ゲーム機バキバキ事件に思う、「制裁」の効果
ゲーム機をバキバキにする程の怒りは、さすがに人を動かすと思います。
が、そこまでやってしまう人なら、そういう怒りは、よくあるのではないかと思われ、そうだとすると、慣れてしまって、効果はなくなるのではないでしょうか。
バイオリニストの高嶋ちさ子さんが、2月12日付東京新聞に書かれたコラム、「ゲーム機バキバキ事件」がネット上で、大炎上した、との話を見かけます。
このような話は、高嶋さんだから大炎上したのであって、世の多くのご家庭で、よくある話なのではないかと思います。
まさか、バキバキまではしません!
とおっしゃる方も、ゲーム機没収ということなら、ご経験もあるのではないでしょうか。
しなくてはいけないけれど、したくない。
そういうことは、たくさんあります。
自分から、進んでやってほしいけれど、なかなかそうもいきません。
そこで、何度も何度も、言う羽目になり、お互いに辟易してしまうこともあるでしょう。
最終的には、雷を落とす、お楽しみを取り上げる、あるいは、成功報酬をぶら下げる、ということになりがちです。
こういう方法は、ある一定の効果があるように私は思います。
が、それは頻度が少なければ、ということです。
「結局、お母さんは、怒鳴って終わりだからな~」
と子どもに思われてしまえば、効果はなくなります。
むしろ、この怒りさえすぎてしまえば、もういいや、ということになります。
そもそも、怒っている人は、どうも、「怒っている」というだけで、大きく損をしているようです。(もちろん、自戒をこめて言っています)
どれほど、怒っている内容が正当なものでも、「怒っている」というエネルギーが、人にダメージを与えるのでしょう。
人を呪わば、穴二つと言いますが、
「これだけ、お母さんは怒っているのよ」
というエネルギーの放出は、内容よりも、怒りのエネルギーへの拒否感を誘発してしまうようです。
ですから、ゲーム機バキバキの効果は、というと、1回や2回は効果があるでしょうが、3度目はもはや、ダメなのではないかと思います。
何とか、落ち着きを保って、子どもに話を伝えたいものです。
それにしても…
本論とはずれますが、このバキバキ事件を受けて、
「やりすぎ」「虐待だ」
という声が上がるというのも、いいような、悪いような、複雑な気持ちです。
「やりすぎだ」
というのは、わかります。
しかし、
「虐待だ!」
というのは、少々、過剰な気もします。
実際、そういう小さな出来事の奥に、ひどい虐待が潜んでいることもありますから、慎重になった方がいいとは思いますが、それにしても、ちょっと批判も行きすぎかな、という気がしました。