2016年

4月

01日

こうすれば、嫌がることでも、やらせられる!?

子どもに何かをさせたいなぁ、という時のヒント

「選ぶ機会を用意する」
好きなことなら言われないでも始めるものですが、現実の子どもの生活は、そんなことばかりでもありません。
お母さん方も、子どものやりたくないという気持ちは理解できるけど、やっぱり、やらせたい!
それならば…
まず、
「やる」ということをキッパリ宣言する。
ここで、気持ちがブレていると、やりたくない、と言わせるスキを与えてしまいます。

「あ〜かわいそうかな…」

などという気持ちが少しでもよぎったら、一度、心の仕切り直しをした方がいいと思います。
お母さんご自身の心を定めるのが、スタートです。
さて、その上で、どうするか。
一つのヒントとして、
「選ぶ」チャンスをあげましょう。
算数を2ページやる?
それとも、国語を先にやる?
など、お子さんが自分で決めた、という心の余地を残してあげることが大切です。
大人でもそうだと思いますが、わかっていてもやりたくないことは、たくさんあります。
そんな時に、一から十まで細々、やることを言われたら、それだけでやる気がなくなると思います。
一から十まで、お母さんとして、お子さんにさせたいことを決めておくのはいいのです。
一からやるのか、十からやるのか、はたまた、四ぐらいからやるのか、少し選択の余地を残しておくことで、
「言われないでも、自分でできた」
という気持ちになることができます。
まぁ、子ども自身も、ほとんどの場合、やらなきゃいけないことは、わかっているのですが、何とかやらずに済ませたいんですね…
 
そんなことも、頭の片隅に置きつつ、それでも、やらせたいなら、キッパリやらせる。
 
そして、少し選択の余地を残す。
 
ぜひ、試してみてください。
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2016年

4月

02日

ネットの炎上騒ぎに参加しやすい人の意外な素性に思う、子育てで大切にすべきこと

ネットの炎上騒ぎに参加しやすい人の意外な素性に思う、子育てで大切にすべきこと
 
 
毎日新聞オンラインにこんな記事が出ていました。
 
これまで、ネットの炎上騒ぎに参加するのは、経済的には苦しい立場の人だ、とイメージされることが多かったにもかかわらず、記事によると、
 
・子供がいて
・年収が高く
・若い
 
ような人が炎上騒ぎに参加しやすいという統計データが出たそうです。
 
なるほど…
そんなものかもしれません。
 
この記事を見かけ、私は、
 
「常日頃、やってはいけないことをやらないように、我慢していると、誰かのやった悪さに黙っていられないのかな…」
 
と思ってしまいました。
 
もちろん、炎上騒ぎになるような出来事…
バイトさんが、バイト先の冷蔵庫に入ってみたり、不倫騒ぎを起こしてみたりすることがよくないのは、当然です。
 
が、それを騒ぎにすることは、また別ですね。
 
子ども達は、教室で、ご家庭で、習い事の場で、そして公園や街中で、
 
「いけないこと」
 
をするものです。
 
そうです。
いけないのです。
 
が、やってしまうこともあります。
いや、多少は、しなくてはいけないとも思います。
 
あまりにも、
 
「正しく」
 
「キチンと」
 
ということを求めすぎるのは、不要な心の歪みを溜めてしまうように思います。
 
悪いことをしろ、というのではありません。
 
いけないとわかっていても、やってしまう弱みを認めておくことで、かえって、大きなことは起こさないで済むのではないでしょうか。
 
子どもは子どもなりに、正しく、キチンとできない自分を責めていると、私は感じます。
 
そんな子ども達の気持ちも、ちょっと意識してあげるだけで、お互いに心の幅も広がると思います。
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2016年

4月

03日

お母さん!お子さんの「らしさ」を活かせていますか?

お母さん!
お子さんの「らしさ」を活かせていますか?

私の腰痛を一発で治してくれたカイロの先生から学ぶ自分らしさ

さかのぼること数日前の3月30日。
私は勤めている学校で、学童保育のようなことも担当していて、その子ども達が帰り、事務仕事をしていて感じたのが、妙な腰の重さ…

翌31日は、静岡を訪ねる日というのに、痛くなったら嫌だなぁ、と思ったところ、目が覚めると、ベッドから起き上がるのにも苦労する腰痛になっていました。

が、静岡では本当にエキサイティングな時間を満喫し、行ってみたかった駿府城も歩いてきました。

とはいえ…
いくら充実していても、やはり、痛いものは痛い。

一昨日は覚悟を決めて、こういう時にお世話になる、いつものカイロの先生のお世話になってきました。

そしていつもの通り、一発で痛みも取れ、感激して、

「すごいなあ、自分もあんなことをできるようになりたいなあ」

と思ったのでした。

が、それと同時に、

「それって、本当に自分の道?」

とも思いました。

今の安定した仕事を辞める、辞めない、というような話ではなく、それは、私がしたいこと、らしさを活かすことなのだろうか、と感じたのです。

いろいろな魅力ある人と関わり、魅力ある世界に触れることは、心豊かな生活に、とても重要だと思います。

が、それが本当に自分の世界なのか、ということを折に触れて、意識したいなと思います。

クラスで子ども達と関わっていると、子どもが相手を意識しすぎているな、と感じることがけっこう多くあります。

「あの子、どうしてもイヤ!」

「アイツのこととなると、許せない…」

うん?
どうして、そこまで?

と感じる時は、どうも、自分にないもの、自分が苦手にしていること、あるいは、自分が我慢していることを、平気な顔で、あるいは、ササっとやっているように「見えている」時だと私には思えます。

他人の良さや、憧れの存在、影響を与えてくれる存在の価値は、大いにある一方で、それは、隣の芝生が青く見えるだけで、本当に自分のらしさを活かす道なの?と、思います。

もちろん、私自身、まだまだ、隣の芝生を意識してしまいます。できない自分を気にするからこそ、何かができる人を見ると、盲目的に憧れたり、あるいは無性にイライラしたりするのかもしれません。

私には私の価値があり、あなたにはあなたの価値がある。

当たり前のことですが、あえて意識して考える習慣が重要ではないかと思います。

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2016年

4月

04日

子どもの言動にヒヤッとしたり、イラっときたりした時、考えてほしいこと。

子どもの言動にヒヤッとしたり、イラっときたりした時、考えてほしいこと。

 

あなたは、車の運転をしていて、子どもの飛び出しにヒヤッとしたことがありますか?

私の場合、何年か前に、渋滞していた対向車線から、スッと小さな子が出てきて、ヒヤッとした経験があります。

 

大人の感覚からすると、どうしてそんな危ないことができるの?

と思うことでも、子どもの場合、身長や視野の広さという物理的な制約で、大人の感覚で考えてはいけないのですね。

 

自動車メーカーのホンダでは、交通安全の啓蒙活動として、

「CHILD VISION」

という子どもの視野を体験できるメガネの情報を提供しています。

 

それによると、大人の左右視野が約180度あるのに対し、幼児の場合は、わずか90度。

半分しかありません!

 

さらに身長も約半分ぐらいと考えると、よほど大人の方が気をつけてあげなくてはならないのは、当然です。

 

さて、話は事故防止にとどまりません。

毎日の生活の中で起こる、様々な出来事についても、子どもの経験は大人より、圧倒的に少ないのです。

 

30歳前後でお子さんを授かったとすると、すでに30年の差があるのです。

当たり前のことです。

そんなこと、わかっていますよね?

 

ところが、お子さんも小学生ぐらいになり、言葉では大人と同じようなことを言うようになると、ついつい、圧倒的な経験年数の差を忘れがちです。

 

人間関係のトラブルは、大人でも嫌なものですが、子どもにとっては、大人の感覚以上に辛いものだったり、逆に、大人からすると、ひどい!と憤慨したくなるようなことなのに、全く気にしていなかったり、ということがあります。いや、よくあります。

 

その大人の感覚とのズレは、大人にとって、「?」マークを心の中で飛び交わすことにもなりがちです。

 

交通事故防止のための子どもの視野を把握することは、「CHILD VISION」など、具体的な体験として経験できます。

 

が、心の方は、なかなか簡単ではありません。

 

何かがあった時のお子さんの反応にイラっときたら、

 

「そうそう…4分の1、4分の1。今はこれでいいんだ」

 

と思い出してみてください。

 

視野も経験も4分の1の相手なんですから、まあ、仕方ないですよね。

 

そして、それはあまりに違うでしょ!と思うなら、怒る前に、

 

「知らなくて(できなくて)当たり前ん。教えてあげよう」

 

という感覚で接することが大事なのではないかと思います。

 

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4月

05日

親子のコミュニケーションが大事なんてわかってる。じゃ、どうするか。

親子のコミュニケーションが大切
じゃ、どうするか。

ま、いいか、と手放す。


スマホなどのデジタルツールは、子どもも大好きです。

お母さんがどんなにロックをかけても、どういうわけか、解除できちゃう…

そんなことも聞きます。

スマホなどの問題点は、いろいろあるでしょうが、その大きなものの一つに、インターネットがあります。

いや、その中の一つというレベルではないかもしれません。最大と言えるかもしれません。

有害サイトのアクセスやら、掲示板などでの裏イジメ…
出会い系サイトなどでのよくない関係…

パッと思いつくだけでも、イヤな気持ちになります。

そこで、携帯電話会社では、フィルタリングサービスを充実してくれていますが、ないよりはいいでしょうが、それだけでは、全く解決になりません。

学校でも、インターネットの使い方を指導してくれるでしょうが、帰り道の途中で、イジメの書き込みをさっそくしていることだって、あり得るのです。

だからこそ、親子でオープンに話しあって、ルールやツールに縛られなくても、自ら、良し悪しを判断できるようにしましょう!

