受け取ることの大切さ
何年か前のクラスで、桃太郎を読み聞かせしたことがあります。
桃太郎…
みんな、もちろん知っています。
え〜
知ってるよ〜
と文句を言いながらも、無視して読んでいくと、わかっているのに、ついつい聞き入ってしまうのです。
さて、子どもにとって繰り返しの大切さは、また別の機会に書くとして、桃太郎を読んだ後、みんなで話したことがあります。
それは、目の前に大きな桃が流れてきたら、それを拾う自信があるかどうか、です。
私の勤める学校の近くには野川公園という素晴らしい公園があり、そこに毎週出かけているのですが、その公園には、名前の通り、野川という細い川が流れています。
もしこの川に大きな桃が流れてきたら、ちょっと足を濡らす覚悟さえすれば、取ることは可能です。
でも、手を出すでしょうか…
それに、お母さん!
お子さんが、訳のわからない大きな桃を持って帰ってきたら、捨ててきなさい!と叫びませんか?
うわ!
面白い!
何だろう…
と直感しても、実際に手を出す勇気は、なかなかのものです。
さて、ここでいう、大きな桃とは何でしょう?
実際のモノとしての桃が流れてきたら、取らずに流した方がいいでしょう。食中毒になっても困りますし…
でも、比喩としての桃なら、目の前に流れてくることもあるのではないでしょうか?
それは、友達、先生という人であることもあるでしょうし、何かしら、習い事というような「コト」であるかもしれません。
もっと目の前のことで、誰かにかけてもらった言葉かもしれません。
私の伝え方が悪かったのかもしれませんが、私が心から素晴らしさを伝えても、
「ないない!絶対ない!お世辞だよ!」
とまるっきり全否定されることがあります。
気遣いやお世辞に違いないと決めつける前に、言葉の桃を受け取ってみても、困ることはないはずです。
受け取れない…
本当は、受け取りたいのではないかと、私は思います。
でも、受け取らない…
私自身、嬉しくなる言葉をかけられても、
「あの人はこういう下心があって、こう言ったんじゃないか」
「あの人のホンネを見抜けず、踊らされたくない」
などと、ニヒルを気取り、わかってる人を演じてきました。(今でも…)
踊らされている方が幸せなのだと、私は思います。
何しろ、先生の気分がいいと、子どもたちも、結局つられて、気分がよくなるのです。
さて、話を戻します。
お子さんの目の前に、大きな桃が流れてきていることは、常にあります。
ぜひ、それを取ることを見守っていただきたいな、と思います。