「大丈夫」は魔法の言葉。
でも、意味は2通り。
心の言い訳としての、言葉だけの「大丈夫」を、心の底から湧き出る、温かい「大丈夫」に変えるには…
先日、久しぶりに卒業生のお母さんと立ち話をする機会がありました。
つい、懐かしく、いろいろなお話をし、楽しい数分でした。
その会話の中で、印象的だったのが、この会話です。
「まあ、結局、どうなっても全部、大丈夫なんですけどね」
全く、名言だと思いました。
その通り、どうなっても、できても、できなくても、成功しても、失敗しても、結局は全部、大丈夫。
お母さんが、そこまでドッシリしていてくれたら、子どもは本当に安心できると思います。
とはいえ、正直に私の感想を言うと、そう仰ったお母さんの言葉の中には、自嘲の色も見えました。
会話の流れから察すると、今のお子さんに不満という訳ではないが、本当はこうしたかったのに、そこまで引っ張れなかった、というような感じです。
このお母さんなら、多少の文句や嫌味を言ったとしても、きっとお子さんの今を受け止めてくれるとは思います。
でも、心の片隅に、後悔のようなものは残っているように、私には感じられました。
それは、白いワイシャツの裾口についた、ちょっとしたコーヒーのシミのようなものかもしれません。
気づかない人がほとんどなのに、自分では気になって仕方がない、そんな程度のシミです。
子どもは、そういうお母さんの本音に敏感ですから、他人から見ると仲良し親子でも、子ども本人には、
「ボク(ワタシ)は、お母さんを満足させられなかったんだ…」
という、やはり本人にしか気づかない、裾のシミがついています。
かくいう私自身、中学受験で、合格確実と言われていた学校に落ちた時、落ちたこともショックでしたが、母を傷つけたこと、期待に添えなかったことが、一番、ショックでした。
「大丈夫」は、魔法の言葉だと私は思います。
が、心の底から、それでいいよ、という大丈夫と、実は本音では納得がいっていないけど、仕方がないから、それでいいよ、という大丈夫の2種類がありそうです。
では、本音で思えていない、心の言い訳としての「大丈夫」を、心の底から湧き出る感情としての「大丈夫」に進化させるにはどうするか…
その重要なキーは、お子さんをそこまで引っ張れなかった、という考え方で、自分を責めないことです。
私自身の例でも書いたように、子どもはお母さんの期待に応えられなかった、という感情は、実態以上に強く持ちがちです。
お母さんが、ご自身を責めると、その傾向に拍車をかけます。
つまり、
「私は、十分以上に、やったんだ、やっているんだ、大丈夫だ」
という心の持ち方をすることが、一番、大事なのです。
そこまで、お母さんが思ってくれれば、お子さんは気遣いなく、自分の道を進んでいくことができると思います。