という話になります。

ところが、そういうオープンなコミュニケーションを取りやすい子は、そんなネットでの悪さをするのでしょうか?

というよりも、何でもかんでも、オープンにお母さんやお父さんに話す思春期の子は、いるのでしょうか?

ウソを多少、ついたり、ごまかしたり、言わなかったり…

それも一つの正常な成長の過程だと私は思います。

でも、もちろん、変なサイトを見たり、人を傷つける書き込みをするのは避けたいですよね。

そこで、お子さんに本当のことを言わそう、言わそうとすることにプレッシャーがかかるのではないかと、私は気にかけています。

子どもは、だいたいの場合、どうしなくてはいけないかを、自分なりにわかっています。

間違っていることもありますが、自分なりには、思うところがあるものです。

そんな時に、

「こうでしょ、ああでしょ!」

と、あまりに言葉で説明すると、子どもには信頼されていない、と感じられるようです。

子ども達自身が、自分達なりに思うところはある。
けれど、そうでもしなければ、やっていられない。

そんな時は、

「まあね〜気持ちはわかるけとね〜」

と、一旦、態度を保留してあげることが大切だと私は思います。

まぁ、いいか〜

と、一度、手放してしまう勇気は、お子さんに自省する時間を与えるようです。

どうせ叱られるにせよ、説教されるにせよ、一度、子どもの立場を思って、立ち止まってあげることは、とても大事なのではないかと、私は思います。

今日も、ブログを読んでくださり、ありがとうございました。

今日はブログを始めて一年。
ここまで続けてこられたのも、一人でも読んでくださる方がいらっしゃるからこそです。

これからも、私なりの「らしさ」を活かすヒント、メッセージを発信していきますので、引き続き、読んでくだされば、幸いです。

そして、私を皆さまのところに呼んでくだされば、嬉しいです。

文章でお伝えできることもある一方、直接、お会いすることで、あなたのお話や気持ちを伺うことができます。

日本中、世界中(!?)、可能な限り伺いますので、ぜひお声がけください。

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2016年

4月

06日

先生も夜、うなされるんですね!そんな話が、意外とトラブル解決のきっかけになる!?

先生が見る夢。

意外と、うなされているんです!

そんなことを知るだけで、トラブル解決のきっかけになるかもしれませんよ。

 

今日は都内のほとんどの小学校で入学式、始業式がおこなわれました。

ランドセルを背負って、緊張しつつ、一生懸命歩いている姿に、涙を流された方もいらっしゃるでしょう。

 

また、始業式だった方は、新しい先生やクラスの友達を知り、喜んだり、悲しんだり、どんな表情でお子さんは帰宅されたでしょうか?

 

私自身もそうでしたし、多くの先輩や同僚からも聞くので、私のまわりだけではないと思うのですが、私達教師は、クラスがめちゃめちゃになってしまう夢を見るものです。

特に、新学期が近づくと、よく見る気がします。

 

子ども達が勝手なことを言ったり、やったりして、収拾がつかなくなっているのです。

あ~!

と思ったところで、目が覚めると、汗びっしょり。

 

そんな話をある方にしたことがあるのですが、その方は、とても驚いていました。

 

・それぐらい、仕事のこと、子どものことが頭から離れないんですね!

 

ということと、

 

・余裕で教室にいるように思っていたけど、実は不安になることもあるんですね!

 

という二つの意味で、驚いたのだそうです。

 

そうなんです。

先生という仕事は、好きでないとできないかもしれません。

もちろん、どんな仕事もそうだと思います。

 

新しく始まったこの一年間。

いろいろなこともあるでしょう。

先生の言動に、

 

「え?」

 

となったり、

 

「イラっ」

 

としたり、することもあるかもしれません。

 

が、私達教師も、同じように悩んで、冷や汗をかいているのです。

 

だから、多少のことがあっても、許してね、と言っているのではありません。

大切なお子さんをお預かりしているのですから、どんな出来事でも、長い目で見て、成長の糧になるよう、真剣に取り組むのは、当然のことです。

 

その上で、何か気持ちが煮詰まるような状況になった時は、気持ちを緩めるヒントとして、意外と、先生も悩んでいるのかもしれない、と想像してみてくださったら嬉しいです。

 

繰り返しですが、だから許してね、ではありません。

そういう心の隙間を作ることで、課題は解決に向かうことが多いと私は思うのです。

 

子ども同士のトラブルも、お互いが意固地になっている時は、一歩も引かず、気持ちばかりが昂ります。興奮して、罵詈雑言を投げつけ合うことにもなります。

 

そんな時に、何でもいいのですが、フッと心の隙間に風が吹くと、次のステージに進めます。

賢い子がクラスにいると、思わず笑ってしまうような失敗をしてくれることがあります。

そのことで、お互いが力を抜くことができるのです。

すると、相手の立場や気持ちを想像するゆとりが生じます。

 

先生も、クラスのことを気にして、うなされている…

 

そんなどうでもいいようなことも、もしかしたら、トラブルを乗り越える意外なヒントになるかもしれません。

 

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2016年

4月

07日

本当に目標を達成するためにこそ、川の流れに身を任せる時も必要では?

本当に自分らしさを活かすためには、川の流れに身を任せる時も必要!?

 

大きな川の流れに入ったなら、ジタバタせずに流れに乗るのが安全で、スムーズですよね。

私の勤める小学校では、今日が始業式でした。

担任を離れ、新しい取り組みに向かっていき始めた今日。

 

この川の流れの先には、何が待っているのでしょうか!?

 

 

目標を明確にすることが大事だと言います。

しかも、「頭が良くなる!」というようなことではなく、何のテストで何点取る、とか、平均点を何点以上にするとか、数値化して具体的にすることも大事だとも言います。

 

確かにそれもそうです。

が、どうもそれでは行き詰まる、息が詰まるような気がするのです。

 

自分の予想できる範囲での目標という「自分で思い込んでいる限界・枠」を取っ払うために、ありえない数値目標を上げるのはいいのでしょうが、算数のテストは85点以上にしよう、などというのは、小学生の学校のテストなら、そう高い目標ではありません。

 

やる気が湧きだして止まらない!

などという効果はなさそうです。

 

ではどうするか…

 

目標を立てずに、流れに身を任せることも一つではないか、と思います。

 

今日は私の話をする勝手をお許しください。

 

今年度の私は、再び担任を離れることになりました。

職場の一員である以上、人事は絶対です。

どんな気持ちがあるにせよ、発令された人事には従います。

 

とはいえ、クラスを離れ、担任をしない、ということに寂しさや後ろ髪を引かれる気持ちがあるのも事実です。

 

でも、私はこの川の流れに身を任せることが、妙に大切なのではないか、という気がしてならないのです。

 

何の根拠もありません。

何の具体的な目標もありません。

 

ただ、妙に何か新しいことが始められるような気がします。

 

目標がないのではなく、正確には、目標を立てたり、考えたりする時間も惜しいほど、動くと言うことだと思います。

 

これまで、当たり前だったこと、考えを超える。

それは、自分の全否定ではなくて、過去の自分への執着を捨てるということです。

ですから、何か風穴を開けるようなことに取り組もうと思っています。

 

今、私が書くことには、何の具体性もありません。

 

この川の流れに身を任せて進んだ先で、思いもよらないほど多くのお母さんの気持ちを軽くし、そして、その結果、子ども達が安心して自分らしさを発揮できることだけを考えて書きました。

 

このようなブログは、常に読者目線で、読者の立場に立って、読者にとってメリットのある記事を書くのが常道です。

 

当然のことです。

テクニック論ではなく、相手の立場に立って、必要なことを提供する姿勢は重要です。

 

ですが、私にとって新しい一年の始まりの日。

今日は、これを書かなくてはいけないような気がして、書かせていただきました。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

2016年

4月

08日

自分の考えを持てる子に育てたいなら、ちょっとした話題で、ロールプレイングしてみる。

自分の考えを持てる子に育てたいなら、ちょっとしだ話題で、ロールプレイングしてみる。

 

いろいろな立場に立って、物事を考えてみる練習は、日々の日常会話でできると思います。

 

 

朝のテレビで、有名私立大学のサークルが、数十人の宴会を無断キャンセルし、キャンセルされた居酒屋の店員がツイッターでつぶやいたところ、それが大いに拡散し、サークルを批判する炎上騒ぎになったという話題が取り上げられていました。

 

そのテレビ番組での論調は、大学生への批判一色で、居酒屋については、被害者としての扱われ方でした。

 

私自身を含め、大学生の時代には、大なり小なり、騒いだり、迷惑をかけたりすることも多いものです。コメンテーターも、そういう自身の経験にも触れつつ、それにしても、ダメだ!ヒドい!という話に終始していました。

 

大学生だろうが、社会人だろうが、規約なり、ルールなりの有無にかかわらず、数人であっても当日のキャンセルは、お店に迷惑をかけることなのですから、どうしてもキャンセルせざるをえないなら、誠意を持って謝罪するのが当然だと思います。

 

決められたキャンセル料があったなら、支払う必要もありますね。

ですから、大学生側が責められるのは当然だと私は思います。

 

とはいえ、居酒屋店員の方も、大学名、サークル名を実名でつぶやくというのは、本当に望ましい対応だったのでしょうか?

 

そもそも、その店員のつぶやきは、居酒屋店の正式な意思表明なのでしょうか?

