ってるよ、と声をかけてあげたことがありました。
その時も、Aくんは、
「何?悪い?」
と答えていました。
Aくんには、面白いところもあったので、一人ぼっちになってしまうことはありませんでしたが、何かと言うと、
「何?悪い?」
と返されるのも、ちょっと嫌ですよね。
本人としてみれば、相手を責めるというよりも自分を守りたい、という心理のくせなのではないか、と私は感じていました。
私の勤める学校では、クラス替えがなく、6年間、同じメンバーと過ごします。
ですから、まさに家族と同じ。
少々気になることを言われたとしても、他の良さもわかっていますし、対応の仕方も慣れたものなので、関係を築くこともできました。
が、いつもそれでは、無用なトラブルも生んでしまいそうです。
さて、もう一人の「何?悪い?」の子、Bちゃんです。
この子は、ハキハキ、サッパリ、という印象の子でした。
彼女も、何かと言うと、
「何?悪い?」
と言うのですが、彼女の場合、よく覚えているシーンは、こうでした。
Bちゃんには、仲良しのCくんがいました。
3年生ともなると、あまり男の子と仲良くしていると、からかわれることもあるものです。
Bちゃんも、ある日、またCと遊ぶのかよ〜と、言われたのでした。
そこで、Bちゃんが答えたのが、
「何?悪い?」
でした。
ここまでハッキリ、悪びれずに答えられては、もう返す言葉もありません。
それ以来、そんな指摘は、ありませんでした。(少なくとも、私が把握している限りでは…)
「何?悪い?」
という言葉は、まあ、いい言葉ではないかもしれません。
相手に攻撃的な印象を与えやすい言葉です。
だとしても、まだ心の柔らかい子ども達は、その奥にある気持ちをきちんと把握して、関係を築くことができます。
自分の気持ちを、落ち着いて、どっしりと伝えることは、相手の気持ちも鎮めることができるようです。
〜〜
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2016年
5月
06日
金
他人の目や声よりも、自分。
でも、ちょっと自意識が高まり過ぎて苦しいなら、周りを見ることで、冷静になれることもある。
私は、このブログを通じて、また、これまでの教員生活を通じて、「自分」を活かすにはどうすればいいか、他人の目や声を気にして過ごすのではなく、本当に自分を活かすために、自分をよく見つめることを大切にしてきました。
でも、自意識過剰になっている時は、フッと肩の力を抜いて、周りを見ることも大切なようです。
かつて担任していたクラスで、どうも素直に私の言うことを聞いてくれない女の子がいました。
別に乱暴であるとか、やるべきことをやらない、という訳ではないのです。
むしろ、クラスのルールは、きちんと守る方でした。
なのに、どうも、気持ちが通い合わない、というか、会話をしても平板な感じ。
どうしたら、ココロが通い合うか、私は大いに悩んでしまいました。
話しかけてみたり、一緒に遊ぼうと声をかけてみたり、日記の返事に私自身のことを書いてみたり…
これといった変化もないまま、1学期も終わり、さて、明後日からは1週間の臨海学校、という時になって、ふと気付いたのでした。
・別に、私以外に対しても、同じような感じで関わっているのではないか?
