2015年
11月
01日
日
スタイリッシュな子育てのために…
お子さんへの要求は、他人にしてもらう。
毎日、毎日、お子さんに、あれしなさい、これはいけません、と、
要求ばかりで、疲れてしまうという方もいらっしゃるでしょう。
そんな時は、他人を使うことを考えてみませんか?
お父さんやおじいちゃんおばあちゃんの力もいいでしょう。
しかし、そのあたりの近い人々は、もう利用済みで、効果はなさそう…
ということが多いのも、よくある話です。
そんな時は、お母さんのお友達、ママ友の活躍が期待できるかもしれません。
子どもは、意外と友達のお母さんに弱かったりします。
友達のお母さんに、ちょっと褒めてもらうと、やる気を出すこともあるのです。
ただ、友達のお母さんのパワーを借りる時は、叱ってもらうような方法は、
あまりよくないようです。
自分のお母さんに、いろいろ言われて疲れている上に、友達のお母さんにまで言われたのでは、余計にやる気をなくしてしまうでしょう。
子どものやる気を起こさせるためには、あの手この手です。
使えるものは、なんでも使うという覚悟も必要かもしれません。
2015年
11月
02日
月
シンプルな子育て論
2015年
11月
03日
火
スマートな子育てのために…
2015年
11月
04日
水
エレガントな子育てのために…
会話の「間」を取る。
エレガントなお母さんは、「オホホ…」と小指を立てて笑うお母さんでしょうか?
それでは、スネ夫のママなだけです。
もちろん、「オホホ…」と笑ったっていいと思いますが、重要なポイントは、会話に「間」があるかどうかだと私は思います。
会話に「間」がなく、どんどん、かぶせるようにお話をするか…
ゆったり構えて、ひとまず、話を聞くか…
その違いが、エレガントさにつながるのではないでしょうか。
大切なお子さんのことです。
感情的になって当たり前です。
怒鳴ることもあっていいと思います。
本当は思ってもいないような暴言を吐くこともあっていいと思います。
怒鳴った後でも前でもいいですから、ふと気づいたら、
「間」
を意識して、一呼吸だけ待ってみませんか?
そこにエレガントさがあるような気がします。
2015年
11月
05日
木
スタイリッシュな子育てのために…
意見の違いをそのまま受け止める。
自分の意見と他人の意見が違うことは、当たり前のことです。
当然、親子の間でも、意見が違うことも、当然です。
それなのに、親子の間となると、意見の違いが、しつけの拒否と思えてしまうことがあるようです。
日々の洋服選びのようなことから、休日の過ごし方、毎日の時間の使い方、習い事をするしない、時には受験をするしない、志望校選びなど、親子とはいえ、意見が違って当たり前なのに、
「それは嫌!」
と言われてしまうと、まるで自己否定されたかのように感じてしまうこともあるようです。
もちろん、子どもの生育に責任を持っているのは大人ですから、志望校選びはもちろん、時には着ていく洋服の選択も、大人がビシッと、子どもに強いる必要もあります。
そういう場合は、意見の違いを悩む必要はまったくありません。
かわいそうかなとか、嫌われたくないなとか、考える必要もありません。
子どもの生育上、必要と判断した場合は、意見の違いは無視するだけのことです。
しかし、何から何まで、大人が決めていては、子どもの自主性は育ちません。
バランスよく、自分で決める経験もした方がいいですね。
だとすると、当然、意見が合わないこともあるに決まっています。
そういう時は、
「そんなもんだな」
と、違いをそのままにしておくゆとりが必要なのではないかと思います。
子どもは、思っている以上にお母さんの顔色を見ています。
こんなことを言っていいのかな、こんなものを選んでいいのかな、と案外、気にしています。
一方で、縛られるのも嫌なのです。
だからこそ、お母さんがどっしり構えていてくれると、かえって子どもは素直にお母さんの考えを受け入れることができるのだと思います。
2015年
11月
06日
金
2015年
11月
07日
土
シンプルな子育て論
2015年
11月
08日
日
エレガントな子育てのために
2015年
11月
09日
月
現役小学校の先生が教える、意外なやる気を引き出すヒント
中途半端で終わらせる。
「そんな中途半端なところでやめないで、キリのいいところまでやりなさい!」
そうお子さんにおっしゃったことのあるお母さんもいらっしゃるでしょう。
しかし、勉強のやる気を引き出すためには、それはかえって、逆効果なのだそうです。
むしろ、問題の途中で中断する方が、取り組みやすいのだそうです。
これは、「ツァルガイニク効果」と呼ばれることで、旧ソ連の心理学者・ツァルガイニクが実験、実証したことで、
「途中になっている課題の記憶は、終わらせてしまった課題についての記憶より思い出されやすい」
ということなのだそうです。
秋も深まってきました。
勉強の秋、読書の秋、食欲の秋…
たまには、中途半端な終わりでも、認めてみませんか?
