思い込みの恐ろしさ。
先日、ポルシェのディーラーに行きました。
営業マンから、話を聞き、試乗もしました。
もちろん、そんなことで決まるわけもなく、契約のけの字もないまま、帰宅しました。
ただ、そんなことは、車屋さんなら、ポルシェだろうが、ベンツだろうが、トヨタだろうが、中古車だろうが、当然でしょう。
そして、帰宅後、ネットで、いろいろな記事を見ていました。
そこで、目に飛び込んできたのが、
「徒歩で(車なしで)ポルシェを身に行ったら、受付で無視された」
「ベンツに乗っていったら、ロールスロイスに乗っていたお客を優先された」
などという記事でした。
なるほど。そうなのかもしれません。
お店に行く前に見ていなくて、よかったな、と思いました。
少なくとも、私自身は、駅から歩いてディーラーに行き、受付の人に目的を伝え、営業の人と話して、嫌な思い一つせず、帰ってきました。
「それは、気づかないおバカなんだよ」
とも言えます。
実は、裏では、
「歩いて来るなんて客は適当にしとけ」
と、言われていたかもしれません。
繰り返しますが、私自身は、そんな気配を感じなかったのです。
「実は、裏では…」
と、考える必要があるのでしょうか?
そう思われていたかもしれないし、私が感じたように、何とも思われなかったかもしれない。
わざわざ、「裏では…」と考えるということは、常々、
「自分は、軽く扱われる人間なんだ」
と自分で考えている、ということです。
「こんな自分はダメ」
と考えていると、全てがそういうように、とらえられます。
もしかしたら、歩きでポルシェに行った人は、緊張のあまり、トゲトゲしていて、声をかけるなよ!とオーラを発していたのかもしれません。
もしかしたら、ベンツでポルシェに行った人より、ちょっとだけ、ロールスロイスで来た人の方が早かったのかもしれません。
今回の記事は、車だ、ポルシェだ、ということで、お母さん方には実感を持ちづらかったかもしれませんが、話を学校や塾や、友人関係に置き換えても、同じことです。
学校では、
「いつも、この子は、私が来ると、避けて行っちゃう」
などということがあります。
本当にそういう時もあるし、傍で見ていて、それは考えすぎだな、という時もあるのです。
思い込みが偏ると、現実の生活を大きくゆがめることにつながりそうです。
どうせなら、自分は大丈夫、という思い込みを持ちたいものです。
※作家の林真理子さんは、いじめられていたことを、「この子たちは、こんなに私のことが好きなんだ」と思って、疑わなかったそうです。
私は、ディーラーに置いてあった、真っ赤なボクスター(二人乗りのオープンカー)を買うことはできませんでした。いろいろな意味で…
まだ、私には時期ではないのでしょう。
でも、それは私がダメということではない。
むしろ、ここで無理をして、買っていたらダメ、と今の私は感じます。
ただ、それも私の偏った思い込みなのかもしれません。
いつか、自然と真っ赤なポルシェを買える日が来るのだろうと思います。
あるいは、来なくても、別にいいのだと思います。