え?ウソ!?
ウチの子、ゲームやらなくなった…
ということが起こるヒント
死ぬほど、やらせてみる。
「あ〜そういうことですか…そんなことしたら、本当に死ぬまでやりますよ、ウチの子は。」
〜ですよね。そりゃ、そうですよね。あんなにやらせてあげたのに、全然、満足なんて、しなかったですもんね。もう、イライラしていることをひた隠しにして、言うまい、言うまいと、何度も自分に語りかけ、見るまい、見るまいと、あえて買い物に出かけ、帰ってみたらゲームをやめて、宿題やってたら最高なのに、とわずかな期待を持ちながら、ドアを開けてみれば、あのゲームの音…もう、こんな絶望はしたくない…
ご家庭に限らず、学校だって、子どもの気持ちを切り替えさせることは、とても大事なことです。
「学校」という社会的な場だからこそ、集団性のプレッシャーもあって、ご家庭よりは、切り替えをキチンとできるものですが、そうは言っても、おしゃべりに夢中になったり、すべきことに集中できなかったりすることもあるものです。
一方で、チャイムや笛など、「強制力」のきっかけなどなくても、子どもが自然に勉強に集中することもあります。
それは、子どもが楽しい課題だから、とも限らないのです。
淡々と、書いたり、問題集を解いたりという授業でも、集中することもたくさんあります。
では、その秘訣は何か。
課題の前に、しっかり遊んでおくことなのです。
しっかり体を動かしておくと、心が真に満たされるようです。
すると、「あ〜嫌だな」の気持ちが湧いてこないのです。
心の底から満足するということは、建物の基礎にコンクリートをしっかり打ち込むことと同じです。
自分は何をすべきか、という「建物」を作る上で、満足という「土台」がないと、グラグラしてしまいます。具体的には、気が散る、ということです。
先日、無性にポケモンGOをやってみたくなりました。
卒業生の大学生と話していて、どうすればいいか、教えてもらったからでしょう。
小雨も降りそうな、先週の土曜日の夜。
妻は予定があり、帰宅は遅くなる日。
ご飯も炊いておき、料理は野菜炒めでも作るか、と材料は買ってある。
誰にも迷惑はかからない状況です。
にもかかわらず、やりたいのに、妙な罪悪感が心の中にあることに気づきました。
吉祥寺界隈といえば、誰に見られるかもわからない。
先生が夜に出かけて、ポケモンに夢中なんて、いいのだろうか。
こんなオジサンが、スマホ片手に明らかにポケモンしてるなんて、恥ずかしい。
こんな時間から出かけると、夕食は9時近い…体に悪い…
結局、私は行きました。
動物園の周りも歩き、もちろん、池の周りも歩き、玉川上水沿いも歩きました。
いやあ、満足した〜
やはり、「心の底からの満足」が重要なのです。
イライラしながら、不安を持ちながら、ヒヤヒヤしながらでは、何十時間やっても満足なんてしません。死ぬまでやっても満足しないわけです。
ポケモンなり、ゲームなり、お子さんがハマってしまっていることをやめさせたいなら、お子さんは、どうすれば心の底から満足できるかを考えるチャンスです。
ゲームそのものが本当に楽しいなら、その楽しさを一緒に味わうことが、意外と効果的です。自分の好きなことをお母さんも一緒に楽しんでくれた、ということは、満足感を大いに高めますから。
実は、ゲームそのものには関心がないこともあります。
お母さんも一緒に楽しんでくれたら、それでいいんだ、という子も多いのです。
お母さん!
もしかしたら、お母さんご自身が、何か自分の好きなこと、楽しいことに没頭したり、欲しいものを後先考えずに買ったりすることに、何がしかの抵抗感がありませんか?
あるいは、
「子どもにそんなワガママさせて、ダメな親ね!」
と、誰かに言われることが嫌なだけではありませんか?
先日、私は、お肉を好きなだけ食べていい、という記事を書きました。
すると、とあるお母さんが、
「先生、あれを読んで、気が楽になりました」
と声をかけてくれました。
ご自身は、本当はお肉が好きだけど、お子さんの手前、我慢していたのだそうです。
お母さんが我慢していたら、お子さんも我慢しないわけにいきません。
上司が早く帰ってくれないから、部下が早く帰れないわけです。
どうやら、大人の方こそ、心の底から満足することは、子どものためになるようです。