何もない、イベントもない、普通の毎日こそが、大切。
私の勤める学校では、2年生になると、毎日の日記が宿題として出されます。
私自身、子どもの頃、先生からのお返事が楽しみで、特に低学年の時は、ワクワクして書いていたことも覚えています。
とはいえ、毎日のこととなると、苦しいのも当然です。
何が苦しいか…
それは、ネタがないことです。
「今日は、何もなかったからなぁ〜」
本当でしょうか?
朝、目が覚めてから、全く何もしなかったわけはないですし、目が覚める前には、夢を見ていたかもしれません。必ず、何かはあったはずです。
「自分としては、特に面白かったり、珍しかったりしたことは、なかったなぁ〜」
というのが、正しい表現なのかもしれません。
それは、そうですよね。
そうそう、毎日、毎日、目新しいことやイベントがあるわけありません。
むしろ、そんな目立つことなんて、ないのが素敵なのではないかと感じます。
家族や友達との何気無い会話を思い出し、学校の行き帰りの道で見つけたこと、気づいたことを思い出し、友達や先生の言葉や態度で感じたことを思い出し…
そんなところにこそ、本当に心を打つ、心に残る出来事・トピックがあるように思います。
かつて、ケーキを食べるなんて、お誕生日やクリスマス、こどもの日など、年に数回だった、と言います。
毎日は平凡で、単調で、食卓も地味だった。でも、それが当たり前で、だからこそ、年に数回のケーキのある日が特別だったのですね。
今となっては、ケーキも安くなり、ちょっとしたおやつとして当たり前に用意することも可能になり、食卓には目をひく豪華な食材を並べることもしやすくなっていると思います。
そうだとしても、
「今日は、何もなかったなぁ」
という、つまらなさそうなお子さんの言葉に、
「それは、よかったね!」
と言葉を返したいものです。(もちろん、嫌味ではなく…)
私のこのブログも、同じかもしれません。
以前、あるクラスを担任していた時、子どもにこんなことを言われました。
「先生はいいなぁ、日記、書かなくていいんだから」
私は、すかさず答えました。
「まあね。私は毎日、書いているけどね」
その時は、もうこのブログを書いていたので、そう答えたのでした。
すると、別の子が、
「あ〜知ってる。ウチのお母さん、毎日読んでるよ」
と言ってくれたので、恥ずかしさと申し訳なさを感じつつも、やはり、一人でも、いつも読んでくださる方がいてくれることのありがたさを感じたのをよく覚えています。
この手のブログには、
・読み手を特定の一人、というぐらいに絞って、
・その読み手が、感謝するような役立つことを書いて…
など、たくさん読まれるコツやヒントがあります。
実際、私もそういうことを意識して書くこともあるのですが、特に最近は、私自身が自然と思ったこと、心に残ったことをサラリと書くことにしています。
何もない、イベントもない、普通の毎日こそが大切なのですから、「お役立ち情報の提供者」ではないかもしれませんが、まず私が、肩の力を抜いて、日々の思うことを書いていこうと思います。