2016年

12月

01日

まずは、「なるほどね」の一言からでも、お子さんを尊重できる。

大切にしたいこと…

それは、子どもでも、誰でも、あんなに嫌いなアイツでも、尊重すること。

一番、イヤなこと…

それは、バカにされること、見下されること、流されること。


これらは、同じことを両面から見ただけの話です。
どちらの表現から考えても、お伝えしたいことは同じです。

子どものケンカを見ていて…
私自身が生活の中で感じたことを振り返ってみて…
いろいろな人と話をしていて…
こう感じます。

大切にされた。
尊重された。
と感じた時には嬉しくて、自分に価値があるように思えて…

バカにされた。
軽く扱われた。
と感じた時には腹が立って、自分のダメさ加減を突きつけられたような気がして…

だから、相手が誰でも、イヤなアイツこそ、尊重することで、心の波風は、ずいぶん減るように思います。

子どもは、まだ経験も足りず、失敗も足りない。
だから、あれもさせておかなきゃ、これも教えておかなきゃ、そういうことも言っておかなきゃ…

まぁ、そうなのですが、子どもなりに経験してきたことがあり、考えていることがあり、予想していることがあります。

「なるほどね」

その一言だけでもかまいません。
それも、尊重につながる言葉です。

気をつけないと、教えよう、失敗させないようにしよう、というお題目の下、
「いや、そうじゃなくてね」
と言葉を始めてしまいがちです。

正しいことを教えてほしいけど、否定ありきでは、聞けなくなりますよね。
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2016年

12月

02日

流れに身を任せることは、諦めではない。

流れに身をまかせることは、諦めではない。

あ〜川の流れのように〜♩

妙に頭の中で流れる曲です。

ところが、日常生活の中で、流れるままにされることは、いけないこと、恥ずかしいこと、流されないように、あんな踏ん張り、こんな努力をしなきゃ!という気持ちになってしまいませんか?

一方で、どんなに努力しても、ムリなことはあるし、自分にとっては、何の努力もしていないのに、人からスゴい!と言われてしまうようなこともあります。

せっかく褒められるようなことなのに、なんだか居心地の悪さを感じたり、罪悪感を持ったりしてしまうかもしれませんね。

確かに、努力すること、目標を定めて、逆算していくことは大切だとは思うのですが、努力・目標至上主義も、また行き過ぎかな、と感じます。

勤勉・努力・倹約…

確かに、確かに大事だと思います。
が、そこに価値を置きすぎることで、想定していなかった価値を見出す可能性を摘んでしまうこともあると思います。

「うん?何か行き詰ったぞ」

という時は、川の流れに身を任せるタイミングかもしれません。

流れに身を任せることは、努力の放棄ではないと、考えることが大切です。
ふさわしいステージに流れ着くことになると思います。

2016年

12月

03日

大切なことを伝えたい時に、意識してほしいこととは…

勝負は、いかにして言葉を減らすか。

 

何かを伝えよう、できるようにしようと、懸命になると、どうしても言葉が増えてしまいます。

 

そこには問題点が二つあります。

 

まず、言葉が多くなると、その分、子どもにとっては、理解するのにエネルギーを使います。

 

私たちも同じだと思うんです。

以前、海外旅行に行った時、預けた荷物の中に、調べたいものがあるから、別室に行くように、と言われたことがあります。ドイツのドレスデン空港です。

 

相手が何を言おうとしているのか、なんとなくはわかりますが、それがどの程度、重大なのか、そして、具体的にどこに行けばいいのか、どうやってそこに行けばいいのか、私の頭の中は、不安でいっぱいになりました。

 

結局、成田空港で出国時に買った、母に頼まれた口紅の形状が気になった、とのことで、必死で説明したところ、一同、大笑いとなって、私は目的の便を待つことができました。

 

いっぺんに色々言われてしまうと、それだけでも大変です。

何を、どうすればいいのか、わかりやすくするために、言葉を減らす、絞ることが大切です。

 

そして、もう一つの問題点は、こちらの熱意が高まることで、言葉というよりも、心のエネルギーが子どもにプレッシャーをかけるということです。

 

子どもが何かに失敗する。

しかも、大人からすると、それは重大なことだ、という場合、何とかしよう、ここでそれに気づかせよう、早く乗り越えさせよう、という気持ちになるのは、当然のことです。

 

そして、心のエネルギーがどんどんチャージされ、パワーのこもった言葉が放出されます。

 

ポケモンのバトルを思えば、伝わるかもしれません。(最近、めっきり、やらなくなってしまいましたが…)

 

大切なお母さんの熱意は、子どもに大いに影響を与えます。

ここぞという時には、言葉の優劣や具体的ノウハウの良し悪しなんかよりも、よほど、お子さんの心を動かし、実際の行動につながるでしょう。

 

しかし、それがあまりに多いと、お子さんには余力が残っていません。

 

「あ、これは大事なことだぞ、ちゃんと伝えたいな」

 

ということこそ、まずは大人が肩の力を抜いて、オーラでお子さんを圧倒しないような配慮が必要です。

 

最近は、繊細な子が増えているとも感じます。

子ども自身が、うまくやりたいし、お母さんには笑っていてほしいのです。

 

まずは、いかにして言葉を減らすかを意識していただきたいと思います。

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2016年

12月

04日

「もう、いい加減、自分でやってよ!」と思うなら、こうしてみてください。

あと一歩、自分の力で先に進むためにこそ、今は一緒にやろう。

 

「あ〜おもしろそう」

「いいな、やってみたいな」

という素朴な気持ちも、

 

「どうせムリ」

「ボク(ワタシ)には合わない」

などと、できない、しないことを当たり前にしていませんか?

 

お母さんや友達と一緒なら、一歩を踏み出せます。

それは、甘やかしではありません。

喜んで、一緒にやりましょう。

 

 

今日の朝、穏やかな空気に誘われて、井の頭公園に入りました。

本当は、吉祥寺の駅に向かう予定でしたから、普通なら公園に入らず、大通りを駅に直行するところだったのです。が、木々の色づきも素敵でしたし、歩くのもいいな、と思ったのでした。

 

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、公園に入るとすぐのところに、管理事務所があります。

 

すると、

「リース作り 材料が無くなり次第、終了」

と書いてありました。

事務所の出入り口には、公園内で集めた枝、木の実、葉などがあり、どうやら、好きなものを選んで、作らせてくれる、ということのようです。

 

人目を気にし、うまくできない自分が恥ずかしく、こういうことには手を出さない私でしたが、今日はどういうわけか、やりたくなり、迷うことなく材料を手に取り始めました。

 

一緒にいた妻も、初めこそ、躊躇した様子でしたが、すぐに材料を集め始め、その様子に気づいた職員の方が出てきて説明もしてくださったので、二人で夢中になって取り組んでしまいました。

 

これが一人だったら、どうでしょう…

ちらりと目線を送り、内心、やりたいな、と思いながらも、

 

「早く駅に行かなきゃ〜」

とか、

「あ、新しく出たポケモンを捕まえたいな」

などと、もっともらしい言い訳を自分に言い聞かせて、立ち去ったに違いありません。

 

お子さんを甘やかすまい、と自分の力でやらせることを心がけるのは、とても素晴らしいことです。

 

が、それにこだわりすぎると、かえって自分の力でできなくしてしまうようです。

お母さんや親しい友達など、安心できる人と一緒に取り組むことで、心にゆとりができます。

 

その積み重ねが、お子さんの心をたくましくし、新しいこと、不安なことでも、やってみようと思える強さに繋がるのです。

 

ぜひ、安心して、手をかけてあげてほしいと思います。

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2016年

12月

05日

お母さん!お子さんにそれを伝えるのは、今ですか?

