吉祥寺の餃子の名店、みんみんで気付いた、「当たり前」の恐ろしさ。
自分にとっての当たり前は、他人にとってそうとは限らない。
それこそ、当たり前だけど、近しい人こそ、意識しないと、価値観を押し付けて苦しめてしまう。
もちろん、親子だって…
吉祥寺の餃子の名店、みんみんをご存知の方も多いと思います。
私は、たまに無性に行きたくなるのです。
以前は、あさりチャーハンと餃子で千円ぴったりで、ちょうどよかったのですが、値上げにもなった上に、何より、そんなに食べられなくなってしまいました。
そこで、最近は妻と二人で出かけて、餃子は二人で半分ずついただくことにしています。これだと、気持ちよく(ちょっとお腹いっぱい過ぎな感じではありますが…)、お店を出られるのです。
さて、昨日は、久しぶりに、その名店に出かけたわけですが、私はお決まりのあさりチャーハンで決定。妻は、中華そばとしょう油ラーメンで迷っていました。
その値段の差は20円。
内容の差は、もやし炒めの有無なんでしょうか…スープまで違うのかは、よくわかりませんが、見た目でハッキリわかるのは、もやし炒めの有無なのです。
20円の差とは思えない、見た目の違いです。
私なら、迷わず、しょう油ラーメンにします。
が、妻はそう簡単ではありませんでした。
しばらく悩んだ末、結局は、塩ラーメンになったのですが、迷っている姿を見て、当たり前だけど、当たり前って、人によって違うよなぁ、と思ってしまいました。
「普通、こうでしょ」
この、「普通」がクセものです。
普通、20円の差なら、しょう油ラーメンでしょ…
普通、初めて会ったら、挨拶するでしょ…
普通、何かもらったら、お礼を言うでしょ…
挨拶やお礼は、当たり前のレベルが違うかもしれませんが、それでも、自分にとって、「普通」、「当たり前」ということこそ、時々、相手にもそうかな…と思い返してみると、相手へのプレッシャーを減らすことになります。
これは、私が、当たり前に思っていることを、相手に合わせたり、修正したりして欲しい、という意味ではありません。
あくまで、相手には、相手の「当たり前」、「普通」があるんだなぁ、と受け止めて欲しいだけなのです。
普通、こういう日は宿題をやらないでしょ…
「は?そんな普通、あるか!」
確かにそうです。
が、その子は、いつの間に、そんな「普通」を手に入れたのでしょう?
怒鳴りつつも、考えてみると、新しい発見があると思います。
私は、学校で、たくさんの子どもたちと過ごし、お母さん方と向き合い、最近は広報として、入学を考えてくださる方や、いろいろな業者の方、他の私立小学校の先生方と接して来ました。
いやぁ、いろいろな「普通」、「当たり前」があって、今では楽しくて仕方ありません。
逆に、私の「普通」、「当たり前」が誰かの目には、相当、おかしいものと映ったとも思います。誰か、どころか、ほとんどの人、でしょうか…
ぜひ、吉祥寺にいらしたら、みんみんで餃子を食べてみることをオススメします。
そうすれば、
「あ…これが青木のお気に入りの味か…その当たり前の感覚だけは、理解できるな…」
と、思っていただけるのではないかと思います。
(もちろん、違う評価の方がいるのも、当たり前です)
そして、食べた後には、お子さんとの「普通」、「当たり前」のズレについて、考えてみると、何かが変わる!
かもしれません。