怒ることも叱ることも同じ。
言葉のアヤに惑わされず、怒っている人は損をしている。という単純なことを知っておくといいのでは?
怒るべきか、怒るべきでないか、という精神的な問題ではなく、システムとして…
先生、あの子を叱って!
と言われることがあります。
話を聞いてみると、なるほど。確かに、よくない。
その子を叱ってみたとします。
すると…
先生、怒りンボだね…
と冷ややかに見られる。
なんてことにもなります。
これは、私の上手い下手もあるでしょうが、それよりも、何よりも、怒っている人が発散する負のエネルギーが、周りの人々にダメージを与えるからではないかと思います。
先生!
怒るからダメなんじゃないですか?
しっかり、理屈を通して、叱らないと…
いえ。
私の考えからすると、怒ることも叱ることも同じです。
感情的になることが怒る、筋を通しているのが叱る、という使い分けは、大人の都合です。
その人の立場で、感情的なのか、理屈を通しているのかが決まる訳です。結局、怒るも叱るも、何にも差はないと思います。
わかっちゃいるけど、なかなかできないこと。
本当はわかっていることとして、
大人の状態が子どもにうつってしまう
ということがあると思います。
お母さんや先生が、いつもニコニコ、上機嫌なら、お子さんも上機嫌になりやすいでしょうし、いつも怒っていれば、お子さんは何かを抑圧しやすいでしょう。
教室も同じです。
誰かが怒り出すと、そのエネルギーはすぐに伝播します。
どれだけ怒っている内容に正当性があっても、怒りグセのある人は、結局、理解してもらいにくいです。
しつけや教育という機能を使って、正しいことを要求し過ぎると、子どもを傷つけてしまうようです。
私は、職業として、正しさを教えることをしていますから、折に触れて、それを再認識する努力をしています。
正しさを要求し過ぎるとどうなるか。
それは、子ども達の様子を見ているとわかります。
ん?
なんか響かない…
そんな兆候に気づくと、私はまず、言葉を減らします。
焦って、言葉を重ねると、大変です。
お母さんだって、先生だって、人間ですから、理不尽に要求してしまうこともあるでしょう。
そういう理不尽さを、どうやり過ごすか、ということも、子どものうちに学ぶべき処世術でもあると思いますが、大人の側としては、怒ることは損だ、と思っておくと、ふと立ち止まる機会になると思います。