あると思っているから待てることと、ないと思っているから一生懸命入れることは結構ちがう。
先生に期待することは何ですか?
やっぱり、勉強の力、運動の力、人間関係の力、生活する力を「つけて」ほしいですか?
だから、私は「サボっている」と言われるのかもしれません。
でも、もしかしたら、力は、もう「ある」のかもしれませんよ。
今日は9月1日。
地域によっては、すでに学校が始まっているところもあると思いますが、やはり9月1日というのは、長かった夏休みを終える始業の日として、象徴的です。
そんな始まりの日に、私の教育観の根底にあるものを著してみたいと思います。
私は現役の小学校教師です。
今日だって、朝から子どもたちを迎えて一緒に過ごしていました。
学校の先生の仕事は、何でしょう?
・勉強を教える。
・友達付き合いがうまくいくように教える、調整する。
・子どものいろいろな面が伸びるような行事や活動を運営する。
・保護者のサポートを得て、子どもを伸ばす。
要は、子どもにいろいろな力を蓄えるのが仕事、と言ってもいいかもしれません。
とはいえ、
・子どもには、まだ力がないから、あの手この手で、「入れてあげよう」
という考えがベースにあるのと、
・子どもには、これから育つものが、もうあるのだから、それを大切にして、「伸ばしていこう」
という考えがベースにあるのとでは、ずいぶん違うのではないかと思います。
私は明らかに、
「もうあるのだから、それを大切にして、伸ばしていこう」
ということを基盤にしています。
すると、「入れてあげよう」、「入れて欲しい」主義の方からは、
批判や要求を浴びることもあります。
「お前は、サボっている」
「楽をしたがっている」
と言われたこともあります。
伸びるのを信じて待つこと、ちょっとずつ刺激を与えることは、
とても忍耐が必要で、しかも目立たない地味な仕事なのです。
私にとっては、逆に「サボっているように見せたい」のです。
「自分はこんなに仕事をしています!」(だから、すごいでしょ…)
と見せつけるようなことをしたくないな、と思います。
それは、逆に自信のなさの裏返しのような気もします。
まあ、そういう私の美学はいいとして、確認しておきたいことがあります。
「あるものを伸ばす」
「伸びるのを待ちながら、ジワジワ刺激する」
ということは、「授業をしない」「教えない」ということではありません。
全国標準的な基準に則った「授業」は、もちろんやるのです。
ただ、「できる力は、君の中にあるんだからね」という気持ちでやるのです。
社会不安を必要以上に煽り、少子化だからこその受験戦争、早期教育という世の中を思えば、
「早く入れたい!」
「人よりも先に入れておきたい!」
という声が強まるのも無理はありません。
それがお母さんの気持ちというものです。
ですが、そこにつけこんで、過剰な「入れる」取り組みに夢中にさせるのは、
子どもの自尊心を傷つけ、青年期の成長に課題を生じさせてしまう可能性があるのではないでしょうか。
この2学期始まりの日、私はこのことを再認識して、子どもたちと関わっていこうと思っています。
どうせ、同じ「入れる」作業をするのなら、「あるものを伸ばす」感覚でいた方が、
自信に満ちていられるのではないかと思います。