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勝負は、いかにして言葉を減らすか。
何かを伝えよう、できるようにしようと、懸命になると、どうしても言葉が増えてしまいます。
そこには問題点が二つあります。
まず、言葉が多くなると、その分、子どもにとっては、理解するのにエネルギーを使います。
私たちも同じだと思うんです。
以前、海外旅行に行った時、預けた荷物の中に、調べたいものがあるから、別室に行くように、と言われたことがあります。ドイツのドレスデン空港です。
相手が何を言おうとしているのか、なんとなくはわかりますが、それがどの程度、重大なのか、そして、具体的にどこに行けばいいのか、どうやってそこに行けばいいのか、私の頭の中は、不安でいっぱいになりました。
結局、成田空港で出国時に買った、母に頼まれた口紅の形状が気になった、とのことで、必死で説明したところ、一同、大笑いとなって、私は目的の便を待つことができました。
いっぺんに色々言われてしまうと、それだけでも大変です。
何を、どうすればいいのか、わかりやすくするために、言葉を減らす、絞ることが大切です。
そして、もう一つの問題点は、こちらの熱意が高まることで、言葉というよりも、心のエネルギーが子どもにプレッシャーをかけるということです。
子どもが何かに失敗する。
しかも、大人からすると、それは重大なことだ、という場合、何とかしよう、ここでそれに気づかせよう、早く乗り越えさせよう、という気持ちになるのは、当然のことです。
そして、心のエネルギーがどんどんチャージされ、パワーのこもった言葉が放出されます。
ポケモンのバトルを思えば、伝わるかもしれません。(最近、めっきり、やらなくなってしまいましたが…)
大切なお母さんの熱意は、子どもに大いに影響を与えます。
ここぞという時には、言葉の優劣や具体的ノウハウの良し悪しなんかよりも、よほど、お子さんの心を動かし、実際の行動につながるでしょう。
しかし、それがあまりに多いと、お子さんには余力が残っていません。
「あ、これは大事なことだぞ、ちゃんと伝えたいな」
ということこそ、まずは大人が肩の力を抜いて、オーラでお子さんを圧倒しないような配慮が必要です。
最近は、繊細な子が増えているとも感じます。
子ども自身が、うまくやりたいし、お母さんには笑っていてほしいのです。
まずは、いかにして言葉を減らすかを意識していただきたいと思います。
2016年
12月
04日
日
あと一歩、自分の力で先に進むためにこそ、今は一緒にやろう。
「あ〜おもしろそう」
「いいな、やってみたいな」
という素朴な気持ちも、
「どうせムリ」
「ボク(ワタシ)には合わない」
などと、できない、しないことを当たり前にしていませんか?
お母さんや友達と一緒なら、一歩を踏み出せます。
それは、甘やかしではありません。
喜んで、一緒にやりましょう。
今日の朝、穏やかな空気に誘われて、井の頭公園に入りました。
本当は、吉祥寺の駅に向かう予定でしたから、普通なら公園に入らず、大通りを駅に直行するところだったのです。が、木々の色づきも素敵でしたし、歩くのもいいな、と思ったのでした。
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、公園に入るとすぐのところに、管理事務所があります。
すると、
「リース作り 材料が無くなり次第、終了」
と書いてありました。
事務所の出入り口には、公園内で集めた枝、木の実、葉などがあり、どうやら、好きなものを選んで、作らせてくれる、ということのようです。
人目を気にし、うまくできない自分が恥ずかしく、こういうことには手を出さない私でしたが、今日はどういうわけか、やりたくなり、迷うことなく材料を手に取り始めました。
一緒にいた妻も、初めこそ、躊躇した様子でしたが、すぐに材料を集め始め、その様子に気づいた職員の方が出てきて説明もしてくださったので、二人で夢中になって取り組んでしまいました。
これが一人だったら、どうでしょう…
ちらりと目線を送り、内心、やりたいな、と思いながらも、
「早く駅に行かなきゃ〜」
とか、
「あ、新しく出たポケモンを捕まえたいな」
などと、もっともらしい言い訳を自分に言い聞かせて、立ち去ったに違いありません。
お子さんを甘やかすまい、と自分の力でやらせることを心がけるのは、とても素晴らしいことです。
が、それにこだわりすぎると、かえって自分の力でできなくしてしまうようです。
お母さんや親しい友達など、安心できる人と一緒に取り組むことで、心にゆとりができます。
その積み重ねが、お子さんの心をたくましくし、新しいこと、不安なことでも、やってみようと思える強さに繋がるのです。
ぜひ、安心して、手をかけてあげてほしいと思います。
2016年
12月
05日
月
なんのかんの言っても、やはり押し付けはイヤ。
「今でいいのかな…」
「大丈夫かな…」
ちょっと意識するだけで、大いに効果がある。
先日、とある自動車ディーラーに行きました。
これまで購入したことのないお店でしたが、吉祥寺の街を歩いている時、チラシを手にし、行ってみてもいいな、と思ったのでした。
より正確に言うと、3週間ほど前にチラシをもらい、翌日には行ったのです。
が、試乗車がない、とのことで、手配できたら連絡する、という話で、その後、何もなかったのです。
実際、私としてもそのディーラーのことをすっかり忘れていました。