店員が腹いせにつぶやいたのか、店としての意思表明なのか、その辺りもはっきりしませんでした。

 

店側がサークルの誰かと連絡をどう取ろうとしてもできなかった、という説明がありましたから、店としてもそうせざるをえなかった、とも思えます。

 

難しい問題ですね…

 

テレビを眺め、そんなことを思いながら、こういうテーマでも、自分の考えをまとめる練習はできるな、と思いました。

 

「あなたがこっちの立場ならどうする?そっちの立場ならどうする?」

 

と、立場を変えて考える練習をすることで、教室などの日常でトラブルになった時に、自分の立場、相手の立場、第三者の立場、と視点を変えて考えることもできるようになります。

 

毎日の食卓がディベートになっても困りますが、自分たちとは少し離れた出来事を使って、立場によって見え方、捉え方が変わることを練習してみてはいかがでしょうか?

 

※ネットの炎上騒ぎから学ぶ子育てのヒントは、こちらの記事も是非、お読みください!

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2016年

4月

09日

子どもを安心させるために、どんどん決めてあげましょう!

子どもを安心させるためのヒント

決めてあげる。


何が正しいかなんて、わかりません。
突然、大きい話になってしまいました。

人間万事塞翁が馬、と言います。
私が大切にしている言葉です。

明日に迫った漢字テストに向けて、何を準備するか…

そんなこと一つとっても、

寝る間も惜しんで、夜更かしして練習したことで、百点になることもあるし、

寝不足で集中できず、そんなことなら、練習は翌朝に回して、1分でも早く寝る方がよかったなんてこともあるし…

もうキリがありません。

どこかで、身近な大人が、スパッと決めてあげることは、とても大切なのではないかと思います。

そのことで、子どもは責任を大人に預けることができます。

あ〜
お母さんのせいで、百点取れなかった〜

と思うことができます。

え?
そんなことでいいんですか?
自分のことは、自分で責任を持つ練習をしてほしいんです!

そうですね。
だからこそ、小さいうちに、責任を持ってあげる必要があるのではないかと、私は思います。

お母さんのせいにしちゃったけど、本当は自分次第だよね。

いずれ、心からそう思えるために、3年生ぐらいまでは、そういうつもりでいいのではないかと感じます。

あまり小さいうちから、自分次第、自分次第、と決定を子どもにさせようとすると、かえって依存心を引きずってしまうように私は思います。

お母さんとしては、たまったものではないかもしれません。

が、小さいうちの積み重ねが、子どもに安心感を与え、そして、結局、ある時、健全な依存関係を伴った、心の自立につながるのではないでしょうか。

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2016年

4月

10日

ママ友のことで悩むのはわかるけど、その家族のことまで悩む必要はない!

ママ友のことで悩むのはわかるけど、その家族のことでまで悩む必要はない!

 

何かを言われる、特に批判的なことを言われるのは、嫌だけど、まあ、言う人は必ず言うので、気にしない練習も必要では?

 

 

新しい年度が始まりました。

新しいクラス、新しい学校で、どんなお友達ができるか…

子ども達はもちろん、お母さん方も、ドキドキ・ワクワクですね。

 

新しい先生もわかり、友達の顔ぶれもわかり、さて、次に気になるのは、お母さん方の顔ぶれでしょうか?

 

事実、私の描いているブログでも、この一か月で最もアクセス数があるのが、

「お花見シーズンを前に、ママ友関係に、ヒヤリとした風を吹かさないヒントとは…」

というママ友関係の記事です。

 

さて、以前、とあるお母さんから、ママ友関係についてのお話を伺ったことがあります。

お子さんについて、とあるママ友から、ちょっとした注意を受けた、という話だったのですが、さらに気分を落としてしまった原因が、ママ友のご主人の言葉だったのだそうです。

 

その言葉というのは、特別に乱暴な言葉だったわけではないそうですが、なんで両親揃って、自分を悪く言うの!?と、腹も立つし、悲しいし、と、とても気分が荒れてしまったようです。

 

大なり小なり、子どもは周りに迷惑をかけるものです。

時には、相手の両親に謝罪する必要もあるでしょう。

文句の一つも言いたくなることだってあると思います。

 

が、売り言葉に買い言葉と言いますか、言葉は音声としては、瞬間的に消えてしまうのに、感情としては、心の中で、必要以上に増幅されて残ってしまいます。

 

ママ友のご主人は、夫婦の会話の中で、

 

「あ〜そうだね〜」

 

と、テレビでも見ながら、仕方なく相槌を打っていたかもしれません。

 

でも、

 

「我が家では、主人も一緒に、あなたの注意の仕方がおかしいって、言ってるのよ」

 

と言われてしまうと、夫婦一丸となって責めてきたように思えるのも想像できます。

そうなると、本質的なテーマから外れて、大人の感情対立になってしまいます。

 

そんな時は、まず、

 

「トラブルは何?」

 

ということをはっきりさせる必要があります。

具体的に、誰がどんなことをして、どんな迷惑がかかったのか、相手はどう感じたのか、ということが原点です。

 

その上で、謝罪する必要があれば、スパッと謝り、もうおしまいにして、次のこと、他のことをあえて、考えていく必要がありそうです。

 

騒ぎが好きな人は、騒ぎを大きくしていきます。

 

関係者は、誰か。

 

もう、当事者までで十分です。

 

 

口で言うのは簡単。

実際の気持ちは、そう理屈どおりにはいきません。

 

だからこそ、気にすべきこと、もう意識を向ける必要のないことの区別をつけるよう、練習することが大事だと思っています。

 

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2016年

4月

11日

お母さん、大丈夫ですよ。お子さんは嘘つきじゃありません。

お子さんは、嘘つきじゃない!

きちんと、本当の気持ちから言葉が出ている。

かつての話…
AくんとBくんがケンカをしたことがありました。
そこにCちゃんが間に入り、収めようとしてくれたのですが、どうもCちゃんは、Aくんの肩を持ったようです。
結局、私が間に入ることになりました。
ケンカなどのトラブルを自分たちで解決しようとするのは、とても大切なことだと思います。
とはいえ、この例のように、うまくいかないこともあります。
そして、そのこと自体も、貴重な経験になると私は思います。
が…
このあと、話が大きくなったのは、Cちゃんのお母さんが心配して、面談にいらしたからです。
どうやら、Cちゃんのお宅で、この出来事の話が出た際、お母さんとしては、Cちゃんの言い分が信用できなかったようです。
どこまで本当で、どこまでウソかわからない…
とおっしゃっていました。
お母さんのお話を伺い、翌日、Aくん、Bくん、Cちゃんの三人から、再度、話を聞いてみました。
すると、Cちゃんがお母さんに話したことに、ウソの出来事はなかったのですが、Aくんの肩を持つために、ずいぶん、Bくんのことを悪く言っていたんだな、ということがわかりました。
それも、子どものことだから、当たり前だと私は思いますが、お母さんとしては、我慢ならなかったようです。
ウソをつかれたショックというようなことではなく、何が本当のことか、いつも分からなくて、イライラする、というようなニュアンスのことをおっしゃっていました。
子どもに限らず、大人も、もちろん、私もそうですが、自分なりに伝えたいことがあると、どうしても誇張表現が入ったり、あえて言わない要素があったりしがちです。
事情聴取のようにはいきません。
特に子どもの言葉は、わかってほしいこととセットの話です。
そういう意味では、お子さんは自分に、いつも正直で、ウソなどついていないのです。
何かあった時は、
「その言葉の奥にある伝えたいことは?」
と、ちょっと考えてくださるだけで、ワンクッション置くことができます。つまり、子どもが肩の力を抜くことができます。
そこで、やっとその子のホンネを言うことができ、結局、お母さんもウソをついていないか、気を揉まずにすむのだと思います。
ぜひ、意識してみてください。

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2016年

4月

12日

お母さんが変われば子どもは変わる。けど、それは問題の責任がお母さんにあると責めているわけではない。

相手は自分の今を映す鏡なら、自分が変われば相手が変わる!
 
なんだ…
それは、過去の自分を責める言葉ではなくて、今から、できるという励ましの言葉だったんだ!
 
お母さんが変われば、お子さんは変わるでしょうが、今の問題が、お母さんのせいだと責めているわけではない。
 
 
目の前の相手は、自分の今が映っている鏡だ、という考え方が流行ったことがありました。
(今でも、でしょうか)
 
私は本当にそうだなぁ、と思うとともに、その言葉によって、とても苦しい気持ちになったのも事実です。
 
目の前の相手が抱えている課題や困り事の全ては、私のホンネなり、課題なりが写ったもの…
 
つまり、目の前にある問題は、あなたのせいだ、と責められているように思えたのです。
 
確かに、そうとらえてもいいのです。
 
が、ある時、ふと、
 
逆でもいいんじゃないか?
 
と、思ってしまったのです。
 
目の前の相手、出来事が私の姿なら、これから私がしたこと、考えたこと、私のあり方で、相手や出来事も変わるということか…
 
こうとらえた方がいいのではないか。
 
そもそも、何が良くて、何が悪いかなんて、簡単には言えません。
 
以前も書きましたが、人間万事塞翁が馬です。
良いとか悪いとか、考えるだけ時間の無駄なのではないかと私は思います。
 
「今」に誠実に取り組むのみ。
 
それが、私の心にはしっくりきます。
 
私の言葉、態度、取り組みで、認められることも、否定されることも、当然ある。

だから、自分なりの誠意で動く。
 
そっちの方が、結局、人の心を動かすようにも、感じます。
 
私の抱えている自信のなさだったり、気の弱さだったり、傲慢さだったり、見栄っ張りだったりを他人に投影して、何とか解決しようとすることは、いけないことだと思う反面…
 
もしかして、みんなそうじゃない?
 
というより、人と生きていくって、むしろ、お互い様で、投影し合っている…そういうことじゃない?
 