なんのかんの言っても、やはり押し付けはイヤ。

 

「今でいいのかな…」

「大丈夫かな…」

 

ちょっと意識するだけで、大いに効果がある。

 

 

先日、とある自動車ディーラーに行きました。

これまで購入したことのないお店でしたが、吉祥寺の街を歩いている時、チラシを手にし、行ってみてもいいな、と思ったのでした。

 

より正確に言うと、3週間ほど前にチラシをもらい、翌日には行ったのです。

が、試乗車がない、とのことで、手配できたら連絡する、という話で、その後、何もなかったのです。

 

実際、私としてもそのディーラーのことをすっかり忘れていました。

そんな時、「試乗車が来ました」と電話をいただき、

「あ、そうだった」

ということで、行ってみたということです。

 

試乗そのものは、まあ、楽しかったです。

が、低速で走っている時のギア選択がスムーズでないのか、どうもギクシャクする感じがあることと、アクセルペダルとブレーキペダルが近く、気をつけないと、ブレーキペダルを踏む時、一緒にアクセルペダルも踏んでしまいそうなのです。60点ぐらいの満足度で、お店に戻って来ました。

 

思えば、今は12月です。

月末までに納車しようと思えば、手続きの諸々を考えると、リミットが近づいています。

当然、営業マンはクロージングを焦ります。

 

とうとう、

「もう、今、決められませんか?」

と言われ、閉口して帰って来ました。

 

初めての試乗で、今決めろ、と言われても、そこに心を動かされる熱意は感じられませんでした。

 

そもそも、その車にさほど満足していないのですから、どんなアプローチがあっても、決める可能性は、とても低いわけです。

 

それに加えて、3週間の放置を経て、15分の試乗で、はい決断しませんか?は無理ですね。

 

強引に背中を押してもらえることは、車のように大きい買い物では必要なことでもあると思います。

 

が、背中を押す価値があるのは、押してほしいと本心では思っている時だけです。

当たり前のことですよね。

押す人の都合で、押されても困ります。怖いだけです。

 

お子さんに勉強や、生活習慣の改善、実行を求める時、このことを少し考えてみてほしいな、と思います。

 

子どもにとって、ウキウキするようなことでもない限り、実際上は、「押し付け」が必要です。

 

ただ、あまりにいつでも押し付けでは、それだけでやる気が無くなります。

「今、大丈夫かな…」

と、頭の片隅で考えてみるだけでも、そのゆとりがお子さんには救いになるのです。

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2016年

12月

06日

今日、お子さんを怒ってしまい、ショゲているお母さんのためだけに書いたヒント

どうしたら怒らずにいられるか…

怒っている自分を認めること。
自分に怒らないこと。


私が子どもの頃の先生は、よく怒っていたような気がします。

いわゆる体罰もあったと思いますが、自分だけ、ということもなかったですし、怒鳴られても、まぁ、そんなに心に残ることもありませんでした。

あんなに怒っていた先生や大人は、罪悪感があったのかな、と思うと聞いてみないとわかりませんね。

ただ、先生となった私は、怒った後に罪悪感を感じることが、とても多かったのは事実です。

言葉では、何かをやらかした子どもを責めていますし、当然、怒られている子どもも責められた感覚を持っているのですが、実のところ、自分自身のことも責めているなぁ、と感じます。

そして、今日は怒るまい、と決めて怒った後の虚しさ…

そんな若かりし頃のある日、ある子にこんなことを言われました。

「アイツはいいなぁ、いつも先生に見てもらえて…」

本当にビックリしました。

「アイツは迷惑だよね」
ではなく、
「先生、そんなに怒らないで」
でもなかったのです!

そうか…
怒られるって、関心を持っていることの裏返しでもあるのか…

怒るまい、怒るまいと肩に力を入れることで、結局、怒るハメになり、自己嫌悪に…

そんなぐらいなら、怒って当然!
と開き直っていいのでは、ないでしょうか。

その後の私…
もちろん、いろいろな時に怒っています。

でも、いちいち自己嫌悪に陥って、ウジウジすることは、ずいぶん減ったと思います。

まして、お母さんなのです!
大切なお子さんへの想いは、私なんかの数万倍です。
怒っていいのです。

2016年

12月

07日

先生!あなたは、どんな子を育てたいのですか!? え、ええと…

どんな子を育てたいか…
自分の道を淡々と歩む子。

大変なこと、スゴイこと…
そんな意味づけは、しなくてもいい。


「どんな子を育てたいか?」
私が最も苦手とする質問の1つです。
なぜなら、子どもには、それぞれの個性があって、大人の側から、どう育てるか、という見方などないからです。

個性があるのは当然で、あえて「個性尊重」などと、アピールする必要もありません。(逆に、個性を大切にしますなどと声高らかに言っているのは、アヤシイと私は感じます)

私には、その子らしさがイキイキ輝き、その子自身がワクワク毎日を過ごせるために、大人は何ができるか、という表現が一番、しっくりきます。

とはいえ、実際の生活上は、私のような考え方をする人ばかりではありません。

子どもには、望ましい何かを「与える」「教える」「指導する」ことが大人の責任だという考え方も根強くあります。

確かにそうです。
私だって、教師としての生活は、有無を言わさず、何かをさせることに、大いに心を砕いています。

が、同じことをやっても、ベースにある考え方が

・この子らしさは、すでにある。どう引き出すか…
・この子をよくするために望ましいことを、どう与えるか…

というどちらなのかは、とても重大な違いです。

とはいえ、いずれにせよ、子どもにさせることに変わりはないし、起きる出来事に変わりはないのです。

その時に必要な課題を出し、その時に起きた出来事に真摯に向き合う、それだけのことです。

どんなに素晴らしい先生のアドバイス通りにやったって、育児書通りにやったって、子どもの前に壁は現れます。

「あ〜大変…」
「なんて、とんでもないことが!」
「どうしてウチの子だけ、そんなトラブルに…」

と言いたくもなることもあると思います。
が、苦しい時こそ、一歩離れて、カフェでぼんやり周りを見ていると、

「おや?ウチだけじゃないぞ」
「うん?大したことじゃないのか…?」

など、視野が広がる瞬間があります。

こりゃ大変〜!
うわ〜スゴい!

と、出来事にハデな色をつけることも、時には必要ですが、生活の98パーセントは無色で、当たり前の淡々としたものでもいいのです。

特に、大変なこと、ツライと感じることが起きている時こそ、無色でもいいということを意識したいと思います。

「先生は、どんな子を育てたいのですか?」

よく聞かれることです。
「その質問は、私には〜」
と、自論をかますことなく、サラリと、

〜自分の道を淡々と歩む子〜

と答えたいと思います。
私自身、今も挑戦中なのです。

2016年

12月

08日

お母さん!キチンと温かい言葉をかけて「もらって」いますか?

口ぐせを気にかけたい。


かつてのクラスで、子どもから、こんなことを聞かれました?

「先生、あくまでってどういうこと?悪魔?」

私は、どうやら、あくまで、という言葉が口ぐせになっていたようです。

言われてみれば、言っていました。

「あ〜それは、あくまでも、噂でしょ」

などと、言っていた意識があります。

「あくまで」

なら、まぁ、大した害もないでしょうが、子どもによっては、

「ヤダ!」

が口ぐせになっていることがあります。

え?
考えたの?

と思いますが、何かを言うと、

「ヤダ!」

なのです。
ヤダヤダ星人です。

他には、

「どうせ〜」

このブログでも、何回か書いた、どうせ星人もいます。

逆に、

「わかった」
「うん」

などと、なんでもオッケー星人もいます。
こういう人にとっては、ヤダヤダ星人は師匠になりますね。

どんな口ぐせがいいかは、ケースバイケースです。
とはいえ、多くの場合、ヤダヤダ星人やどうせ星人のネガティヴ口ぐせを明るく、受容的なものにすることが大切です。

そのためには、身近な大人が受容的な口ぐせを持っていなくてはいけません。

だとすると、大人こそ、受容的な言葉をかけてもらい慣れていないといけません。

「あ〜大変でしたね〜」
「頑張ったんですね〜」
「ステキですね〜」
「いいですね〜」
「さすがですね〜」
「よく、できましたね〜」

あなたに、温かい言葉をかけてくれるのは、誰でしょうか?

