英語力に優る、最高の力とは…
自分とは関係ないことでも、いい意味に受け取る技術
昨日、3月5日は啓蟄だったそうです。
何ともなくネットを見ていて、気がつきました。
春が近づくのは嬉しいものです。
そして、今朝、出勤の途中、雨になる前に、と井の頭公園を歩いてみると、ウグイスが元気に鳴いていました。
啓蟄になった途端、さあ、とばかりに鳴き始めた井の頭公園のウグイスですが、またまた春を感じて、今夜と明日の寒さも、気にならなそうです。
啓蟄も、ウグイスの初鳴きも、私とは関係ないことです。
虫が土から出てくるよりも、気にしていることがあります。
ウグイスが初鳴きするよりも、私に関心のあることもあります。
ですが、全く関わりのないことの中に、私にとって意味のあるものに変換する翻訳力は、もしかすると、英語力より重要ではないかと感じます。
ドラえもんのひみつ道具、ほんやくこんにゃくが、現実のものとなりつつある今、純粋な意味での語学力よりも、伝えたいことを明確にする力の方が大切ではないかと感じます。
いや、まとまらなくても、何とかこれを伝えたい、私は伝えていいんだ、という自己肯定感の方が、さらに重要かもしれません。
虫は土から出て来て、さっそくウグイスに食べられてしまうかもしれないけれど、春になると、土から出ないわけにはいきません。
ウグイスは声高らかに鳴くことで、人間に注目されやすくなるかもしれないけれど、やはり、さえずらないわけにはいきません。
それを春の訪れとして、明るく受け止めるのは、どうせ人間の勝手です。
どんなことでも、私にとって、ふさわしい、必要な、明るい兆候として受け止める心のクセは、英語力に優る力ではないでしょうか。