正論ばかりでもダメ。
情に流されてもダメ。
ならば、その人が真剣に、心の底からやってみようと思うことをやればいい。
(どうせ、文句を言う人は、いつもいる)
お母さんの心が、そう固まった時、お子さんも安心する。
昨日は、噂話の蜜の味について書きました(
こちら)。
噂話をしているほうは、どうであれ、その瞬間は甘さを味わっているでしょうが、噂話をされているほうは、たまったものではありません。
今日は、噂話をされているほうの話です。
噂話、あるいは批判の声に対して、取り乱して興奮すれば、ことの事実よりも、その様子から、さらに悪い印象を与えます。
ですから、この手のトラブルが教室で起きた時、まずは興奮状態を沈めて、黙って椅子に座らせることがスタートです。
そして、教室という私が管理している場なら、それぞれの言い分を出す場を作ります。
が、日時の生活の中では、誰かが仲裁して、お互いの言い分を出し合う場など、なかなか難しいでしょう。
むしろ、中途半端な人が仲裁に入ると、トラブルは大きくなります。その原因は、仲裁に入った人の心に傾きがあることと、仲裁に入った人が自分を責められる覚悟をしていないからですが、まぁ、現実的には、仕方ないでしょうね。
夏目漱石の初期の名作「草枕」の冒頭に、こんな有名な言葉があります。
「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。」
まったく共感します。
共感する人が多いからこそ、今に至ってもなお、有名な言葉なのでしょう。
もう、正解なんてないのですね。
噂話をする方には、噂話をする、せざるを得ない理由があり、目的があるのです。
されているほうのせいではありません。
させてあげればいい。
人助けになったのですね!
何をやっても、言う人は言います。
他ならないあなたが、これは大事、これをしてみたい、これはやらない、そう決めたなら、そうしましょう。
お母さんの心が固い時、子どもは安定します。
漱石の草枕は、こう続きます。
「とかくに人の世は住みにくい。住みにくさが高じると、安いところへ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画ができる。」
あ〜こんな子がいるクラス嫌だ。
は〜こんな先生は替えたい。
うわ〜こんなお母さんいるグループ最低。
どこのクラスにいっても、どこの学校に行っても、いろいろあると悟った時、お母さんの心の奥に自分自身を、そして次にお子さんを勇気付ける言葉が生まれて、落ち着いた毎日ができるのです。