そこで、去年、担任していた先生に聞いてみました。
すると、やはり、
「あ〜あの子ね、そうそう。ちょっと距離を置いた感じだよね」
そうなのか…
目からウロコ、という瞬間でした。
実は、目前に迫った臨海学校が、少々、不安でもあったのです。
1週間もの長丁場です。
大丈夫かな…
という気持ちがありました。
ですが、
・そうなんだ。別にあんな感じでいいんだ。
と、少し視野を広くできたことで、あの不安がまったくなくなってしまったから、ココロの持ち方というのは、大事ですね。
そして、もちろん、その後の臨海学校、そして、2学期以降の生活は、不安もなく、平穏に過ごすことができました。
(もちろん、私は、ということです…)
彼女との関係が、傍目でわかるような、「仲良し」になった訳ではありません。
普通の関係だと思います。
「こうしなきゃ、私はダメなんだ!」
と、自意識が高まり過ぎて、自分で苦しくなっていると、自分が辛いのはもちろんですが、周りにいる人にもプレッシャーがかかります。
まして、かけがえのないお母さんです。
お母さんが苦しい時は、子どもも苦しいのです。
「まあ、うまくいかないこともある」
とか、
「私だけじゃない。みんな、そんなもんなんだ」
とか、困りごとを投げてしまうのも、大切なようです。
隣の芝生は青い。
けれど、実は、枯れてしまっているところだって、あるはずなんです。
大して変わりませんね。
〜〜
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2016年
5月
07日
土
子どものスマホ問題、ネット問題は、結局、どうすればいいのか。
「ご家庭でルールを決めましょう」なんて正論で、解決すれば苦労はしない。
安全について教えること、そして、子どもをコントロールできなくなる不安に目を向けることの2つ。
シンプルに、この2点を考えよう。
先日の「子どもが、『将来YouTuberになりたい』と言ったら、どうすべきか」の記事が、citrusに掲載され、2日でシェア700件を超えています。(こちら)
Facebook naviについているコメントを見てみると、
「まあ、やらせてみたら、いいんじゃない」
「何が問題なの?」
というようなコメントが多いようです。
私自身も、YouTuberという職業?こと?については、そう思っています。
仕事って、時代とともに変わるでしょうし、いろいろなことに挑戦してほしい、と思います。
さて、今日、改めて記事を書きたいと思ったのは、YouTuberよりも前に、子どものスマホ問題、ネット問題の方が、子ども、特に小学校中学年以上のお子さんをお持ちのお母さんには切実な問題だと感じるからです。
スマホやネットを子どもの好き勝手にさせてはいけない、その危険性は、改めて確認するまでもないでしょう。
有害な(性的に、暴力的になど)情報に簡単に触れることができたり、
匿名性が非道な書き込みをしやすくさせたり、
個人情報等の流出、悪用が懸念されたり…
でも、子どもは、スマホや携帯、パソコンが大好きです。
大人が迷いながら覚えた操作方法なんて、数分でマスターします。
あれほど想像できない数字にしたはずのパスコードも、なぜかわかってしまいます。
最近でこそ、定額制が一般化しているので、あまり聞かなくなりましたが、ネット代金が数万円?数十万円?になった、ということを実際に耳にしたこともあります。
では、どうするか。
「みんなで、家庭のルールを決めましょう」
という、「ザ・正論」があらわれます。
そんなことは、わかってる。
でも、うまくいかない。
だから、困ってる。
「我が家は、夜9時まで」
「携帯を使う時は、リビングルームで、みんなのいる時に」
「人を攻撃するような、面と向かって言えないような言葉はネットでも使わない」
決めれば、決めるほど、裏の抜け道も巧妙になり、バレた時のショックと言ったら…
あるいは、
「遅くたって、すぐに返事しないと、明日、あの子にいろいろ言われる!」
「お父さんの意地のせいで、私がイジメられてもいいのね!?」
「お母さんだって、ラインで先生の悪口書いてる癖に、なんで私にだけ言うの?」
など、イラッとする、あるいはグサッとくる反撃にあうかもしれません。
そういう事情を踏まえ、「スマホ問題・ネット問題」について考えてみると、この問題のポイントは次の2つなのではないかと思うようになりました。
まず、「安全」の問題です。
道を歩く時、あるいは電車やバスの中で気をつけなくてはいけないこと。
夜、遅くなってしまった時などに、どの道で帰らなくてはいけないか、あるいは迎えをどうして呼ばなくてはいけないかということ。
寒くなったら、一枚、着た方が風邪を引きにくいということ、などなど…
スマホだろうが、ネットだろうが、リアルな毎日だろうが、「安全」を子どもに教えることは必要です。
ご家庭で、お母さんやお父さんが教えてくださることがとても重要ですが、最近は学校でも教える機会があると思いますし、携帯電話会社もいろいろな情報を提供しています。それらの情報を活用し、「安全」について、身につけることは重要です。
そして、次に「コントロールできなくなる不安」の問題です。
おそらく、こちらの方が心理的に重要で、核心にあるのではないかと思います。
