やっぱり、安心がしたいんだ…
じゃあ、どうすればいい?
もう大丈夫。
もう安心。
と、自分で決めて、時には不安になって、また決めること。
昨日は成人式だったという地域が多いと思います。
すると、毎年のようにテレビで取り上げられるのが、北九州や沖縄の「荒れた成人式」…
今年はどんな派手な衣装が見られるかな…
という気持ちでつい、ワイドショーを見てしまうのは、不謹慎かもしれません。
さて、今年の成人式は、卒業生の何人かと食事に行きました。
彼らから、
「無事に成人式を迎えられました。お礼にご馳走させてください!」
と言われたのではなく、
「先生、何か美味いものを食べさせてください!」
と言われ、私、お気に入りの下北沢にあるビストロに行ってきました。
そこは、ディアログというお店で、本当に丁寧な料理が魅力で、食材の良さをキチンと引き出して、クセの無いナチュラルな味わいに感激し、折に触れて(と言っても、まだ三回ですが…)、伺っているのです。
さて、それはさておき、成人式を終えた彼らと話していて、
「今、何が欲しい?」
という話題になりました。
そこで、ある女の子が、しばらく考えて、考えて、考えて、
「うーん…安心…」
と答えました。
あ〜やっぱり、安心なんだ…
と思いました。
「もう、これで将来、ずっと大丈夫、という安心が欲しい!」
と言っていました。
確かにわかります。
あ〜共感できる、という方も多いでしょう。
一方で、そんな未来永劫、続く安心なんてあり得ないし、若いんだから、どんどんチャレンジしなきゃ!という気持ちになった方もいらっしゃるでしょう。
とはいえ、ここでもっともらしいお説教をしても、面白くありません。
じゃ、何があれば、安心できるの?
と、聞いてみました。
「うーん…何、じゃない。漠然と…」
と答えてくれました。
この「漠然と…」というところに、私は大いに共感できます。
私も、常日頃、不安を感じています。
最近は、ずいぶんと減りましたが、少し前まで、不安に思っていないと恥ずかしい、ぐらいの気持ちでいたと思います。
その時、その時、不安な内容はあるのです。
が、過ぎてしまえば、
「まぁ、大丈夫だったね」
ということなのです。
なのに、いつも不安を感じていて、絶対の安心が欲しい…
要は、「漠然とした」不安なのです。
何をやったから無くなる、何が手に入ったらもう大丈夫、そんな話ではないのですね。
だとしたら、
「もう、私は大丈夫」
と、決めてしまうしかないのです。
だって、いつまでも終わらないんですから、もう終わるのも自由なのです。
ところが、生身の人間は、そう簡単に不安を捨て去ることなんてできません。
いくら覚悟しても、また不安を感じてしまいます。
もう、それも仕方ない。
だから、また、
「あ…そうだった…大丈夫だった〜」
と、決め直すしかないのですね。
彼女にこの話をしても、
「はい。わかりました。もう今から大丈夫、という安心感を得ました」
とはならないでしょう。
まして、子どもは尚更です。
何かあるたびに、不安感を持つことでしょう。
だから、身近な大人は、大丈夫、大丈夫と呪文を唱えることが大切です。
不安やダメさ加減を知らしめることもいいですが、大丈夫さ加減を知らしめることの方が大切なのです。
昨日の食事は、私にとって、大切なことを思い起こさせてくれる、きっかけになりました。
何より、大切な成人式という日に、声をかけてくれた、ということに感謝の気持ちがいっぱいになった夜でした。