と、思った時、周りの人たち、出来事に感謝せずには、いられませんでした。
 
もちろん、子ども達になんて、足を向けて寝られません!
裸でぶつかってくれたことに、感謝してもしきれません。
 
私がこのように思うようになった結果、ケンカがゼロになった!
 
なんてことはありません。
あったとしたら、私の都合のいいように、無理に誘導しているか、粉飾しているだけです。
 
でも、受け止め方が変わったことで、笑うことが増えました。
そして、不満のような気持ちも含めて、素直なことを言えることが増えました。
 
そして、この頃は、ありがたいことに、
「いつも読んでいます!」
「心を軽くしてくれてありがとうございます!」
などと言ってくださる方が出てきました。
 
当然、その逆の声もいただきます。
私にとって都合のいいように変わるとは限らない、のは当然として、
私が変われば、相手も変わる。
なるほど、やはりそうかもしれません。
それは、今の課題の責任追及ではないと思います。
目は、あくまでも今とその先に向けることが大切ではないでしょうか。

2016年

4月

13日

スタバでの1杯の水から感じた、イライラを減らすヒント

自分の心のクセが、スタバでの1杯の水から見えました。

人の言葉や態度、ちょっとした出来事でわかる、心の偏り


先日、いつもはあまり行かないスタバに入った時のことです。

注文を終え、会計が済んだところで、店員さんに突然、こう言われました。


「お水いりますか?」


え?

一瞬、固まってしまいました。

毎日のようにスタバには行っていますが、店員さんの方からお水をすすめられたのは初めてだったのです。

思わず、

潤いが足りないってこと?
調子悪そうってこと?

というようなことが頭をかすめ、

「あ、はい。お願いします」

と答えて、コーヒーと一緒にお水も受け取り、席に座ったところで…

いやいや、単純に、お水がいるか、聞いてくれただけでしょ。
いちいち、潤いがどうの、調子がどうの、なんて思う自分の心のクセだな~

と思い当たりました。

実際、その後も、その店員さんが、お水のことを他のお客さんに尋ねているのを耳にしました。
要は、そのお店では、あるいは、その時間帯には、お水がほしい、というお客さんが多いのでしょう。だから、言われる前に、確認してくれているだけなんです。

にもかかわらず、潤いだの、調子だのと勘繰った私。

これって、人の言葉や態度、何かの出来事があるたびに、どんな気持ちが自分に湧くか、観察することの価値を教えてくれたような気がします。

教室でも、言葉や態度、出来事へのとらえ方ひとつで、ケンカにもなり、笑顔にもなる、ということがたくさん起こります。

Aくんは、Bくんを見つけて、ニコッとしただけなのに、Bくんの斜め前にいたCくんが、

「あいつ、俺のこと見て、馬鹿にしてる!」

と怒り出したこともあります。

そういうことって、とても多いです。
上のCくんの例で言うなら、Cくんは馬鹿にされたくない、自分はいつも馬鹿にされている…と、馬鹿にされることについて、実態以上に、気にしすぎている、と言えるでしょう。

もちろん、Cくんの立場にたてば、「実態以上」ではないのです。「実態通り」なのです。
ですから、そういう思考癖がついている子に、

「そんなことないよ」

と言っても、なかなか気持ちを変えられるものではないでしょう。
いろいろな関わり方で、

「うん。そこまで馬鹿になんてされてないみたい」

と本人が納得てきるようにしたいものです。

誰でも、大なり小なり、気になることがあり、自信のないことがありますよね。

私はあまり、潤いを気にしたことはなかったつもりですし、体調だって健康なつもりですが、それでも、やはり心のどこかに、自分はダメだ、と思う一部があるようです。

こう見えて!?
人目を気にしてしまうんですね。

あなたはどうですか?
自分でも気づかない、意外な「気にしているポイント」がありませんか?

自覚していない心のクセこそ、人に影響を与えるように私は思います。
すべての解釈をポジティブになんてする必要はありません。
そんなの不自然です。

が、自分の感じ方のクセ、気になっているポイントを意識していることで、妙な偏りは少しずつ減ってくるように思います。

ぜひ、お子さんの言動に疑問を感じた時は、受け止め方に偏りがないか、意識してみてください。

そのことで、無用なイライラを減らせるように思います。

~~

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2016年

4月

14日

朝マックをして、罪悪感を掻き立てられたことから思う、子どもの心の充し方とは。

朝マックをして、罪悪感を掻き立てられたことから思う、子どもの心の充し方とは。

先日、妻も出かけていない朝、自宅で朝食にシリアルをいただきました。

さて、しばらくして、ちょっとお散歩に、と街に出ようとすると、妙にお腹が空いているのです。

うーん…
お昼ご飯には、まだ早い。
けど、小腹が空く…

ならば、いつものスタバで、ドーナツか何かをつまむかな…

ところが、それでは納得がいかない。
久しぶりに朝マックしてみる?
と、思ってしまいました。

いいね〜
と思った次の瞬間…
妙な罪悪感が芽生えてきました。

中途半端な時間にマックって…
カロリーは大丈夫?
塩分は?

って、なんでいけない?
こんなに、罪悪感を掻き立てられるのはなぜ?

と思い、そういえば、子どもって、やけにマクドナルドに行きたがったり、ヘンなものを欲しがったりするなぁ、と思いました。

そして、お母さん方は、そういう要求に応じてしまうことに、また罪悪感を持たれることも多いなぁ、と思い出しました。

マクドナルドの営業妨害をするつもりはありません。

ハッキリ言って、私はその日、キチンとマクドナルドに行って、エッグマックマフィンをいただいて、完全に満足したのです。

私の場合、マクドナルドであるか否かよりも、ちょっとした分量で、しょっぱいものが食べたかったんですね。

しかも、昼には少し時間があり、スタバでは食べたいものが無さそうだったから、マクドナルドだった、ということです。

つまり、味と分量の目標があって、それを味わいたかった。

子どもがマクドナルドを好むのは、何となく非日常の、日頃、お母さんは許してくれない、「贅沢な気分」を味わいたいのかもしれません。

まぁ、私が子どもの頃ならそうでした。
私の母は、滅多なことでは、マクドナルドに行かせてくれませんでした。

だから、友達の家に遊びに行くのが、楽しみでした。その友達の家では、誰かが遊びにくると、マクドナルドに行くのが楽チンだったのかもしれませんね。

お母さんは、我が子によかれと思って頑張っているのに、子どもはというと嫌がったり、めんどくさがったり…

親の心、子知らずですね。
お母さんが嫌なことなのに、したがる、欲しがるモノやコト。

お母さんが嫌がっているからこそ、あえてしたがる、欲しがるのかもしれません。

そんな時は願望の奥にある、本当の望みを考えてみましょう。

非日常?
お母さんの過剰なこだわりへの意見表明?

そうかもしれません。

でも、私の場合、ただしょっぱいものが食べたかっただけです。お子さんも、意外な願いを持っていて、それに本人も気づいていないかもしれませんね。

最後に…
この日のランチは、心もお腹も満足したからか、おにぎり一つで十分でした。

本当に願うことなら、叶えてあげると、結局、話が早いかもしれませんね。

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2016年

4月

15日

本当に心を温かくするものは、言葉ではない。

寒い時は、服や暖房で温かくするのですから、心が冷えた時は、言葉で温かくするべき?

まあ、それもいいけれど、本当にいいのは、温かい眼差しではないでしょうか。

 

寒さを感じたら、自然ともう一枚、上に何かを着ようとすると思います。
可能なら、暖房を入れることもあるでしょう。

でも、一番、即効性があるのは、温かい食べ物や飲み物を体に入れることだと思います。

だとすると、心を温めるのは何でしょうか?

温かい言葉。
確かに、それも大事だと思います。

さらに、意義深いのは、温かい眼差しではないかと私は思います。

一見、言葉の方が即効性がありそうな気がします。

「大丈夫だよ」

「できてるよ」

「がんばったね」

一言で、温かい気持ちになることも、大いにあります。

が、一方で、口だけ、と思われると、一気に寒さを増してしまいます。


当然といえば、当然です。
子どもだって、口だけの言葉、本音のこもっていない言葉はわかります。

まいっている子どもを前にして、とりあえず、言葉をかけておこう、子どもだし…

というのは、かえって逆効果ということにもなります。

 

ですから、言葉よりも前に、温かい気持ちで子どもを眺めることって、とても大事なのではないかと思います。

温かい眼差しは、確実に子どもの心を温めます。
うまくいかないことや、つらいことがあって、参っている子どもの心を一瞬で温めることができないかもしれません。

でも、その積み重ねは、困難にも強い、柔軟な心を育みます。

どんなに失敗しても、悪さをしても、一人は温かい眼差しを送ってくれる大人の存在は、子どもの将来に、とても大きな意味を持っていると、私は思います。

 

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2016年

4月

16日

ヤダヤダ病のわが子への処方箋

ヤダヤダ病のわが子への処方箋

ヤダ!
やりたくない!

お子さんのそんな言葉にカチンときたことのあるお母さんは、いらっしゃいますか?

「そんなにたくさんさせようなんて、思ってないんですよ。なのに口を開けばイヤイヤ、ヤダヤダ…参ります…」

そんな話を何度も伺ったものです。

お母さんとしては、すぐサボりたがるお子さんにイライラしてしまうようです。

が、それはサボりとは限らないと思いますよ。

もしかしたら、本当にイヤなことかもしれません。

生理的に受け付けないことかもしれません。

他のことがしたいという思いを押し殺しているのかもしれません。

そんな、いろいろな可能性の中で、私が一番、意識したいと思っているのが、

「できない自分と直面したくない」
「できない自分をお母さんに見られたくない」

という可能性です。

低学年の担任をしていた時、スキップができない子がいて、一緒に練習したことがありました。

その時、まず大変だったのは、体育に参加しようとしなかったことです。

固まってしまって、そもそも、動きませんでした。

学校は、できないところからスタートするわけですが、気持ちとしては、そう思えない子もいます。

それを少しずつでも、心をほぐして、体を動かしていけるように、一緒に時間をかけました。

できない自分をお母さんに見せたくないし、何より、自分で自分がイヤ。

そう思っているなら、何かをスタートする時に、いちいち心が引っかかってしまいます。

それはもちろん、できないよりは、できた方がいいでしょうが、できなくていいよ、というところからスタートした方が良さそうです。

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2016年

4月

17日

「お母さんに言うよ!」と言われたら、お子さんはどんな反応をすると思いますか?

