紅茶好きは、人を傷つける!?
紅茶と言えば、セイロン(私の勝手なイメージです)
セイロンと言えば、正論。
正しいことは、素晴らしいけれど、人を傷つける。
スタバに行きまくっている私…
コーヒー党になってしまい、紅茶好きを責めるために、この記事を書いた訳ではありません。
いや、紅茶が好きだろうと、コーヒーが好きだろうと、玉露だろうと、何でも構いません。
紅茶と言えば、セイロン(私の勝手なイメージです)
セイロンと言えば、正論。
正しいことは、とても素晴らしいけれど、ナイフのように傷つけるかもしれません。
高校生ぐらいの頃は、先生のマジメな正論にうんざりしていた私。
そりゃそうなんだよ。
それができないんでしょ…
うまく気持ちを整理できないんですが…
先生に限らず、あなたも友達に困りごとを相談し、正論が返ってきて、
「あ…やっぱり、この人に言うんじゃなかった…」
と思ったことがあるかもしれません。
むしろ、ハッキリしている方など、どの人に何をいうと、どんな答えが返ってくるから、そんな心配はない、とおっしゃるでしょう。
にもかかわらず、当の本人は、気がつかないうちに、正論を人にぶつけているかもしれません。
特に、
教えて、
育てて、
力をつけて、
弱いところを解決させたい
お子さんを相手にすると、「それが大人の責任」という、文句のつけられない錦の御旗を掲げていることもあります。
私は、この話を高校生ぐらいの時に友達としていた記憶があります。
その時は、スリランカってつまらない、と言っていたのですが、確か大学生の時だったか、勤めてすぐの頃だったか、正論ばかり言う人に向かって、
「この紅茶野郎!」
と怒鳴る話を読んで、とても共感しました。
そんな私も、今だって、
「この紅茶先生!」
と、罵られているかもしれません。
それを恥じたり、恐れたりする必要はないのです。
あくまで、私という個人が、心の底から大切だ、と思ったことなら、何を言われてもオーケーです。
でも、世間で言われている通り一遍のことを鹿爪らしく、人に求めると、それは、「紅茶先生」なのだと、私は考えています。
あなたは、セイロン好きの「紅茶お母さん」ですか?