かつて、固定電話しかなかった時代。
今時の二十代から下の世代には想像もできないでしょうが、中高生となり、異姓の友達と仲良くなって、コミュニケーションを取ると言ったら、直接会うか、家の電話にかけるか、でした。(まあ手紙もあるでしょうが…)
家の電話にかければ、お父さんやお母さんという強烈な「フィルター」が第一関門として待ち構えていました。
うっかり、長電話になって、強制的に切られた、なんて経験がある方もいらっしゃるでしょう。
私の場合、高校時代に、ポケベルがあり、大学に入るとわずかな間、PHSがあり、あっという間に携帯が広まりました。
その結果、大人が目にみえて、子どもの人間関係や興味をフィルターできる機会が、大幅に減っています。
歌舞伎町なり、渋谷なり、そういう「街」に行かなければ、出会えなかった情報や人とのつながりが、ネットでは、無料で、今、ここで、手に入ります。
ドキドキ、コソコソ、いかがわしい情報を探す経験など全く不要になり、いい検索の仕方さえ見つけてしまえば、もうオーケーです。
大人は、圧倒的なコントロール権をスマホやネットに奪われたことになります。
ここに「スマホ問題・ネット問題」が、お母さんの心を不安にする本当の源があるのではないかと私は思いました。
とはいえ…
固定電話の時代も、今も、大人がコントロールしようとすればするほど、子どもは逃れようとするでしょう。
一方で、「信じているから大丈夫よね」という「理解ある親」の発言で、実は野放しにしているだけ、ということもあると思います。
難しい問題です。
これさえ教えれば安心。
これさえ決めておけば大丈夫。
そんな決まった公式はなさそうです。
スマホでも、ネットでも、リアルでも、いつでも、
子どもはトラブルを起こす可能性があるし、
思ったよりも、子どもは自分で正しい判断ができる。
その都度、その都度、話したり、気づかないフリをしたり、怒鳴ったり、褒めたり、あれこれやってみるしかない。
他のお母さんも、同じように悩んだり、困ったりしているのではないかと思います。
少なくとも、私は困っている声を耳にしています。
さて、最後に、「スマホ問題・ネット問題」への、私からの具体的なヒントは、
「ルールをシンプルで、大人も実行可能なものにすること」
です。
これはクラスで、ルールを作ることと同じです。
・あれが問題、ではこういうルールにしよう。
・こんどはそっちが問題、じゃあこれもルールにしよう。
と、ルールばかりが増えて、結局、守れなくなります。
この方がよほど問題です。
シンプルで、みんなが無理なく、実行できること。
例えば、
「お父さんとお母さんは、あなたの携帯を抜き打ちチェックできる」
という一点にするのはどうでしょうか?
これなら、安全上も、コントロール問題も、ケアできているのではないでしょうか?
大人が子どもの成長に責任を持っていて、しかも、お父さんやお母さんがお子さんの携帯代を払っているのです。
親が子どものスマホやパソコンを抜き打ちチェックする権利は、当然あると私は思います。
そこに罪悪感をもつ必要は全くない!
もしかしたら、チェックした結果、見たくない子どもの現実を見てしまう不安がありますか?
だとすると、その不安のハードルを越える勇気は、必要なことなのではないかと思います。
〜〜
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2016年
5月
08日
日
2016年
5月
09日
月
心が揺れた時の対処法。
周りを見てみよう。揺れていない人や部分があるから。
ココロは振り子理論の続きです。
たとえ、振れ幅の同じ子が多かったとしても、落ち着いて周りを見ると、実は、
2016年
5月
10日
火
正しいことは大切なんだけど、分かっちゃいるんだけど、そうしなくちゃいけないと思ってるんだけど、でも…
間違っていることは、いけない。
正しいことは、いい。
でも、正論って、やっぱり素直に聞けないところがあります。
正しいことを教えることを求められている「学校の先生」である私は、先生だからこそ、そう思います。
この気持ちは、どうも高校生の頃からあるようで、何かの時に、友人に正論を言われ、
「スリランカは嫌いなんだ」
と、インテリぶって、つぶやいてみたのを覚えています。
(後日、本を読んでいて、正論ばかりぶつける人に、紅茶野郎!と書いてあるのを見て、とても嬉しかったのも覚えています…)
さて、小学生にとって、最もよくあるのではないか、という正論対決は、
「宿題、早くやりなさい!」
「もう、わかってるよ。今、やろうと思ってた!」
という会話かもしれません。
宿題でも、歯磨きでも、片付けでも、やらなきゃいけない、やった方がいい、やればお母さんは喜ぶ、など、「正しさ」は、子どももよくわかっているのです。
でも、でも、でも…
「わかっちゃいるけど、やめられない〜」
大人は、子どもに正論を求めていいと、私は思います。
誰かが、正論を語っていないと、何が正論かわからなくなってしまいます。
正論を子どもに求めつつ、無理な時もあるよね、と柔軟に思っておく必要があるように思います。
「わかっちゃいるけど、やめられない」
あなたにも、何かありますか?