心のゆとりにもつながるような気がします。
2015年
11月
10日
火
シンプルな子育て論
お母さんって、もう、それだけですごい。
お母さんは、お母さんというだけで、すごいと私は思います。
上級生ともなれば、お母さんへの言葉使いが乱暴になることもあるでしょう。
低学年でも、小学生ともなれば、それまでのように素直に聞いてくれる訳ではなくなります。
それでも、お母さんの存在は、子どもにとって、他に比べることのできない大きさだと思います。
その存在があまりに大きくて、そして、絶対的なものであるがために、子どもによっては、なぜか一方的に、
「自分はお母さんに愛されていない」
と感じている子もいるように思います。
一つの考え方として、習い事やしつけが、お子さんの実態や個性と合っていないような時、
「自分は、そんなお母さんの期待に応えられない子なんだ」
と考えてしまうことがあるようです。
まあ、このような例は、わかりやすい例と言えるでしょう。
一方で、大らかで、そんなに要求をした覚えもないのに、
「自分は、お母さんに認められていない」
と、勝手に思っている子さえいるのです。
本当かどうかはさておき、
「お母さんって、私のこと、褒めてくれたことなんてないんだから!」
という子もいました。
ということは…
何かしらのトラブルがあった日は、それが仮に加害者的立場だったとしても、
「あなたのことを大事に思っている」
と伝えてあげることが大切です。
お母さんって、やっぱり、スゴイなぁと思います。
2015年
11月
11日
水
2015年
11月
12日
木
スマートな子育て論
2015年
11月
13日
金
2015年
11月
14日
土
2015年
11月
15日
日
スマートな子育て論
2015年
11月
16日
月
シンプルな子育て論
2015年
11月
17日
火
スマートな子育て論
2015年
11月
18日
水
エレガントな子育て論
2015年
11月
19日
木
スタイリッシュな子育てのために
どんな話も、
「そう…」
と、一旦、受け止める。
小学生ともなると、お子さんは、そう簡単に話を聞かなくなるものです。
あるいは、お子さんの話に同意できない時もあることでしょう。
そんな時でも、
「そう」
と、一旦、話を受け止めることは、お子さんの素直さを引き出す重要な一歩であり、習慣です。
普通は、つい、
「いや、そうじゃないでしょ」
とまず否定してしまうものです。
教えることに焦ってしまうのですね。
でも、お子さんにとっては、
「あ〜やっぱり、お母さんはわかってくれない」
という気持ちになってしまうのです。
どうであれ、まずは、
「そう」
と受け止めることで、最低限、否定はされない、というスタートラインに立つことができます。
そして、「そう」と受け止めた後は、
「それで?」
と聞いていくと、子どもなりの(かなり、曲がっていると思われるかもしれませんが)、考え方、感じたことを引き出すことができます。
すると、お母さんの伝えたいことを伝えるスペースができるのです。
「そう」
は、「そうだね」という肯定ではありません。
あくまで、
「そう。あなたは、そう思ったんだね」
という確認なのです。
ぜひ、試してみてください。
2015年
11月
20日
金
シンプルな子育て論
2015年
11月
21日
土
スマートな子育て論
思っているよりも、甘えさせていい。
「甘えさせては、いけない!」
真面目で、一生懸命なお母さんほど、そう考えて、無理して「厳しく」されているようです。
しかし、甘えさせることは、そんなに悪いことなのでしょうか?
