嫌われてもいい、そのメカニズムはわかる。
では、どうしたら、そう思えるのか。
こんなに嫌われているのに、まだ嫌われまい、評価されたい、とあがいている私って、カワイイとナデナデする。
ベストセラーになっている「嫌われる勇気」。
私も手に取ったことがあります。
本当にそうだなぁと思いました。
私自身、繰り返し書いてきたように、本当に嫌われたくないと思って、クネクネ生きてきました。
いかに好かれるか。
どれだけ評価されるか。
それが大事で、でも、そんなに簡単に好かれもしないし、評価もされないんだから、せめて嫌われない、悪く言われないということを第一にしてきたのです。
そんな自分が情けなかった私ですが、「嫌われる勇気」を読み、
「なんだ…その心のメカニズムは、みんな一緒だったのか…」
と、安心できたような、励まされたような気分になったのを覚えています。
ですから、嫌われる勇気、嫌われる覚悟が備わることで、毎日がイキイキしてくることは、理解できるのです。そうであろうと、思うのです。
が、40年という時間を嫌われまいと生きてきた私、人より抜きん出ないことをヨシとする日本の文化、社会的な圧力は、なかなか簡単には変わらないようです。
もちろん、日本の文化やら社会的な雰囲気なんて、私が変えようとは思っていません。
が、そうやって、周囲のことや、社会について考えている時点で、嫌われる勇気を持つ覚悟はないのです。まだ、どこかで、嫌われることなく、認められようとしているのです。
嫌われる勇気って、素晴らしい。
嫌われる覚悟をしたことで、私はこんなに変わりました。
と、キレイな私を見せたいのです。
これは、本当の意味で、嫌われる勇気を持っていません。
どうすれば、真の心の平穏と、真の活力を見出すことができるでしょうか。
本当の意味で、嫌われる勇気を持つためには、どうすればいいのでしょうか。
それは、私ってカワイイと、自分で自分の頭をナデナデすることなのだと思います。
何のかんの言っても、まだ自分がカワイイ。
もう十分、嫌われているのに、まだ嫌われまい、スゴイと思われたい、と外から見たら、無様にもがいている自分をカワイイと決めること。
つまり、100パーセント嫌われてもいいと覚悟を決められなくていいのです。
もう仕方ない!
一度、何もかも含めて、今を認める。
自分で、自分の頭をナデナデすることが、全ての出発点です。
以前、友達関係に悩んでいたある子と話していて、私はこう言いました。
「嫌いな子がいるのは、当たり前なんじゃない?」
そうしたら、その後の面談で、その子のお母さんにヒドく抗議…ではなく、とても感謝されました。
「先生が、そう言ってくださって、ウチの子、気持ちがラクになったみたいです。私、そんなにいい子を求めてきたつもりはありませんでしたが、トラブルなく、なるべく平和にという考えていたのが、プレッシャーになっていたんですね」
友達100人できるかな〜♪
という、誰でも歌ったことのあるであろう歌がありますが、友達100人なんて、できなくていいのです。(もちろん、できたっていい)
少なくとも、私は、そう生きていこうと思います。