私には、もちろんあります。
まあ、仕方ないか…
という心の余裕を20パーセント残して、正論を求めたいものです。
それにしても、言われないでも、自然とやるようになれば、こういう会話は無くなるんですよね。
私は、子どもの頃、歯磨きが本当に嫌でした。
母は、私の歯をとても大切にしようとしてくれたようです。
あれこれ要求が多く、それが必要以上に私にプレッシャーをかけていたのかもしれません。ずいぶん、歯医者に連れて行かれました。
ところが、高校生の時には、言われないでも、歯磨きをキチンとしないと気持ち悪くなっていました。
もちろん、この頃には、うるさく言われることも、ほとんどありませんでした。
しかも、その後、歯医者さんで、歯をとても褒められて以来、気持ちが良くなり、歯のケアは、嫌な気がしません。
私の場合、歯磨きは自分でやる気になりましたが、勉強は、まあまあでした…
お母さんが、求めたいと思えば思うほど、そのプレッシャーが子どもの動きを止めてしまうかもしれません。
求めることは間違っていない、と私は思います。
20パーセントはできなくてもいい、と子どもの心にスペースを作ってあげてみては、いかがでしょうか?
〜〜
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2016年
5月
11日
水
2016年
5月
12日
木
2016年
5月
13日
金
できない!のウソとホント
2016年
5月
14日
土
堂々としているって、大切。
よく行くスタバのテラスで、パソコンを打っている外国人がいました。
私だったら、
私が落とすこともあるだろうし、逆に拾うこともあるだろうと思います。
でも、落としてしまったこと、そして、人に拾わせたことに、
罪悪感というと聞こえがいいかもしれません。
むしろ、傲慢さ、とも言えるように思います。
2016年
5月
15日
日
ホントに好きなの?
ウソかホントかを見抜く秘訣
2016年
5月
16日
月
2016年
5月
17日
火
「まったく、素直じゃないなぁ〜」
私は、そう言わずにはいられませんでした。
ケンカが起きたと言われて、駆けつけた校庭の片隅で、
要は、遊ぶ約束をしていたのに、あの子、黙って行っちゃった!
皆さんも、経験がありませんか?
ご自身のことでも、お子さんのことでも、こういうことは、
このケース、
「約束したのに、ヒドいよ!」
とは言えたようです。
それで、ゴメンね、となり、じゃあ、
・謝り方に心がこもってない
・本当に悪いとは思ってない
・これで何回めだ
・いつもこうなる
などなど、
私自身、人付き合いが上手な方ではないので、
また、せっかくしていた約束を反故にされ、
そういう弱さが私にもあるなあ、と思います。
その上で、私には、ちょっと、しつこ過ぎないか?と感じました。
こういう時に、私が、怒っている彼女の肩を持ち過ぎれば、
怒っている彼女のケアは、絶対に必要です。
でも、それは、その時、その場ではありません。
その時は、むしろ、
「ちょっと怒りすぎではない?」
と、言ってあげることが必要だと私は感じたのです。
怒っている彼女は、
・私は軽く扱われているから、真剣に謝ってもらえない
・私はダメな子だから、傷つけても構わないと思われている
・私はずっとうまくやれなかったから、今までも、これからも、
そういう気持ちが心の中で、渦を巻いている…
だからこそ、私は、このケンカの場ではなく、日常の教室や、
実際、彼女には、びっくりするほどの集中力があります。
お〜と言ってしまうような絵を描きます。
話し合いで、素直に自分の非を認める心の強さもあります。
ケンカのケア、怒った後のケアは、
むしろ、何もない日常にこそ、必要なのではないでしょうか。
2016年
5月
18日
水
人が集まると、一番の関心事になること、それは…
自分はこのグループに居場所があるかどうか
ではないでしょうか。
先日、道を歩いていた時、
彼らの話題は、アイツのことは好きか、
まぁ、女の子じゃあるまいし、などというのは、
というより、子どもと接していて、この手の好きか嫌いか話は、
あなたも経験があるかもしれません。
誰かと二人になった時、
「ねぇ、○○のこと好き?」
などという質問をされて、困ったことはありませんか?