子どもが、お母さんを始めとした、安定した大人に、思う存分、甘える経験は、心身の健全な発達に不可欠であるように思います。
たくましく、この世を生き抜くためにこそ、とことん、甘えておく必要があるのではないでしょうか?
「あ〜まあ、わかるんですが、そうなると、一生、自立できないのではないかと思うんです…」
そう、思われるかもしれません。
でも、私は逆だと感じます。
一体、いつまで甘えるの?
と思っても、ある段階で心が満ちると、スパッと離れていくように思います。
ただし、よくないのは、
「この子が、私から離れてしまうと、私の存在価値がなくなるような気がして…」
と、お母さんの気持ち・不安を埋めるために、お子さんをそばに置いておこうとすることですね。
これは、「甘えさせる」のではなく、「束縛」です。
これをしていると、子どもはとても生き苦しくなります。
真面目な方ほど、「甘え」に過敏なようです。
が、早く、確実に自立をさせるためにこそ、思っている以上に「甘えさせて」いいと私は思います。
2015年
11月
22日
日
シンプルな子育て論
2015年
11月
23日
月
2015年
11月
24日
火
スタイリッシュな子育てのために
変えようとしない。磨く。
あ〜なんて、自分はダメなんだ…
大なり小なり、誰でもが感じていることなのではないかと思います。
そこで、
「こんなんじゃダメだ。変わらなきゃ!」
と思ったことのある方もいらっしゃるでしょう。
ちなみに、私もそうでした。
まあ、言葉の綾のようなものかもしれないのですが、変わろうということは、どうも自分ではなく、他の人になってしまえばいいんだ、という、ある意味で、楽をしようという要素が入っているような気が、私にはするのです。
自分は、どこまでも自分。
しかし、今のままで終わり、ということではなく、常にアップデートしていく。
それを端的に言うと、
「磨く」
ということなのではないかと、私は思います。
私は、色白です。
子どもの頃から、どうしても、それが嫌でした。
それで、とある機会に海に行った際、ここぞとばかりに、焼こう焼こうと、無理をして、ひどい火傷のようになったことがあります。
そんな時、とある方から、ピンク色のワイシャツ生地をプレゼントされたことをきっかけに、私は、嫌だった「色白」を活かした装いを心がけることにしました。
それは、少なくとも、その時は、自分の嫌なところを削られるような、痛みのあることでした。
が、これは、単なる痛み・イジメではなく、自分らしさを引き出す、まさに「磨く」ことだったのだと思います。
ですから、「磨く」ことは、「変わる」ことより、はるかに痛みも伴うことなのです。
でも、他ならない「自分」の本質に迫ることですから、ホンモノです。
強いです。
ですから、お子さんが壁にぶつかっているな、と思うことがあったら、ぜひ、
違う違う!変わるんじゃない、自分を磨くんだ。
というサポートをされるといいのではないか、と思います。
2015年
11月
25日
水
スマートな子育て論
私は幸せだ、とつぶやく。
人間万事、塞翁が馬といいますが、どんな時でも、私は幸せだ、とつぶやくことができるなら、本当に素晴らしいと思います。
いわゆるポジティブシンキングとは少し違うかもしれません。
私が強調したいのは、
「幸せだと、つぶやく」
ことです。
「つぶやく」
です。
子ども達と過ごしていると、なんで、こんなに自分の話が多いんだろう?と感じることがあります。
自慢とは少し違います。
単なるおしゃべりとも違うのです。
ドラマチックな感じとでも言いますか、作られた感じとでも言いますか、何か、
「うん?」
と気になってしまうのです。
