正しいことは大切なんだけど、分かっちゃいるんだけど、そうしなくちゃいけないと思ってるんだけど、でも…
間違っていることは、いけない。
正しいことは、いい。
でも、正論って、やっぱり素直に聞けないところがあります。
正しいことを教えることを求められている「学校の先生」である私は、先生だからこそ、そう思います。
この気持ちは、どうも高校生の頃からあるようで、何かの時に、友人に正論を言われ、
「スリランカは嫌いなんだ」
と、インテリぶって、つぶやいてみたのを覚えています。
(後日、本を読んでいて、正論ばかりぶつける人に、紅茶野郎!と書いてあるのを見て、とても嬉しかったのも覚えています…)
さて、小学生にとって、最もよくあるのではないか、という正論対決は、
「宿題、早くやりなさい!」
「もう、わかってるよ。今、やろうと思ってた!」
という会話かもしれません。
宿題でも、歯磨きでも、片付けでも、やらなきゃいけない、やった方がいい、やればお母さんは喜ぶ、など、「正しさ」は、子どももよくわかっているのです。
でも、でも、でも…
「わかっちゃいるけど、やめられない〜」
大人は、子どもに正論を求めていいと、私は思います。
誰かが、正論を語っていないと、何が正論かわからなくなってしまいます。
正論を子どもに求めつつ、無理な時もあるよね、と柔軟に思っておく必要があるように思います。
「わかっちゃいるけど、やめられない」
あなたにも、何かありますか?
私には、もちろんあります。
まあ、仕方ないか…
という心の余裕を20パーセント残して、正論を求めたいものです。
それにしても、言われないでも、自然とやるようになれば、こういう会話は無くなるんですよね。
私は、子どもの頃、歯磨きが本当に嫌でした。
母は、私の歯をとても大切にしようとしてくれたようです。
あれこれ要求が多く、それが必要以上に私にプレッシャーをかけていたのかもしれません。ずいぶん、歯医者に連れて行かれました。
ところが、高校生の時には、言われないでも、歯磨きをキチンとしないと気持ち悪くなっていました。
もちろん、この頃には、うるさく言われることも、ほとんどありませんでした。
しかも、その後、歯医者さんで、歯をとても褒められて以来、気持ちが良くなり、歯のケアは、嫌な気がしません。
私の場合、歯磨きは自分でやる気になりましたが、勉強は、まあまあでした…
お母さんが、求めたいと思えば思うほど、そのプレッシャーが子どもの動きを止めてしまうかもしれません。
求めることは間違っていない、と私は思います。
20パーセントはできなくてもいい、と子どもの心にスペースを作ってあげてみては、いかがでしょうか?
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