嫌いだよ、などと答えたくはないけど、話も合わせておきたいし…
困りますよね。
私の勤める学校は、職員室がなく、朝から晩まで、
ですから、この手の話題が私たちの前で始まることもあります。
もちろん、その場で声をかけるのですが、根っこにある不安、
・私は、このグループにいて、いいのか、大丈夫なのか
ということに安心しないと、
こういう話題を好む子は、
そんなタイプの子に自信を持ちなさい、といくら言っても、
ならば、不安になっていいよ、
私、勤続17年目に入った、今の職場でさえ、
本当の自信は、不安も心の一部に抱えたままにすることで、
腹八分目と言いますが、
20パーセントの不安を認めた時、好かれているかいないか、
自分に言い聞かせる、今日の記事です。
2016年
5月
19日
木
2016年
5月
20日
金
2016年
5月
22日
日
わかっているけど、できない。
うん。気持ちはわかる。
けれど、それは、わかっていないということ。
子どもにとって、都合の悪いこと、つまらないことをさせようと思うと、どうしても嫌なムードになりがちです。
結局、口げんかのようになることも多いでしょう。
そんな時は、魂を込めて、この言葉だけを投げかけてみませんか?
「それはね、わかっていないということだよ」
~~~~~
母「宿題は、家に帰ってきたら、すぐにやるんだよね?約束したよね?」
子「わかってる。やろうと思ってた」
母「…」
子「このゲームを5分やったら、やるから」
こういう会話、宿題に限らず、毎日の生活の中では、よくあるのではないでしょうか。
勉強や、生活上のことをサクサクできる子でも、対人関係となると、見ていて歯がゆくなるようなことを繰り返しているということもあると思います。
・宿題は、家に帰ってきたら、すぐにやる。
・失敗することは、うまくなるために必要なことだから、まず、やってみる。
・他人に対して、言い方を優しくする。
などなど、お説教には、わかっているけど、できない、ということが多いのは理解できます。
私だって、子どもの頃、親や先生に叱られたものですし、今もできないことがいっぱいあります。
そう簡単にはできないよね、という気持ちは、察した上で、
「それは、わかっていない、ということだよ」
とだけ、冷静に、落ち着いて、ピシャリと伝えることが大切です。
そうそう。
簡単には、できないよね。
けれど…
「それは、わかっているけど、できないんじゃなくて、わかっていない、ということなんだよ」
それだけ伝え、黙っていることが大切です。
あれこれ、言葉をかぶせません。
短い言葉に魂を込めて、伝えます。
多分、わかっていないということだよ、とおっしゃることは難しくないと思います。
でも、その後、黙っていることが難しいかもしれません。
黙るのは、なぜか。
それは、子どもが自分なりに考えることができるからです。
ぜひ、お子さんとご自身を信じて、やってみてください。
2016年
5月
23日
月
気になるアイツって、実は自分。
相手は、自分を映す鏡。
2016年
5月
24日
火
2016年
5月
25日
水
気持ちを全て、受け止めるのは、いろいろ大変だけど、新しい発見がある!