あんまり、私は幸せだ、私は幸せだ、と強く思ったり、強く声をあげたりするのは、むしろ逆の心理の裏返しに感じます。
少し、この話を発展させると、
「お前はできる、お前は最高だ!」
とお子さんに強調しすぎるならば、それは、ポジティブシンキングで、プレッシャーをかけていることになると思うのです。それは、誘導です。
子どもの世界でも、大人の世界でも、穏やかに幸せを感じている子(人)には、自然と人が集まり、いい雰囲気になるでしょう。
ですから、
「つぶやく」
程度にしておかないと、かえってプレッシャーになるような気がします。
肩の力を抜いて、幸せを感じたいものです。
2015年
11月
26日
木
2015年
11月
27日
金
2015年
11月
28日
土
スタイリッシュな子育て論
一人でもいいし、みんなでもいい、というスタンスで子どもの人間関係を見守るから、お子さんの友達が増えるのだと思うんです。
肩の力が抜けているから、自然と人が集まってこられる。
お子さんの人間関係に大いに関心を持たれていることと思います。
・友達ができなかったら、かわいそう…
・こんな子とは、親しくしてほしくない…
・あの子と遊んであげなさい!
など、お子さんが小さければ小さいほど、お子さんの人間関係もコントロールできてしまうので、お母さんの気持ちで、誘導してしまいがちです。
しかし、人間関係についてのお母さんの誘導は、意外と子どもにとって、心理的負担なのです。
「それって、誰のためなんだろう…結局、お母さんのためでしょ…」
という気持ちは、小学生なら、もう持っているものです。
特に女の子は、そういう思考を早くできるようになります。
子どもの人間関係は流動的で、安定するまで、いろいろなトラブルがあったり、事件が起きたりするものです。
時には、本当に一人になりたい、という時だってあっていいのです。
むしろ、周りに合わせることがクセになるぐらいなら、がんばって一人の時間を作ってあげたっていいのです。
「なんとか、友達を作ってあげよう」
という親心は、
・友達がいないボク(ワタシ)は、ダメだ
という価値観の裏返しになってしまいます。
「あ〜別に一人でもいいんだ。」
「なんだか、この子とは気が合うな」
「ずっと仲良しだったけど、ちょっとあの子とは離れたい」
などと思うのが自然ではありませんか?
お子さんが友達関係で困っているようなら、焦らず、じっくり気持ちを受け止めてあげたいものです。
2015年
11月
29日
日
シンプルな子育て論
小さな、小さな、ステップアップを大切にする。
お母さん!
お子さんは、お母さんが思っている以上に、よくなりたい、がんばりたいのです。
でも、目標が高すぎるのです。
思い浮かべた自分なりの理想には、簡単に近づけません。
当然、大なり小なり、すぐに失敗します。
すると、やる気をなくしたり、わざわざ、できないフリをしたりします。
もちろん、お母さんご自身も、気をつけた方がいいですね。
親子で目標を決めたとしても、そう簡単にできるものではない、と前もって心の準備をしておく必要があります。
「うまくいかないことがあって、当たり前だよ」
と確認しておかないと、お互いに、ちょっとした失敗に心が折れてしまいます。
ですから、軌道に乗るまでは、小さな、小さな、ステップアップを大切にする必要があります。
例えば、勉強を全然しない、ということがテーマなら、
基本として、学年×10分間という勉強時間を目標にしたとします。
ホントは学年×20分間やってほしい、というところは、グッとおさえて、×10分間で妥協されたかもしれません。
それでも、全然勉強していない、という現状を考えれば、×10分間だって、かなりハードルは高いはずです。
1分間、机に向かって、椅子に座って入られたら、合格!