「お母さんに言うよ!」

そう言われた時に、お子さんはどんな反応をすると思いますか?

 

できれば、笑顔が浮かぶといいのですが…

 

ずいぶん前のことなのですが、以前、低学年の担任をしていた時、フルーツバスケットというゲームをクラスでしたことがあります。

 

あるひょうきんな子が、オニになった時、

 

「お母さんが怖い人!」

 

と、みんなに問いかけたことがあります。

 

その時の、子ども達の様子がいろいろで、見ていてとても楽しかったのをよく覚えています。

 

いろいろ、とは言っても、反応は大きく3つに分かれました。

 

まず、明るくゲラゲラ笑って、「ウチウチ!」とすかさず立ち上がる子。

 

次に、ニヤリと笑って、様子を見つつも、楽しげに立ち上がる子。

 

そして、無表情にうつむく子です。

 

どんなにお母さんが怖くても、子どもにとって、お母さんは特別な存在です。

少々、怖くたって、結局はお母さんの存在で、安心ができるのだと思います。

 

ただ、特別な存在であることの度が過ぎると、

「ウチのお母さん、怖いんだよ〜」

という程度の、ちょっとした会話もできなくなることがあるようです。

 

私自身、自分の母との関係が、安定しているとも思いませんし、何となく素直になれないところも大いにありますから、話は、そう簡単でないこともわかっているつもりです。

 

だからこそ、なのかもしれません。

程よく、お母さんの話をしたり、お家の中で起こるドジ話をしたりできる心のゆとりが必要なのかな、と私は感じます。

 

私は、子どもの言動を正すために、

「お母さんに言うよ」

ということはありません。

 

 

脅しは、短期的には効果もあるかもしれませんが、結局、慣れてしまうだけです。

それに、特別な「お母さん」をダシにすることで、子どもにプレッシャーをかけると、長い目で見ると、素直さを奪うことになると思うからです。

 

もちろん、お母さんに学校で起きた出来事の連絡はします。

何かが起きた時、

「これは、お母さんに言った方がいいことだから、言うよ」

 

という話は子ども達にしますが、それは脅しではありません。

むしろ、心の準備をさせるためです。

 

楽しい気持ちで、

「そんなことしたら、お母さんに言うよ〜」

と誰かに言われた時、

 

 

・いいよ〜と笑う子。
・え〜ダメダメ〜と笑う子。
・そして、絶対ダメ!と必死になる子。
大きくは、きっとこの3種類に分かれることでしょう。
「いいよ〜」と笑って流されも困りますし、必死に「ダメダメ!」と懇願されても困ります。
「え〜」と言いながらも、笑える程度の心のゆとりが、子どもたちにできるように、あまり追い詰めたくないものです。

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2016年

4月

18日

「好き」の奥に潜んだ、「自分が好き」の罠

好きなことなら、長続きする。

 

ところで、それが本当に好きなのでしょうか?

もしかして、それをしている、あるいは、持っている自分が好き、という可能性はありませんか?


やめなさい、と言われてもやってしまうことは、本当に好きだといいます。

そして、好きなことなら、長続きするので、好きなことを本当に大切にしましょう、ともいいます。

私は、この考えに大賛成です。
が、好きなことのはずなのに、続かなかったり、イライラしたり、どうもうまくいかない。
そんなこともあります。

 

本当に好きなことなら、放っておいても、やっているものです。叱られても、ですね。

本が好きな子は、少しでも空いた時間を見つけて、本を開いています。
動くのが好きな子は、隙あらば遊びに行こうと、ウズウズしています。

さて、男の子に多いようですが、何かを集めることが好きな子がいます。

石ころだったり、プラスチックのかけらだったり、大人の感覚では、
「え?ゴミでしょ…」
と言いたくなる、そんなものです。

しかも、
「どうせ、今こだわっているけど、三日もすれば、集めなくなるのに、捨てたら怒るんだから…」
という話がセットであることも多いですね。

 

こういう時は、ガラクタ(!?)そのものよりも、集めている自分が好き、ということかもしれません。

人にはわからないかもしれないけれど、道端で、「偶然」見つけた、「レアな」ものを、「コレクション」している自分。
そんな自分が好きなのかもしれません。

 

話は飛躍しますが、例えばベンツ…
ベンツという車、そのものが好きなのか、それとも、ベンツに乗っている、所有している自分が好きなのか。

そんなこととも、根っこは似ているかもしれません。

まぁ、石ころやガラクタならいいと思います。
あるいは、自分で管理できる範囲ならベンツにこだわってもいいと私は思います。

が、大人がお子さんに与える環境を考えるとき、今日のテーマを意識してみることは、大切ではないかと思います。

受験を勝ち抜いて、わが子らしさが生きる環境、あるいは、ご両親が惚れ込んでしまう教育理念や方針、内容を求めているのか…


それとも、いわゆる「いい学校」に子どもを合格させた自分が好きなのか。


この違いは、決定的なものです。


私が言いたいことは、その違いに気づいておくことが大事だ、ということです。どちらがいいとも、悪いとも言っていません。


どちらかのフリをすることで、子どもは心を疲れさせる、ということを言いたいのです。


「あなたのためなのよ」


と、本当かどうかわからないことを言われるより、


「私が気に入っているんだから、今はこれにしなさい」


と、ハッキリ言われた方が、


「ひどいよ〜お母さんの都合じゃないか〜」


と文句を言えるだけ、明るく過ごせます。


クラスでは、習い事や塾など、放課後の時間の使い方について、相談を受けることもしばしばです。


そんな時、ゆっくり話を伺うと、


「この習い事、完全に私の趣味なんですよね…」


と苦笑いされるお母さんもいらっしゃいます。

私は、それを自覚して、しかも他人に言える、というオープンなところがステキだと思うんです。


お子さんが小さいうちは、お母さんの趣味でいいんだと思います。


好きなのは、そのものなのか、それとも、それをしている自分なのか、重要なポイントだと、私は思います。


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2016年

4月

19日

他人に良さを探しても時間のムダ!?実は、もうあるのでは?

ない、ない、と思っていたものが、身近にある。

特に、他人にはあって、自分(我が子)にはない、というものほど?

 

他人の中に自分にはない良さを探すのは、もったいない。

実は、もう、自分の中に、十分なよさがあるのではないでしょうか?

 

隣の芝生は青い

 

と言います。

私にも、その感覚はあるので、わかる気がします。

 

先日、とある女子と話していました。

その時、ふと現れた上級生の女子と、二言三言、言葉を交わし、上級生の子は、サラリと去ってしまったのですが、その時、

 

「あ〜あんなお姉ちゃんが、私にもいたらよかったのに…」

 

と、私の横で、彼女はつぶやいたのでした。

 

彼女のお姉ちゃんのことを私は知りません。

が、彼女とのこれまでの会話で、お姉ちゃんへの信頼感や、あこがれのようなものを感じていたので、特別、関係が悪いというわけでもなさそうです。

 

颯爽と去っていった上級生の女子は、彼女とは、またタイプの違う子です。

スポーツがよくできて、なんとなく、キラキラした感じがします。

 

 

「あんなお姉ちゃん…」

 

と、彼女は言いましたが、どことなく、

 

「私もああなりたい。あんなだったらよかったのに…」

 

という気持ちが垣間見えた気がしました。

 

彼女は、物静かで、口数も少なく、その分、周りのことをよく見ていて、冷静です。信頼できます。

でも、そんな自分の特性を

 

「つまらない」

 

ととらえてしまうんですね。

私からすると、もったいない!とんでもない!ということですが、本人にしてみれば、そうなのです。

 

私は気遣いでなく、彼女の魅力を感じていますので、とりたてて、彼女を妙に褒めてみたり、励ましてみたり、あるいは去っていった上級生を悪く言ったりもしません。

 

単純に、それぞれの魅力を感じ、それぞれが、もっと自分らしさを磨いてほしいと思って、見守るのみです。もちろん、会話もしますし、一緒にも遊びますが、「あえて」、何かをすることはありません。

 

 

話はガラッと変わります。

フレンドリーな接客で、ファンをつかんでいるスターバックスコーヒーですが、よくFacebookやツイッターなどで、カップに一言、メッセージを添えてくれるのが、嬉しいとか、癒されるとか、励まされる、という写真を見ることがあります。

 

私は、もらったことないなあ〜と漠然と思っていて、そんなに欲しいとも自覚していた訳ではなかったのですが、つい先日、入ったスタバで、とうとうメッセージがあるのを見つけ、2つの大きな学びがありました。

 

まず1つ目。

 

そのメッセージは、

「Thank you !」

という、特別なものではなかったのですが、妙に嬉しい自分に気づきました。

 

「別に、欲しい訳じゃないよ〜」

とニヒルを気取ったいたわりに、実は、

 

「いいな〜自分にはないな〜」

 

と、「自分にはない」ということを過剰に意識していたんだな、ということに気づきました。

 

そして、2つ目。

 

実は、気づかなかっただけで、今までもメッセージはあったのではないか、ということです。

 

この日、メッセージに気付いたのは、カップを運んだ時に、うっかり揺らしてしまい、少し中身がもれてしまったのです。そこで、こぼれたところやカップの脇を拭いたのですが、その時に、メッセージに気付きました。

 

日頃、そんなに頻繁にこぼす訳もなく、カップの飲み口は1か所しかないわけで、ぐるぐるカップを見回したりはしません。

 

ということは、ないない、と自分で決めつけていただけで、実は探していなかった、気付いていなかっただけ、という可能性もあるということに思い当たったのでした。

 

私は、ということかもしれませんが、クラスで子ども達と関わってきて、人の目は、

 

「ない」

 

ことの方に向きやすく、しかも、そのことをネガティブにとらえがちだと感じます。

 

が、それは、もしかしたら、もったいないことなのかもしれません。

 

本当の自分の魅力を隠してしまう心の持ち方かもしれません。

 

あるいは、本当は、もうあるのに、ないと決めつけているだけかもしれません。

 

このところ、スタバでは、いろいろなことに気づかせていただいています。

割高な(!)コーヒーも、私にはとんでもなく、お安い授業料のようです。

 

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2016年

4月

20日

お子さんをほめてはいけない理由1 だって、当たり前のことなんだから、ほめる必要なんてない!