お母さんとしては、いくら我が子がかわいいと言っても、
「え?なんでそんな気持ちになるの…理解できない…」
と、どうしても共感できないこともあるも思います。
それも当然で、もちろん、それでいいと思います。
が、そうだとしても、
ですから、お子さんの心の事実は、心の事実として、全て受け止めてくださったら、いいなと思います。
お子さんの語る、荒唐無稽(?)なストーリー、
話をいくら聞いても、聞いただけで、解決できるとは限りませんが、
まあ、そんなことを訴えている私でも、現実的には、授業を進めたい時や、
そんな時は、後回しで構わないのです。
落ち着いてからで構いません。
今、すぐでなければならない!という縛りを捨てると、少しハードルも下がるのではないかと思います。
さて、聞き方のコツは、横か斜めに座ることです。立ったままでは、
そして、聞くことは、簡単。
「それで?」
と聞くだけです。
さらに、言葉できなさそうなら、どんどん代弁してあげましょう。
気持ちが昂っている時に、自分の言葉で言わせる練習なんて、
・こういうこと?
・ああいうこと?
・こういう意味?
と、助け船を出すことは、とても大事です。
さて、男の子同士のトラブルがありました。AくんとBくんとしま
Aくんは、Bくんが大好きなんですね。
何かと言うと、遊びに誘ったり、カワイイちょっかいを出したり…
一方、Bくんは素直じゃないところがありました。
遊ぼう!
うん、行こう!
とは、ならないことも目につきました。
遊ぼう!
うーん…
でもね〜
と、いったん面倒くさそうにします。
トイレだなんだ、理由をつけて、ごにょごにょするのです。
そんなBくんですから、
Bくんも、本当は嬉しかったんだと思います。
声をかけられた後の口元は、少し笑ったような感じが見えました。
でも、素直にできない子は、本当にできないんですよね。
私も、
そんな彼らでしたが、とうとう、Aくんが怒ってしまいました。
話を聞くと、サッカーに誘ったのに、断られたというのです。
それだけなら、いつものことなのですが、その日は、朝、
Aくんの怒り、思いをずいぶん、長く聞きました。
そして、Bくんからも、話を聞きました。
その中で、興味深ったのは、Aくんには、自分が一人になってしまう不
Aくんは、Bくんを救うつもりで、実は自分の不安をBくんの中に
だからこそ、Bくんも、素直になりきれなかったのかな、
もしかしたら、AくんとBくんは、似た者同士。表と裏のようなものなのかもしれません。
ケンカになれば、もちろん、間に入るとしても、温かく見ていれば、きっと、次のステージに進むのだろうな、と思いました。
話を聞くのは、なかなか大変ですが、それだけの発見や、成果はあるように、私は思います。
2016年
5月
26日
木
子どもを明るくする方法。
大人が明るく過ごす。
どうやら、私たち大人が、特に身近なお母さんが、イキイキ、
クラスで子ども達と遊ぶ時、楽しかったね!と、
もちろん、遊びのコツはいろいろあります。レベルやら、
結局、それが一番のヒントだし、それがないと、
特に、お母さんの顔色を子どもはよく見ています。
今、楽しんでいいのかな?
などと、気を遣っていることだって、
私は、私自身が楽しめる方法で、子ども達を勇気づけようとし、
例えば、文を書いたり、話をしたり、何かを教えたり、遊んたり…
そのベースにあるのは、私がホンネで楽しんでいるかどうかです。
だとすると、お母さんが先に明るくて、イキイキしているだけで、
仕事をするもよし、家事にこだわるもよし、高級ランチもよし、
罪悪感のかけらもなく、楽しんでいい、ということだと、
むしろ、罪悪感を持ったまま、何かをすると、
あの手この手はムダ。
敏感な子を警戒させるだけです。
心の底から、大人が楽しむ。
それだけのことなのに、言うは易く行うは難し…
私自身、まだまだ、そんな境地には達していませんが、
2016年
5月
27日
金
軽いことは、いいことだ。
毎日の子育てで、意外なヒントになるかもしれません。
「軽い」
そう聞いて、どう思われるでしょうか?