もし、万が一、誰もいないなら、いや、たくさんいたとしても、ぜひ、このブログを読んでみてください。

私は、いつでも、お母さん方のスゴさを感じ、ステキですね〜とメッセージを発信しています。

「さすがですね!」

実は、言っている方が、気持ちを温かくできるのです。
ぜひ、お子さんに、身近な方に、温かい言葉を口ぐせにしてみてください。

2016年

12月

09日

イライラを吹き飛ばし、毎日を明るくする言葉とは…

毎日を明るくし、イキイキ過ごせる最強の言葉は…

「悪い〜?」


かつてのクラスでの話です。
とても私のことを慕ってくれる子がいました。
昼休み、遅い子がお弁当を食べ終わるのを待っていると、わざわざ、一度教室に戻って来て、

「さ、先生、遊ぼ〜」

と、言ってくれるのでした。

ある時、そんな彼女をバカにする子が現れました。

「おい!お前、また青木先生のところに行くのかよ。赤ちゃんじゃないの!?」

すると、彼女は、

「そうだよ。悪い〜?」

と一言だけ言い残し、彼をスルーして教室に入ってきました。

私は、この一部始終が聞こえていたので、様子が眼に浮かぶようでした。

その後、彼女は全く、からかわれることもなく、平穏に、淡々と毎日を過ごしました。

私はこの会話から、本人の罪悪感がないこと、腹が据わっていることって、すごいなぁ…と思いを新たにしました。

こちらが気にするから、相手も攻撃しやすいのです。
「赤ちゃんじゃないの〜」
と言われて、真っ赤になって俯くでもなく、しつこく言い返すでもなく、キレるでもなく、

「そうだよ。悪い〜?」

という、明確で、端的で、それでいて相手の大事なところに一撃を加えた言葉は、私にとって、思い出深いものです。

私自身、実は、なかなかそれができません。
いちいち、人目を気にし、これでいいのか、バカにされないか、責められないか、いつもウジウジ考えています。

でも、結局は、したいことを損得抜きでしてしまうし、欲しいものはローンででも買ってしまうし、言いたいことは言ってしまうので、前半のウジウジは、エネルギーのチャージのようなものかもしれません。

「そうだよ。悪い〜?」

あなたは、いつ使いますか?

「なんでお母さんはテレビ見てるのに、僕に勉強させるの?遊んでいたいのに…」
「え?悪い?」

素晴らしい会話です。

はい?
いつでもこうなってる?

それでも、無視して、やらないんです!

だったら、その方法はマンネリ化しているということですね。

あるいは、悪い?の他に言葉を足していませんか?間を取ることも大事なヒントです。

「ねえ、なんでやらなきゃいけないの?」
興奮したお子さんに聞かれたなら、一息…5秒ぐらい数えてから、

「やらせちゃ、悪い?」

勝負は一発です。
グサリと一言だけ、お願いします。

2016年

12月

10日

お子さんのブランド力は、毎日の積み重ねで高まる。


利用できるものは、利用しよう。

先日、あるお母さんと話していて、スーパーの話になりました。

私が、とある激安スーパーの名前を出すと、
「先生がそんなスーパーに行ってるなんて、イメージつきません…◯◯や△△(いわゆる高級スーパーの名前)に行かれていると思ってました」
と言われてしまいました。

いやいや…
どんなスーパーだって行きますよ。
バッチリ、シルク混の生地でテカったスーツを着て、端正なウールのコートを着て、激安スーパーに出かけます。

そんな話で大笑いした後、まぁ、そう思ってもらえるなら、それはありがたいことだな、と思いました。

逆に言うと、日々の積み重ねがそういうイメージにつながったと思うと、今までやってきたことは、ムダじゃなかったな〜とまで思ってしまいました。

これまで、こんなことにお金を使っていいのか、と葛藤しながら買った洋服の数々…

ドキドキしながら、平然としたフリをして入った高級レストラン…

私がお菓子を買って行くと、同僚に、
「青木先生が選んだんだから、何か有名なんでしょ…」
と言われたことがあり、かつてはプレッシャーでした。こりゃ、変なものを買っていけないぞ…なんて思いが湧き上がったものです。

でも、その域に達してしまえば、トクだなぁと思うんです。

お母さん方は、毎日、毎日、お子さんにアレをさせて、コレをさせて、しかも早く寝させてと、大変だと思います。

その積み重ねは、ふとした時に、
「◯◯くん(ちゃん)なら、大丈夫でしょ〜」
という個人ブランドとなることにつながっています。

毎日の生活の中では、そんなブランドが積み上がるなんて、思えないかもしれません。

が、ある時、きっと誰かから、思いもよらないタイミングで、積み重ねを認めてもらえる瞬間がきます。

母が、自分の都合で、私を伊勢丹の地下食品街と洋服売り場(おもちゃ売り場ではないのが、その頃は本当に残念でしたが…)に連れ回したことは、こんな形で認められることになったようです。

お母さん!
ぜひ、ご自身の都合で、お子さんに何かを積み重ねていただきたいと思います。

2016年

12月

11日

お子さんを思い通りに育てる方法を知りたいですか?

お子さんを思い通りに育てる方法。
 
それは、こんな風にだけはしたくないというリストを書き出して…

2、3日前のことです。
卒業生がアルバイトをしているスタバがあり、ちょっと顔を見たいと寄ってみました。

残念ながら会えませんでしたが、せっかく来たことですし、一息いれることにして、席についたところ、少し離れた席に座っていたお兄さんが、けっこうな咳をしていることに気がつきました。しかもマスク無し…

こんな学期末、しかも今年の私は長期休み中の方が、責任者としての仕事が多いため、風邪は引きたくないのです。

せめてマスクしてくれよ〜
と思いました。

にもかかわらず、席を動かなかった私…
離れたテーブル席に空席もあったのです。
でも、妙に人目を気にして、あるいは意地になって動かなかった私…

そんなことを自問しているうちに、こうやって他人に対してイラっとしていることって、実は自分のイヤなところなんじゃないか、と思ってしまいました。

そこで、私は持っていたメモ帳に、自分にとって、こんな人はありえない、という人を書いてみました。

・好き勝手やっている人
・人に仕事をさせて、自分は自由にしている人
・人に守ってもらっている人

などなど、とてもここには書けないようなことも含めて(皆さんは、そっちを知りたいかもしれませんが…)、12個ほど書きました。

すると、それは、まさに自分そのものでした!

・私は好き勝手やっています
・私は大学生の指導員さんに仕事を預けて自分のことをしています
・私は本当に、いろいろな人に守ってもらっています

あ〜
マスク無しで、咳をしまくるところが、私にもある!

いや、実際のところ、私ならマスクをしますし、そもそも、そんな時にスタバには行きません。が、他の場や状況では、同じようなことはしているでしょう。

そうか…
私って、こんな風にだけは、なりたくないことを、もうしていたんだ!

何にも繕う必要はなかったのです。
もう、どうせ周りにはバレていたんです。

好き勝手な人と思われていたし、
人に仕事させて、自分は自分のことばかりして〜と思われていたし、
人に守ってもらってる、と思われていたんです。

卒業生の顔を見て、励ますか、などと偉そうなことを思ってスタバに行ったわりに、励まされたのは私でした。

ぜひ、お母さん方も、お子さんをこんな風にだけはしたくないリストを書き出してみてください。恐ろしいほどに、今のお子さんの様子と重なると思います。

そして、それが逆にお子さんだけの魅力なのです。
それがあるから、お子さんはお子さんらしくいられるのです。

こんな風にだけはしたくない!

え?
もう、こんな風じゃない…!?

そっか〜
それがこの子の魅力なのか…

そう心の底から思えた時、そのイヤなことが気にならなくなっていると思います。
最後に、書かないつもりだった私の「こんな人はありえないリスト」から1つだけご紹介します。

それは、大金を慈善事業なり、寄付なりをする人です。
一般的には尊敬されるようなことですよね。

でも、私は、なぜだか、そんな、お大尽的存在にイライラを感じていました。要は、それがしたいのにできない自分に焦りを感じていたのですね。

いくらが大金なのか…
そんなことは他人の視点です。
私にとっての大金を、惜しげも無く寄付に使う!

さっそく、勤めている学校のクリスマス献金でやってみました。
妙にくすぐったくて、落ち着きませんでしたが、新しいステージが開けたような気がしています。

2016年

12月

12日

イラっとしたり、怒鳴ったり、時には手を上げたり…それでもいい。たった1つ、これを意識してほしい。

どうしたら、毎日を明るく、幸せにできるか。
お子さんの気持ちを明るくできるか。

イラっとしたり、怒鳴ったり、時には叩いたりすることもあると認めること。

そして、今日は何が嬉しかったかな、と考えること。


実は、私、この1ヶ月ほど、とても幸せなんです。
もちろん、車で走っていて、急に割り込まれてイラっとしたり、乗ろうと思っていた電車が目の前で行ってしまいキーッとなったり、昨日の記事のように、デリカシーなく咳を振りまく人に腹を立てたりもしました。

が、トータルで、毎日、幸せで、明るい気持ちで過ごしています。

これはなぜなのか…
それは、具体的な日付は覚えていませんが、
「あ〜今日は、いい日だなぁ」
と思ったからです。

確か、去年まで担任していたクラスの子が、何か嬉しくのるようなことを言いに来てくれたんだと思います。

嬉しかったはずの言葉を覚えていないのも申し訳ないのですが、それがスタートだったことは確かです。

「あ〜今日は、いい日だなぁ」

の一言は、妙に私の心をとらえました。
翌日も、今日はどんなことが、嬉しかったかな、と考えるようになったのでした。

すると、いろいろ芋づる式に出てきます。
立ち話でかけていただいた、あるお母さんからの言葉…
「先生がいてくれないと困ります…」
こういう言葉の1つ1つが、本当にありがたいものです。