子どもを(人を?)ほめてはいけない理由 〜その1〜

 

なぜなら、その「ほめたいと思ったこと」がレアな状態だということを強めてしまうから。

当たり前のことなんだから、ほめる必要なんてない!

 

 

ほめて伸ばす…

 

大切なことのように思います。

が、私は大先輩に言われたことをきっかけに、違うんだ〜と思うようになりました。

 

十何年か前、私は大先輩の指導の下、初々しい若手教師をやっていました。

始業し、数日経った時、大先輩から、こう言われたのでした。

 

「青木先生は、私と違って、悪いことを見つけてグチグチ言わないのがいいわ。

目を向けている方向がいいと思う。でも、ほめすぎね。」

 

私は、目の向け方を認めてもらえたのに、ほめすぎだと言われた意味がわかりませんでした。

 

とまどっている私を前に、大先輩は話を続けました。

 

「だって、できるのが当たり前なんだから、一々、ほめる必要がないでしょ」

 

なるほど〜

 

と思いました。

当たり前のことを一々、ほめる必要はありません。

極端な例ではありますが、

 

「いやあ、よく1分間に15回も呼吸するね。すごいね!」

 

とか、

 

「さすが!まばたきのリズムがいいよ!」

 

などと、ほめることは、普通はありません。

 

なかなかない、レアなことだから、あえて「ほめる」必要があるんですね。

 

ということは、「ほめられた」ということは、そのいいこと、状態がレアだ、

ということを強める意味も持ってしまうわけです。

 

子どもに(人に)関心を持つことは大事。

そして、悪いところではなく、いいところに目を向けることも大事。

 

でも、「ほめる」ということは、度がすぎると、かえって「ダメな自分」、

「できない自分」を強調することにもなるようです。

 

お子さんが、できない、できない、と苦労していたこと、気になっていたことが、

やっとのことでできるようになった時、

 

「よかったね〜できたね〜」

 

というのは、むしろ必要なことでしょう。

 

生活に身近な、当たり前のことで考えてみてください。

 

・朝、お母さんに起こされずに起きてきた。

・明日の用意を一人でできた。

・家に帰ってきたら、すぐに着替えて、宿題を始めた。

 

そういう「当たり前」のことは、子どもにとっては、なかなかハードルの高いことでもあります。

が、いずれは自分でできるようになります。

そう確信するからこそ、一々、ほめないのです。

 

お子さんが何か「いいこと」をして、

 

「ほめてくれないの〜」

 

という顔で、お母さんの様子をうかがっているなら、

 

「だって、あなたならできて当然でしょ。当たり前のことを一々、ほめないわよ」

 

と言ってみましょう。(もちろん、嫌味ではなく)

 

その上で、

 

「でも、もちろん、見ていたよ」

 

と伝えてあげることも必要です。

お子さんが、突き放されたように思っても困りますから…

 

「ほめる」ことは、なかなか難しいです。

 

明日は、また違った観点から、「ほめる」ことの課題について考えてみたいと思います。

 

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2016年

4月

21日

誘導のない子育てなんてないけれど、でも、やはり、「ほめて」子どもを誘導してしまうことに、慎重でありたい。

子どもを(人を?)ほめてはいけない理由  〜その2〜

 

ほめると見せかけて、実は誘導であることがあるから。

 

 

ほめる…


いいことのようで、よくないという側面があり、もちろん、叱ってばかりでは、やる気も出ない。難しいテーマだと思います。


私は、この「ほめる」ということについて、昨日の大先輩からの言葉をきっかけに、先輩や同僚と、たくさん話してきました。


私の勤める学校は、とても小さい学校ですが、私が初任の頃は、1学年1学級しかなく、当然、先生の数も少なくて、年の近い先輩も、少なかったわけですが、そういう近しい先生からも、


「青木先生、ほめるって難しいよね」

 

と、クラスでの出来事を聞かせていただきました。


その内容は、ほめることで、子どもを誘導してしまうということでした。


ほめてもらえることで、やる気が出る、認めてもらえてうれしい、

というのは、自然の心理だと思います。

 

が、「ほめる」ということをエサにして、こちらの都合のいい状況に、子どもを(人を)誘導しようとすることになりやすい、ということを念頭に置いておきたいものです。


もちろん、それは、多くのお母さん方も、わかっていらっしゃることだと思います。

 

できなかったことができるようになった!

 

「すごい!よくできたね!」

 

これは自然です。

 

でも、

 

大人にとってできてくれると都合のいいことがなかなかできない。

早くできるようになってほしい…

 

「ほら、できるよ。できるよ。あ〜できたね〜さ、じゃ、今度はこれいこう!」

 

これは誘導です。


まぁ、ここまであからさまな誘導は、自覚しての誘導でしょうから、いいと思いますが、自然に認めているつもりでも、子どもの方は、無意識にその方向で行かなきゃ!と受け止めてしまうこともあります。


このテーマは、考えることが大切なのかもしれません。


誘導の全くない子育てなどありえませんし、誘導ばかりしていては、子どもの自己肯定力を抑えつけることにもなるでしょう。


「正解」を求めるのではなく、現に今、子どもたちが教室なり、ご家庭なり、友達との関係においてなりで、起きていることを正面から受け止めつつ、考えていきたいな、と思います。

 

 

2016年

4月

22日

自信がなくてもいい。どっしりしているだけで、安心感が周りに伝わるから。

オーラって何だろう…
よくわからないけど、人から自然と発せられる空気って、あるみたい。
だから、まず、自分が落ち着いていることが、一番大事。
かつて、確か大学生の頃ですから、もう、20年も前のことです。
東京駅の八重洲地下街を歩いていた時、
「あなたのオーラを診断します」
という1坪店舗のようなものがあって、びっくりしたことを覚えています。
あの何千円かで、私のオーラが写しだせるのかどうかは、定かではありませんが、
「あの人は、オーラがあるよね」
などと、よくおしゃべりするような意味では、人から醸し出される空気感というものは、ありそうです。
子どもは、本当に大人の様子に敏感です。
何度か、記事に書いていますが、何年か前、とある男の子に、
「先生、今日、初めて笑ったね」
と言われ、そのことを痛感したのをよく覚えています。
思えば、私は、子どもの頃から、
「落ち着いているね~」
と、言われることが、多くありました。
落ち着いている、というよりも、実態は、どう動いていいかわからなかったり、
何を言っていいのかわからなかったりしていただけなのですが、
人からは、そう見えたようです。
ということは、嘘でもいいから、自信なんてなくてもいいから、
どっしり構えている、という外見的なことにも、意味はありそうです。
ソワソワしていると、自信がなさそうで、不安げなオーラが醸し出されて、周りの人も不安になってしまうようです。
私からは、どんなオーラが出ているのでしょうか…
オーラ診断を受けるかどうかは、わかりませんが、常に、「どっしり」構えていたいな、と思います。

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2016年

4月

23日

気になるアイツのいいところは、自分のいいところ!

とっても気になるアイツの存在…

腹が立ったり、ケンカになったり、無性に気になる、その理由は、アイツの言葉や態度の中に自分がいるから。

だとすると、気になるアイツのいいところも、自分のいいところなはず。


以前、ある男の子が教室で落ちていた消しゴムをスッと何も言わずに拾ってくれたことがありました。

彼は、私が担任をしていた子ではありませんでした。

「気がきくね〜ありがとう!」

と私はその子に伝え、気持ちのいい子だなぁ、と心が温かくなったのでした。

さて、それからしばらくして、彼の弟の担任をすることになりました。

一年が経ち、クラスのみんながメッセージを書いてくれたのですが、弟くんが私に書いてくれたのが、

「消しゴムを拾った僕に、気がきくね、と言ってくれてありがとうございました。一番嬉しかったです」

ということでした。

あれ?

その言葉はかなり前に、お兄ちゃんに、かけた言葉です。

ところが、それを何かで聞きつけた弟くんは、自分が言われた言葉だと、心の中で思い込んだのでしょうか?

