2015年
12月
01日
火
2015年
12月
02日
水
エレガントな子育てのために
お母さんが「わかりません」と言う。
だから、お子さんも素直に、正直になれるのではないでしょうか?
わからないことは、わかりませんと言いましょう。
と、よく言います。
あなたも、お子さんによく話をされているのではないかと思います。
でも、これが、なかなか言うことができないものです。
頭ではわかっていても、
・できない子と思われたくない。
・できない自分と向き合いたくない。
と、自信のなさをさらに助長することになってしまいます。
まさに悪循環です。
ですから、堂々と、お母さんが見本になって、
「私には、わからない!」
と宣言していただきたいと私は思います。
何かができる、わかることに価値や評価を置く価値観は、逆に言うと、わからなかったり、できなかったりしたことが、恥となる考え方になります。
たとえ、できなくても、わからなくても、真摯に、正直に取り組む姿勢に光を当てる生き方は、素敵だな、と思います。
とはいえ、言うは易く、行うは難しです。
そう簡単ではありません。
でも、きっと、鎧を脱がなくてはならない、何か出来事が起こるのだと思います。
誤魔化しきれない何かの出来事です。
すると、
「あ~スッキリした~」
と言えるのです。
それまで、時期を待たなくてはならないのかもしれません。
それからでも、遅くはないので、大丈夫です。
2015年
12月
03日
木
エレガントな子育てのために
2015年
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04日
金
スマートな子育てのために
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05日
土
2015年
12月
06日
日
スタイリッシュな子育てのために
スマホ育児の問題点は、近い将来、お子さんにスマホを使わせないようにしたいと思っても、説得力がないこと。
スマホ育児という言葉があります。
お子さんをあやすのに、スマートフォンを使ったり、あるいはお子さんそっちのけで、スマホいじりに夢中になっていたりすることを問題視して、使う言葉です。
以前、「ゲーム脳」などという言葉が流行り、私の勤務する小学校でも、職員会議で関連書を読んだり、検討したりしたことがありました。
そのようなデジタルデバイスの脳科学的、情緒的影響には、諸説あり、私には、その詳細はわかりません。
ですが、スマホに代表されるデジタルデバイスが、子ども達の人間関係トラブルを増やす要因の一つであることは間違いありません。
私が、小学校の現場にいて感じることは、そのようなトラブルの時、いくらお母さんが、危険性を言ったところで、
「お母さんだって、やってんじゃん」
という冷たい、一言で、一気に説得力がなくなってしまうことが大変だな、ということです。
ご想像の通り、お子さんは大人の言動をよく見ています。
お母さんや、お父さん、私たち教師のことも、よく見ています。
その言動の矛盾点を無意識のうちに、探していると言ってもいいぐらいです。
スマホは便利です。
お兄ちゃんやお姉ちゃんをお母さんと一緒に迎えに来る小さな子達を見ていると、お母さんがスマホで、あやしたくなるのも理解できます。あっという間に静かになり、興味津々でYouTubeなどを見ていますから。
ですが、先々のことをちょっと想像すると、スマホの使いすぎは、いろいろな面で、お母さんを苦労させることになりそうです。
2015年
12月
07日
月
エレガントな子育てのために
声を小さくする。
スポーツで試合の前には、チーム一丸となって、大声をあげることがあると思います。
大きな声は、心を高揚させ、活動的にします。
子どもは、放っておけば、動いてしまうのが当たり前ですから、それに加えて、声が大きいとなると、輪をかけて落ち着きがなくなってしまいます。
大きな声を出さずにはいられない…
そうお思いかもしれませんが、意外なことに、大きな声を出すことで、ご自身が心にたまったモヤモヤを発散されているのかもしれません。
イライラしたり、腹が立ったりする気持ちを無理に収めようとすると、おかしな歪みがたまります。
ですから、イライラしていいし、腹を立てていいのです。
その気持ちを出す時に、声を小さくすれば、少々、嫌味を言っていたとしても、ダメージは小さくて済むでしょう。
「イライラしないヒント」
を探すのではなく、
「イライラしても、ダメージが小さくて済むヒント」
を試すほうが建設的だと私は思います。
その一つとして、
「声を小さくする」
ちょっと試してみてくだされば、光栄です。
2015年
12月
08日
火
シンプルな子育て論
2015年
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09日
水
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12月
09日
水
シンプルな子育て論
2015年
12月
11日
金
エレガントな子育てのために
口出しをしない
問題を一人で抱え込まず、人に相談することは、大切です。
しかし、おせっかいは困りものです。
おせっかいなのか、親切なのかの分かれ道は、
「誰にとっての話か」
ということです。
相談に乗ってあげたい人の気持ちを満たすためなのか、
困っている人の気持ちに沿ったものなのか、
それによって、おせっかいか親切かが決まるのでしょう。
一人ひとりの個性によって、関わり方も変わりますが、一つのヒントとしては、言われもしないうちから口出しをしない、ということがあるのではないでしょうか。
教室でお母さん方のもめ事に直面することがありますが、
「頼んでもいないのに、あれこれアドバイスされて、ちょっと困っている」
ということがきっかけになっていることが多いのです。
頼りになるお母さん
なのか、
単なる自慢したいお母さん
なのか、
そこの違いは、圧倒的な差です。
ちょっと意識してみては、いかがでしょうか?