この間、具体的に何か大きなイベントがあったか、というと、ないわけではありませんが、それは結果論です。

あくまでも、毎日の心境であり、いつもの会話、生活なのです。

いや、ムリにいい日にしようと力んでいるわけではありません。

上に書いたように、イラっとしたり、腹を立てたり、誰かの文句を言ったり、実にドロドロした部分も、確実にあります。

が、それに支配されなくなった、というのが、正確な表現だと思います。

嬉しいことばかりにする必要はないのですね。
ムカついて当然、グチを言って当然、イヤなことがあって当然で、同時に同じだけ、嬉しいこと、幸せに感じられることがあると決めただけです。

全部、白の日はない。けど、全部、黒の日もない。
あるのは、白と黒がまだらの、101匹ワンちゃんのような毎日です。

そういえば、最近、あのまだらの犬を見かけなくなりました。イヤなことが続いたら、ぜひ101匹ワンちゃんを思い出してみてください。

2016年

12月

13日

お子さんに、手がかからなくなったとしても、お母さんには、他に代えられない価値がある。


あ〜こんなにイヤなことなのに、無いと寂しい…

先月、ドラッグストアでミネラルウォーターの安売りがあり、大量に買ってきました。

その数、10ケース。
駐車場から部屋に運び上げるだけでも一苦労でした。

もう、それでイヤになってしまい、玄関にバリケードのように積まれた水の山。

誰か押し入ってきた時は、これで足止めをして戦おう!と決めて、しばらく備えることにしました。

しかし、ありがたいことに、不審者は現れず、バリケードを撤去する覚悟をしました。

なぜなら、下水の高圧洗浄をする業者さんが来ることになったからです…

さて、業者さんがいらっしゃる数時間前にバリケードが撤去された玄関を見て、あ〜スッキリ〜とは思いませんでした。

何だか、あるべきものがない寂しさ…
いちいち、家に上がるのに狭いところを通っていた不便さなんかよりも、靴を履くときにちょっと物を置けた便利さがなくなったつまらなさ…

ハッキリ言って、水のバリケードなど、買い物をしてきた日に片付けておくべきなのでしょう。

やらなきゃ、やらなきゃと、言いつつ、先延ばしにして、そんな自分にちょっと嫌気がさしていたというのに、一念発起(大げさですが…)して、スッキリさせたら、妙に寂しいのです。

お母さん!
もしかしたら、お子さんのことで、悩んでいたり、困っていたりすることが無くなってしまったら、解決してしまったら、寂しいかもしれませんよ。

それでもいいですか?
困っていることを解決して、課題が無くなってしまってもいいですか?

手のかかる子ほどカワイイと言います。
私たち教師にとっても、そういう面があると思います。

私たちの「手」を必要とされなくなったとしても、私たちには存在価値があるし、もし、今の課題をクリアしてしまったら、次の課題を作ればいいのです。

あなたにとって、水のバリケードは何ですか?

2016年

12月

14日

この悪魔の言葉が口から出たら…頭に浮かんだだけでも!要注意。

この言葉が頭に浮かんだら要注意、という悪魔の言葉…

「〜はず」

こちらの思いや都合を押し付けていませんか?



突然ですが、台所のシンクに置いておいたハンドソープが切れてしまいました。

そこで駅の近くにあるドラッグストアに行ってみたところ、取り扱いがありませんでした。

ならば、と帰宅しネットで調べたところ、ありました!

ところが、そこで面白いものを見つけてしまいました…
手をかざすと、電動で一回分が出てくるタイプです。

なんだか病院のアルコールみたいでカッコいいなと思い、注文ボタンをポチッと押していました。

さて、届いた商品には大満足でいいのですが、電動で洗剤を出すために、電池が入っています。そこをカバーで覆うのですが、蓋をしながら、

「大丈夫かな…」

と思いました。
そして、次の瞬間、

「手洗い石けんなんだから、使うのは水回り。水の対策は、されてるはず」

と思ったのでした。
そこで、「はず」と決めつけた自分に気づき、もう一度、電池カバーの様子をチェックし、自分の都合で思い込みをしてしまう怖さを感じました。

「はず」
という言葉は、教室でもよく、聞きます。

ケンカになった時など、泣きながら、
「ぼくがこれを嫌いなのを知ってたはずだよ」
と言ったり…

面談の際などは、
「私の子ですから、理系は大丈夫なはずなんですが…」
とお母さんやお父さんから伺ったりします。

私だって、子どもに対して、
「キミならできるはずだよ」
と言うこともあります。

もちろん、励ます言葉ではあるのですが、話し手の思いが強すぎれば、ただの押し付け、誘導です。言われた方は、うれしさよりも、コントロールされている感覚を強く持つでしょう。

「お母さん(お父さん、先生)は、そう言うけれど、ホントのボク(ワタシ)は違うんだよな…」

その積み重ねは、お子さんにとっては大きなプレッシャーになります。

「はず」
の言葉が口から出ただけでなく、頭に思い浮かんだ時には、こちらの都合や思い込みを押し付けていないか、振り返る機会にしたいと思います。

2016年

12月

15日

西宮市長さんの不良自慢発言に思う、過去の告白を子育てに使うヒント

兵庫県西宮市の市長さんが、中高生の集会で、過去の不良体験を自慢し、問題になっているそうです。

 

時事通信

「西宮市長『中高生時代に喫煙』=議会、反省求め決議案」

 

この話は、今朝のテレビ番組でも取り上げられており、上記の記事より、少し詳しく報道されていました。

 

西宮市が中高生の夢実現を応援するイベントを開催し、その際、

「若者には、学校・家庭以外の居場所が必要か」

というテーマの下での発言だったそうです。

 

鍵を盗んで合鍵を作り、居場所を作って喫煙していた、などとの発言をしたその場には、市議会議員も同席していた上、市長自身のブログにも発言は掲載されていたとのこと。

 

そりゃ、問題になるな、と思います。

私が同じことを教室で発言していたら、お母さん方は怒りもするでしょうし、そんな先生のところに子どもを預けて大丈夫か、と心配にもなるでしょう。

 

はっきり言って、私自身は、喫煙もしたことはありませんし、鍵を盗んで合鍵を作ったこともありません。それは中高生時代だけでなく、今までも、です。

 

あ…

より正確に言うなら、火のついたタバコを口にくわえたことはあります。

それも、真面目に二十歳をすぎた後のことですし、どうも私にはタバコは合わないようで、今のところ、吸いたい衝動にかられたこともありません。

 

とはいえ、私にもいろいろな失敗があり、恥ずかしい思いもしました。

怒られるようなこともして、運よくバレなかっただけ、ということもあります。

 

そんな「武勇伝」(というほどのものでは、本当にありませんが…)をうまく活かす方法は、たった一つです。

 

それは、

・そういう失敗をして、悩んでいる子に対して、

・一対一で、静かな場で

伝えるということです。

 

まさに今、中学生でも、高校生でも、喫煙したり、自分たちの隠れ場所で悪さをしたりしていて、何の罪の意識もない人に対して、自分の不良体験を告白したところで、

「だから?」

というだけです。

 

逆に、そんなこと、全くしたいとも思っていない、している人を見て、やめとけばいいのに、と思っている大多数の中高生にとって、そんな武勇伝は、

「この人、大丈夫?」

と心配させるきっかけになるだけです。

 

でも、中には、したくもない喫煙に逃げている自分、悪ぶっている自分が、本当は嫌で、真面目になりたいけど、どうせ自分にはできない、と自意識過剰になって、悩んでいる人もいるでしょう。

 

そういう人にとっては、悪さの告白も、希望の素になるでしょう。

喫煙などを悩んでいる、というのなら、

 

「本当はそんなことをしたくないし、いい子でいたいけど、どうせボク(ワタシ)には、できない」

 

という「どうせ星人」である部分もあると思います。

そういう人にとっては、別人の過去の失敗談が、励ましの材料にもなります。

 

ただし、それはあくまで、一対一の、閉じた、ひっそりしたコミュニケーションの中で、です。

 

市が主体になって、数百人を集めた場、市議会議員も同席するような公の場で、全体に話すようなことではなく、ブログで全世界に公開するようなことでもありません。

 

発言の全てを聞けば、このような発言は、瑣末な一部であって、トータルでは中高生の心の枠を外し、本当にやりたいこと、ありたい姿に向かっていくことを強く励ます話に聞こえたのかもしれません。

 

ただ、このような発言をしてしまえば、その部分を問題にされることは、仕方のないことですね。

 

そして、自身の過去の経験は、失敗談やいわゆる武勇伝も、単なる悪さ自慢ではなく、悩んでいる人を励ますこともできるのではないか、と私は感じます。

 

真に中高生の夢実現を応援し、

「こんな自分でもできるかな…」

と背中を押すためには、一対一で、ひっそりやってほしかったな、と思います。

2016年

12月

16日

お母さん、気づいていますか?この言い方が、お子さんのやる気を無くしているって…

この言い方は、やりたくなくなる!