私は弟くんのことも、ずいぶん認めていたつもりです。

お兄ちゃんの方は、私が担任していなかったので、関わる時間は、圧倒的に弟くんの方が長かったですし、弟くんは、勉強面でも、運動面でも、人間関係の面でも、頼りになる存在で、私としては、そのことを言葉にして伝えていたつもりです。

なのに、一年の最後に「一番嬉しかったのは、消しゴムを拾った時に認めてくれたこと」だった…

兄弟や姉妹などの場合、特にそうですが、比較的にならないように、そして、どんな伝え方をするのがいいか、勉強になったとともに、「気になるアイツ」の存在の大きさも痛感しました。

弟くんも、とても気のきく、頼りになる存在。

お兄ちゃんの中にそれを探さなくても、あなたの中に、十分に、そういう良さがあるよ、と伝えてあげたかった。

兄弟に限らず、友人関係でも、どうしても気になる存在がいるものです。

なぜか腹が立つ。
どうしても気になる。
アイツが何か言うと、理屈抜きでイライラする。

など、

「なぜか…」
「妙に」
「無性に」

心が動く、という相手は、実は自分の姿を映しているような気がします。

そんな、気になるアイツの、気になって仕方がないポイントは、良くも悪くも、あなたの一面だよ、というふうにとらえることも、心を軽くすることにつながるような気がします。

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2016年

4月

24日

「すみません!」ではなく、「ありがとうございます!」と口から出てくる習慣をつけたい。

素直に甘えるって、難しい。

まずは、「ゴメンね」ではなく、
「ありがとう」を習慣づけたい。


先日、例によって、スターバックスでコーヒーを飲んだのですが、隣に就活中と思われる女子大生二人組が座っていました。

一人はスーツ姿で、もう一人は私服姿でしたが、スーツ姿の子は、その日、ある会社のエントリー開始だったらしく、友達に手伝って欲しかったようでした。

ところが、何か忘れ物をしたのか、手違いがあったのか、サイトへの接続がうまくできず、せっかく友達に来てもらったのに、できなかったという雰囲気が感じられました。

その時、スーツ姿の子は、

「ゴメンね、ゴメンね」
「交通費も出すね」

と、友達に謝り通していたが、妙な心のザワザワを私に残しました。

謝る気持ちは嘘ではなかったと思います。心がこもっていないという感じではありませんでした。

が、言葉の奥から自信のなさが表れているように私には感じたのだと思います。

その後は、筆記試験対策を二人でやっていて、今度も、やはりスーツ姿の子が、友達に解き方を教わっていました。

また、ゴメンね、ゴメンね、かなと思うと、今度は、また雰囲気がガラリと変わって、明るく、楽しそうな雰囲気が滲み出ていました。

手伝ってもらったのは同じなのに、隣で座っていて、受ける印象が全然、違う。

その違いは…?

言葉です。

後半の試験勉強の時は、

「あ〜わかった〜ありがとう〜」

と、感謝の言葉が多かった。

私も、つい、何かをしてもらうと、

「すいません〜」

と言ってしまうことがあります。
何か、迷惑をかけてしまったことの方が、先に立ってしまい、感謝よりも、謝罪の言葉が先に出てしまうようです。

人に何かしてもらうなんて、申し訳ない。

謙虚なようで、実は傲慢さもあるような気がします。

「ありがとう!」

と、気持ちよく、明るく、素直に言えるためには、自分に自信が必要かもしれません。

ただ、それは、何かができる、とか、何かを持っているというような、明確な自信ではなくて、

「人に優しくされることもある」

という、むしろ「受け入れる勇気」だと思います。

「あ、すみません!」

が、つい口に出てしまうなら、

「ありがとうございます。」

と、ゆったり言える心のゆとりを持ちたいな、と思いました。

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2016年

4月

25日

捨てる力こそ大事。中でも嫌な情報を自ら遠ざける力って、本当に大事。

これからの時代、本当に必要なのは、捨てる力?
特に、情報を捨てる力って、大事。
中でも、嫌な情報を自ら遠ざける力って、本当に大事。
まだ、世間は断捨離が流行っているのでしょうか?
単なるお片づけの習慣を超えて、モノやコトの執着を手放して、心の平穏を得よう、という流れは、今でも、ある種の大きな力を持っているような気がします。
私が中学受験をした二十うん年前は、まだ、知識詰め込みを重視する風潮がありました。
記述式問題の重要性が増してきた、と言われいた記憶がありますが、それでも、やはり中心は詰め込みだったと思います。
しかし、子どもの数は減り、私立中学校の数も増え、そして何より、インターネットの発展により、知識を暗記することの価値というのは、ずいぶん変わってきたように感じています。
むしろ、スマホの普及が相当に低年齢化している今、子ども達が晒される情報量は、大人の経験と比べることもできないほどではないかと想像します。
その中で、SNSなど、個人をネタにネット上で情報が交わされることも、大いに増えています。
自分の知らないうちに、誰かが自分の悪口を言っていた…
ただでさえ、悲しいのに、ネット上では、姿が見えないことをいいことに、必要以上に言葉が強かったり、汚くなったりしがちです。自分の名前をそういう場で見てしまう辛さは、相当にきついものでしょう。
あるいは、映像もあります。
先日、私の勤める学校の同僚が、自宅の近くで交通事故に出くわしたのだそうです。
結構、大きな事故で、車は、ひどく壊れていたそうですが、集まった野次馬が皆、夢中だったのが、携帯やスマホでの撮影。
「なんで撮る?」
と同僚は、意味もわからず、腹が立ったそうですが、そういう光景は、想像に易いです。
しかも撮ったものは、またSNSなどで公開する可能性も大きいでしょうから、自分が撮ったり、見たりしていなくても、見ないほうがいい映像なり、画像なりを目にするリスクも高まっています。
もう、文字でも、映像でも、音声でも(?)、嫌なものに触れる可能性がいっぱいです。
そうなると、
「これは私は見ない」
「こういうことは私は聞かない」
など、自分で情報を捨てる力が、本当に重要だと感じます。
まあ、それはスマホも、携帯も、SNSも、本当は関係ありませんね。
「誰かの愚痴や文句を言うだけの集まりに、行かない!」
そんな断捨離は、私が子どもの頃だって、親に言われたものです。
世の中が便利になればなるほど、自分の心の強さが問われているんだな、と感じています。

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2016年

4月

26日

一番簡単で、効果の上がる教育法。それは子どもを自然に放つこと。

自然に勝る教室はない。

 

今日は珍しく、写真付きの記事です。

今朝、東京の吉祥寺というところにある、井の頭公園で撮った一枚です。

 

タイトルの通り、自然に勝る教室はないと、いつも感じる瞬間です。

 

今日のように、快晴の清々しさはもちろんですが、雨でも、曇りでも、それぞれの味わいがあります。

 

私の勤める学校には、井の頭公園ではないのですが、同じように、空気のよい、素晴らしい公園に、出かける「授業」があります。

 

その「授業」では、ただ、遊びます。

理屈も、理念も、教育技術もありません。

遊びます。

 

その公園には、広い原っぱもあれば、雑木林もあり、小さな川も流れています。

ですから、鬼ごっこやサッカー、ドッジボールのような動く遊びもできますし、

木々や川辺にいる生き物を探したり、この時期なら、お花を摘んだりもできます。

 

この大切な時間に、

 

「この授業の目的は〜」

「ねらいは〜」

「その結果、子どもは、こうなんて、あれがよくなって…」

 

と、理屈が登場すると、おそらくその魅力は、なくなるどころか、むしろ、悪い方にもいくとさえ、私は感じます。

 

以前、フィンランドに教育視察に行ったことがあります。

ご承知の通り、フィンランドの冬は、非常に日照時間も短く、暗いうちに家を出ることも当たり前です。

 

しかも、フィンランドの共働き率は、日本以上で、子どもだけが暗い中を小学校に通うこともあると、聞きました。

 

その話を聞き、安全上の問題はないのですか?と聞いたところ、意味をわかってもらえませんでした。

暗い中を一人で子どもが来ることの危険、という概念がなかったようです。

 

日本では、まだまだ、子どもだけで学校に通うことは当たり前ですが、アメリカとなると、またフィンランドとは対極に位置しています。

 

子どもを一人で、学校まで歩かせるなどというと、虐待だと通報されかねません。

 

私が視察で訪れた街は、フィンランドの首都ヘルシンキではなく、少し北に行った街だったこともあると思います。

 

が、フィンランドの次に、デンマークに移動し、コペンハーゲンの中学校も見学したのですが、コペンハーゲンの街に着いた時、皆で、

 

「あ〜ヘルシンキに戻りたい〜」

 

と言ったのをよく覚えています。

コペンハーゲンだって、十分にきれいな街なのですが、首都のヘルシンキでさえ、緑と水の豊かな、本当に素敵なところだと私たちには思えたのですね。

 

フィンランドの国としてのGDPは、日本よりはるかに低いですが、一人当たりのGDPでは、日本よりも上です。

 

あのフィンランドで感じた、ゆったりした空気。

もちろん、フィンランドの人々からすれば、そう単純な問題ではないでしょうが、アウトサイダーとして、素直に感じたのは、自然の豊かさは、人の心も豊かにするのかな、ということです。

 

理屈をこねくり回すのではなく、自然の中に子どもを放つことの価値を大切にしていきたいものです。

 

〜〜

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2016年

4月

27日

お母さん!お子さんに言ってはいけない言葉、知っていますか?「お願いだから」

言ってはいけない!

「お願いだから」

 

大切なことなら、「お願い」なんて、下手に出る必要はない。

「お願い」されるから、「イヤ」になる。

 

 

先日、最寄りの駅に向けて歩いていた時のことです。

まだ朝も早く、会社や学校に向かう人たちも多かった道でした。

 

新人研修なのか、美容室のチラシを渡している若者がいたのですが、

ほとんど、誰一人、受け取る人はいませんでした。

すみませんが、私も受け取りませんでした。

 

次の日、また同じ光景に出会いました。

やはり、私の見える範囲では、誰も受け取っていませんでした。

 

それはそうですね。

会社や学校に急いでいる時間帯、状況に、金髪や茶髪の若者に、美容室のチラシを渡されても、邪魔になるだけです。

 

ですから、4月という時期もあり、美容室としては、新人研修の一環なのかな、と思ったのですが、次の瞬間、耳に残った言葉がありました。

 

「〜お願いします!」

 

「割引のクーポンになってます。お願いします!」

 

うん?