2015年
12月
12日
土
2015年
12月
13日
日
スタイリッシュな子育て論
分量は多ければいいというものではない。
時には、量を減らす。
「習うより慣れろ」と言います。
私自身、このブログも、習うより慣れろの精神で、まずはやる!ということだけで、なんとか8ヶ月にわたって続けてこられました。
同じように、子どもが何かを身につける時も、練習あるのみ、場数第一というのはどうなのでしょうか?
私個人の考えとしては、それが基本だと思います。
しかし、それは、子どもが理解している内容・レベルであり、気持ちもある程度は安定している、という前提があるなら、ということです。
子どもは、叱られないためというだけでなく、お母さんを傷つけなため、と考えて、わかっているフリをすることも多くあります。
本当はわかっていないのに、素直に言えないのです。
それなのに、やれ!やれ!では、やれないのも当然です。
また、体調が悪かったり、友達ともめていて、やる気になれない、などという時に、また、やれ!やれ!でも、できなくて当然です。
もし、お子さんが練習をしたがらないなら、
・まず、理解できているか
・次に、体調や気持ちはどうか
を探ってみましょう。
問い詰めるのではなく、落ち着いて確認してみてください。
ハッキリしてから、分量を増やしたほうが、かえって身につくので、効率的です。
急がば回れ、ですね。
2015年
12月
14日
月
外遊びに勝る勉強法はない!?
あれこれ、理屈をいうより、何より、外遊びが一番。
12月12日付朝日新聞デジタルに、
という記事が掲載されていました。
このところ、子どもの体力や運動の力が落ちているという統計をよく目にしていたので、ちょっと驚きの記事でした。
このように女子の体力が向上したのは、体育の授業や部活動、あるいは習い事の充実などが寄与したのか、別の理由があるのかわかりませんが、私としては、単純な外遊びに勝るものはないと思います。
子どもは、いけないと言われても、自然と走ってしまうものです。
疲れても、疲れても、少しすると、また走ってしまう。
そういうものでしょう。
学校は、もちろん私も、ケガを防ぐために、
「走ってはいけません」
と言います。
でも、走ってしまうのです。
真剣に叱ります。
それでも走るのです。
それが摂理とでも言うのでしょうか。
もし、走らないなら、そこには何か配慮すべきことが潜んでいるように思います。
例えば、足が遅いと思われたくない、運動ができない自分と直面したくない、友達とうまくいっていない…
など、何か目を向けなくてはならないことがあるのです。
ちなみに、この記事によると、小5男子は過去最低だったそうです。
運動に距離のある女子への働きかけ効果があった、とスポーツ庁の担当者は語ったとのことでしたが、子どもが自然と走りたくなるような物理的、心理的環境を整えてあげることが、体力、運動力の向上に最も効果的なのではないかと私は思います。
そうして体力、運動力が伸びれば、精神力、学習の成果も伸びてくるのだろうと思います。
2015年
12月
15日
火
2015年
12月
16日
水
「安心してください」
毎年恒例の冬の行事となった「今年の漢字」…
「安」
に決まったと、朝日新聞デジタルに記事が掲載されていました。(こちら)
安倍政権の下で、安全保障をめぐって国論を二分したことなどから選ばれた、とのことでしたが、わたしにとって、
「安心して」
は口癖のようなものだったので、ちょっと嬉しい気がしました。
しかし、最近は、
「安心して」
と言うと、「穿いていますよ」と続けて笑われることが増え、ちょっと複雑な心境です。
それはさておき、やはり、私は、子どもに対して、不安を煽るのではなく、安心させてあげられるような言葉かけ、関わりをしたいな、と思います。
日頃の授業ではできているのに、テストだとできなかったり、練習ではよく動いているのに、試合になると妙に動きが悪かったりする姿を見ることがあります。
いざという時、多少、緊張するのは当たり前ですが、
「うまくいかなかったら…」
と不安が高まると、本来の力が発揮できないのです。
間違えをごまかす必要はありませんが、間違えを指摘して、傷に塩を塗るより、どうすれば、子どもが安心できるか、本来の力を発揮できるか、という考え方で、言葉を選びたいものです。
子ども達を安心させるためには、何より、大人が安心していないといけません。
どうすれば自分が安心か、いつも考えていたいと思っています。