そんな時、「試乗車が来ました」と電話をいただき、
「あ、そうだった」
ということで、行ってみたということです。
試乗そのものは、まあ、楽しかったです。
が、低速で走っている時のギア選択がスムーズでないのか、どうもギクシャクする感じがあることと、アクセルペダルとブレーキペダルが近く、気をつけないと、ブレーキペダルを踏む時、一緒にアクセルペダルも踏んでしまいそうなのです。60点ぐらいの満足度で、お店に戻って来ました。
思えば、今は12月です。
月末までに納車しようと思えば、手続きの諸々を考えると、リミットが近づいています。
当然、営業マンはクロージングを焦ります。
とうとう、
「もう、今、決められませんか?」
と言われ、閉口して帰って来ました。
初めての試乗で、今決めろ、と言われても、そこに心を動かされる熱意は感じられませんでした。
そもそも、その車にさほど満足していないのですから、どんなアプローチがあっても、決める可能性は、とても低いわけです。
それに加えて、3週間の放置を経て、15分の試乗で、はい決断しませんか?は無理ですね。
強引に背中を押してもらえることは、車のように大きい買い物では必要なことでもあると思います。
が、背中を押す価値があるのは、押してほしいと本心では思っている時だけです。
当たり前のことですよね。
押す人の都合で、押されても困ります。怖いだけです。
お子さんに勉強や、生活習慣の改善、実行を求める時、このことを少し考えてみてほしいな、と思います。
子どもにとって、ウキウキするようなことでもない限り、実際上は、「押し付け」が必要です。
ただ、あまりにいつでも押し付けでは、それだけでやる気が無くなります。
「今、大丈夫かな…」
と、頭の片隅で考えてみるだけでも、そのゆとりがお子さんには救いになるのです。
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兵庫県西宮市の市長さんが、中高生の集会で、過去の不良体験を自慢し、問題になっているそうです。
時事通信
この話は、今朝のテレビ番組でも取り上げられており、上記の記事より、少し詳しく報道されていました。
西宮市が中高生の夢実現を応援するイベントを開催し、その際、
「若者には、学校・家庭以外の居場所が必要か」
というテーマの下での発言だったそうです。
鍵を盗んで合鍵を作り、居場所を作って喫煙していた、などとの発言をしたその場には、市議会議員も同席していた上、市長自身のブログにも発言は掲載されていたとのこと。
そりゃ、問題になるな、と思います。
私が同じことを教室で発言していたら、お母さん方は怒りもするでしょうし、そんな先生のところに子どもを預けて大丈夫か、と心配にもなるでしょう。
はっきり言って、私自身は、喫煙もしたことはありませんし、鍵を盗んで合鍵を作ったこともありません。それは中高生時代だけでなく、今までも、です。
あ…
より正確に言うなら、火のついたタバコを口にくわえたことはあります。
それも、真面目に二十歳をすぎた後のことですし、どうも私にはタバコは合わないようで、今のところ、吸いたい衝動にかられたこともありません。
とはいえ、私にもいろいろな失敗があり、恥ずかしい思いもしました。
怒られるようなこともして、運よくバレなかっただけ、ということもあります。
そんな「武勇伝」(というほどのものでは、本当にありませんが…)をうまく活かす方法は、たった一つです。
それは、
・そういう失敗をして、悩んでいる子に対して、
・一対一で、静かな場で
伝えるということです。
まさに今、中学生でも、高校生でも、喫煙したり、自分たちの隠れ場所で悪さをしたりしていて、何の罪の意識もない人に対して、自分の不良体験を告白したところで、
「だから?」
というだけです。
逆に、そんなこと、全くしたいとも思っていない、している人を見て、やめとけばいいのに、と思っている大多数の中高生にとって、そんな武勇伝は、
「この人、大丈夫?」
と心配させるきっかけになるだけです。
でも、中には、したくもない喫煙に逃げている自分、悪ぶっている自分が、本当は嫌で、真面目になりたいけど、どうせ自分にはできない、と自意識過剰になって、悩んでいる人もいるでしょう。
そういう人にとっては、悪さの告白も、希望の素になるでしょう。
喫煙などを悩んでいる、というのなら、
「本当はそんなことをしたくないし、いい子でいたいけど、どうせボク(ワタシ)には、できない」
という「どうせ星人」である部分もあると思います。
そういう人にとっては、別人の過去の失敗談が、励ましの材料にもなります。
ただし、それはあくまで、一対一の、閉じた、ひっそりしたコミュニケーションの中で、です。
市が主体になって、数百人を集めた場、市議会議員も同席するような公の場で、全体に話すようなことではなく、ブログで全世界に公開するようなことでもありません。
発言の全てを聞けば、このような発言は、瑣末な一部であって、トータルでは中高生の心の枠を外し、本当にやりたいこと、ありたい姿に向かっていくことを強く励ます話に聞こえたのかもしれません。
ただ、このような発言をしてしまえば、その部分を問題にされることは、仕方のないことですね。
そして、自身の過去の経験は、失敗談やいわゆる武勇伝も、単なる悪さ自慢ではなく、悩んでいる人を励ますこともできるのではないか、と私は感じます。
真に中高生の夢実現を応援し、
「こんな自分でもできるかな…」
