神は細部に宿ると言いますが、お子さんを勇気づけるのは、たった1文字です。
私の勤める学校には、3年生まで、「個別」という授業があります。
この授業について説明するのは、少々難しいのですが、具体的にやっていることだけを言うと、音読と写し書きです。
その中で、写し書きは、教科書や岩波子どもの本などの良書を子ども達の自由意志で、個別進度で進めるわけですが、まあ、自由と言っても、ある程度の最低基準はあります。
そういうわけで、子ども達は、最低基準だけをやって、次のことに進もうとする子もいれば、もっともっと、と進めていく子がいて、そこに差が出ることは、当然だと私たちは考えています。
たくさん書かせれば、それだけ伸びる、というものでもないのが、難しいところなのですが、私たちは、子ども達が書いた分量に、一喜一憂してはいけません。まして、
「あ〜3ページしかやっていないんだね」
というような言葉かけをすると、その子にプレッシャーをかけるだけです。妙な追い込みは、いずれ、どこかで別の出方をします。
一方、
「ほ〜さすが、5ページもやったんだね」
という言い方はどうでしょう?
ダメ出しではない、ということは言えますが、周りの子にとっては、プレッシャーや自分を責められている気になるかもしれません。
ということで、少なくとも、この個別の授業の場合、書いた分量を評価対象にしないよう、言葉には神経を使います。
私なら、
「はい、できたね」
とだけ言って、丸をつけます。
(ちなみに、丸にも褒賞的効果を与えないため、花マルやメッセージも入れず、単なる確認の丸にします)
私たちは、教師の評価を得るために、書いたり読んだりさせないよう、気を遣っているのです。
子ども達は、本当に大人の顔色に敏感です。
大人に、特にお母さんに喜んでもらいたいのです。
ですから、言葉の端々も聞いていて、表情もよく見ていて、どうすればいいか観察していますし、あるいは、「どうせ私にはムリ」とスネます。
例えば、
「はい、今日もできたね」
「はい、今日はできたね」
この1文字の違いが、どんな影響を与えるでしょうか。
時と場合、お子さんのタイプ、お母さんの性格によっても違います。
何が正解か、ということではなく、「今」は何がベターか、ということを意識したいものです。