子どものありのままを認めるためには、大人が自分のありのままを認めていないといけない。
ならば、どうすれば、自分のありのままを認めることができるんだろう…
今日の時点での私の結論…
「ありのまま」を認めようと、あれこれやり続けている、その状態こそが、
「ありのまま」を認めていることなのではないか。
この連休、私は、「ありのまま」を認めるって、どういうことだろう、と考えていました。
私に、学歴がなかろうと、才能がなかろうと、貯金がなかろうと、友人が少なかろうと、
私は私で、価値があるんだ!
理屈としては、理解できるのです。
でも、どうも、心の底からそう思うことができない。
それで、日に二度、スタバに入っては、ノートにいろいろ書いたり、
先日、学んだマインドマップを描いたりしてみました。
その結果、考えたのは、「ありのまま」を認めるために、4つの要素があるのではないか、ということです。それは、
1.自分の軸を持っている
2.他人の評価を手放している
3.自分をさらけ出している
4.共感できる他者とつながっている
では、どうすれば、
・自分の軸を持て、
・他人の評価を手放し、
・自分をさらけ出し、
・共感できる他者とつながる
ことができるのでしょう…
何から手をつければいいのだろう…
それを考え出したところで、ふと、思ったのです。
これらの4つの要素は、それぞれが連動しているので、何からやったっていい。
目の前にあるものからやればいい。
しかも、何かを達成できたから、もう「ありのまま」の自分を認められるんだ、
というものではないな、とも思います。
この発想は、すでに条件付きのものです。
とうてい、「ありのまま」ではありません。
そこで、私はこう思いました。
これらの4つの中で、できることを何かやり続けているのなら、その状態こそが、
「ありのまま」の自分を認めていることなのではないか。
だから、今、私の目の前にあること、
・自分のクラス
・学校の仕事
・ブログを中心とした情報発信
などなど…
を20パーセントの迷いや不足を感じながら、やり続けてみようと思います。
100パーセント「ありのまま」の自分を認めるなんて、それはお釈迦様の世界の話なのかもしれません。
浮世を煩悩にまみれて生きる私だからこそ、発信できる何かがあると信じていこうと思います。