そんなに慌てなくていい。
結論は出さなくていい。
決めつけられると、子どもはやる気をなくす。
今週は2回ほど、出勤前の朝にスタバに行きました。
そこで、2回とも、制服姿の高校生(中学生かも?)を見かけました。男の子も女の子もです。
私が朝にスタバにいるのは、けっこうな罪悪感を伴います。
いや、伴っていました、かもしれません。
私は放課後の預かりを担当し、退勤の定時が遅いのと、夏休み、冬休み、春休みは終日勤務になってしまうので、学期中は出勤時刻が遅いのです。
だから、ビクビク、人目を気にして、隠れるようにスタバに入る必要なんてないのです。
でも、こんな時間にいいのかな…と、妙な罪悪感に苛まれるのです。
そんな時に、制服姿の高校生がスタバで、ゆうゆうとスマホをいじり、イヤホンで何やら聞いている…
以前の私なら、腹が立ったかもしれません。
まったく!いい身分だ!
と、イライラしたかもしれません。
テスト期間中かもしれないし、行事の都合で始業が遅いかもしれません。
お母さんがスタバ好きで、待ち合わせはスタバじゃなきゃダメ!とヒステリックになったのかもしれません。
いずれにせよ、朝の9時ごろに制服姿の学生がいたからと言って、イライラする方が不自然な心の偏りがあるのだと思います。
「まったく!サボってないで、学校に行きなさい!」
「こんな時間に制服でカフェなんて、偉そうだ!」
という気持ちが大人に湧いてきたとしてもいいのです。
それを相手の言い分や状況、いろいろな可能性を意識せずに、決めつけることに問題があるのです。
子どもは、厳しい先生が嫌いではないと思います。
決めつけられ、言い分や立場を察してくれないな、と思うと、先生を諦めます。
戦おう、反発しようともしません。
むしろ、大人です。
子どもが先生に腹を立てているなら、涙を流しているなら、諦めてはいません。
本当は、
もっとわかってほしい。
自分を受け入れてほしい。
大切にしてほしい。
けど、期待通りでない。
ならば、状況が良くなるチャンスはあります。
むしろ、良くなるような、何かしらの出来事が起こるものです。
ところが、子どもが諦めてしまうと、出来事は起こりません。ある意味、平穏です。
大人もそうだとは思いますが、決めつけられると、悲しいし、無力感に満たされます。
お母さんの立場から見て、腹の立つこと、悲しいこと、思い通りにいかないことは、たくさんあると思います。
「あなたが、こんなだからよ!」
と、思わずキレてしまうことだって、あって当然です。
キレた後、
「ま、言い分や仕方ない状況があったんだろうね」
と、心の中で思うだけでいいのです。
不思議と、なぜだか、それはお子さんに伝わります。
慌てずとも、子どもは敏感にキャッチして、変わっていくのです。