お願いなんて、されたくない。
お願いされたら、嫌になる!


先日、吉祥寺のサンロードを歩いていました。

「イタリアンレストランで〜す。お願いしま〜す!」
と言われ、チラシを渡されました。

何をお願いされたのか…
それは、もちろん、チラシを受け取ってください、そして、お店に来てください、ということです。

お願いされると、なんだか嫌なのです。
私がひねくれ者というのもあるかもしれません。
が、クラスで子ども達にお願いしたとしても、やはり、嫌がられるのではないかと思います。

クラスでお願いすることといえば、勉強しなさいとか、静かにしなさいとか、席に座りなさいとか、そういうことになるでしょう。

しかし、冷静に考えてみると、これはお願いすることなのでしょうか?

勉強するのも、静かにするのも、席に座るのも当たり前であって、先生が生徒にお願いすることではありません。

でも、うっかりすると、
「あのさ、もういい加減、黙ってくれない?お願いだから」
などと、「お願い」しているのです。

本当にお願いしたいのだとすると、
「あのね、今、静かにしててくれないと、私がダメな先生だと思われちゃうんだよ。静かにしててもらえるかな?」
という言い方が、より本当に近いことになります。

そんな心の奥底にあるホンネにフタをして、無意識に「お願い」しているのなら、子どもに無意識にプレッシャーをかけていることになります。

お子さんに何か必要なことをやらせたいなら、「お願い」なんてする必要ありません。

ただ、
「やりなさい」
「やろう」
と、声をかけます。

でも、もし自分の都合で、「お願い」したいなら、そのまま伝えることが大切です。

「あなたの将来のために〜」
などと、言葉をかぶせません。
そういうのって、バレてしまうと思います。子どもはプロですから…

では、サンロードのチラシ配りのお姉さんから、
「すみません。このチラシをもらってください。そうすれば私は早く帰れます」
と言われたら、どうでしょうか…

まぁ、微妙なところですね。
きっと、笑顔で言われたら、つい協力してしまうでしょう。

逆に鬼気迫る勢いだったら、逃げるでしょう。
もしかしたら、言い方うんぬんよりも、明るい気持ちで伝えることの方が大切かもしれませんね。

2016年

12月

17日

正論も大事だけど、正しさは人を傷つける。

紅茶好きは、人を傷つける!?

紅茶と言えば、セイロン(私の勝手なイメージです)
セイロンと言えば、正論。

正しいことは、素晴らしいけれど、人を傷つける。


スタバに行きまくっている私…
コーヒー党になってしまい、紅茶好きを責めるために、この記事を書いた訳ではありません。

いや、紅茶が好きだろうと、コーヒーが好きだろうと、玉露だろうと、何でも構いません。

紅茶と言えば、セイロン(私の勝手なイメージです)
セイロンと言えば、正論。

正しいことは、とても素晴らしいけれど、ナイフのように傷つけるかもしれません。

高校生ぐらいの頃は、先生のマジメな正論にうんざりしていた私。

そりゃそうなんだよ。
それができないんでしょ…
うまく気持ちを整理できないんですが…

先生に限らず、あなたも友達に困りごとを相談し、正論が返ってきて、
「あ…やっぱり、この人に言うんじゃなかった…」
と思ったことがあるかもしれません。

むしろ、ハッキリしている方など、どの人に何をいうと、どんな答えが返ってくるから、そんな心配はない、とおっしゃるでしょう。

にもかかわらず、当の本人は、気がつかないうちに、正論を人にぶつけているかもしれません。

特に、

教えて、
育てて、
力をつけて、
弱いところを解決させたい

お子さんを相手にすると、「それが大人の責任」という、文句のつけられない錦の御旗を掲げていることもあります。

私は、この話を高校生ぐらいの時に友達としていた記憶があります。

その時は、スリランカってつまらない、と言っていたのですが、確か大学生の時だったか、勤めてすぐの頃だったか、正論ばかり言う人に向かって、
「この紅茶野郎!」
と怒鳴る話を読んで、とても共感しました。

そんな私も、今だって、
「この紅茶先生!」
と、罵られているかもしれません。

それを恥じたり、恐れたりする必要はないのです。
あくまで、私という個人が、心の底から大切だ、と思ったことなら、何を言われてもオーケーです。

でも、世間で言われている通り一遍のことを鹿爪らしく、人に求めると、それは、「紅茶先生」なのだと、私は考えています。

あなたは、セイロン好きの「紅茶お母さん」ですか?

2016年

12月

18日

お母さん!「ウチの子はこういう子」と決めつけて損をしていませんか?

思い込みってもったいない。

こうに決まってる…

そう決めつけて、思い込んで、損していませんか?


先日、板橋の方にある幼稚園でお話するため、車を走らせました。

お約束の時間は午前中。
当然、渋滞します。
なんとか間に合って、ホッとしましたが、本当にヒヤヒヤしました。

私にとって、板橋というところは、ほとんど縁のない土地です。

が、途中の道のりは、大学時代に何度も通ったものなのです。

新青梅街道、千川通り、環八…

中でも、環八は渋滞の代名詞。
もう、うんざりした思い出ばかりでしたから、ナビを無視し、当時の経験を頼りに、千川通りをメインルートに選びました。

さて、いざ帰り道。
帰りは余裕がありますから、ナビに任せて、国道と環八で帰ります。

すると、ガラガラなのです!
もちろん、対向車線もです。

行きから時間が経ったというのも大きいですが、要所要所、工事が終わっていて、渋滞対策がされているのですね。

思い込みって、怖いな、と思わされました。

他にも、スタバは、いつも混んでいる。座れないだろう…

それが前提になっているようで、私がソファに座ってブログを書いていると、斜め前の影になったテーブル席が空いているのに、チラッとこちらを見ただけで、
「ほら、やっぱり〜」
というイライラをまとって、やけに早足で去ってしまうことも多いのです。

私のよく行く、吉祥寺のキラリナというビルにあるスタバは、お客さんも多く、確かに満席であることが多いですが、席数も多いので、ちょっとタイミングをずらすと、座れることもかなりあります。

結局は、吉祥寺で一番、座りやすいスタバだと思います。

でも、よく確かめもしない。

こういう思い込みは、子育ての場でも、損を招くのではないでしょうか。

「ウチの子、これは苦手だから」

ホントですか?
私は、何度も、
「そうですか?私の目には、そう見えませんがね」
と、お母さんに話したことがあります。

でも、
「いやいや、そうなんですよ。私、わかってますから」
と、言われてしまうことがあります。

もったいないですね。

どうせ思い込むなら、
「ウチの子は、素晴らしいに決まってる」
と、決めつけて欲しいものです。

損な思い込みって、実は「どうせ星人」の特徴でもあります。

「どうせ環八は混んでいる」
「どうせスタバは座れない」
「どうせウチの子はこれができない」

あなたの言葉に「どうせ」が付いたら、要注意。
もったいないですよ。

2016年

12月

19日

お母さん!お子さんの傷に塩を塗っていませんか?

