残念な子育て…
誰がそんなことを決めた?
残念だと思うのも自由だけど、最高の子育てにした方が、よほどいい。
昨日、中央線の車内吊り広告で、本の宣伝を見かけました。
題して、
「ざんねんないきもの事典」
その広告には、サイの角は、ただのイボと書いてあり、単純な私は、へえ〜と思い、思わず、ネット検索しそうになりました。
この広告は、少なくとも私の心に残り、あと一歩で検索という行動をおこさせそうになり(事実、その後、このブログを書くために検索をさせました)…ということで、宣伝の効果はある、ということですね。
ただ、私の心に次に浮かんだのは、ざんねんな、って、誰が決めたんだ?ということでした。
サイは、何かに失敗して、残念な気持ちに打ちひしがれて、イボを角として使う覚悟をした訳ではありません。
いろいろな与えられた環境を淡々と生きているだけです。
本のタイトルの付け方、読者の関心を引く内容と装丁などなど、「本」としては、もちろん問題があるなどと思っていません。
ともすると、買ってしまうかもしれません。
が、私たちの生活の中で、
「残念な」
と、決めているのは誰だろう…
と考えてみることは、大切だと感じます。
サイは自分の角について、悩んだり、シカの角を見て羨んだりしないのではないかと思います(もしかしたら、思っているかもしれませんが…)
でも、私たちは、自分の与えられたモノ、コト、やったコト、やれなかったコト、やれそうもないコトについて、「残念だ〜」と感じます。
サイは角を変えられない。
私たちも、与えられたモノやコトの中で変えられないところもある。
やってしまったコトは変えられないし、おそらく、他の人にやれて、自分にはやれないコトもある。
それを
「残念」
とするか、
「素晴らしい」
「最高」
とするかは、自分自身が決めることができます。
「そんなの逃げだ!」
それもわかります。
が、それさえも、
「逃げ」
と、とらえるか、
「与えられた環境を最大限、活かしている」
と、とらえるか、自分次第です。
ですから、私は、日々、
「あ〜またやっちゃった…」
「なんて、私はダメなんだ…」
と感じ、
「おっと!違う違う〜」
と、感じ直す練習をします。
そして、しょげている子どもたちを励まし、お母さん方には、新しい視点を提案しています。
あなたの子育ては残念ですか?
まぁ、残念な結果だったと思ってしまうことは、あったかもしれません。
が、それは、長い目で見れば、お子さんやご家族の皆さんにとって、必要な素晴らしいことだったのではありませんか?
残念と思うのも自由、最高と思うのも自由です。