何回言っても、同じような相手に、同じようなケンカをして帰宅する我が子…
毎度、ウンザリしていませんか?
「もう、お願いだから、やめて!」
そう思っていませんか?
あるいは、お子さんに、そう怒鳴ったかもしれません。
私もそう言いたくなるのです。
実際、かつては言っていました。
ところが、やめろ、やめろというと、余計にやってしまうことに気づき、そういう言葉はやめてみました。(時々、言ってしまうのは、ご容赦ください)
すると、ケンカはゼロ!
にはなりませんが、私自身の気持ちが楽になり、結局、子どもを追い込むことが減ったような気がしています。
今日は5月30日、ゴミゼロの日だそうです。
今朝、三鷹の駅前で市長さんが、声高らかにキャンペーンをしていました。
そんな日に、何もたてつく訳ではないのですが、人間が生きている限り、ゴミゼロはできないよなぁ、と思ってしまったのでした。
嫌なもの、遠ざけたいもののたとえとしてゴミを考えてみましょう。
ゴミをゴミと思うので、嫌になり、かえってゴミだらけになるのではないかと思います。
ゴミをより必要なものに捉え直すというリサイクルの考え方が大事です。
つまり、子どものケンカを嫌なもの・避けたいもの(ゴミ)と捉えるのではなく、うまく言葉にはできない困っていることをケアするチャンスと捉え直すことで、ケンカは貴重な資源になります。
小さい子、特に男の子は、言いたいことをうまく言えなくて、たまった感情をケンカや暴力で表しがちです。
それだけではありません。
言いたいことを言える力があっても、言いたいことをハッキリ言うのは、子どもにとって憚られるものなのです。
子どもにとって、お母さんを困らせるのは、とっても嫌なことなのです。
え?
あんなに本能むき出しのあの子にそんな感覚が?
はい。
あるんです。
どうしても日本人の美徳である謙虚さ、忍耐強さというものは、無意識のうちに伝わっているのです。
だから、ケンカっ早いとか、遅いとかいう違いに目を向けずに、今、その子が何に困っているか、どうすれば気持ちが楽になるかを考えることが大切です。
しかも、誰のことも責めないことが一番大事だと私は思います。。
「ワタシがこうしてあげなかったから」
「ワタシが見てあげなかったから」
などというのも責めることの一つです。
結局、子どもにプレッシャーをかけることになります。
「でも、私には子どもが何に困っているかわかりません…」
もし、そうおっしゃるなら、こう聞いてみてください。
「どうしてほしい?」
お子さんは的外れと思えるおかしなことを言うかもしれませんが、子どもなりに何とか答えたのですから、その言葉の意味を考えてみてください。きっとヒントが隠されています。
何も一回でわかろうとしなくていいのです。
そういう会話が何回かあった後、何かの拍子に、
「あっ!そういうことか!」
と急に見えることがたくさんあります。
教室での私は、その瞬間が楽しくて仕方ありません。
何より、そういう気遣いで子どもは安心できるのです。その積み重ねが、ケンカを減らしていくのだと思います。