わかってる。
けど、できない…
誰にでも、そういうところはある。

そこに、思いをいたしたい。


できないこと、弱いところって、ほとんどの場合、本人が一番だわかっていると思います。

もし、本人が気づいていないなら、それは気づかない方がいいのです。

傷に塩を塗る必要があるでしょうか?
自分では傷だと思っていないことを、それって大変な傷だよ、と伝えてどうなるのでしょうか。

「あ〜ここは苦手なんだな…」
そういうところを見つけた時は、そう思って、見守りたいと思います。

「そんなに守って、甘やかせて、ダメ人間になったらどうするんですか!」

ごもっともな指摘です。
確かに一理あります。

ところが私の経験では、
「いいんだよ。大丈夫だよ」
と、声をかけた方が、かえって本人は努力をするのです。

あ…
本人が一番、わかってるんだなぁ…
本当は、自分が一番、変わりたいんだなぁ…

そう感じることが、よくありました。

温かい眼差しで見守ることは、甘やかしでしょうか…
何か、具体的に困ったことが起きたなら、それはハッキリと伝える必要があります。

忘れ物なり、身の回りの整理整頓なり、具体的にして欲しいことだけを伝えることが大切です。

私も、わかってるんです。

この服は買う必要ないな…
でも、欲しい…
あ、ポチッと押しちゃった…

仕方ないですよね。

今時のファッション通販の仕組みはスゴイです。
お気に入りに入れて、迷って何度かカートに入れたり、出したりしていると、
「あなただけ、今から24時間、割引します」
なんて、あの手この手で、購入ボタンを押させようとします。

その手には乗らずに、今回はポチッと押さなかった自分に拍手したいと、思います。

2016年

12月

20日

子育てで、何か困りごとがあるのなら、これをちょっと意識してみませんか?

逆をやってみると、思いもよらないことが起こる。

 

 

もう、10年以上前のことです。

私が、担任になって、まだ数年という頃でした。

 

私の勤める学校の算数は、かなり多くの量をさせるという面があります。

この話は、3年生の算数なのですが、大きい数のたし算という単元では、7桁+7桁など、桁数も多く、繰り上がりもある計算をA4問題集で3ページ、一気にやる、ということもあります。

 

すると、もう多いというだけで、やる気がなくなってしまう子もいるものです。

本当はできるのですが、一度に多くのものを提示してしまうだけで、やる気がなくなってしまうのですね。

 

さて、そんな時、10年前の私は、ただ、直球勝負でやることだけを求めていました。

それでやり始めてしまえば、ほとんどできてしまうのですが、石のようになって、やらない子もいたものです。

 

そんなある日、私は、逆をやってみよう、と思い、

「じゃ、先生がやっちゃうね」

と言って、その子の横に座り、何問か解いてみせたことがあります。

 

もう、何度か説明したことであっても、ポイントをわざと丁寧に伝え、繰り上がりは、ここに書くと見やすいね、などとずいぶん、優しく語りかけました。

 

そして、だまって鉛筆を渡すと、あとはその子も、黙々と解いていました。

 

これを甘やかしとみるか、出足の背中を押してあげたとみるか、もう、私にとっては、どちらでもいいのです。

 

少なくとも、その時、たくさんの課題を目の前にして、やれずにいたその子が、やり遂げることができたということで、もういいのではないでしょうか。

 

そして、その子が何かあるたびに、いつも私に甘えてきたか、というと、そんなことは全くないのです。むしろ、手がかからなくなったぐらいです。

 

このあたりのやり方は、人によって違っていいのです。

大事なことは、当たり前だと思っている取り組み方の逆を試してみると、意外な結果を生むということです。

 

ですから、私にとって、この取り組み方が当たり前になってきたなら、あえて、

「やかましい!やれ!」

ということが、事態を動かすことも、大いにあるわけです。

 

あなたが当たり前だと思っていることは、どんなことですか?

 

毎日の用意を自分でするのが当たり前。

冬休みに入っても、朝は7時に起きるのが当たり前。

 

その当たり前で、困っていないなら、問題ありませんが、何か困っていることがあるなら、大人から見て当たり前のことが、子どもには当たり前ではないかもしれない、と意識することだけで、少し風穴があきます。

 

子どもは、大人が決めた、当たり前の枠組みを壊そう、壊そうとしているのかもしれません。

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2016年

12月

21日

悔しさを解放する方法とは…

イライラした時は、数えると納得できる。


昨日、武蔵境の駅前にあるイトーヨーカドーに行きました。もう夜も8時近かったとはいえ、駐車場フロアのうち、一番下の5階だけは、満車マークになっていました。

とは言っても、この時間ですから、本当に満車というわけではありません。ポツポツ空いているのが見えました。

さて、車を5階に進め、一番エレベーターに近い車路は、無理そうなのでやめて、その一つ手前の車路で、予想通りにスペースを見つけたのですが、車を停めて、エレベーターに向かうと、一番近い車路に一台、空きがあるのに気づいてしまいました。

この時の悔しさと言ったら、ありません…
あ〜ダメモトで、こっちの車路に来ておけば…

そう考えた次の瞬間、
「待てよ…こっちのスペースから停めたところまで何歩だ?」
と思い、数えつつ戻ってみました。

そこでわかった歩数は、なんと!

32歩!

スゴイですよね。
たった32歩の損に思い悩んでいたのです。

おかげさまで、まだ足腰も痛くはありません。
体調もバッチリです。
満車マークにもかかわらず、一番下の階に停められたというのに、わずか32歩の損に悔しがるとは、自分でもビックリしてしまいました。

他人の目から見ると、こんなバカげた話はありません。
けれど、当の本人は、真剣に腹を立てたのです。

同じようなことは、クラスでもたくさんあります。
きっと、ご家庭でもあると思います。

腹が立って仕方ない時、特に、
「損したなぁ!」
という気持ちの時は、どれぐらい損をしたのか、数にしてみることをオススメします。

数にした時に、
「なるほど、こんなに損をしたのか〜」
と納得できたなら、腹を立てている価値があります。

でも、
「え?たったこれだけのために、こんなに怒ったの?」
と感じたなら、自分を笑ってしまうことをオススメします。

結局、損をしたくないんですね。

2016年

12月

22日

悔しくてイライラしたなら、むしろ喜ぶべき時だ。

悔しくてイライラしたということは、もうできる、叶う、近いということ。

だから、そんな時は、喜べる。


昨日のブログでは、イトーヨーカドーの駐車場で、一番、エレベーターに近いところに停められず、わずか32歩、損をしたことを書きました。(こちら)

それを書きながら、一つ思いだしたことがあり、今日は記事にしました。

四ッ谷駅で、地下鉄丸ノ内線に乗り換えた時の話です。
中央線方面から銀座に向かう時は、四ッ谷で丸ノ内線に乗り換えるのが便利です。

という訳で、四ッ谷駅で中央線を降り、一番、新宿寄りの階段を登って改札を出たところで、丸ノ内線の発車ブザーが聞こえました。

慌てて走ってみたものの、目の前でドアはピシャリ…

この悔しさと言ったら、イトーヨーカドーの32歩よりも強かった…

しかし、ご存知の方も多いでしょうが、丸ノ内線は、3分や4分に一本の割合で電車が来るのです。新宿から東側は本数がとても多く、時刻表に合わせて動く必要なんてないのです。

しかも、別に待ち合わせの時間に遅れていたわけでもありませんでした。

一方私の勤めている学校は、都下とはいえ、そんなに田舎というほどでもありません。

が、最寄駅は西武多摩川線という、廃線も噂されたようなローカル線の駅です。

電車は12分に一本。
今の時期など、目の前で電車が行ってしまうと、ホームで寒さに震えることになります。

けれど、西武多摩川線が一本行ってしまっても、丸ノ内線ほど悔しくはないのです。

寒さに震え、暑さに辟易したとしても、丸ノ内線の方が悔しい…

それは、西武多摩川線の本数の少なさは、もうわかっているからです。諦めているのです。

が、丸ノ内線は3分や4分ぐらい、何とかできたかもしれない…と思えてしまうのです。

だから悔しい…

つまり、惜しいから悔しいのです。
可能性を感じているから悔しい。
あと少しで、できたはずと思えるから悔しい。

だとすると、お子さんについて、悔しく思うなら、できる可能性を感じるからであり、惜しいからですね。

可能性を感じないことに悔しさは感じない。
悔しいなら、惜しいところまで来ています。

あと少しだね!