・軽薄
・軽い人
・軽い言葉
などなど、「軽い」という言葉は、あまりいい意味で使わないことも多いようです。
特に、人に対して使う時は、なおさらです。
確かに、言葉が軽いと、説得力がなく感じます。
ま、いい加減に聞いておけばいいか、と思われてしまうかもしれません。
では、重ければいいかというと、それがまた難しく思います。
「あなたは、重いのよ」
と言われると、結構なショックを受けます。
言葉や態度に重みがありすぎるのも、またプレッシャーになります。
じゃあ、どうすればいいのか…
私は、何もない、当たり前の毎日は、軽いに越したことはないと思います。
現に、私の書いているブログも、熱を込めて書くより、サラッと書いた記事の方が、多くの方に読んでいただける傾向があります。
お子さんに、これだけは伝えたい!
そういう時こそ、「軽さ」が重要だと思います。
子どもに限らないと思いますが、伝えたいことが大きい時こそ、軽く、肩の力を抜きたいなと思っています。
2016年
5月
28日
土
2016年
5月
29日
日
2016年
5月
30日
月
子どもを伸ばす大人は、フライパン返しにヒントを求める。
フライパン返し…
あれほど、便利なものはありません。
料理には必須です。
一瞬で、表と裏をひっくり返します。
当たり前ですよね。
ハンバーグや目玉焼きやホットケーキを一瞬でヒックリ返せるのですから、私たちの心も、一瞬でヒックリ返せると思うのです。
私のテーマは、
「私は、私で、いいんだ」と、思えるようになること
です。
これは、昨日の記事でも書きました。(こちら)
ところが、これは言うは易く行うは難し。
なかなか難しい…
なぜ、そう思えないか。
それは、
人に賞賛されるような、自分で自分を認められるような「成果」や「証拠」がないから。
2016年
5月
31日
火
子供が親を「呼び捨て」「ちゃん付け」 そんな親子は「気持ち悪い」か
と題した記事があります。(こちら)
これは、少し前に、よく話題になった記憶のある、友達親子はいいか、悪いか、という話の延長上にあるテーマだと思います。
友達親子、呼び捨てあり、ちゃん付けあり、という考え方は、私の勤める学校では、あまり評価されない雰囲気がありますが、だからと言って、ダメ!とも言い切れないと思います。
・困ったことでも、相談しやすいように
・人間としての価値は、同じだから
・真の信頼関係を築きたいから
などなど、いろいろな理屈が出てくるでしょう。
それを聞いて、
「え?なんかヘン…」
そう思われる方も多いと思います。
だからこそ、「気持ち悪い」というタイトルの記事があるのです。
しかも、かなり、アクセス数は多いようです。
さて、そこで、私の考えですが、
私は、それが、ホンネなら、それでいいんじゃない?と思っています。
心の底から、
・困ったことでも相談してほしい
・人間としての価値は同じだから、呼び方もそうでありたい
・真の信頼関係は、対等な呼び方から
と、思っているなら、それでいいと思うのです。
ポイントは、「心の底から」です。
つまり、大げさではなく、それが信念によるものなのかどうか、ということです。
逆に言うと、「心の底」に別のものがある場合、話は180度、変わります。
具体的には、
「私は、自信がないので、対等っぽい関係だと、気が楽」
とか、
「子どもに嫌われたくない」
とか、理解のある風、脱封建価値観を持っている風を演じて、実は、不安やカッコつけがベースにあるなら、呼び捨てやらちゃん付けなんて、もってのほかだと思います。
なぜなら、それは、子どものご機嫌とりになってしまうからです。
ただし、同じ論理で、考えを深めてみると、
「私は、自信がないので、封建的親子関係を設定しておかないと、不安」
という考えが根底にあるなら、どんなに「昭和のお父さん、お母さん」をやってみても、やはり、それはホンネに基づいていない、表面的な言葉や態度ということです。
結局、子どもは納得しづらい、うまくいかない、ということになるでしょう。
私個人としては、呼び捨てやちゃん付けに、反対です。
が、それを大切にしたい、と真剣に考える方を応援することならできます。
重要なのは、呼び方以上に、子どもにおもねっていないか、自分に自信を持って語りかけているか、ということだと私は思いました。