というぐらいの、小さな、小さな、ステップアップで、赤飯を炊くぐらいの気持ちでいることが大切だと思います。
思ったよりも時間がかかるかもしれませんが、しっかり時間をかけたことは、確実になります。
ぜひ、頭の片隅に、
「小さな、小さな、ステップアップ」
置いておいてくだされば、光栄です。
2015年
11月
30日
月
スマートな子育て論
親子のルール作りは、道徳論ではなく、実際論。
小学生のスマホ利用に関わる記事から、ルールなしくずしの現状を打破するヒントをご提案します。
産経新聞WEBに、
と題した記事がありました。
この数字の根拠は、都の調査だそうで、3年生でも約半数が利用しており、6年生の約25%は自分のスマホを持っているともありました。
私の現場感覚としては、この数字は、概ね実情に即していると感じます。
この手のデジタルデバイスの問題は、家庭でのルール作りが肝心、という落とし所になるのです。
が、そう簡単なことではないでしょう。
なぜなら、親御さんのほとんどは、
「まだ、持たせる必要なんてないのに…」
「変に使わせると、味を覚えて、やめられなくなるのに…」
と思っているのに、使わせたり、持たせたりしているのです。
一般に言われているルールを作ったところで、なしくずしになっていくことは、ほぼ目に見えています。
でも、やはり、ルールは必要です。
そこで、私なりのルール作りのヒントをご提案します。
まず、ルールを明確にすること。
解釈の幅が広いと、ルールになりません。
例えば、
・友達に迷惑になるようなメールやメッセージは送らない
というルールでは、
「別に、相手は喜んでるんだよ」
という反論をしやすくなります。
ですから、
「友達に送ったメールやメッセージは全てお母さんかお父さんが見る」
というような明確なものにします。
そして、数を絞ること。
何しろ、デジタルデバイスのノウハウは、子どもの方が覚えが早いことが多いです。
まして、機械が不得意なお母さんでは、太刀打ちできなくなります。
何か新しいアプリを入れるたびに、ルールを追加、では、やはりなしくずしになります。
ですから、
「夜9時には、スマホをお母さんに返す」
「スマホの中身は、いつでもお父さんやお母さんが見る」
など、せいぜい3つ程度に絞ることが大切です。
大人が継続してチェックできないルールは、ない方がいいぐらいです。
最後に、どんなルールでも、道徳論や感情論ではなく、具体的な実際論にすることが大切です。
「スマホを子どもが触るなんて、10年早いわよ!自分で稼げるようになってからにしなさい!」
では、納得できないでしょう。
そうではなくて、
「寝る2時間前から後に、スマホの画面を見ると、ブルーライトで目や脳が刺激を受けて、睡眠障害が起こるから、夜は9時に預かります」
とか、
「インターネットは、相手が見えないから、本当はどういう人で、どういう考えをしているか、どこにいるか、全部ウソかもしれない。だから、インターネットで知り合った人とは会ってはいけない」
など、具体的で、実際的な論拠を示す方が説得力が増します。
相手は子どもなんだから、と軽く考えるなら、何とか、スマホをお子さんに触らせないことです。
記事にもありましたが、スマホ・インターネットをさせるということは、子ども一人で、歌舞伎町の繁華街に立たせるようなものなのです。
もっとも、このたとえは、子どもにはピンとこないでしょう。
私なら、
「スマホやインターネットを子どもだけで使うのは、子ども一人で、夜の海で泳ぐようなもの」
とでも言うでしょうか…
いずれにせよ、お子さんがその危険性を実感できそうなたとえをお考えになるといいでしょう。
「お母さんだって、やっているのに!」
とお子さんに反論されても、まったく怯む必要はありません。
何しろ、大人なのです。
お父さんがおかしなサイトにアクセスして、不思議な請求が来ても、
お母さんがついついネットショッピングして、カードの請求書に驚いても、
その責任は大人自身が取るのですから。
ぜひ、絶対の自信を持って、ルールを宣言していただきたいと思います。