喜ぶ時なのです。

2016年

12月

23日

スタバのプリンをやっと食べてみて思う、お子さんのおねだりへの対処法

お子さんのおねだりに困っているなら、1ヶ月だけ、待ってみましょう。

今日は久しぶりに、アトレ吉祥寺のスタバに行きました。

オーダーの列に並んでいると、目に入ったのが、このプリン…

先月発売されて、大人気となり、品薄状態が続いていたとか。

そういえば、一時期、登校前の女子高生や大学生風の若い人たちが、買おうとしては、もうない、と言われていたのを思い出しました。

ちょっと甘いものを口に入れたかった私には、ぴったり。

もはや、発売当初の人気はないようですが、話題の物を口にしたい気持ちもあり、買ってみました。
続きを読む

2016年

12月

24日

心の切り替えを早く、明るくするのは、練習次第。

起きた出来事、全てに明るい意味がある。
心を切り替えるのは、練習で、できるようになる。


突然ですが、何かを思いついた瞬間にメモらないと、せっかくのネタを忘れてしまい、悔しいのです。

そして、もっと悔しいのが、書きかけのブログが消えてしまうことです。

また、このブログは、あるアプリを使って書いているのですが、そのアプリは、書いている最中にネット環境が悪くなると、記事が消えてしまうことがあるのです。本当に悔しくてなりません。

実は、先日の記事、悔しい時は、惜しいからなんだから喜ぶ時、という記事を書いていた時も、ほとんど書き上げたところで、弱いWi-Fiを拾ってしまったらしく、ネット環境が不安定になったためでしょう。消えてしまったのでした。

いやいや…
これまた、悔しかったです。
このところ、悔しさについての記事が続きますが、本当に悔しかった…

ところが、これまでの経験上、書きかけのブログが消えた時は、強制的に推敲のチャンスをもらったのことになるので、そんなに悪いものでもないのです。

早いうち、気持ちを切り替えて、明るく出来事を受け止めていきたいものです。

そして、それも毎日の積み重ねだと感じます。

2016年

12月

25日

結局、何でも大丈夫

結局、何でも大丈夫。


何年か前のことです。
職場の先輩と印刷室でおしゃべりをしていました。

クラスで起きること、課題のある子とどう関わるかということ、お母さん達の心配をどう受け止めていくかということ、いろいろ話して、楽しかったり、スッキリしたり、学んだりしたのですが、最後の言葉は、こうでした。

「まぁ、結局、何でも大丈夫なんだけどね」

ピキーンという音がしたような気がしました。
そうなんです。結局は、何でも大丈夫なんですね。

もちろん、そうは思えない、という方も多いでしょう。

あの時、インフルエンザに罹っていなければ、あの学校に受かってたはず…

あの時、先生があの子を叱ってくれれば、こんなに悩まなかったはず…

あの時…

確かにその通りです。
確かにそうなんでしょう。

ところが、その時、その想像通りになる保証はないのです。もっとヒドく感じてしまうことにもなったかもしれません。

インフルエンザに罹っていなくて、思い通りの学校に受かっていて、満足して進学したのに、環境に馴染めず苦労していた可能性が、なぜ無いと言えるのでしょうか。

あの時、インフルエンザに罹っていなければな、と残念に思うのは人間だから当たり前だと私は思います。

私自身、あの時ああしていれば、と思うこともたくさんあります。

こんな話を子ども達としていた時、ある子に、こんなことを言われたのです。

「先生、結局、今、こうして僕たちと一緒にいるんだし、いいよね」

そうなんです。
結局、何でも大丈夫なんです。

「そんな風に悟ったりできません!」

それも当然だと思います。
しつこいようですが、私自身、ああすればよかった、こうすればよかったんじゃないか、そんなことしなければよかった、と後悔する人間なのです。

でも、結局、これでよかったと思えるようになってきました。

それは、子どもと関わる立場としては、大切なのではないかと感じます。

常に自分や他人について、後悔している人と過ごすより、毎日を明るく受け止めている人と過ごす方が、子どもの将来には、いいのではないかと思います。

今日はクリスマス。
世界で初めのクリスマスは、派手な電飾も飾りもなく、静かで、質素なものだったのではないでしょうか。

日曜日に重なったクリスマス。
私は、こんなことを静かに考えて、毎日に感謝して、過ごしています。
(吉祥寺や新宿のお店で見かけたら、人違いです…)

2016年

12月

26日

子育てのイライラを鎮めるために、トライしてみてほしいこと

思いついたが吉日、ということで、思いついたことをブログに書いてみてはどうですか?
書くことで、気持ちが落ち着くから。
私は、このようにブログを書いています。
初めこそ、義務感があったのですが、今は、かなり楽しんでいます。
まあ、そうは言っても、時には仕方なく、
「あ~今日も書かなきゃ~」
と、追われて書いていることもありますが、楽しいことの方が、圧倒的に多いです。
さて、よくある流れとしては、ブログでの発信を始め、その流れで出版したり、セミナーをやったり、ということがあるようですが、私の場合は、逆でした。
先にセミナーをやっていて、出版するご縁があり、ふと気づいた時には、自分の発信もしないと!という状態でした。
そこで、初めは
「しなくちゃ」
という義務感があったのです。
ところが、続けているうち、書くことが楽しくなっている自分に気づきました。
書くことで、気持ちが落ち着くのです。そうでなければ、1年半も毎日更新するなんて、続きません。
とは言うものの、実はこういう気持ちになったのは、ここ数か月のことなんです。
何がきっかけだったか…
それは、アクセス数やら、専門家としての役立つ切り口やら、人からの悪い評価やら、気になるポイントを80パーセント捨てたことです。
単純に、書くことで自分自身が落ち着く、ということだけを気にするようになってきたことで、楽しくなってきたようです。
もちろん、アクセス数が増えたり、他のサイトに転載されたり、よい評価をしてくれるコメントを受けたりすれば嬉しいし、また、その逆は悲しいのです。もちろん、こんなことを書いて、大丈夫だろうか、と不安になる時もあります。
ということで、雑念は80パーセントしか捨てていません。
まだ、20パーセントは残っています。
それでも、ずいぶん、気持ちが軽くなりました。
私の場合、先に実名で著書を出版したということもあり、ブログはもはや、実名でせざるを得ないところがありました。
が、ブログなら、匿名でできます。
そういうところも、オススメできるポイントです。
ブログ=炎上
など、不安や恐怖を感じさせる声もありますが、率直に言って、炎上させることなど、普通にやっていては、なかなかできるものではありません。
むしろ、フェイスブックやツイッターで、家族の写真を出している方が、かえって心配なぐらいです。
それにしても、卒業生の話を聞いていると、フェイスブックやツイッターで、自分たちの画像をどんどん、出しているようです。
そうなってくると、ブログなどは、むしろ安全なメディアとさえ言えるぐらいです。
アクセス数がどうのこうの、自分の情報が誰かの役に立つかどうかなど、他人の目は二番目のこととして、自分の気持ちを整理するためのブログ、書いてみませんか?
きっと、日々、あなたが思いついたことは、お子さんにとって、励みやヒントになることも、たくさんあると思います。

2016年

12月

27日

子どもにサンタ服を着せていたお母さんについて、一言申したい!

子どもがサンタさんだったんですね。
お子さんが透明のサンタ服を着ていたって、気づいていましたか?
そして、実は私たちも…


クリスマスムードも終わり、もうすぐ仕事納め。
私の勤務も、明日までです。
もう、どことなく静かな空気が漂っているような気がします。

わずか数日前なのに、懐かしくクリスマスの賑やかな街を思い出した時、ある光景が浮かびました。

アトレ吉祥寺には、花火の広場というロビーのようなものがあるのですが、そのセンターにある柱を使い、クリスマスツリーやらサンタさんと写真を撮れる人形がいたりしました。

そこで記念撮影をしていた、とある親子。
お子さんはまだ赤ちゃんなのですが、着ていたのが、まさにサンタさんの服…

サンタさんになっちゃってどうするの〜
サンタさんが、来てくれるんじゃないの〜

と、笑ってしまったのですが、よく考えれば、子ども自身がサンタさんで、いいのですね。

彼(彼女)自身、そのものが、素晴らしい存在で、大人にとっては、かけがえのないプレゼントなのですから。

そう気づかせてくれた、見知らぬお母さんには、感謝したいと思います。

私のところにいらっしゃる方は、我が子が可愛くて仕方ない、とおっしゃる方が多くて、私はとても嬉しいです。

親子関係というのは、濃くて、濃くて、濃いので、そんなに簡単な言葉で済ませられないものだと思います。

お子さんの憎らしい態度に、辟易している方は、お子さんが実はサンタさんの服を着ているなんて、とても思えないかもしれませんね。

それでも、きっとお子さんは、透明のサンタ服を着ている。

だとしたら、私たちも透明のサンタ服を着ていると気づきました。

何しろ、サンタさんの服が赤いのは、某アメリカの飲料メーカーが宣伝のために、そうしただけのことであって、もともとのサンタさんは、黒やら青やら紫やら、もっと地味だったようですし…

