無理なものは無理でいいけれど、その伝え方を工夫したい。
言い方を間違えると、お花見シーズンを前に、ママ友関係に、ヒヤリとした風を吹かしてしまうかもしれません。
他人の作ったおにぎりを食べられない小学生は25パーセントにもなっているそうです。
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同じようなテーマについて、以前、テレビ番組で県民性の違いを特集していたのを見たことがありますが、衛生意識の高まりは、小学生にもあるのでしょう。
そういう状況に対して、
「だから、今時の子は弱いんだ。少しぐらい、砂がついてたって大丈夫なんだよ〜」
というような衛生批判論も起こるものですが、私の考えは、
「嫌なら嫌でいい」
ということです。
私も、かつては、ある意味、潔癖性時代に疑問を持っていました。
子どもには、たくましさも重要、と思っていました。
が、経験を積むにつれ、そういうことで、子どもを追い込む必要があるのだろうか…と思うようになりました。
例えば、お母さんやお父さんなど、身近な家族の衛生意識が高い場合、それを批判する権利が、学校にあるでしょうか?
また、お母さんやお父さんは、全く気にしないタイプでも、お子さんにある種のこだわりがあって、どうにも受け付けない、ということもあるのです。
これを好き嫌いはいけない、などという正論で、やはり子どもを追い込む必要があるのでしょうか?
ですから、私は、
「嫌なら嫌でいい」
と思うのです。
しかし、その「嫌だ」ということの表現方法には気をつけさせたいものです。
私の勤める学校では、2年生から1週間近く、臨海学校に行くのですが、そうすると、嫌なもの、苦手なものをいただく機会も、当然ありえます。
そんな時、どうしても無理なら、無理でいいと私は思っているのですが、
「こんなのムリ〜」
とお箸で、ピンとはねるような態度を取る子がいることがあります。
これは、嫌であることの表現方法を間違えているのですね。
例えば、
「口に合わないので、すみません」
など、別の表現方法を教えてあげることも必要でしょう。
だんだん、春めいてきました。
お花見など、公園やアウトドアで、皆さんでお弁当を持ち寄って楽しむこともあるかもしれません。
そんな時、せっかく友達のお母さんが握ってくれたおにぎりを
「あ、汚いかもしれないから嫌だ」
ということを直球勝負で言ってしまうと、せっかくの楽しいムードもヒヤリとした風で冷えてしまいかねませんね。
無理なものは無理でいい。
だから、その伝え方を練習しておくことをお勧めします。