ない、ない、と思っていたものが、身近にある。
特に、他人にはあって、自分(我が子)にはない、というものほど?
他人の中に自分にはない良さを探すのは、もったいない。
実は、もう、自分の中に、十分なよさがあるのではないでしょうか?
隣の芝生は青い
と言います。
私にも、その感覚はあるので、わかる気がします。
先日、とある女子と話していました。
その時、ふと現れた上級生の女子と、二言三言、言葉を交わし、上級生の子は、サラリと去ってしまったのですが、その時、
「あ〜あんなお姉ちゃんが、私にもいたらよかったのに…」
と、私の横で、彼女はつぶやいたのでした。
彼女のお姉ちゃんのことを私は知りません。
が、彼女とのこれまでの会話で、お姉ちゃんへの信頼感や、あこがれのようなものを感じていたので、特別、関係が悪いというわけでもなさそうです。
颯爽と去っていった上級生の女子は、彼女とは、またタイプの違う子です。
スポーツがよくできて、なんとなく、キラキラした感じがします。
「あんなお姉ちゃん…」
と、彼女は言いましたが、どことなく、
「私もああなりたい。あんなだったらよかったのに…」
という気持ちが垣間見えた気がしました。
彼女は、物静かで、口数も少なく、その分、周りのことをよく見ていて、冷静です。信頼できます。
でも、そんな自分の特性を
「つまらない」
ととらえてしまうんですね。
私からすると、もったいない!とんでもない!ということですが、本人にしてみれば、そうなのです。
私は気遣いでなく、彼女の魅力を感じていますので、とりたてて、彼女を妙に褒めてみたり、励ましてみたり、あるいは去っていった上級生を悪く言ったりもしません。
単純に、それぞれの魅力を感じ、それぞれが、もっと自分らしさを磨いてほしいと思って、見守るのみです。もちろん、会話もしますし、一緒にも遊びますが、「あえて」、何かをすることはありません。
話はガラッと変わります。
フレンドリーな接客で、ファンをつかんでいるスターバックスコーヒーですが、よくFacebookやツイッターなどで、カップに一言、メッセージを添えてくれるのが、嬉しいとか、癒されるとか、励まされる、という写真を見ることがあります。
私は、もらったことないなあ〜と漠然と思っていて、そんなに欲しいとも自覚していた訳ではなかったのですが、つい先日、入ったスタバで、とうとうメッセージがあるのを見つけ、2つの大きな学びがありました。
まず1つ目。
そのメッセージは、
「Thank you !」
という、特別なものではなかったのですが、妙に嬉しい自分に気づきました。
「別に、欲しい訳じゃないよ〜」
とニヒルを気取ったいたわりに、実は、
「いいな〜自分にはないな〜」
と、「自分にはない」ということを過剰に意識していたんだな、ということに気づきました。
そして、2つ目。
実は、気づかなかっただけで、今までもメッセージはあったのではないか、ということです。
この日、メッセージに気付いたのは、カップを運んだ時に、うっかり揺らしてしまい、少し中身がもれてしまったのです。そこで、こぼれたところやカップの脇を拭いたのですが、その時に、メッセージに気付きました。
日頃、そんなに頻繁にこぼす訳もなく、カップの飲み口は1か所しかないわけで、ぐるぐるカップを見回したりはしません。
ということは、ないない、と自分で決めつけていただけで、実は探していなかった、気付いていなかっただけ、という可能性もあるということに思い当たったのでした。
私は、ということかもしれませんが、クラスで子ども達と関わってきて、人の目は、
「ない」
ことの方に向きやすく、しかも、そのことをネガティブにとらえがちだと感じます。
が、それは、もしかしたら、もったいないことなのかもしれません。
本当の自分の魅力を隠してしまう心の持ち方かもしれません。
あるいは、本当は、もうあるのに、ないと決めつけているだけかもしれません。
このところ、スタバでは、いろいろなことに気づかせていただいています。
割高な(!)コーヒーも、私にはとんでもなく、お安い授業料のようです。
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