2015年
12月
17日
木
シンプルな子育て論
正直に勝る関係論なし
私には「相手を気遣って」、ホンネをあまり言えないところがあります。
「こんな言い方をしたら、気を悪くするかな…」
「これは、言わない方がいいだろう…」
ですが、
「相手を…」
と言いながら、実のところ、自分が悪く思われるのが不安だったんだな、と気づいてから、「逆」だな、と思うようになりました。
教室の子ども達は、いつでも失敗をし、苦労をします。
むしろ、教室だからこそ、そういう経験をする場を温かい目で見守る雰囲気を作らなくてはならないと思っています。
で、あるならば…
私自身が失敗すること、苦労すること、恥をかくことにオープンでなくてはなりません。
そういう「正直な」・「ありのままの」空間に、小さい時に身を置いておけることは、人間に対する基本的な信頼感を育てることになると、私は考えています。
ダメな自分を隠そうとするから、かえって目立つ…
ホンネを言わずに、きれいごとしか言わないから、かえって軽く扱われる…
それが一つの真実だとするなら、やはり、正直な人は、結局、信頼されるのではないかと私は思い、日々、トライしています。
あなたにとって、「正直」であることは、どんな価値がありますか?
2015年
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エレガントな子育てのために
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情報の価値
2015年
12月
24日
木
頑張り屋さんほど、あえて休ませてあげたいものです。
2015年
12月
25日
金
心を励ますヒント…
一緒に歩くこと。
世の中、思い通りにいくことばかりではありません。
意図していたにせよ、していなかったにせよ、人を傷つけてしまうこともあるでしょう。
もちろん、傷つけられてしまうこともあるでしょう。
私も同じです。
傷ついたお子さんを見ると、何とか励ましたい、とお感じになられると思います。
今日は、そんな時は、一緒に歩いてみませんか?とご提案したいと思います。
歩くことのメリットは、まず、「動くこと」です。
元気だから、体を動かすのではありません。
体を動かすから、元気になるのです。
しかも、歩くことは走ることと違って、緩やかな運動です。
上手下手もありません。
勝ち負けもありません。
心を励ますのに、ちょうどいい強度です。
そして、次のメリットは、「外の空気」です。
空気が変わるだけで、気持ちが変わります。
鳥の鳴き声や車の音も、不思議と気持ちを鎮めることに役立つものです。
この時期は、少しひやっとすることもあり、気分転換の、いいきっかけになるでしょう。
最後のメリットは、「同じ方向を向く」です。
部屋で向き合っていると、どうしても「対面」になりやすく、それは「対決」に通じ、つまり、「否定」・「論争」になっていく危険性があります。
課題から目をそらさず、向き合うことも必要な時がありますが、今日のテーマは「励ます」ことです。
ですから、向き合うのではなく、同じ方向を向く方が効果的です。
一緒に歩けば、横にならんで歩くわけですから、当然、二人の視線は同じ方向に向きます。
「未来志向」です。
これから冬休みに入ります。
年末年始は何かと忙しいとは思いますが、家族がそろう大きなチャンスでもあります。
どこに出かけても人だらけのこの時期、30分でもお子さんと並んで歩かれてはどうかと思います。
2015年
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26日
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日
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12月
28日
月
現役小学校教師が提案する、冬休みに学びと親子の絆を深められるヒントとは…
お雑煮をいただく
冬休みは期間こそ短いものの、日ごろ忙しい、お父さんも休めて、ご両親、ご家族がそろいやすい、という良さがあります。
また、次第に薄れているとはいっても、各ご家庭ごとに、それぞれの年末年始の過ごし方や行事があり、家族の絆を深めたり、社会科の勉強になったりします。
その中で、最もオススメなのは、お雑煮です。
ベースは、味噌仕立てでしょうか、おすましでしょうか?