割引、というメリットを説明しつつも、結局、「お願い」か…

 

お願いされると、嫌になる。

 

イジワルなようですが、それも一つの心理ではないか、と思ったのです。

 

「お願い」される、ということは、相手から、自分の心に要求を押しつけられるということです。

 

すると、自然と

 

「押し返そう」=「イヤ」

 

という心理が沸き起こるのではないか、という想像が私の頭の中に起こりました。

 

私は、勤務する学校で、放課後の子ども達の預かりを担当しているのですが、そこで、大学生の指導員は、子ども達が言うことを聞かなくなると、

 

「ほら、頼むから、もう着替えなさい」

 

とか、

 

「ねえ、お願いだから、もうやめて」

 

という言い方をしてしまうことがあります。

もちろん、私も教室でそういう言い方をしたことが何度も(!?)あります。

 

が、よくよく考えると、「お願いする」って、変です。

教育上、安全管理上、その他、正当な理由と目的で、子どもに何かをさせたい時、

 

「お願いする」

 

というのは、おかしいと思いませんか?

 

もちろん、子どもがしたくない、という気持ちになるのは理解できます。

 

例えば、楽しい遊びをしているけれど、帰る時間になってしまった。着替えたくない!

宿題をやっておかなきゃダメだけど、先にあの遊びをしたい!

 

そりゃ、まあ、そうですね。

 

が、やらなくてはならないこともある。

 

だとすると、「お願い」なんて、する必要ありませんよね。

でも、なんだかかわいそう…と思って、下手に出てしまうのです。

 

「かわいそう」

 

何がかわいそうなのか。

よく考えてみると、子どもに無理強いして、嫌われる自分がかわいそう、という側面もありそうです。

 

「お願い」と妙にへりくだったり、下手に出たりすることは、かえって言われた方が、断りたくなる心のプレッシャーを与えることになるかもしれませんね。

 

そういえば…

かなり前のことだったと思いますが、妙にティッシュペーパーを多く手渡している人を見かけたことがあります。ほとんど全員が受け取っていたような気がします。

 

その人は、無言でした。

何を配っているのか、見えるようにして、無言で、スッと手に載せているという感じだったと思います。

 

言葉は相手を鼓舞する力も持っている反面、プレッシャーを与える側面もあります。

まず、「お願い」しない。

試してみませんか?

 

〜〜

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2016年

4月

28日

今日は「できる子」に育てる、超戦略的な極意をご紹介します。

「できる子」に育てる極意!?

「できないこと」を認める。

 

 

「あ〜それ、できない!」

 

やりもしないうちから、文句を言って、やろうとしないお子さんにイラっとされたことはありますか?

 

どんなことでも「初め」があり、

どんなプロにも「初心者」がある。

 

だから、初めからうまくいかなくて、当たり前。

 

きっと、お子さんに何度も話されたことがあると思います。

 

ですから、そういうことは、「知識」としては、お子さんの頭の中には入っているのです。

 

でも、できないことはしない。

 

それは、誰でも初めはできないけれど、やっていればできるようになるよ、ということが、ハラ落ちしていないということです。

 

だいたい、私自身が、できないことにも果敢に挑戦していこう、というタイプではありません。

 

できない自分、ダメな自分は隠しておいて、スマートな自分を見せていたい。

 

そう思って憚らない私です。

 

もちろん、私はそんなスマートな人間ではありません。

スマートに見せよう、と必死に演出しているわけです。

スマートに見せるために、できる何か、すごい何かをアピールするなんて、まさに張りぼてですね。

 

ところが、そんな張りぼての自分も、子どもの前ではバレバレです。

私の勤めている学校には、職員室がなく、担任は朝から晩まで、教室にいます。

1週間近くにもわたる臨海学校が2年生からあり、当然、寝起きも一緒にします。

 

ということで、一生懸命、張りぼてを作っている自分もバレバレなんですから、もう、仕方ないと、裸の自分でいるしかありません。

 

そんな「できない自分」をどうにか、認めようとしている「自分」

大人でさえそうなのですから、子どもは、もっと「できないこと」を自分で認められないのではないでしょうか。

 

何かをやってはみたけれど、できなかった自分。

 

そんな自分を自分で見たくないからこそ、やらない。

 

ならば、できない自分を認めてあげることが、スタートになるのではないかと思います。

 

私の経験上は、「できないこと」を子どもが想定している以上に認めて、どんどんやってあげると、そのうち、

 

「もう大丈夫。自分でやる」

 

と言い出す子がほとんどです。

ですから、「できないことを認めること」も、「初めはやってあげること」も、全く甘やかしではありません。

 

むしろ、戦略的な取り組みなんです。

 

何より、自分自身が何かを始める時、そうしてくれたら、心のハードルは、ずいぶん下がるだろうな、と思います。

 

一度、試してみませんか?

 

〜〜

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2016年

4月

29日

グチったり、悪口を言っちゃったりすることもある。いつもポジティブでは疲れちゃう?

グチったり、悪口を言っちゃうことも、あるよね。
 

晴ればかりじゃ、枯れてしまう…

 

グチったり、他人の悪口を言ったり、そんなジメジメした、梅雨空みたいにネガティブな自分を一番、許さないといけないのではないか。

 
 
嫌なことを言われたり、されたりした時、
 
なんでだ〜
 
と、相手に腹が立つものです。
 
が、重要なのは、むしろ、その後だと、私は思います。
 
相手に腹を立てている自分を責めたり、自分のことが嫌になったりすることもあるようです。
 
ちなみに私はそうです。
 
人によっては、自分を責めることなんてなくて、いつでも他人を責めている、ということもありそうです。
 
が、私の感覚では、他人のことばかり責めている人ほど、自覚せずに自分を責めているような気がします。
 
まぁ、他人のことはさておき、私の感覚で話を進めますが、最終的に自分を責めている以上、何があっても、不安やら不満やらは消えることがありません。
 
これは、子どもの言葉、特につぶやきからも感じます。
 

ヤンチャ坊主も、言葉をよく聞いていると、

 
「あ、ダメだ…」
 
「あ〜」
 

などと、自分を責める、恥ずかしく思う言葉がチラッと出ることがあります。

 
そんな時に、
 
「大丈夫。あなたならできる」
 
という言葉で励ますことも可能です。
 
が、自分を責めるクセのある人には、そんな言葉では、対抗できません。
 
ならば、実際に言葉にすることどうかは別として、自分を責めてもいいんだ、と、その状況そのものを認めることがいいのではないかと思います。
 
そういう眼差しは、子どもに伝わると、私は思います。
 
いや!そんなの信用ならない!
もっと、目に見える形、わかりやすく対応したい!
 
そう思うなら、
 
「私も、いけないと思うけど、ヒトの悪口を言っちゃうことがあるんだよね〜少しずつ減らそうと思う」
 
なんて言葉はどうでしょうか?
 
陰口はいけません。
 
そんなこと、わかっているけど、多少はある。
 
現に、夜の居酒屋は、陰口に満ちていて、それが明日の日本を動かしているとさえ、言えるのではないかと思います。
 
陰口や悪口を言わない、ポジティブな子は、友達もできやすいでしょうが、いつも、キラキラ、晴天のポジティブでは、心が枯れてしまう気がします。
 
陰口、悪口を言っちゃう、梅雨空のネガティブも、セットで大事なのではないでしょうか。
 

〜〜

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2016年

4月

30日

熱意が人を動かす、のウソ?肩の力が抜けているから、話が伝わる。

熱意が人を動かす、のウソ?

肩の力が抜けているから、話が伝わる。

 

 

私の知人で、カラオケ大好きな人がいます。

その人から聞いた話なのですが、ヘタな人の歌ならまだ聞けるのだそうです。

一番、聞いていられないのは、上手さをアピールしようと、力がこもっている人の歌なんだ、ということでした。

 

あ〜なるほど〜

 

と、気づきのある話でした。

 

私も子どもたちに、これは伝えなきゃ!と力んでしまうことがあります。

ケンカがあったり、トラブルがあったり、あるいは、いいことでもそうです。

 

「この出来事の意味を、この子たちに伝えるんだ!」

 

と力むと、確かに、白けてしまうことがありました。

 

私のケースでは、私対子どもたち、という構図ですから、ご家庭でのお子さんとの会話とは、また状況も違いますが、どうも、大切なことほど、力むと、かえって伝わらない、ということを頭の片隅に置いておくと、無用な親子ゲンカやイライラを減らすことができそうです。

 

「こんなに真剣に話しているのに!」

 

と、お母さんがイライラしてしまう時、

 

「うん?ちょっと力み過ぎているかな?」

 

と考えてみることは、お子さんに話を伝えやすくするキッカケになるかもしれません。

 

実は、このブログもそうなんです。

 

よし!

今日は、自分の教育観がしっかり表現できて、事例もあって、よくできたぞ!

 

と、力のこもった記事なのに、大して反響がないのです。

 

むしろ、学校からの帰りの電車の中で、10分程度で、サラッと書いた記事に、いいね!をたくさん、付けていただいたり、メッセージをいただいたりするものなんです。

 

お子さんが、本当に苦しんでいる時は、大げさなほど、真剣に、力をこめる必要もあるでしょう。

が、いつもいつも、お説教に力がこもっていたのでは、とても、子どもは気持ちがもちません。

 

マジメなお母さんほど、適当であることに一生懸命になるといいのかもしれません。

 

〜〜

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