ウチの子は、こういう子。
それは、誰が決めた?
そういう一面も、確かにあるでしょうが、そうでない面もあるはず。
常に、決めつけていないか、考えてみよう。
今日は午前中、出張で、ある私立小学校に行っていました。
昼前に、私の勤める小学校に向かって歩いていたところ、工事中のアパートの前で、職人さんに声をかけられ、
「あの、二階のあの部屋、もう開いてますか?」
と、聞かれました。
私は、ポカンとしてしまい、え?と聞いたところ、また同じことを聞かれたので、すみません、よくわかりません、と言って、学校に向かいました。
今日の私は、少々、派手なスーツを着ていたので、もしや不動産屋さんと間違えられたのかな、と思い当たり、ついニヤリとしてしまいました。
人は見かけじゃない、というのは嘘かもしれませんね。
あのスーツでは、あまり学校の先生には見えなかったでしょう。
それに、歩いている人を見て、あ、この人、先生かな、とは、あまり思いません。
子どもを連れているから、先生に見えるのですから。
思えば、私は以前から、何かに間違えられることがありました。
日本航空の整備工場に見学に行った時は、私は添乗員さんと呼ばれ、サポートに来てくれていた保護者の1人が先生だと思われていましたし、私立小学校の先生たちが集まって研修をしていた日に、突然、「あなたの席は、左から二番目だから」と言われ、来賓の都庁の人と間違われたこともありました。
こういう話は、基本的に笑い話であって、私は、全く気にしていませんが、道で突然、不動産屋さんに間違われてしまう先生というのも、まあ、いいのかな、と反省しなくもありません。
ただ、このように、何かと間違われてしまう私は、見るからにこう、と決まっていないところがいいな、と感じたのがホンネです。
私は、こういう人。
私は、こういう性格の人。
まあ、確かにそういう一面はあるでしょう。
が、それが全てではない。
全然、自分では思いもしていなかった特徴が自分にあるはずです。
お母さん方の話を聞いていて、違和感を感じてしまうこともよくあります。
「ウチの子は、こうなんです」
ふーん。そうなんですか…
少なくとも、学校での様子では、そう感じたことはありませんでした。
「いやいや、先生、よく見てください。ウチの子は、こうに決まってるんですから」
わかりました。
注意して、見てみます。
こういう会話は、本当によくあります。
これは、私の気づかなかった一面を教えていただく、素晴らしいチャンスであると同時に、お母さんも気づいていなかったお子さんの面に気づく、素晴らしいチャンスでもあるのです。
お母さんが、今、思っているお子さんの姿、像は、確かにお母さんだからこそ、気づくものです。
が、それにしても、お子さんのある一面に過ぎません。
折に触れて、決めつけて、幅を狭めていないか、考えてみることをお勧めします。