と背中を押すためには、一対一で、ひっそりやってほしかったな、と思います。
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逆をやってみると、思いもよらないことが起こる。
もう、10年以上前のことです。
私が、担任になって、まだ数年という頃でした。
私の勤める学校の算数は、かなり多くの量をさせるという面があります。
この話は、3年生の算数なのですが、大きい数のたし算という単元では、7桁+7桁など、桁数も多く、繰り上がりもある計算をA4問題集で3ページ、一気にやる、ということもあります。
すると、もう多いというだけで、やる気がなくなってしまう子もいるものです。
本当はできるのですが、一度に多くのものを提示してしまうだけで、やる気がなくなってしまうのですね。
さて、そんな時、10年前の私は、ただ、直球勝負でやることだけを求めていました。
それでやり始めてしまえば、ほとんどできてしまうのですが、石のようになって、やらない子もいたものです。
そんなある日、私は、逆をやってみよう、と思い、
「じゃ、先生がやっちゃうね」
と言って、その子の横に座り、何問か解いてみせたことがあります。
もう、何度か説明したことであっても、ポイントをわざと丁寧に伝え、繰り上がりは、ここに書くと見やすいね、などとずいぶん、優しく語りかけました。
そして、だまって鉛筆を渡すと、あとはその子も、黙々と解いていました。
これを甘やかしとみるか、出足の背中を押してあげたとみるか、もう、私にとっては、どちらでもいいのです。
少なくとも、その時、たくさんの課題を目の前にして、やれずにいたその子が、やり遂げることができたということで、もういいのではないでしょうか。
そして、その子が何かあるたびに、いつも私に甘えてきたか、というと、そんなことは全くないのです。むしろ、手がかからなくなったぐらいです。
このあたりのやり方は、人によって違っていいのです。
大事なことは、当たり前だと思っている取り組み方の逆を試してみると、意外な結果を生むということです。
ですから、私にとって、この取り組み方が当たり前になってきたなら、あえて、
「やかましい!やれ!」
ということが、事態を動かすことも、大いにあるわけです。
あなたが当たり前だと思っていることは、どんなことですか?
毎日の用意を自分でするのが当たり前。
冬休みに入っても、朝は7時に起きるのが当たり前。
その当たり前で、困っていないなら、問題ありませんが、何か困っていることがあるなら、大人から見て当たり前のことが、子どもには当たり前ではないかもしれない、と意識することだけで、少し風穴があきます。
子どもは、大人が決めた、当たり前の枠組みを壊そう、壊そうとしているのかもしれません。
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金
笑って済ませるって、すごい。
吉祥寺には、アトレ吉祥寺という駅ビル(?)があります。
その中には、いろいろなお店があるのですが、私がたまに行くのが、あるドーナツ店です。
このお店は、20時を過ぎると、全品100円になる日が多いのです。
私の勤務体系の場合、帰りにちょうどその時間になることが多く、ちょっとしたおみやげに最適なわけです。
さて、先日は、そのドーナツではなく、お気に入りの生春巻きを買おうかと、アトレ吉祥寺に入りました。生春巻きをつまみにビールでも…という魂胆です。
すると、ドーナツ屋さんの横を通過したところで、20時になったようです。
初老の夫婦がドーナツを買い、通路に出たところで、
「全品100円」
の札を店員さんが出しました。
おいおい、そりゃないよ~
と私は思いました。
私だったら、悔しくて、
「もう、この店には行かない!」
と、スネてしまったかもしれません。
ところが、このご夫婦は、
「え~知らなかった~」
と二人で大爆笑していたのです!
すごいなあ~
と私は、自分の小ささを見せつけられた気になりました。
私が店員さんなら、ご夫婦が去り、目に入らなくなってから、100円の札を出したとは思います。
数秒の話なのです。
その配慮で、お客さんを怒らせてしまうことを防げます。
どうせ、20時から100円になるのは、常連さんなら知っています。
みんな、今か今かと、他のお店を見ているふりをして、待っているのです。
数秒待ったところで、何ともないのです。
とはいえ、今日のテーマは、店員さんの配慮ではありません。
この夫婦は、大笑いで気持ちをすっかり変えてしまいました。
自分たちが損をさせられた、と気持ちを汚すことなく、あっさりと、楽しいことに変えてしまった…
やはり、笑ってしまうことは大切です。
水に流す、という言葉があります。
私は、とても大事だと思います。
が、なかなか、流してしまうことは素直な気持ちとしては難しい。
けれど、大笑いしてしまうと、流しやすくなりそうです。
楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しくなるのですね。
笑われることは、バカにされること、と思う方もいらっしゃるでしょう。
まあ、確かに、そういう場合もあります。
が、そうでないことの方が多いと思うし、自分の方が主体的に「笑う」ことは、自分が気持ちを明るくするテクニックなのだと思います。
今日は、何について、笑いますか?
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