できれば、愚痴を言わない方がいいけれど、お子さんの心にある鍵を見つけるチャンスでもある。
新橋や有楽町のガード下、というと仕事帰りのサラリーマンが、職場や上司、取引先の愚痴をこぼす居酒屋さん、というイメージがあります。
実際のところはどうなのか、ちょっとわかりませんが、愚痴をこぼすこと、中でも、その場にいない人の文句を言うことは、はばかられることです。
お母さん方の中には、お宅で友人の文句を言うお子さんに辟易して、
「いない人の文句を言うのは、最低なのよ!そんなに言いたいことがあるなら、面と向かって言いなさい!」
と、思わず言ってしまったことのある方がいらっしゃるかもしれません。
親子関係に限らず、誰かの愚痴を聞くのは、心が疲れることでもあると思います。
そして、聞くどころか、その場にいない人の愚痴を自分が言っているのは、自分で嫌な気がします。
それでも、私は誰かの愚痴、文句を言った方がいいと思います。
面と向かって、相手に言えるのなら、家に帰って、愚痴などこぼさないのです。
お母さんがお子さんの愚痴を聞くことは、お子さんの心にエネルギーを貯める、充電のようなものです。
心に溜まった不満は、相手に直接、伝えてこそ、解消できるということは、子ども自身がわかっていることがほとんどです。
でも、できない。
そんな時は、お子さんが嫌いなアイツ、あるいは、困っているあの事を一段、掘り下げて聞いてみるチャンスです。
アイツの何が、どんなところが、いつ…
深く、深く聞いていくと、今まで思いもしなかったお子さんの心の中にある「鍵」のようなものが見つかるチャンスでもあるのです。
私自身、ちょっとケンカの仲裁に入ったつもりが、
「それで?それで?」
と聞いていったことで、
「あ〜そこにこだわってたんだ!」
と気づく機会になったことが、たくさんあります。
そんなことを面談の際などに、親御さんに伝えると、本当に驚かれることもたくさんありました。
愚痴は、言うのも、聞かされるのも、心の重いことですが、今まで気づかなかったことに気づくチャンスでもあるのです。