悔しくてイライラしたということは、もうできる、叶う、近いということ。
だから、そんな時は、喜べる。
昨日のブログでは、イトーヨーカドーの駐車場で、一番、エレベーターに近いところに停められず、わずか32歩、損をしたことを書きました。(こちら)
それを書きながら、一つ思いだしたことがあり、今日は記事にしました。
四ッ谷駅で、地下鉄丸ノ内線に乗り換えた時の話です。
中央線方面から銀座に向かう時は、四ッ谷で丸ノ内線に乗り換えるのが便利です。
という訳で、四ッ谷駅で中央線を降り、一番、新宿寄りの階段を登って改札を出たところで、丸ノ内線の発車ブザーが聞こえました。
慌てて走ってみたものの、目の前でドアはピシャリ…
この悔しさと言ったら、イトーヨーカドーの32歩よりも強かった…
しかし、ご存知の方も多いでしょうが、丸ノ内線は、3分や4分に一本の割合で電車が来るのです。新宿から東側は本数がとても多く、時刻表に合わせて動く必要なんてないのです。
しかも、別に待ち合わせの時間に遅れていたわけでもありませんでした。
一方私の勤めている学校は、都下とはいえ、そんなに田舎というほどでもありません。
が、最寄駅は西武多摩川線という、廃線も噂されたようなローカル線の駅です。
電車は12分に一本。
今の時期など、目の前で電車が行ってしまうと、ホームで寒さに震えることになります。
けれど、西武多摩川線が一本行ってしまっても、丸ノ内線ほど悔しくはないのです。
寒さに震え、暑さに辟易したとしても、丸ノ内線の方が悔しい…
それは、西武多摩川線の本数の少なさは、もうわかっているからです。諦めているのです。
が、丸ノ内線は3分や4分ぐらい、何とかできたかもしれない…と思えてしまうのです。
だから悔しい…
つまり、惜しいから悔しいのです。
可能性を感じているから悔しい。
あと少しで、できたはずと思えるから悔しい。
だとすると、お子さんについて、悔しく思うなら、できる可能性を感じるからであり、惜しいからですね。
可能性を感じないことに悔しさは感じない。
悔しいなら、惜しいところまで来ています。
あと少しだね!
喜ぶ時なのです。