お餅は、丸いでしょうか、それとも四角いでしょうか?
しかも、焼いていますか、いませんか?
どんな具が入っていますか?
など、地域性があるので、とても勉強になります。
また、お父さんやお母さんの子ども時代の話を自然に聞くことができ、親子のコミュニケーションも、まろやかなものにできるでしょう。
ちなみに、私の場合、父は島根の出雲地方、母は香川の出身です。
双方に共通しているのは、丸い餅で、焼かないこと。
一方、父の場合、出汁と醤油だけのシンプルなおすましに、餅と、岩のりを散らすだけなど、シンプルなのに対し、
母の方は、味噌仕立てで、餅の他には、鶏肉や大根、ゴボウ、ニンジン、かまぼこなど、具の多い、にぎやかなものです。
私が子どものころは、母方の祖母と同居していたため、私の子ども時代のお雑煮の記憶は、味噌仕立てです。
そんな私も大きくなり、初めて、父が出雲流のお雑煮を作ってくれた時には、カルチャーショックで、とてもびっくりしたのをよく覚えています。
そのほかにも、まだまだ、ご家庭それぞれの年末年始の過ごし方があると思いますが、「食べる」という子どもにわかりやすい切り口で、学びと絆を深めてくださるとうれしいです。
2015年
12月
29日
火
スタイリッシュな子育てのために
お子さんの「らしさ」を輝かせるために、主語を明確にする。
「ねえ、あれ買って。みんな、持ってるんだよ〜」
お子さんに言われたことのある方もいらっしゃるでしょう。
そんな時、
「みんな?みんなって、誰?クラスの全員じゃないでしょ!」
などと、言葉を返された方も多いかもしれません。
自分に都合の悪い話をする時、自信のない時、つい、
「みんなが…」
と主語を不特定多数にして、責任をあいまいにしつつ、数のパワーをちらつかせるというテクニックを使いたくなります。
子どもに言われた時は、きっぱり言い返すのに、意外と大人の側も、無意識に、
「みんな、そうしてるでしょ」
のように使ってしまうことがあると思います。
私自身、気をつけないと、そういう時があります。
日本人の精神文化には、集団性が指摘されることが多くあります。
「出る杭は打たれる」のように、集団との同質性が、強調されがちです。
かつて、「KY」という言葉が流行したことがありますが、
「大人なんて、ウザい!」
と言っている若者たちが、むしろ、大人以上に(?)、場を読むことや集団の中での同調的な言動に価値を置いていることに驚きました。
結局、人の輪の中で埋もれるにしても、自分の意思で、それを選択することは、自分らしさを発揮する上で、とても大切なことだと思います。
教室で子ども達の様子を見ていると、落ち着いて、自分の考えを主張できる子は、初めこそ、あれこれ言われても、結局、信頼を得ていくと私は思います。
どうせ、他人は自分の人生に責任を持ってはくれません。
「誰が」
主語を明確にして、子どもと関わりたいな、と私は思います。
2015年
12月
30日
水
シンプルな子育て論
お子さんが、友達の悪口を言ったなら…
事情と気持ちをとことん聞いて、そっと悪口の問題点を伝える。
会社での人間関係に疲れているお母さんも、ママ友の人間関係に疲れているお母さんもいらっしゃるでしょう。
学校も同じです。
子ども達は、親しい友人にパワーをもらっている一方で、嫌な人の何人かがいて、当たり前です。
ですから、お子さんが、お母さんに嫌な人の悪口を言うことがあるのではないかと思います。
そんな時、一緒に悪口を言うのはどうかと思いますし、一方で、頭ごなしに正論でお説教というのも、お子さんにとっては、悲しい状況になると思います。
そこで、私は、以下の2つの手順をご提案します。
まず、とことん、事情と気持ちを聞く。
いつも忙しいお母さんです。まったく内容の見えない話にイライラされることもあるでしょうが、お子さんのペースで、事情と気持ちを聞くことは、結局、トラブルを早く解決できることにつながると思います。
特に、気持ちを徹底的に聞くこと、うまく言えていないように思えたら、
「〜ということ?」
と代弁してあげることも、効果的です。
その際、どんなに我が子がワガママに思えたとしても、心の中は、親子でも別人なのです。
その子の気持ちとして、受け止めることが大切です。
その上で…
・悪口を言いたくなる気持ちは、理解できる。
・正直、私自身も、苦手な人もいて、腹が立つこともある。
・でも、悪口を言うと、内容うんぬんに関わらず、悪口を言っている人が悪く思われるもの。
というようなことを伝えてみてはどうでしょう?