そうか…
私もサンタさんだったのか…

なるほど、クルマが好きなわけです。
今はもう、ソリではなく、クルマで移動したっていいですよね。

クリスマスには、思いつかず、終わってから気づくというところも、またよし、と思います。

2016年

12月

28日

根拠なく、証拠なく、ワクワクして一日をスタートさせること

ワクワクして一日を始めるためには、根拠もいらない、責任感もいらない。

それって、とてつもなく豊かで、贅沢。


先日、ある朝に、スタバで、ぼんやり行き交う人たちを眺めていました。

すると、花屋さんが開店の準備をしているのが目に入ってきました。

私、以前にちょっとの間だけ、花屋さんの手伝いをしていたことがあります。知り合いが花屋を開いていたので、年末の繁忙期だけ、手伝っていたのです。

開店前って、ワクワクしていたなぁ、と思い出しました。

これまでに私がしてきたアルバイト…
新幹線の車内販売に始まり、東京駅の売店の売り子、某財閥系社員クラブのレストランウエイター、劇場の案内係…

開店前のワクワクは、全てに共通していました。
今日はどれぐらい売れるだろう、何が売れるだろう、どんなお客さんが来るだろうと、責任がないもので、自然な気持ちでワクワクしていました。

このワクワク感で、お子さんの毎朝を始めたいものです。

いや、あえて何かしてあげなくても、子どもの頃の朝は、ワクワクしていました。

いったい、いつから朝、ワクワクしなくなったんだろう…

あ、今はワクワクしています。
担任していた時もワクワクしていました。

中学生か高校生ぐらいの時は、無性にイライラしていたような気もします。

何だか、不機嫌でいないと恥ずかしいような気がしていました。

私が眺めていた花屋の店員さんは、ワクワクしていたのでしょうか…まぁ、イライラオーラは感じませんでしたので、大丈夫でしょう。

根拠もなく、責任感もなく、単にワクワクして一日を始められることって、豊かで、贅沢だなぁと思います。

2016年

12月

29日

一貫性は大事だけれど、決めつけは、もったいない。

当たり前のことだけど、念のために確認します。
好きなことって、変わってもいい。

私はこれが好き、私はこういう人と決めつけていませんか?

お子さんにとって、その一貫性が苦しさの素になっているかもしれません。


夏休み、卒業生が遊びにきました。
中学生の彼女は、相変わらず元気で、お気に入りのタレントについて、熱く語ってくれました。

なぜか急にそれを思い出して、この記事を書いているのですが、きっと彼女が気に入っているタレントは、これから変わっていくのでしょう。

今度、遊びに来たら、ぜひ聞いてみたいと思います。

好きなもの、好きな人、好きなことは、その人らしさを表す、大切なアイデンティティでもあります。

それだけに、好みが変わることに抵抗感がある場合もあるな、と思います。

一貫性がある、というのは、やはり大切なことですし、なんとなく信頼感が持てそうな気がします。何より自分自身がラクです。

けれど、万物は流転する、ですね。
好みって、必ず変わるのですね。

お子さんが課題にしていることの中に、変化への抵抗感が潜んでいる場合があります。

一番、わかりやすいのは、好きな友達が変わる局面です。

今まで、なんの疑問もイライラも感じていなかった友達のことが、どうも違和感を感じる。

それは、仕方のないこと。
エビの脱皮みたいなものです。

小学生、特に低学年までのお母さんにとっては、お子さんの友達関係が変わること、好みが変わることは、お母さん同士の付き合いに影響があり、本音では迷惑であることも多いと思います。

それはそうですよね。
ちょっと面倒ですよね。

まぁ、仕方ないのです。
まさに脱皮なのです。
お母さんの好みや都合から、ちょっとずつ離れていくのです。

お母さんは、あの子のお母さんと仲良しで、お子さんは、あの子から離れて、別の子と仲良しで、何か問題がありますか?

お母さんとしてはあります。
でも、仕方がない…

好みが変わるって、当たり前のことだけど、いろいろな面でハードルの高いことでもあります。

変わることは、当たり前。
そう大人が思っておいてあげたいものです。

2016年

12月

30日

夜8時のアトレ吉祥寺で見せつけられた、私の度量…ドーナツ屋さんでの出来事とは…

笑って済ませるって、すごい。

 

 

吉祥寺には、アトレ吉祥寺という駅ビル(?)があります。

その中には、いろいろなお店があるのですが、私がたまに行くのが、あるドーナツ店です。

 

このお店は、20時を過ぎると、全品100円になる日が多いのです。

私の勤務体系の場合、帰りにちょうどその時間になることが多く、ちょっとしたおみやげに最適なわけです。

 

さて、先日は、そのドーナツではなく、お気に入りの生春巻きを買おうかと、アトレ吉祥寺に入りました。生春巻きをつまみにビールでも…という魂胆です。

 

すると、ドーナツ屋さんの横を通過したところで、20時になったようです。

初老の夫婦がドーナツを買い、通路に出たところで、

「全品100円」

の札を店員さんが出しました。

 

おいおい、そりゃないよ~

 

と私は思いました。

私だったら、悔しくて、

「もう、この店には行かない!」

と、スネてしまったかもしれません。

 

ところが、このご夫婦は、

「え~知らなかった~」

と二人で大爆笑していたのです!

 

すごいなあ~

と私は、自分の小ささを見せつけられた気になりました。

 

私が店員さんなら、ご夫婦が去り、目に入らなくなってから、100円の札を出したとは思います。

 

数秒の話なのです。

その配慮で、お客さんを怒らせてしまうことを防げます。

どうせ、20時から100円になるのは、常連さんなら知っています。

みんな、今か今かと、他のお店を見ているふりをして、待っているのです。

数秒待ったところで、何ともないのです。

 

とはいえ、今日のテーマは、店員さんの配慮ではありません。

この夫婦は、大笑いで気持ちをすっかり変えてしまいました。

自分たちが損をさせられた、と気持ちを汚すことなく、あっさりと、楽しいことに変えてしまった…

 

やはり、笑ってしまうことは大切です。

水に流す、という言葉があります。

私は、とても大事だと思います。

が、なかなか、流してしまうことは素直な気持ちとしては難しい。

けれど、大笑いしてしまうと、流しやすくなりそうです。

 

楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しくなるのですね。

笑われることは、バカにされること、と思う方もいらっしゃるでしょう。

まあ、確かに、そういう場合もあります。

 

が、そうでないことの方が多いと思うし、自分の方が主体的に「笑う」ことは、自分が気持ちを明るくするテクニックなのだと思います。

 

今日は、何について、笑いますか?

2016年

12月

31日

お子さんが(あなたが、わたしが)、何かできないことで、誰かの役に立っている。なんだ…悩まなくていいのか。

子どもが何かできなかったり、わからなかったりするのは、大人のため。

子どもにできないことや、わからないことがあるおかげで、大人ができることがある。


先日、ある子にこんなことを言われました。

「先生に、この漢字、読ませてあげるね。」

図書室で手持ち無沙汰にしていた彼に、私が絵本でも読めば?と伝えたところ、彼は、ちょっと難しい本を選んで来て、読めない漢字があったら、先生に読ませてあげる、という文脈で、こう言ったのでした。

もちろん、冗談で言ったのです。
お互いに笑った後、これは、意外と深い言葉だなぁ…と思いました。

子どもに何度教えても、これができない、あんなミスを繰り返す…
もちろん、イライラもします。

でも、子どもが生まれながらに、できることだらけなら、大人はきっと寂しくて、つまらないでしょう。

もちろん、程度によりますよね。
それも、当然です。
が、彼の一言は、私が、

「子どもに何か教えたり、できるようにさせたりしたつもりになって、いい気になってないか?」

と、自問する機会になりました。

子どもに限らず、私自身も、大人も、何かができないことやわからないことは、誰かの役に立っているというこもなのかもしれません。

今日は大晦日です。
この一年は、どんな年でしたか?

もしかしたら、思い出したくもないことがあったかもしれません。

が、私たちは、みんなお互いに必要としあっていて、どんな恥ずかしいことも、辛いことも、何かの役には立っているのだと思います。

今年もこのブログを読んでくださり、本当にありがとうございました。

来年も、心を込めて、明るい気持ちで、ブログを書いていきますので、ぜひ読んでくださったら、嬉しいです。

また、お知り合いに、
「こんなブログがあるよ」
などと、ご紹介してくださったら、嬉しいです。

来年も、いい一年になりますね。
ありがとうございました。

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