お母さんが笑っていること以上に、子育てで大切なことはない。
もちろん、時には、怒ったり、怒鳴ったりするのですが…
テレビをつけると、若者の貧困について、特集していました。
そこで、ある若手女優の貧困経験について、インタビューを見たのですが、彼女は、明るく、ニコニコと雑草を摘んで食べていた話をしていました。
決して明るくない話題のはずなのに、その屈託のない笑顔のおかげで、重々しい空気にならずにすんでいました。
そんな彼女が溢れる涙を見せたのは、唯一、お母さんについての話をしていた時でした。
どんなにひどい貧しさで、みんなと違う自分を感じても、お母さんは常に明るかった、いつも笑顔だった、弱音を吐かなかった、貧しくてゴメンねと言わなかった、と言って目頭を押さえていました。
もちろん、生身の人間ですから、彼女のお母さんも自暴自棄な気持ちになったことだってあったかもしれません。誰かに、辛さを語っていたかもしれません。
それにしても、お母さんの笑顔のパワーを再認識しました。
何より、貧しくてゴメンね、とお母さんが言わなかった(少なくとも、彼女はそう思っている)ことが、私はスゴイなと思います。
私自身、ちょっとでも自信がなかったり、失敗したりしてしまったら、つい、あ…ゴメンね〜とか、いやぁ、できないんだよ〜などと、言い訳がましくなってしまいます。
責任を感じて、素直にそれを表現する、大人だって、キチンと子どもに謝る、というと聞こえはいいですが、この場合、謝る言葉の奥には、ダメな自分を恥じる気持ちがありそうです。つまり、本当は謝罪ではなく、卑下です。
テレビなり、本なり、一般に出されている事例は一部のものですし、貧困にもいろいろなケースがあるのは、わかっているつもりです。
また、今日の記事は、貧困そのものについてのものではありません。
雑草を摘んで食べるほどの貧困の中でも、お母さんの笑顔、安定は子どもの支えになるんだなぁということがテーマです。
そして、おそらく、そのことはお母さんなら、きっとわかっていると思います。
ところが、多くの方は、もちろん私も、そんなに心が図太くはありません。
常に笑顔で、などということは、お母さんにとって、大変なプレッシャーではないでしょうか?
わかっていても、やめようといくら決めても、怒鳴ってみたり、自己嫌悪に陥ってみたり、いろいろです。
今日こそは怒るまい、何があってもニコニコしていよう、と決めたのに、午後、学校から電話がかかってきて、ケンカの顛末を聞き、反射的にガツンと言ってしまっても、悲しむ必要はありません。
24時間365日、常に明るくを目指す必要なんてなく、お母さん自身が笑顔でいられるためにはどうすればいいか、ということを思い出した時に意識するだけでいいのです。
そのちょっとした積み重ねが、笑顔の時間を増やし、子どものやる気を起こすことにつながっています。