特に、3年生や4年生ぐらいのグループ作りがテーマになる段階では、悪口をキーにして、人間関係を築こうとすることがありますから、悪口の功罪について考える機会は、ご家庭でも必要でしょう。
アメリカの研究によると、悪口を言っている人の映像を被験者に見せたところ、被験者の多くが、悪口を言っている、その人についての印象を悪くしたのだそうです。
いざという時には、愚痴は私が全て聞く!
ぐらいの心持ちでいた方がいいのかもしれません。
私も教室で、いろいろなトラブルを経験してきましたが、内容がどうであれ、悪口をキーにした仲間作りをしようとすると、結局は自分が敵を作っているというケースを見てきました。
悪口を言いたい気持ちを十分に受け止め、
その解消法としての悪口は十分に気をつけるよう、
伝えることが大切ではないでしょうか?
2015年
12月
31日
木
今年は、どんなことに感謝していますか?
大晦日。
実は、それが大晦日だと思わなければ、ただの1日です。
そう思うと、意味づけの重要さを痛感します。
そんなただの1日であるはずの大晦日に、考えたいことは、やはり、「感謝すること」です。
意味づけの重要さを応用すれば、どんなに嫌なことでも、「感謝」ととらえることで、次につなげていけると思うからです。
今年の私は、自分で自分の弱さや足らなさ、傲慢さなど、「弱み」を認められた一年だった、と感謝しています。
私にとって、弱みも含む、人となりの全てをお互いに受け入れる、認め合うことは、とても重要なテーマです。
私は現役の小学校教師ですから、
・できるようになること
・苦手や弱みを克服すること
・課題を少しでも改善すること
など、大切な子ども達をお預かりし、「指導する」という責任も持っています。
それを当然のこととした上で、私は、子ども達のできないこと、苦手なこと、弱みを全てひっくるめて、認めていきたいと考えています。
子どもは(多分、大人も?)、少しでもよくなりたいし、良い面を認めてほしいものだと思います。
当然、私もそうです。
でも、晴れがあれば、雨があり、中途半端な曇りもあるのです。
光が当たれば輝くと同時に、影もできるのです。
大人が子どもに、まして教師という立場の私が、子どもの良い面、ともすれば、大人にとって都合のいい面だけを評価するとすれば、いわゆる「影の部分」は、どうなってしまうのでしょう…
影があるから輝けるし、雨があるから晴れが嬉しいのだという見方もできるのではないかと思います。
だから、子ども達との関係は、苦手なところや弱いところも含めて、全てを認め合うものにしたいと私は思っています。
だとすると、私自身も、強みも弱みも全てを認められなければいけないはずです。
16年という教員生活の中で、私は、私なりの強みも磨いてきました。
そうならば、私なりの弱みも強化されたはずです。
子ども達との毎日は、きれいごとではすみません。
「こうすれば、こうなるはず」
などと、教育書や誰かの体験談通りにはいかないのではないでしょうか。
そういう毎日の中で、私は喜びも、悲しみも感じました。
私の強みが活きたな、と思えることもあったと同時に、これは見通しが甘かったな、と思うこともありました。
そんな経験をさせていただいたことに、感謝したいと思っています。
あなたは、どんなことに感謝して、大晦日を過ごされますか?